『生きる意味』
『お前は何のために生きている』
かつて投げかけられた言葉が頭を過ぎる
当時はその問いに何も返せなかった
何のため?自分は何のために生きているのだ
守るものもない、生きる意味さえ見出せない
ただ毎日亡霊のように彷徨い歩くのみ
だから自分は何者にもなれないのか
何かを欲すれば、
富を財産を伴侶を手にすれば
この孤独も心の渇きも痛みもなくなるのか
だが安定した暮らしを手に入れ、
大切な人ができた今でも、
漠然とした不安や孤独は消えない
おそらくそれは一生ついて回るもの
そこまで考えてセバスチャンは我に返った。
銀色の髪をかきあげてため息を吐く。
一人でいると、くよくよと考えなくても
いい事まで考えてしまうのが自分の悪い癖だ。
重たい腰を上げ、紅茶と茶菓子を用意すると、
主のいる書斎へと向かった。
「主、お茶をお持ちしました」
扉を叩くが返事はない。
心配になり中へ入ると、書類が散乱する
机の上に頭を乗せて彼の主は眠っていた。
「こんな所で寝てたら風邪を引きますよ」
華奢な肩を軽く揺するが起きる気配はない。
セバスチャンは、
彼女の背中と両膝に手を回し、そっと
抱き上げ、暖炉の傍にあるソファまで運んだ。
起こさぬよう優しく下ろせば
彼女の匂いがふわりと漂う。
甘くて馨しい落ち着く香りだ。
柔らかなブランケットを彼女の腰部分まで
かけると、ゆっくりと上下する胸元を見つめた。
穏やかに眠る吐息と鼓動の音を感じながら
セバスチャンは考える。
月夜の晩、
俺は主に、いつまでここにいてもいいかと尋ねた。
彼女は俺に、ずっと傍にいていいと言ってくれた。
その言葉を聞いた時、
胸がカッと熱くなり、苦しかった。
だがその苦しさは、昔とは違う。
なぜか心地良ささえ感じる。
自分は、この方の喜ぶことがしたい。
その想いが自分をこの場所に、この世界に留めていた。
『善悪』
汚水が流れる橋の下には
家や職を持たない貧民層が暮らしている。
そこに住む一人の老人に、ニヤついた笑みを
浮かべる若者たちが押し寄せてきた。
手には木材で作られた棍棒が握られている。
「お前さんたち、一体何のようじゃ」
「社会のゴミを掃除しに来ました〜w」
猛然と老人に襲いかかる若者たち。
武器を持った若者に老人が敵うはずもない。
彼らは頭を両手で押さえたままうずくまる
老人を取り囲み、笑いながら暴行を加えた。
「やめとくれ…お願いじゃから」
「うるせーよジジイ。お前らみたいなのはな、
生きてるだけで害悪なんだよ!」
弱々しい声を上げながら老人は懇願するが、
彼らが攻撃の手を緩めることはない。
やがて老人は動かなくなった。
「え、嘘、死んじゃった?」
「とっととずらかろうぜ」
興味が失せたようにその場を後にする若者たちと
ボロボロの姿のまま取り残される老人。
暫くすると、一人の騎士がやってきた。
白銀の鎧を身に纏い、騎士団の紋章が
刺繍された真紅のマントが風ではためく。
この場で行われた惨劇を想像した騎士は眉を顰め、
倒れている老人の傍まで駆け寄り屈みこんだ。
「すまない、オズワルド。貴殿に
この様な事を頼んで…」
「いいえ、貴重な体験をさせていただきました」
老人のしわがれた声は若い男の声に変わり、
紫色の瞳が妖しく光った。
老人に扮した魔術師は懐から
水晶玉を取り出して騎士に渡した。
そこには先程の若者たちが今までしてきた
犯行の一部始終が収められている。
あのクズ共は我々と同じ貴族の生まれ。
彼らの親は、子どもが働いた悪行の数々を揉み消し、
民から搾り取った税で私腹を肥やす輩だ。
民たちの生活はよくなるどころか
上がり続ける税により苦しくなる一方。
腐りきった連中が権力を持ち、
守るべき民たちに圧政を強いる。
この悪しき現状を変えねばならない。
我々のより善き未来のために────
『ルール』
湿原を越えた先にあるお屋敷へ
やって来た一人の若い娘。
大きな玄関の扉を叩くと若い執事が出てきた。
「ご用件は何でしょう」
「あの、酒場の掲示板で求人を見かけて、
それで応募したくて来ました」
執事に通された内部は広い玄関ホールになっており、
昼間にも関わらず薄暗く、壁に飾ってある肖像画
や鎧を着た彫像がなんとも不気味に感じられた。
執事に連れられ広い階段を上り、
長い廊下を歩いて部屋の前に辿り着いた。
「主、お客様です」
「どうぞ」
中へ入ると暖炉の火がぱちぱちと音を立てながら
燃えており、窓辺には艶やかな波打つ黒髪
を背に流した女性が佇み外の景色を眺めていた。
女性が振り返ると娘は息を呑んだ。
夜明けのように美しい人だった。
ゴクリと喉を鳴らしてから娘が口を開く。
「ここで働かせてください!」
「あなたのお名前は?」
「ベッキー・リンです」
女主人の赤い瞳が娘の姿をとらえる。
「ではベッキー、ここで働く上で
守って欲しい事がいくつかありますわ」
一つ目 名前を呼ばれたら必ず返事をする事
二つ目 満月の夜、東の別館には近付かない事
三つ目 地下室には絶対に行かない事
「その他、わからない事があれば
セバスチャンに聞いてください」
後ろに目をやると執事が一礼した。
「これからよろしくお願いしますね、ベッキー」
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テラスで紅茶を飲みながら隣に立つ執事に尋ねた。
「今度の子は長く続けられるかしら」
「どうでしょう」
「前みたいに突然いなくなったり、気が狂って
辞めたりしなければ良いのですけれど」
『今日の心模様』
気分は体調によって左右されます。
私の今の気分は"悪"
深夜、不快感に目が覚めると案の定、
私が想定していた最悪の事態が起きていました。
ため息をつきながら私はシーツを剥いで、
燭台を片手に暗い廊下を歩いていると、
我が執事と遭遇してしまいました。
蝋燭の火に当てられた彼の銀髪は煌めき、金色の
瞳の中には橙色の炎が揺らめいてとても綺麗です。
「セバスチャン、あなたまだ起きていらしたの?」
「はい……それよりも、主、大丈夫ですか?」
「何がですか?」
「血の匂いがします…どこか怪我をされてるのでは」
彼の言葉で顔に熱がこもっていくのを感じました。
そうでしたわ。この者の正体は人狼。
人よりも遥かに優れた嗅覚を持っています。
「なんでもありませんわ!余計な詮索なさらず
さっさとお休みになられてくださいまし!」
心配そうに顔を覗き込んでくる執事の胸を押しやり、
半ば八つ当たりするように足音を立てながら
早足で洗濯場へ向かいました。
セバスチャンはなぜ主が怒っているのかわからず、
暫くその場に佇んでおりました。
後日、彼は魔術師に事情を話して
その意味を知りましたとさ。
『雫』
白銀の鎧を纏う騎士が黒い馬を操り荒野を駆ける。
王都近辺の森まで来ると、歩みを止めた。
「へシアン!」
不意に誰かが自分を呼び止める声がした。
金色の髪を持つ美しい乙女が
こちらへ駆け寄ってくる。
木々の間から差しこむまばゆいばかり
の黄金の光が、乙女をそっと照らす。
へシアンはその姿に目が眩んだ。
「姫様」
それは、とある事情から王城ではなく
この森で暮らす王女リディルの姿であった。
「まあ、どうしてここに?」
彼女は花が綻ぶような笑顔を見せたかと
思いきや、突如、顔を曇らせた。
彼の腕から滴り落ちる赤い雫を
見逃さなかったのだ。
「へシアン!貴方、怪我してる」
「ただの切り傷ですので、お構いなく」
「ダメだよ。傷を放っておくとそこから
悪い精霊が入ってきて、命を落として
しまう事もあるんだから」
へシアンはリディルに半ば強引に連れられて、
小屋までやって来た。
きれいな水をバケツに汲んで持ってきた
リディルはへシアンの傷から滴る
血を洗い流して、腕に包帯を巻いた。
「申し訳ございません、姫様」
「いいのよ!それよりも
あまり無理はなさらないでね」
「……承知いたしました」
暫くすると、今度は彼の愛馬を近くの
小川まで連れて行った。
疲れきった馬は、むさぼるように水を飲む。
リディルは、愛情をこめて黒馬の鼻先を撫でてやり、
体を草で拭いてあげながら、へシアンに問いかけた。
「兄さんは元気にしてる?」
「……近頃の殿下は、食事も睡眠もあまり
取られず、芳しくないご様子です。
国王が病床に伏せられてからずっと 」
「やっぱり、そうなのね……。以前お会いした時
よりも、やつれて顔色が悪かったもの」
リディルはそっと目を伏せた後、
澄んだ瞳で騎士を見上げた。
「へシアン、兄さんは貴方の事を
とても信頼しています。
だから、貴方が常に傍にいて支えてほしいの。
わたしはあの人の傍にはいられないから……」
「姫様……」
リディルはへシアンの手を掴んで
ぎゅっと握り締める。
「お願いへシアン。兄さんにも、貴方にも
無事でいてほしいのよ。
健やかに生きてくれたらそれだけで十分なの」
その言葉は祈りの様にも思えた。
ずっと抱え込んできた想いを打ち明けた事で
リディルの視界は霞み、頬に一筋の涙が伝う。
へシアンは、はっとして息をのんだ。
その雫を拭おうと手を伸ばしたが、
既のところで止めた。
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城へ辿り着いたへシアンは、
主の前に跪き恭しく頭を垂れた。
「竜の雫を取り戻しました」
「ご苦労であった、へシアン」
ドレイク伯爵は彼の働きに満足気に頷いた。
近衛騎士団長へシアンには忠誠を誓う主が二人いる。
一人はこの国の王太子、
もう一人は目の前に立つこのお方。
「偶には比奴にも血を吸わせてやらんとな」
伯爵が己の瞳と同じ色を持つ赤い宝石を掲げると、
それはシャンデリアの煌めきを浴びて妖しく光った。
竜の雫
かつてこの地を支配していた竜が王家の先祖である
勇者に女神の剣で貫かれる際、瞳から流したとされる
古の宝石
竜の血が流れていない者が手にすれば
災いが降りかかるという呪われた石だ。
たった一滴の雫には様々な想いが込められている。
苦悶、憤怒、恐怖、悲哀、自責の念 ────
ふと彼は、
森で出会ったリディルの姿を思い出した。
家族のため、そして自分のために
涙を流してくれた優しき姫。
彼らを欺き、偽りの忠誠を向ける己に
彼女の涙を掬う資格などない。
騎士は心の中で自嘲して、頭を垂れたまま
大理石の床を静かに見つめていた。