『半袖』
ラペルは、可愛い女の子のイラストがプリントされた
半袖Tシャツを知人からもらった。
子どもっぽいデザインで、
正直なところ自分の趣味ではない。
クローゼットの隅に放置していたのだが、
その日は急な仕事で着ていくものがなかったので
渋々袖を通してみた。肌触りは悪くない。
⸻
任務を終え、血の匂いを纏わせながら帰路につく。
待っているのは、白い壁に囲まれた無機質で
殺風景な部屋。
乱雑にTシャツを脱ぎ捨て、
洗濯機の縁に放り投げた、その時だった。
「そこのあなた、お待ちなさい!」
鈴の音のように澄んで、それでいて芯のある声。
咄嗟に身構え、反射的に腰のナイフに手を伸ばす。
しかし、周囲に敵の気配はない。
「なんて失礼な方、
わたくしを雑に扱わないでくださいまし!」
声のする方を見れば――洗濯機の縁にかけられた
Tシャツの、プリントの女の子が
ぷりぷりと頬を膨らませていた。
暑さで頭がやられてしまったのか。
それとも疲労のせいで幻覚を見ているのか。
ラペルは思わず眉間を押さえた。
翌日、気を取り直して半信半疑のままTシャツに
話しかけてみるとやはり声がした。
どうやらラペルにだけ聞こえるらしい。
このTシャツ、半袖ちゃん(仮)は
何かと要求が多かった。
「洗濯機は視界がグルグルするから苦手ですわ。
手洗いしてくださいまし」
「アイロンでパリッと仕上げてくださいな」
面倒に感じることもあったが、仕事柄、親しい人間を一切作ってこなかったラペルにとって、半袖ちゃんとの何気ない会話は、ふわふわとした奇妙な感覚を胸にもたらした。
⸻
ある穏やかな昼下がり。ラペルは珍しく半袖ちゃんを
身につけて外出していた。
鮮やかな草木の緑、蝉の鳴き声を感じながら歩いていると、不意に胸元がぐいっと引っ張られた。
「ちょっ、どうしましたか?」
「いいからついてきてくださいまし」
導かれるままに路地を曲がると、古風な趣ある
店構えのお団子屋さんがあった。
軒先には「夏季限定 かき氷」の文字。
店内で美味しそうにかき氷を食べる客を見て、
半袖ちゃんはキラキラと目を輝かせている。
ラペルは宇治金時をひとつ購入し、誰にも悟られない
ように、こそこそと胸元へとかき氷をすくった
スプーンを持っていく。
「んんっ……!おいしいですわっ、
もっとくださいまし!」
パクパクと夢中で食べる半袖ちゃんを見て、
まるで雛鳥に餌をあげている気分になり、
ラペルは初めて抱くような温かい感情に包まれた。
刹那、穏やかな時間は砕け散った。
「見つけたぞ、ラペル!」
真昼間の店内に似つかわしくない銃声が轟く。
一般人たちの悲鳴が響く中、ラペルは冷静に対処した。研ぎ澄まされた感覚で彼を狙う刺客を次々と倒していく。
だが、倒し損ねた残党の一人が、
最後の力を振り絞り、背後から銃を構えた瞬間。
「危ないですわっ!」
突如、Tシャツの生地が膨らみ、
ラペルの背中を庇うようにせり出した。
銃弾が、半袖ちゃんを貫く。
「半袖ちゃん!」
ラペルは間髪入れずに隠しナイフを投擲し、
残党の息の根を止める。だが、彼の意識は胸元で
小さく息をつく半袖ちゃんへ向いていた。
「……あなたが無事で、何よりですわ」
掠れた声とともに、
半袖ちゃんがくたりと力なく項垂れる。
「半袖ちゃーーん!!!」
ラペルの叫びが虚しく響いた。
⸻
その後、Tシャツをくれた知人のアドバイスに従い、
オキシ漬けで数日間置いてみた。
すると――
「……ふわあっ、生き返りましたわ!」
奇跡的に半袖ちゃんは復活した。
⸻
「俺と共にいれば、常に危険と隣り合わせです」
暗殺者である自分との生活に平穏はない。
また彼女を危険な目にあわせてしまう。
そんなラペルの言葉に、
半袖ちゃんは何故か嬉しそうな反応を見せた。
「あら素敵。退屈な日常より、スリリングな方が
面白いですわ。それに――」
半袖ちゃんは、胸元で小さく微笑む。
「ここが一番落ち着くのですわ。あなたの鼓動が、
ちゃんと聞こえますもの」
――
最低限だけの物を持って、ラペルは殺風景な部屋を
去り姿を消した。
以前とは違うこと、それは彼の傍に――
たったひとつのかけがえのないものがあった。
一人の暗殺者と一枚の半袖Tシャツ。
奇妙なこの組み合わせは、互いの存在を確かめながら、闇の中を共に歩むことになったのだ。
『元気かな』
ここは冒険者たちが腕試しに訪れる
魅惑のダンジョン。
この地下三階で、人狼のフェンリルは
チーフリーダーとして働いていました。
「今日は追加で三パーティー来るからね~」
「......その日は働き手が足りません。
オークたちはまだ傷が回復しきっていませんし」
「そこは臨機応変に対応して。んじゃ、よろしくー」
休日にいきなり呼び出され、呆気に取られる
フェンリルをよそに、上司のグレーター
デーモンは呑気な口調でそう言いました。
――
開門前、フェンリルは魔物を集めて
ミーティングを開きました。
「今日の冒険者たちは新人。なるべく後衛は
狙わず、経験値を少し与える程度で頼む」
「困りますねえ。大した賃金もでないのに、
あれしろこれしろと指図されるのは」
ゴブリンたちがフェンリルの指示に
異議を唱えます。
彼らは賢く計算高い種族で、金と効率に敏感。
割に合わないと判断すると、
なかなか仕事をしてくれません。
そこへ追い討ちをかけるような報告が。
「皮の盾百個、間違えて注文しちゃいました」
気まぐれで放蕩主義のハーピーは謝るどころか
のんびりと爪の手入れに励んでいます。
「......」
フェンリルは怒りを飲み込み、作業を続けます。
「(13.04)の宝箱のポーションの補充は?」
「確認した。開封済みは全て補填済みだ」
ダンジョン内に響く重低音のような声。
それは、長い髪で縫い跡を隠した大きな体の
人造人間のものでした。
「ありがとう。
それではみんな持ち場についてくれ」
――
仕事を終えたフェンリルは、青白い光が
天井から降る石段に腰掛ける人造人間を
見つけました。
ここは地下。空も月もありません。
しかし、天井に浮かぶ光の球が
まるで月のようにダンジョン内部を
柔らかく照らしていました。
フェンリルは狼から人の姿に変わり、
彼の隣に腰を下ろします。
ここで働く連中は、人の言葉を喋る魔物も
いますが、話はできても話が通じません。
けれど、人造人間は違いました。
彼は真面目な働き者かつ、読書好きで優れた
知性を持つ穏やかで清らかな魂の持ち主でした。
フェンリルは人造人間のために本を選び、
彼とこの世界について語り合いました。
「博士を見つけたら、どうする?」
死体を繋ぎ合わせて作られた人造人間は、
自分を生み出した博士を探していました。
「問いただしたい。なぜ俺を生み出したのか。
なぜ目覚めた時、そこにいなかったのか。
そして、伴侶を作ってほしい」
「伴侶......か」
長い間、闇の中で誰にも理解されず、
人間達から姿を隠して生きてきた彼は、
ただ一人、自分の隣にいてくれる
パートナーを求めていたのです。
暫くして、フェンリルは職場を離れることに
なりました。新たな土地へ旅立ち、
別の生き方を選ぶために。
彼は、今も元気にしているのだろうか。
伴侶は、見つかったのだろうか。
フェンリルは、時々思い出します。
地下の人工的な月明かりの下、
静かに読書していたあの人造人間のことを。
『遠い約束 』
あるところに、セバとメアという
貧しいきょうだいがいました。
二人の母親は男を作って姿を消し、父親は
酒に溺れ、ろくに働いていませんでした。
彼らの暮らす掘っ建て小屋は、
すきま風が入り込み、
冬は血が凍りつきそうなほどの寒さです。
野草や溜めた雨水、飲食店の裏手に捨てられた
残飯を漁って何とか飢えをしのぐ日々。
二人は近所の叙々苑から漂ってくる
焼肉の匂いをおかずにコンビニで買った
塩むすびを食べていました。
「セバスチャン。もし焼肉に行けたら
あなたは何を頼みますの?」
メアがセバに尋ねます。
「ネギタン塩に、カルビ、ロース、ハラミ、
あとはサラダにキムチですかね」
「まあ!なんて素敵なのかしら」
二人は想像しただけでも、
お腹がぐううとなりました。
「わたくしを叙々苑に連れてって」
セバは、幼いメアの、もみじのような
おててを握りしめて頷きました。
「大人になって成功したら.....、
必ずや、共に参りましょう」
やがて時は流れ、二人はそれぞれ
別の道を歩むことになります。
学校を中退して働き始めたセバと、
学校に通いながらお金持ちの家に
奉公へ出されたメア。
セバは持ち前の忍耐力で重労働に
耐え抜き、やがて事業を立ち上げました。
仕事が軌道に乗り始めた頃、
父親から電話がかかってきました。
「メアが死んだ」
久しぶりの再会は葬儀場でした。
死因は奉公先の意地悪なおばさんがくれた
アップルパイによる食中毒。
それは半年前に作られた常温保存の
アップルパイだったといいます。
雪のような白い肌に紅を差したメアの顔は、
まるで眠り姫のようでした。
「綺麗な顔してるだろ。
ウソみたいだろ死んでるんだぜ」
気の抜けた父親の声に、セバは拳を震わせ、
唇を強く噛み締めました。
「......どうしてですか。焼肉、食べに行くって
約束したじゃないですか」
セバはメアの冷たい唇に唇を重ねました。
すると――。
なんという事でしょう。
メアの長いまつ毛が揺れ、瞼がゆっくりと
開かれたではありませんか。
「セバスチャン......」
「!」
セバとメアは抱きしめ合いました。
それから二人で叙々苑に行きましたとさ。
『曇り』
「セバスチャン。私、お出かけしてきますわ」
「あの、どちらへ?」
「ズバリ、スタンプラリーですわ!」
悪役令嬢は小さなカードを誇らしげに掲げ、
執事はそれを手に取る。
「お天気スタンプラリー?」
お天気スタンプラリーとは──
特定のエリアを巡り、
スタンプを集めるイベントだ。
霧の深い日に現れる幻の街や、
嵐の日に出没する魔物など、その日の
天候によって、出会えるものも異なる。
「本日の天気は曇り。
"クラウディ"が現れる日ですわ」
窓の外を見れば、灰色の雲が天蓋のように
空を覆い尽くしている。
執事は主の突飛な行動を案じ、
同行することに決めた。
⸻
たどり着いた先は、〇✕団地。
くすんだ青い霞に包まれた退廃的な町は、
かつて人の営みがあったはずだが、
今はその気配すら感じられない。
「主、何かいます」
執事が指さした先、屋上に蜃気楼のような
人影が揺れ、次の瞬間、宙へ落ちた。
驚いて地面を見るが、そこには何もない。
屋上に視線を戻すと、再び影が立ち、また
落ちる。それをひたすら繰り返していた。
「きっとあれが"クラウディ"ですわ」
二人は屋上へ続く階段を発見し、
赤茶色に錆びた踏板を慎重に上り始めた。
「かなり老朽化してます。お気をつけを」
ようやく屋上に辿り着くと、
そこには半透明の人間が佇んでおり、
今まさに手すりを越えようとしていた。
「お待ちなさい!」
悪役令嬢の声に、影はかすかに振り返るが、
すぐに曇天の空を見上げる。
『放っておいて』
その心は、曇り空と同じように、
重く沈んでいた。
(落ち込んでいる方を元気づけるには、
どうすればよいのかしら?)
考えた末、悪役令嬢は一つのアイデアを閃き、
ドレスの下からスピーカーを取り出して、
お気に入りの曲を流し始めた。
♪真っ逆さまに~堕ちてDESIRE
♪騒がしい日々に笑えない君に
「選曲のセンスが壊滅的ですね」
呆れた顔で首を横に振る執事に、
むっと口を尖らせる悪役令嬢。
「ではあなたならどうするのですか?」
「話を聞くことぐらいでしょうか」
そう言うや否や、執事はティーセットを
取り出し、クラウディに語りかけた。
「なぜ死にたいのですか?」
『わからない。ただ、なんとなく』
「......お茶でもしませんか」
ラグを敷き、重たく垂れこめた空の下、
お茶会が始まった。
本日のお茶はカモミールティーに、
デザートはスフォリアテッラ。
クラウディは、カップを手にしたまま、
ぽつりぽつりと語り始めた。
『毎朝7時に出勤、朝礼で社訓の復唱、
定時では帰れない。なのに、残業代は出ない』
二人は何も言わず、ただ静かに
クラウディの話に耳を傾けていた。
そして──
『なんか話したらスッキリしたかも』
クラウディはスタンプを取り出し、
ポンッ!雲のマークがカードに押された。
『それじゃあ、ありがと...』
ゆっくりと霧散しながら、
クラウディは灰色の空へ溶けていった。
厚い雲の間からお日様が顔を覗かせ、
黄金の光が団地に降り注ぐ。
「......晴れましたわね」
スタンプカードを手にした悪役令嬢が、
そう小さく呟いた。
『君と見た景色』
あるところにリアムという少年がおりました。
リアムは、夕暮れの小道をとぼとぼと歩いていました。
少し前に、大切な家族であるバーニーズマウンテンの
フラッフィーが病気で亡くなってしまい、
それ以来、リアムはずっと塞ぎこんでいたのです。
この道は、フラッフィーと何度も通った散歩コース。
「楽しんでる?」と問いかけるように、しきりにリアムの顔を見上げ、風や草花の匂いに鼻をヒクヒクさせたり、草を食み、あぜ道に咲く小さな花を観察していたフラッフィー。
春には、黄色いたんぽぽの絨毯に飛び込んで、帰る頃には黒い体に綿帽子をたくさん付けていました。
そんな大きな甘えん坊はもういません。
フラッフィーと過ごした日々を思い出しては、
リアムは涙が止まらなくなってしまうのです。
そんなリアムを励まそうと、
家族が彼を街へ連れ出しました。
ぼんやりとショーウィンドウを眺めていると、
どこからか視線を感じました。
振り向くと、ベンチに座った中年女性が
リアムをじっと見つめています。
正確には、彼の足元を注視していました。
リアムは女性に見覚えがありました。
以前、テレビのオカルト番組によく出演し、
最近はあまり見かけなくなった霊媒師。
テレビに出てた頃はふくよかな顔立ちでしたが、
今では痩せ細っています。
目が合うと、女性はにこりと微笑み、
リアムに声をかけました。
「あなたの足元にわんちゃんがいたの」
女性の言葉に、息を呑むリアム。
「黒い毛並みに、胸元は白くて、
頬と足が茶色の子でしょう?」
リアムは驚きました。
彼女は、フラッフィーの特徴を
ズバリ言い当てたのです。
「その子、あなたのことを心配しているよ」
自分のそばに、まだフラッフィーがいてくれた。
リアムの瞳に涙が溜まります。
「生きている人が、亡くなった者をいつまでも
思い煩っていると、その想いに引きずられて、
魂は天国へ行けなくなってしまうんだよ」
その言葉に目を見開くリアム。
彼が悲しむほど、その想いがフラッフィーを
縛り付けていたのです。
家に帰ると、リアムはフラッフィーの
遺影と遺骨の前で手を合わせました。
「もう大丈夫だよ、ありがとう」
翌朝、リアムは再びフラッフィーと歩いた小道を訪れました。たんぽぽやサンカイグサ、菜の花が風にそよぎ、ミツバチの羽音が聞こえます。
ふと、強い風が吹いて、フラッフィーが通り過ぎたように、白い綿毛が舞い上がりました。
リアムは、もう寂しくはありませんでした。