悪役令嬢

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8/19/2025, 8:10:12 PM

『なぜ泣くの?と聞かれたから』

悪役令嬢は演劇鑑賞のため、箱馬車に揺られていた。
馬の蹄の音と共に、緑豊かな木立の道を抜けると、
農家が点々と立ち並ぶ
のどかな田舎の風景が広がっている。

そんな中、ふと目に留まるものがあった。

「ちょっと止めていただけませんか?」

御者に声をかけて馬車を停めてもらい、
外へと降り立つ悪役令嬢。

大きな樫の木の陰で、小さな女の子が一人、
顔を隠して泣いていた。近くの農家の子だろうか。

「可愛らしいお嬢さん、なぜこのようなところで
泣いておられるのですか?」

振り返った女の子は、ブロンドの髪を三つ編みに
結い、黒い瞳を涙で濡らしていた。

「トミーが死んじゃった……」
「トミー?」

飼っていた赤ちゃんヤギの名前だという。
元気で甘えん坊、短いしっぽを振り振りしながら、
めぇめぇと鳴く愛らしい子。
生まれてきた喜びを全身で表すように、
小さな体でぴょんぴょんと地面を蹴って跳ねていた。

女の子はキャロライン――キャリーと名乗った。

小さな拳で赤くなった目元を擦るキャリーに、
悪役令嬢は絹のハンカチを差し出す。
少し戸惑いながらも受け取ったキャリーは、
そっと顔を拭った。上品な花の香りがふわりと漂う。

キャリーは亡くなった子ヤギを、たった今埋めてきたのだという。案内されるとそこだけ土が盛り上がり、
小石を並べて作った小さな墓標が立てられていた。

二人は近くに咲いていた野花を摘み、
トミーの小さなお墓へと手向けた。

「菩提を弔うことは、死者の魂への救済ですのよ。
あなたの祈りのおかげで、トミーはきっと天国で
幸せに暮らしていけますわ」

「うん……」

キャリーは愛するトミーへ、静かに祈りを捧げた。

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「ところで、あなたお腹は空いていませんか?」

悪役令嬢の言葉に、こくりと頷くキャリー。
朝から何も口にしていなかった。その反動が
今になってやってきて、お腹の虫がぐうと鳴る。

悪役令嬢は竹の皮に包まれた何かを取り出した。
包みを開くと、三角の白いものが三つ、
行儀よく並んでいる。

「これはおにぎりですのよ」
「おにぎり?」

初めて聞く名前だ。未知の食べ物に興味を示す
キャリーに、悪役令嬢は三つの中から好きなものを
選んでよいと言った。

「実は一つだけ”当たり”が入っているのですわ。
くれぐれもそれを引かないよう、
気をつけてくださいまし」

キャリーは迷わず真ん中のおにぎりを選んだ。
恐る恐る口をつけてみると、今まで食べたことのない
優しい味が口の中に広がった。

「おいしい……」

「それは鰹節――おかかですわね。
気に入っていただけて何よりですわ」

そうしておにぎりの味を堪能していると――

「ゴホッ、ゴホッ、ゴホォォッ!」

キャリーの隣で、
お姉さんが激しく咳き込んでいた。

「大丈夫?どうして泣いてるの?苦しいの?」

「お、おほほほほ!なんでもありませんわ! 
ご心配には及びませんことよ!」

心配そうに声をかけるキャリーと、涙目になりながら
ハンカチで口元を押さえる悪役令嬢。

悪役令嬢が引き当ててしまった”当たり”――
それは、キャロライナリーパーの粉末入り
激辛おにぎりであった。朝方、執事やメイドたちと
一緒におにぎりを握っていた時、
ふと変わり種に挑戦してみようと思いついたのだ。

自ら掘った墓穴に自分が落ちる羽目となり、
悪役令嬢は猛烈に後悔した。

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謎の美しいお姉さんに励まされ、美味しいご飯も
食べて、キャリーの心には先ほどよりも
ほんの少し、温かな光が灯っていた。

8/18/2025, 8:10:07 PM

『足音』

「ねえ、知ってる?」

放課後の帰り道。制服姿の少女が、
隣を歩く友人に声を潜めて囁いた。

「昔、この辺りで若い女性が通り魔に襲われてね、
身体を真っ二つに切り裂かれて殺されたんだって」

「え、やだ、こわ」

「しかもね――上半身は下半身を、下半身は上半身を
探して今も夜道を彷徨っているらしい」

「本当そういうの無理だから」

ぞっとする話を交わすうちに、
二人は分かれ道に差しかかった。

「じゃあ、私こっちだから」
「うん、また明日。気をつけてね!」

一人になった途端、心細さに襲われる。

チカチカと不規則に点滅する街灯。
頬を撫でる生ぬるい夜風。

もとより人通りの少ないこの道は、
今夜に限って一層薄暗く不気味に思えた。

さっきの話のせいだろうか。
背筋がざわざわと逆立ち、落ち着かない。

歩みを速めた、その時だった。

ヒタ、ヒタ……

濡れた素足で地面を踏むような音が、
背後から忍び寄ってくる。

ヒタ、ヒタ……ヒタ、ヒタ……

振り返ってはいけない。そう分かっているのに、
恐怖に抗えず首が勝手に動いていた。

そこにいたのは——
腰から下だけしかない人間の下半身。

白いスカートが風に揺れ、素足が夜道を進むたび、
湿った音がヒタヒタと響く。

気配に気づいたのか、その下半身は突然
こちらへ向かって駆け出した。
上半身がないのに、なぜか一直線に。

「きゃあああ!!!」

喉を裂く悲鳴と共に死に物狂いで駆け出した。
息が途切れ、肺が焼け付き、足が悲鳴を上げても、
立ち止まるわけにはいかない。

背後から迫る足音は、どんどん距離を詰めてくる。

もう、逃げきれない——

諦めかけたその時、

ビターンッ!!!

肉が地面に叩きつけられる生々しい音。
恐る恐る振り返ると、あの下半身が地面に這い
つくばり、足をばたつかせて必死にもがいている。

「早くお逃げなさい」

闇の中から現れた一人の男性が、
救いの手を差し伸べるように声をかけてきた。

「あ、ありがとうございます……!」

震える声で礼を言い、男性に促されるまま
一目散に家まで逃げ帰った。

玄関に飛び込み、扉を閉めて鍵をかけて、
その場に崩れ落ちる。
まだ心臓は早鐘のように脈打っていた。

あれは一体何だったのか。
あの男性は無事なのだろうか。

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とある洋館の地下室。

「また逃げ出して……君は本当に手のかかる子だ」

男は深いため息を洩らしながら、
ベッドの上で暴れる下半身を見下ろした。

足首には革製の拘束具が巻かれ、
両端の金具にしっかり固定されている。

彼女——下半身だけになってしまった彼女の脱走は、
今に始まったことではない。

手がないにも関わらず、器用に部屋を抜け出す能力と
執念深さには、ある意味感心していた。

「でも、もう少し大人しくしてもらわないと」

男は懐からスタンガンを取り出し、
白い太ももに押し当てる。

電流が走ると、下半身はびくびくと痙攣し、
やがて人形のように力なく横たわった。

「やっぱり女の子は従順な方が可愛いね」

恍惚とした声で呟きながら、
男は絹のように滑らかな足に顔を擦り付けた。

8/16/2025, 11:00:11 PM

『遠くの空へ』

緑深い山に囲まれた高台の神社。
本殿から見下ろす村は、
まるで手のひらに収まる箱庭のよう。

瓦屋根が連なる家々、田んぼに映る空の青、
細い川筋がくねくねと蛇のように村を貫いている。

紫は巫女装束の裾を風になびかせながら、
遥か遠くの空を見つめていた。山の稜線の向こうに
広がる青い空。雲がゆっくりと流れて、
大きな生き物の如く形を変えながら消えていく。

あの遠くの空の向こうへ飛び立ってしまった、
私の可愛い小鳥——。

小鳥との思い出は、まるで南京玉のように
心の中でひとつひとつ美しく輝いていた。
透明で色とりどりで、光が当たるたびにきらめいて。

二人でお手玉を投げ上げて笑い合ったり、
あやとりで橋やほうきを作ったり、夏の暑い日には
川原まで手を引いて、浅瀬で水しぶきを上げながら
はしゃいだり――素手で鮎を捕まえて
「見て見て、紫ちゃん!」と目を輝かせていた姿。

夕方になると、赤とんぼが群れをなして舞い、
ひぐらしの声が山間にこだまする。

茜色に染まった空の下、
歌いながら手を繋いで歩いた帰り道。
小鳥の小さな手は汗ばんでいて、
それがなぜか愛おしかった。

「紫ちゃん、紫ちゃん」

一生懸命自分を追いかけてくる姿。
袖を引っ張って甘える仕草。すべてが愛しくて、
胸が締め付けられるほど可愛かった。

昔から小鳥は自由奔放な子だった。
じっとしていることができなくて、
いつも何かに興味を持って駆け回っている。

きっとこの村は、彼女にとって狭い鳥かごのような
ものだったのだろう。古い慣習、決められた道筋、
女は家を守るものという価値観。

成長するにつれて、小鳥の瞳は遠くを
見つめるようになった。

そして、ついにその日が訪れた。
彼女が、この村を出て都会へ行くと――。

麦わら帽子を被り、檸檬色のワンピースを
着た小鳥は、夏の陽射しを浴びて、
まるで向日葵のように輝いて見えた。

「行ってきます、紫ちゃん。
お盆には必ず帰ってくるからね」

最後に、いつものように飛び込んできた小鳥。
彼女の柔らかな感触、温もり、心地よい匂い。

瞳に映る自分の姿を見つめながら、
紫は心の中で叫んでいた。

行かないで。ここにいて。私のそばにいて。

でも、口に出たのは違う言葉だった。

「気をつけて行ってらっしゃい」

素直に応援していると言えたらよかったのに。
でも、できなかった。

私は、この村から出ることができない存在だから。
神として、この地に根ざした存在だから。
小鳥のように自由に空を飛ぶことはできない。

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遠くの空を見つめていると、神社の両脇に鎮座する
狐の石像がぴくりと動いた。

右の狐がゆっくりと頭を持ち上げ、
左の狐が尻尾を振る。

そして台座から飛び降りると、
紫の傍らまでやってきた。

「紫様、また小鳥のことを考えてるんでしょう?」
「そんなに恋しいなら仲間にしちゃえば?」
「そしたらずーっと一緒にいられるよ」

右の狐が高い声で囁き、左の狐が低い声で続ける。
その提案に、紫の心は激しく動いた。

確かに、神としての力を使えば可能だろう。
夫婦の契りを交わし、子を授かることで、
相手を己の元に縛りつけることもできる。

でも、それには互いの同意が必要。
相手の心からの愛が必要。

小鳥が私に抱いているのは、憧れや慕情。
子供の頃からの純粋な愛着――。

「だめよ」

紫は小さく首を振った。

「小鳥ちゃんの気持ちを無視して、
私の都合だけで彼女を縛ることはできない」

「でも、このまま指をくわえて見てるだけ?」
「都会で誰かと恋に落ちちゃうかもしれないよ?」

狐たちの言葉が、心の奥の暗い部分に響く。
それでも、紫は目を閉じて首を振った。

愛しているからこそ、彼女の自由を奪いたくない。
たとえ私の心が引き裂かれても。

「もういいの。邪魔をしないで」

あれこれ言ってくる狐たちを手で制して、
紫は静かに立ち上がった。

そして袖の中から小さな沈丁花の花を取り出す。
紫色の花びらは香り高く、上品で控えめで、
心に深く染み入るように美しい。

手のひらの上の小さな花を見つめて、
そっと息を吹きかける。花びらがひらひらと
舞い上がり、風に乗って遠くの空へと舞っていく。
まるで小さな蝶のように、山の向こうへ、
雲の彼方へと消えていく。

どうか、この香りがあの子の元へ
届いてくれますように——。

そして、いつかまた私のもとに
帰ってきてくれますように。

紫の祈りは、遠くの空へ溶けていった。

8/15/2025, 8:10:09 PM

『 !マークじゃ足りない感情』

「セバスチャン、わたくし——
『なろう系ラーメン』に行ってみたいですわ」

「なろう系ラーメン、でございますか」

執事セバスチャンは眉をひとつ上げて主を見つめた。
最近、悪役令嬢たちが暮らすこの領地に新しくできた
『なろう系ラーメン』。開店早々話題沸騰で、
連日行列が絶えないという評判の店である。

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早速、悪役令嬢と執事のセバスチャンは
なろう系ラーメンへと足を向けた。

「まずは食券を購入する必要があるようですね」

券売機の前に立つと、そこには一風変わった
メニューが並んでいた。

ラーメンの種類
ツンデレ、クール、ママ、ヤンデレ

トッピング
おじさん(モブ)、嫌な女(モブ)、隠し子など

「ふむ……悩ましいところですが、本日は王道の
ツンデレラーメンに挑戦してみましょうか」

二人は当店一番人気のツンデレラーメンを選び、
カウンター席へと腰を下ろした。

湯気の熱気と香り、店員の掛け声が飛び交う空間。
やや落ち着かずにソワソワする悪役令嬢の様子を
見たセバスチャンは、静かに店内を見渡した。

「皆様、特盛でご注文されていますね」

「ええ。あ、それと、大事なことを言い忘れて
おりましたわ。こちらでは注文時に”呪文”を
唱える必要がございますのよ」

「ご安心ください、主。事前に履修済みです」

——(ダッシュ)、!(びっくり)、?(なぞ)、
♡(ラブ)の量をお好みで調整できるらしい。

悪役令嬢はドキドキしながら呪文を唱えた。

「——!?スクナメ、♡マシマシで
お願いいたしますわ!」

数分後、湯気と共に注文の品が
セバスチャンの目の前に運ばれてきた。

丼の中では、固めの細麺がツンデレなセリフを
次々と吐き出している。

『勘違いしないで!』
『ちょっと、どこ触ってるの!?』
『あなたなんて大嫌いっ!!!』

セバスチャンの——ヌキ、!マシ、?マシ、
♡スクナメを味見する悪役令嬢。

「お口に合いますでしょうか?」

「ええ、これはこれで美味しいのですけれど……
わたくしはもっと、イチャイチャラブラブしたい
気分ですの」

そこへ、少し遅れて到着した
『♡マシマシラーメン』。口にした瞬間——

『勘違いしないで♡♡♡』
『ちょっと、どこ触ってるの♡♡♡』
『あなたなんて大嫌いっ♡♡♡』

「ああ……これこれ、これですわっ!」

甘さマシマシ、ラブマシマシ。
嫌よ嫌よも好きのうち。
このくどい甘さがシビれる!クセになるゥ!

悪役令嬢の頬は薔薇色に染まり、瞳はうっとりと
潤んでいる。セバスチャンは主のあまりの
陶酔ぶりに、微かに苦笑いを浮かべた。

-----

「なかなかに楽しめましたわね」

満足そうな様子でルンルンと帰り道を歩く悪役令嬢。
その言葉に、穏やかに頷くセバスチャン。

「はい。未知の領域でした」

セバスチャンは、この世にはまだまだ
自分の知らない世界があることを改めて学んだ。

味だけでなく、エンターテインメント性も
含めて楽しむ。
そんな新しい文化に触れた一日であった。

「また行きたいですわね。今度は期間限定
『真夏の夜のNTR冷麺』を頼んでみたいですわ」
「え、それはちょっと……」

8/7/2025, 9:15:08 PM

『心の羅針盤』

ピーターは妖精と共に空を舞っていた。
雲を突き抜け、風とじゃれ合いながら、
果てしなく広がる大空を駆けていく。

ある日のこと、彼は浜辺に打ち上げられた
一人の少年を見つけた。

濡れた髪、砂にまみれた頬。
ピーターが肩を揺すると、
少年の小さな唇がかすかに開いた。

ジェームズ――どこからかこの島に
迷い込んできた子ども。
ほどなくして、二人は親友となった。

木の洞を抜けた先にある、地下の小さな家。
暖炉の前でピーターとジェームズは寝そべり、
羊皮紙の地図を広げて、
次の冒険先を話し合っている。

子どもの拙い文字で描かれた手作りの地図。
人魚の入り江、人喰いのほら穴、
インディアンの村……。

「ドクロ岩はどう?なんでも、海の底に恐ろしい
魔物がいるって噂が……ジェームズ?」

ジェームズは、どこか上の空だった。
最近の彼は、いつも心ここにあらずといった様子で、
ふとした瞬間に遠い場所を見つめている。

まるでここではない、
どこか別の世界に心を預けているかのように。

彼の手には、いつものように古びた
羅針盤が握られていた。

「それ、いつも持ってるけど」
「母さんがくれたんだ。父さんの形見だって」

ピーターが尋ねると、
ジェームズは微笑みながら答えた。

「……眠る前、母さんはいつも子守唄を歌ってくれたんだ。優しい声で頭を撫でて、額にキスしてくれた」

ジェームズの潤んだ瞳の中で、
暖炉のオレンジ色の炎が反射して揺らめく。

ピーターは胸の奥に焦燥を感じていた。
ざわめくような不安が、言葉にならない怒りとも
悲しみともつかぬ感情となって、彼の舌を震わせる。

「まさか、家に帰りたいなんて言わないよな? 
冒険に母親なんて必要ないさ」

「ピーターは母さんに会いたくないのか?」

「さあ。……覚えてないね」

それきり、ジェームズは何も言わなかった。

数日後の朝、彼は何の言葉も残さずに姿を消した。
残されたのは、二人で描いた未完成の地図と、
暖炉の前に漂う静寂だけ。

ピーターは高台から大海原を見下ろす。
視界の先に広がるのは、ジェームズが消えて
いったであろう、太陽の光を浴びてきらめく水面。
手にした地図が、悔しさで小刻みに震えていた。

どこまでも冒険して、
この地図を二人で埋め尽くそうと約束したのに。

ジェームズの心の羅針盤は――
母親の待つ、帰るべき場所を指していたのだ。

ティンクが、耳元でベルのように
清らかな音を鳴らす。
元気を出して、とでも言いたげに。

ピーターは青空を仰いだ。
彼の胸にぽっかりと空いた穴を、
潮風がすり抜けていく、そんな心地がした。

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