『明日世界が終わるなら』
「お嬢様!お嬢様!」
メイドのベッキーが慌てた様子で
悪役令嬢のもとにやって来た。
「どうしましたベッキー?!Gでも出ましたか!」
「これを見てください!」
ベッキーが新聞を広げると
見出しには大きくこう書かれていた。
『世界の終焉、明日に迫る!』
世界的に有名な占い師ノストゥラサムスンの
予言によると、明日、私たちが住む星に
隕石が降ってきて、地上に暮らす全ての
生物が死に絶えるとの事だ。
迷信深い彼女たちはその記事を見て震えあがった。
「な、なんということでしょう……。
お父様に早くこの事態を報告せねば」
隣にいるベッキーがぽろぽろと涙を流す。
「どうしよう、母ちゃんに父ちゃん、
おばあちゃんや下のきょうだいたちに
もう一生会えないなんて、あたし……」
家族に想いを馳せるベッキーを見て胸が痛んだ
悪役令嬢は彼女の肩にそっと手を置いた。
「ベッキー、お休みをあげますわ。最後の日
くらいは家族とゆっくり過ごしてください」
濡れた栗色の瞳が大きく見開く。
「ありがとうございますお嬢様!」
それから彼女は急いで身支度を済ませて家に帰った。
しんと静まり返った屋敷には
悪役令嬢とセバスチャンの二人だけ。
いつもと変わらない様子で平然として
いるセバスチャンに悪役令嬢が尋ねた。
「セバスチャンは予言の事、信じておりませんの」
「はい。俺は、占い師や霊能者などと
名乗る輩を信用していないので」
苦虫を噛み潰したような顔で答えた後、
彼は窓の外へ視線を向ける。
「それに、もし明日世界が滅びるなら
森に住む動物たちがもっと騒ぎ出すはずだ」
森は依然として荘厳な佇まいでそこに存在し、
鳥の鳴き声などが聞こえてくるだけだ。
「ねえ、セバスチャン……。
最後の日も私の傍にいてくれますか。
あなたの淹れた紅茶を飲んで、
あなたとお話して過ごせるなら
私、悔いなどございませんわ」
震えながら見上げてくる主に、
彼は優しい声音で言葉を返した。
「俺はどこにも行きません。
最後まで、あなたのお傍に」
そして来たる終末の日⎯⎯⎯
何も起こらず一日は終わった。
ふっざけんなですわ!
『君と出逢って』
「ただいまですわ」
悪役令嬢が仕事を終えて屋敷へ戻ると、
執事のセバスチャンとメイドのベッキーが
快く出迎えてくれました。
「お嬢様!おかえりなさいませ!」
「おかえりなさいませ、主。
食事にしますか?湯浴みにしますか?」
「セバスチャンにします」
「は?」
「私の部屋に来てください」
「……」
「え……えっ、ええっ?!」
固まるセバスチャンと、その横で
口元に手を当て頬を染めるベッキー。
二人が部屋に入った事を確認すると、
悪役令嬢はドアに鍵をかけました。
「主……何かありましたか」
緊張した面持ちで尋ねるセバスチャン。
「単刀直入に言います。吸わせてください」
「は?」
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広い一室に敷かれた高級絨毯の上に横たわるは
一人の若い女性と一匹の大きな狼。
悪役令嬢はやんわりと微笑み、
大狼が持つ白銀の毛並みをそっと撫でます。
それからフサフサの毛に顔を沈めて、
温もりと匂い、モフモフの感触を
堪能すると彼女は感嘆のため息を零しました。
「はあ……堪りませんわ♡」
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これは男爵夫人に教えてもらったストレス解消法
『通称:猫吸い』と呼ばれる行為から派生したもの
愛猫に顔を埋めると、その間だけはこの世の
鬱憤を全て忘れられる古の技なのだそうです。
その話を聞いてある事を閃いた悪役令嬢。
(セバスチャンにお願いしてみましょう!)
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「私、あなたと出逢ってからわんこの
魅力に気付いてしまいましたの……。
どうか今だけは、あなたを全身で感じさせて」
うっとりとした口調でそう話す悪役令嬢に
狼形態のセバスチャンは戸惑いを隠せませんでした。
(わんこ……)
金色の瞳は何かを訴えかけるように主をじっと
見つめていましたが、やがて全てを諦め、
彼女の好きなようにさせました。
『耳を澄ますと』
これはとある屋敷で働くメイドのお話。
寝ぼけ眼を擦りながら洗面所へ向かう
わたしの耳に何かが聞こえてきました。
屋敷の外に広がる深い森からは
様々な生き物たちの声がします。
怪鳥の不気味な鳴き声 梟のホウホウと鳴く声
夜鷹の震えるような声 キツネの吠える声
ですがわたしの拾った音は
このどれでもありません。
それは屋敷の中から聞こえてくるもの
柱時計が時を刻む音ともう一つ。
ゔ…ゔゔ…ゔゔゔゔゔ
その声は、絶対に行ってはならないと
言われた地下室から来るものでした。
わたしは頭の中で鳴り響く警鐘を無視して、
地下へと繋がる階段を一段ずつ降りて行きます。
そして扉に手をかけようとした瞬間 ⎯⎯⎯
「ベッキー?」
背後から突然声をかけられ驚いて
心臓が止まりそうになりました。
「お、お、お嬢様?!」
そこにいたのはネグリジェ姿のお嬢様。
手にした燭台の炎が揺らめき、
暗闇の中に浮かび上がるそのお姿は
美しいだけではなくどこか蠱惑的です。
「こんな所で何していますの?」
お嬢様はわたしに尋ねます。
「あ、えっと、地下室から物音が
聞こえてきたので、誰かいるのかなって」
そう答えると、お嬢様はわたしの方へ
手を伸ばし、顔に張り付いた髪を耳にかけて
優しく頬を撫でられました。
「きっと寝ぼけていらっしゃるのですわ」
赤い瞳に見つめられると頭がぼうとして、
体から力が抜けていく感覚を覚えました。
くらりと前によろめくと、お嬢様がわたしの体を
支えて、幼子を眠りにつかせる母親のような
声色で語りかけます。
「おやすみなさい、ベッキー」
柔らかな胸に抱かれ、わたしの意識は
そのまま闇へと沈んで行きました。
『二人だけの秘密』
「おかしいですわ、
確かここに置いてたはずなのに」
倉庫でお気に入りのクッションを探していると、
見知らぬ大きな箱を見つけた悪役令嬢。
あら、これは何かしら。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「今月の分です」
「ありがとうオズワルド」
魔術師から発作を抑える薬を受け取ると
何処からか悲鳴が聞こえてきた。
二人が急いで駆け付けると、
倉庫の中で巨大な軟体生物が蠢き、
悪役令嬢の体に巻きついていた。
「こいつは一体……」
「ミミックです。何故このような魔物がここに」
セバスチャンが主の体に絡みつく触手を
引きちぎって、 魔術師が炎の魔法で
触手を生み出している宝箱を燃やすと、
箱は悲鳴を上げながら灰となって消えた。
「主、しっかりしてください!」
セバスチャンは腕の中でぐったりしている
主に呼びかけるが、全く反応がない。
「今のお嬢様は魔力が枯渇している状態です。
このままだと衰弱して命を落とす可能性も」
「どうすれば助かる?」
「魔力を供給すれば良いのです。輸血するようにね」
一呼吸置いてから、魔術師がその方法を教えた。
セバスチャンは目を見開き首を横に振る。
「それは駄目だ」
「ですが他に方法はありません」
「しかし……」
「セバスチャン、これは彼女の命に関わることです」
「……」
セバスチャンは、魔術師の真摯な瞳を見つめて、
それから腕の中の主に視線を移す。
青白い顔と徐々に下がっていく体温を
感じながら彼はゴクリと喉を鳴らした。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
書斎で大きく伸びをする悪役令嬢。
私、眠っていたのかしら。
「お嬢様」
「あら、魔術師ごきげんよう。
セバスチャンに薬を届けに来てくださったの?」
「ええ……それよりも体調は如何ですか?」
「私はすこぶる元気ですわ。今なら何でもできそう」
髪をかきあげながら機嫌よく話す
悪役令嬢に魔術師は目を細める。
「……それはよかった」
「さて、今日中にこの書類の山を片付けて
しまいましょうか。セバスチャン」
「……あ、はい」
話題を振られたセバスチャンが咄嗟に答える。
「セバスチャン、どうかしましたの」
「なんでもないです……すみません」
そう言って部屋を出ていくセバスチャン。
「では私もこれで失礼しますね」
その後に続く魔術師。
二人ともいつもと様子が変ですわ。
何か後ろめたい事でもあるのでしょうか。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「オズワルド」
目を合わせると魔術師はゆっくりと頷く。
「大丈夫、二人だけの秘密です」
『優しくしないで』
あたしの名前はモブ崎モブ子!
私立ヘンテコリン学園に通う高校一年生。
あたしは現在、学園西側に位置する
「秘密の花園」と呼ばれる場所に来ています。
ここは生徒達も滅多に立ち寄らない
絶好の穴場スポット!
一人で考え事したい時なんかによく訪れるのだ。
風に揺られてざわざわと音を鳴らす木々や
馨しい花の香り、涼やかなそよ風に癒されていると、
誰かの気配を感じた。
振り向けばそこにいたのは入学当初から
気になっていた銀髪の不良青年。
精悍な顔立ちと、制服の上からでもわかる
野生の獣のようなしなやかで引き締まった
体つきに目を奪われる。
「おい、あんた」
不意に声をかけられて辺りをきょろきょろと
見回す。ここにはモブ子と不良以外誰もいない。
え、あたしのこと?
不良イケメンがどんどん距離を詰めるので、
あたしはどんどん後ずさった。
ほどなくして背中がレンガの壁にぶつかる。
ひええええええええ
これが噂の壁ドンって奴?
金色の瞳に見下ろされると、まるで肉食獣に
狙われる小動物みたいな気分になってしまう。
不良イケメンはあたしを壁際まで追い詰めると、
こちらへ手を伸ばしてきた。
反射的にぎゅっと目を瞑る。
びくびくと震えながら身を縮こませていると、
髪に優しく触れられる感触がした。
恐る恐る瞼を開くと、
彼は指に黄金色の細長い物体を摘んでいる。
「芋けんぴ、髪に付いてた」
カリッ
そう言って不良イケメンは手にした芋けんぴを齧った。
ちらりと見えた鋭い犬歯がワイルドで
不覚にもドキッとしてしまう。
う…わ──────!!!!!
今朝食べてきた芋けんぴじゃん。
超恥ずかしい!!!
湧き上がる羞恥心に悶える中、
あたしは次の言葉を必死に紡いだ。
「あ、あの!ありがと──」
「セバスチャン!」
お礼を言おうとした瞬間、
誰かが名前を呼ぶ声がした。
「!主」
彼はその声を聞いた途端、飼い主に名前を
呼ばれた忠犬のように背筋をピン!と伸ばして、
声のした方向へ一目散に向かった。
その場に一人取り残されるあたし。
視線の先では、不良イケメンと高飛車お嬢様が
何やら親しげに話している。
……。
…………。
「優しくしないで」
小さく小さく虫の鳴き声よりも弱くそう呟いた。
それは一体どちらに向けて放った言葉だろう。
モブ子は自分の中に芽生えた感情の名前を
まだ知らなかった。