『風に身をまかせ』
魔術師のお店で飼われているチェシャ猫は
風に身をまかせてお散歩するのが日課です。
今日は一体どこへ行くのでしょう?
チェシャ猫が河川敷を眺めていると、
少年たちが一人の男の子を
取り囲んでいる現場を目撃。
「やーい、泣き虫リヒト」
「お前のからあげクンよこせよ」
男の子が首を横に振ると、リーダー格らしき
横幅の広い少年が「ライダーキーック!」と
叫びながら蹴りを入れました。
男の子はその場に倒れ込み、周りの少年
たちはそれを笑いながら見ています。
「にゃ~いじめはダメにゃ」
チェシャ猫がふよふよと空から舞い降りてくると、
少年たちは突然現れた謎の生物にギョッとしました。
「うげ!魔物だ!」
チェシャ猫が魔法を唱えると、少年たちの頭上から
タライの雨が降り注ぎ、頭をぶつけた少年たちの
目にチカチカと星が飛んで、そのまま気絶しました。
「ありがとう」
助けてもらったお礼にと男の子はチェシャ猫に
からあげクンを分けてあげました。
からあげクンをもぐもぐと頬張りながら
チェシャ猫は次の場所へ向かいます。
辿り着いた先は銭湯でした。
「あんたまた来たのかい」
受付のおばあちゃんが新聞から顔を上げて
チェシャ猫の方を見ました。
このおばあちゃんはたまに煮干しをくれたり
するいい人です。
受付で香箱座りをしていると、常連さんたちが
やってきてチェシャ猫の頭を撫でました。
「あら猫ちゃん、今日も店番お疲れ様」
「にゃおん」
「よう、調子はどうだい」
お客さんの中でも特にチェシャ猫の事を
可愛がってくれる人がいます。
それはチェシャ猫が歴戦の戦士と
呼んでいるおじさんです。
おじさんの体には傷跡がたくさんあります。
きっと兵士か何かでしょう。
おじさんがお風呂へ行くとチェシャ猫も
そのあとをついて行きました。
おじさんが湯船に浸かると
ざばーっとお湯が大量に流れます。
木製の風呂桶にすっぽりと入ったチェシャ猫は
何だかうとうとしてきました。
「ばばんば ばん ばん ばん」
おじさんが突然歌い始めます。
「にゃにゃんにゃ にゃん にゃん にゃん」
チェシャ猫もつられて一緒に歌いました。
おじさんは風呂上がりにいつもコーヒー牛乳を
奢ってくれます。チェシャ猫はこれが大好きです。
「ぷはーっ!キンキンに冷えてやがるにゃ」
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気が付けばもう夕方です。
どこからかチャルメラの音が聞こえてきて、
夕ごはんの匂いがチェシャ猫の鼻を掠めました。
夕暮れが街をオレンジ色に染め上げる光景は
どこか哀愁が漂います。
お店に帰ったチェシャ猫は今日の出来事を
魔術師に話しました。
「町の人たちに可愛がってもらえてよかったですね」
「んにゃ」
チェシャ猫は満足げににんまりと笑いました。
『愛を叫ぶ。』
あたしの名前はモブ崎モブ子!
私立ヘンテコリン学園に通う高校一年生。
あたしは今、気になっている男子がいる。
同じクラスの不良系イケメン、
セバスチャン・フェンリル君だ。
授業中も彼の事を目で追っていた。
窓際の席に座る彼の横顔を見つめていると、
胸の奥に言葉にできない感情がこみ上げてきた。
お昼休憩の時間、
高飛車お嬢様が彼に何やら話しかけている。
「セバスチャン、売店で焼きそばパンを
買ってきて欲しいですわ。
それとオレンジジュースも飲みたいですわ」
「かしこまりました」
彼は飼い主からボールを取ってこいと命じられた
忠犬のように、機敏な動きで教室を後にした。
は?あの人何様なの?!
彼を召使いみたいにこき使って……。
信じらんない!
あたしは席を立ち高飛車お嬢様に声をかけた。
「ちょっといいですか?」
「あら、貴女は確か……モブ山さん?
モブ川さん?だったかしら」
「モブ崎です!それよりも……彼をあんな、
パシリみたいに扱うのやめてくれませんか?」
「彼?セバスチャンの事ですか?
あの者は私の屋敷で働く執事ですわ。
私の願いを聞き入れる事こそが彼の仕事。
外野が余計な口を挟まないで頂戴」
「でもここは屋敷じゃなくて学校ですよ。
外でまで彼の自由を奪うのはどうかと思います!」
それを聞いた高飛車お嬢様は
腕を組み、あたしをキッと睨みつけた。
「貴女、さっきから何なんですの?
もしかして彼の事が好きなのですか?」
「え」
あたしが、彼を、好き?
モブ子の脳裏に彼との思い出が蘇ってくる。
入学式での最悪な出会いから、
河川敷で子犬のお世話をしている姿、
花園で髪に付いた芋けんぴを取ってもらった事。
「何とか言ったらどうなんです?」
モブ子は拳をぎゅっと握りしめる。
あたしは────
「あたしは、彼のことが好きだー!」
教室の中心で、愛を叫ぶ。
口に出してようやく理解した。
これが、恋なのだと。
クラスの皆の視線がモブ子に集中しているが、
もうこの際構わない。
モブ子の愛の叫びに驚きを隠せないお嬢様は、
ひくりと引き攣った笑みを零し、
「まあ、まあまあ、おめでたい事。
そんなに好きなら告白でも何でもしなさいな」
と意地悪く言い放つ。
「ええ、言われずとも」
モブ子はその言葉に対して強気に返してやった。
セバスチャンが食堂から帰ってくると、
教室内が何やら騒がしい。
入口から中の様子を窺うと、
主とクラスの女子がまるで
猫の喧嘩のように互いを睨み合っていた。
二人の間にはバチバチと火花が散っている。
「これは一体……」
「セバスチャン、女の戦いに男は
口を挟まない方が賢明ですよ」
学級委員のオズワルドはセバスチャンの
肩に手を置き、首を横に振った。
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モブ子は帰宅後、昼間の出来事を
思い出して、羞恥心から枕を殴っていた。
(あたし、みんなの前でなんて事!
彼に聞かれてなければいいけど……)
高飛車お嬢様に目を付けられる結果と
なってしまったが、後悔はしていない。
彼は絶対に渡さないんだから!
モブ子は心の中でそう決意したのであった。
『モンシロチョウ』
ここは教会の裏にある寂れた墓地。
かつて美と力を持っていた人間の肉体が、
ウジ虫の餌食となっている場所だ。
殉教者はこの忘れ去られた場所で一人、
せっせと掃除をしていた。
伸びきった雑草を抜いて蜘蛛の巣を取り払い、
濡らした雑巾で墓石を丹念に磨く。
聞こえてくるのは虫の鳴き声と鳥のさえずり。
足元には可愛らしい草花が揺れ、墓地全体が
穏やかな静けさに包まれている。
ふと殉教者は作業の手を止め、気配を感じた方へ
視線を向けると、木陰で道化師がロリポップを
ぺろぺろと舐めていた。
「😋🍭」
この者はワタクシと同じ
「†漆黒ノ闇倶楽部†」の団員だ。
道化師はスタスタと殉教者の方へ近づいてきて、
彼の顔を覗き込んだ。
「😟?」
(訳:何してるの~?)
「掃除をしているのですよ」
何せここは人が滅多に訪れないものだから、
自分以外に彼らの面倒を見る者は誰もいない。
身寄りのない者も、生前栄華を極めた者も、
行き着く先は皆同じ。やがて人々から忘れ去られ
土に還るだけだ。
「ふう」
作業を終えて一息つく殉教者の背後に
いつの間にやら道化師が立っていた。
手にはシロツメクサやタンポポ、イヌノフグリ
やサンガイグサなどが握られている。
「おや、花を摘んできてくれたのですね。
ありがとうございます、スタンチク」
「😆🌼」
墓標に花を添えると、殉教者は
土の下に眠る者たちへ祈りを捧げた。
彼の真似をして道化師も隣で手を合わせる。
「😑🙏」
(訳:おててのしわとしわを
合わせてしあわせなーむー)
二人の頭上に白い小さな蝶がひらひらと舞う。
東の宗教では蝶は生まれ変わりの象徴とされている。
もしかしたらこの蝶たちは、肉体から
抜け出した魂を天の国まで連れて
行ってくれる使者なのかもしれない。
どうか彼らが安らかな眠りにつかれますように───。
『忘れられない、いつまでも』
街へ買い物にやって来た悪役令嬢とベッキー。
「お給金で母ちゃんにお洒落な
帽子を買ってあげたいんです」
「ベッキーはいい子ですわね」
街を歩いていると、
馴染み深いメロディーが聞こえてきた。
ポポーポポポポ♪
ポポーポポポポ♪
ポポポポポーポポーポポー♪
安いよ、安いよ、新鮮なお肉を
たくさん取り揃えているよ!
『大衆食堂 ハッセン・ハンテン』と
書かれた看板を掲げる肉屋兼食堂。
店内を覗くと客がひしめき合い、
なかなかに繁盛している様子だ。
「わあ、お肉が安い!」
「あら本当!最近は物価が上がって
お肉も高くなってますのに」
悪役令嬢とベッキーがショーケースを
眺めていると、脂ぎった顔の店員が
出てきて二人にニヤリと笑いかけた。
「いらっしゃい。見てってくれよ~」
「ここは肉まんが名物みたいですね、お嬢様!」
「帰ってお茶と一緒にいただきましょうか」
悪役令嬢とベッキーは三人分の肉まんを
注文して、胸を弾ませながら屋敷へ帰った。
「おかえりなさい。主、ベッキー」
「ただいま帰りましたですわ」
「セバスチャンさん!肉まん買ってきましたよ!」
セバスチャンは鼻をくんと鳴らし、
ベッキーから差し出された袋を覗く。
「すみません。少しいただいてもよろしいですか」
「?どうぞ」
セバスチャンが取り出した肉まんを
一口齧ると、彼の表情は途端に険しくなり
饅頭の中身を凝視した。
「これ、食べない方がいいです」
「えっ」
「な、なぜですか。虫でも混入していましたか?」
「いえ、それよりも……」
後日、
あの肉屋の店員が逮捕されたという記事が
新聞に掲載された。
男は肉屋の店主と金銭関係で揉めた後、
店主と店の二階に暮らす彼の家族を惨殺。
その肉を客に提供していたらしい。
悪役令嬢とベッキーは
その後しばらくお肉を食べなかった。
彼女達はこの出来事をいつまでも忘れないだろう。
今でもあの肉屋の記憶が呼び込み君の
音楽と共に二人の頭の中に蘇ってくるのであった。
『一年後』
ここは還らずの森と呼ばれる鬱蒼とした森林。
「早く来てくださいまし!」
メアという名前の少女が世話焼きドワーフの
手を引いて森の奥へ進んで行きます。
「オズ!」
辿り着いた先、オズという名前の少年が
大木にもたれかかって座っており、膝の上では
薄紫色の毛玉が何やらモゾモゾと動いてます。
よく見るとそれは目が開いてない子猫で、
みゃーみゃーと弱々しく鳴いておりました。
「そいつはいってえどうしたんでい?」
ドワーフおじさんが尋ねると、
「森の中でカラスに突かれているところを
見つけたんです。追い払った後、辺りを
観察したのですが、親猫らしき姿がどこにも
見当たらず……こうして連れてきました」
とオズは答えました。
「うーむ、こいつはただの猫じゃなさそうだぞ。
珍しい魔物の類いと見た」
おじさんとオズが話す横で、メアが子猫に手を近づけていると、お母さんのおっぱいと勘違いしたのか、子猫が指先にちゅーちゅーと吸い付いてきました。
その姿に心打たれたメアは、
「わたくしこの子を育てますわ!」
と宣言しました。
ドワーフおじさんは驚いた様子で、
「生き物を育てるちゅーのは大変な事だぞ。
最後まで責任持って面倒見てやれるか?」
と覚悟の問いを投げかけます。
オズとメアは迷わずその言葉に頷きました。
それから二人は交代で寝起きして子猫にミルクを
あげたり、湯たんぽを寝床の下に敷いて温めたりと
甲斐甲斐しくお世話をしました。
ある日のこと、子猫のお腹がぱんぱんに張って
いるではありませんか。
一体どうしたのでしょう?
ドワーフおじさんに相談すると、
「こりゃあ溜まっとるな」
と顎髭をいじりながら彼は言いました。
「本来なら親猫が子猫の肛門を舐めて排泄を
手伝ってやるんだがな」
「え、おしりの穴を舐めないといけないのですか?!」
キャッと口元に手を当てるメアにオズが、
「刺激を与えればよいので、舐めなくても大丈夫ですよ」
と笑いながら教えてあげました。
ドワーフおじさんは隣で呆れた顔をしています。
二人は早速、濡らしたガーゼで子猫のおしり
を優しくトントンと刺激しました。
すると子猫はぷるぷると震えだし、
ぷりぷりぷりぷりっ!
と小さな体から大量のオソマが放出されました。
「あ!オソマ出ましたわ!」
オソマ!オソマ!
興奮する子どもたちをドワーフおじさんは
優しい眼差しで見守っていました。
こうして子どもたちに大切に育てられ
すくすくと成長した子猫は、一年後には人の言葉を
話し、魔法が使えるようになっていましたとさ。