『言葉にできない』
これは子どもの頃に体験したお話です。
黄色い雨がっぱを着た悪役令嬢は腕に
何かを抱えながら、一人大雨の中を遊んでいました。
彼女が腕に抱えるもの、
それは魔術師からいただいた桃です。
刺激を与えると何かが起きると教わった
悪役令嬢は、大雨の中それを転がしたり
水溜まりに浮かべたりしながら、今か今かと
その瞬間を待ちわびていました。
すると桃はどんぶらこどんぶらこと流れてゆき、
側溝の隙間に入り込んでしまいました。
「😃✋<Hi❗️」
「ひっ!」
悪役令嬢が下水溝を覗き込むと、中から
道化師がひょっこりと顔を覗かせました。
「😁👉🎈」
(訳:風船欲しいですか?)
赤い風船を持った道化師は子ども目線
でも怪しい人物に見えます。
「知らない人から物をもらってはいけないと、
お父様にきつーく言われてますの」
「🥺」
(訳:ぴえん)
泣き真似をする道化師が今度は
別のものを取り出しました。
「😄👉🍑」
(訳:キミが落とした桃がこちらに…)
「あ!」
それは先程流されてしまった桃でした。
「😗?」
(訳:欲しいですか?)
「ほしいですわ!」
「😏🫴 ゛」
(訳:ならこっちへおいで)
悪役令嬢が小さな手を下水溝の中に伸ばすと、
道化師は彼女の腕をがしりと掴みました。
「😋🍴」
(訳:いただきやす)
その瞬間、道化師が手にしていた桃がパカッと
割れて、中から元気な男の子が飛び出してきたのです。
「我が名は桃太郎!悪い輩は退治する!」
成敗!
桃太郎は手にした刀を道化師相手に
振り下ろしました。
「😵」
桃太郎に一刀両断された道化師はそのまま
下水道の闇へ消えて行きました。
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あれは一体何だったのでしょうか?
どうして彼はあのような場所にいたのでしょう?
子どもの頃に体験した言葉にできない不思議な
出来事を、悪役令嬢は今でも偶に思い出します。
『春爛漫』
その日、悪役令嬢とセバスチャンは公園に来ていた。
澄み渡る青い空
小鳥たちのさえずり
ざわめく葉の音
散歩道には木漏れ日が差し込み、
地面に咲いたネモフィラが
青い花弁を愛らしく揺らす。
二人の間に優しい風が通り抜けた。
(まだ少し肌寒いですわね…)
悪役令嬢が抱きしめるように両肩を擦ると、
見兼ねたセバスチャンが持参していた
ストールを彼女の肩にそっとかけた。
「風邪をひかないよう気をつけてください」
「ありがとうございます。セバスチャン」
広場まで辿り着くと、見知った顔の者がいた。
その者が杖を振ると、たくさんのしゃぼん玉が
空に浮かび、お日様の光を浴びてきらきらと輝いた。
子どもたちはしゃぎ回り、指先でちょんと突いてから
弾けた姿を見て笑い合ったり、大きなしゃぼん玉を
捕まえようと空に手をのばしたりしている。
「お嬢様ー、セバスチャンー、こんにちはー」
二人の姿に気づいた魔術師が笑顔で手を振ってきた。
魔術師の他にもう一人、知人と遭遇した。
「こんなところで奇遇だね!」
「メインヒロイン!?どうしてここに」
「今日は天気がいいから、外でごはんを食べたら
美味しいだろうなと思ってお弁当を作ってきたの」
彼女が手に抱えていたバスケットの蓋を開けると、
そこにはハムと新鮮な野菜を挟んだパンや、みずみずしい苺と生クリームを包んだクレープが入っていた。
籠の中のご馳走に目を輝かせる悪役令嬢と、そんな
彼女を見てふふっと笑みをこぼすメインヒロイン。
「よかったらみんなで食べましょう」
「お花見ですか、いいですねえ」
いつの間にやら近くに来ていた魔術師が割って入る。
魔術師が杖を振ると、芝生の上に大きな敷物が
敷かれ、ふかふかのクッションや座布団が
ぽん!ぽん!と音をたてながら飛び出してきた。
一同はセバスチャンが魔法瓶に淹れてくれた
紅茶を飲んでホッと一息つく。
ひらひらと舞い散る桜を眺めながら四人は
朗らかな春を堪能したのであった。
『誰よりも、ずっと』
「月が綺麗ですわね」
テラスで三日月を眺めながら彼の主は呟く。
その言葉にセバスチャンは何も返せなかった。
三日月は嫌いだ
あの忌々しい夜を思い出すから
満月はもっとおぞましい
自分が制御できなくなるから
「セバスチャン?」
主が怪訝そうに執事の顔を覗き込む。
「すみません、考え事をしていました」
「そう……」
月に照らされた彼女の横顔を見つめていると、
彼は全てを打ち明けてしまいたくなった。
「俺は、いつまでここにいても良いでしょうか?」
セバスチャンは自身の零した言葉が
失言だった事に気が付き、すぐに後悔した。
もしも自分のせいでこの方の名誉に
傷が付くような事があれば、自ら主の元を離れる。
それが従者としてあるべき姿だ。
彼女はその想いを知ってか知らずか、
唇を引き結んだ後、優しい声音で彼に語りかける。
「いつまでだっていなさい。
あなたが私に散々こき使われて、
嫌になって逃げ出したくなるまでね」
セバスチャンは目を見開いた後、
金色の瞳を揺らしながら小さく微笑んだ。
「……あの日、俺を見つけてくれて
ありがとうございます」
彼は主の手をそっと掴んで口付けた。
「あなたが俺の主でよかった」
セバスチャンはそのまま長いあいだ、
彼女の手の甲にキスを捧げていた。
やがて胸がいっぱいになり、
恥ずかしくなって急いでその手を離す。
「申し訳ございません……」
「いいえ、かまいませんわ」
二人の間に沈黙が流れた。
「今日はもういいですわ。
あなたも休んでください、セバスチャン」
「はい。失礼いたします」
執事は深々とお辞儀をしてその場を去った。
「セバスチャン……」
ひとり残された彼女はたまらなくなって、
手を胸の前で握り締め涙を流した。
魔物と人との間に生まれた者に
待ち受ける運命は残酷だ。
どちらにもなり切れず、人々からは忌み嫌われ、
排除され、隠れながら生きていくしかない。
この世の全てを憎み、力のかぎりを出し尽くし、
暴れまわり、魔物と同じように討伐される者も
いれば、自ら命を絶つ者も少なくない。
今まで周りに頼る事も出来ず、一人で生きてきた
彼には、誰よりも幸せになってほしかった。
彼女は夜空に浮かぶ三日月へ祈りを捧げる。
これ以上あの者を苦しめないでほしいと────
『これからも、ずっと』
とある小さな村に一人の青年が暮らしていた。
ここは大きな事件も事故もなく、
ゆるやかな時が流れるのどかな村だった。
納屋に藁を運んでいると
突然、誰かに声をかけられる。
それは以前、木から落ちてきたところを
受けとめて助けた少女だった。
地面に落ちていた雛を巣に戻そうとして
足を滑らせたらしい。
「あの、たくさん作ったからよければどうぞ!」
少女から差し出されたクッキーに
目を丸くする青年。
「……ありがとう」
礼を言うと少女は顔を真っ赤にして逃げていった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
近頃、村で飼っている鶏や山羊が
不可解な死を遂げている。
イタチか野犬の仕業だろうと皆が噂していた所
に占い師と名乗る女が村へとやってきた。
女は水晶玉に手をかざしながら、
村人達に静かに言い放つ。
「この村には人狼がいる。そいつを始末しない
かぎり、毎晩、犠牲が出るだろう」
当初は誰もが占い師の言葉を疑った。
しかし青年だけは、
嫌な胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。
翌日────
麦畑の方が何やら騒がしい。
青年が現場へ急ぐと、
村人達が集まり何かを取り囲んでいた。
それはまだ幼い子どもの死体だった。
「可哀想に!」
「誰がこんな惨い事を……」
子どもの亡骸には何者かに絞め殺されたような
跡と独特の不快な臭いがついていた。
「見つけた!見つけた!」
占い師の女が興奮した様子で
駆け寄ってきて、青年を指さす。
「この者が人狼よ!間違いないわ!」
村人たちの猜疑心に満ちた目が
一斉に青年へと向けられる。
「その人は嘘つきよ!」
少女が占い師に向かって叫んだ。
「どこかで見覚えがある気がしたの。
以前訪れた町でこの人は詐欺師として有名だった」
「そいつは本当か?」
村人達から問い詰められた占い師は、
しどろもどろになりながら弁解をした。
「ま、まあ、そういった事が全くなかったわけ
ではないけど……、っ、占いだけで
生計を立てていく のは難しいのよっ」
占い師への信用は地に落ちた。
今夜は誰も外へ出るなとの警告が出された。
一方その頃青年は荷造りをしていた。
今すぐこの村を出ていかなければ。
ふと青年はその手を止めた。青年にしか
聞き取れない小さな悲鳴が聞こえてきたのだ。
悲鳴がした方へ走り、勢いよく納屋の扉を
開けた瞬間、強烈な血と精の臭いが鼻を突く。
子どもの亡骸から嗅ぎとったものと同じ臭いだ。
「おまえ、どうしてここに」
そこにいたのは村の地主の息子と
もう一人、男の下で衣服を剥ぎ取られ
人形のように動かない────
青年の心臓がばくばくと脈打つ。
それは、青年を慕い庇ってくれたあの少女だった。
男は開き直ったように青年へ語り始める。
「家畜に手を出すのも飽きてきたところだったのさ。
こいつも下手に暴れなければ死なずにすんだも」
その先の言葉はなかった。
青年が男の首を掻き切っていたからだ。
青年は目を見開いたまま横たわる少女へ
近寄り、血で汚れていない方の手を
額にかざして、その瞼を閉じた。
「いたぞ!」
騒ぎを聞き付けた村人達が
納屋へと駆け込んできた。
地面に転がる二つの死体と
血に染まった半獣の青年。
怒りと恐怖に震える村人達の
後ろで占い師の女が高らかに叫んだ。
「ほらごらんなさい!あたくしの言ったとおり!」
青年は農具を持って襲いかかってくる
村人達を掻い潜り納屋から飛び出した。
畑を、森の中を、ただひたすら駆けて、
追っ手が辿り着けない場所まで来ると、
ようやく青年は足を止めた。
一体、いつまで自分はこんな
生き方をしなければならないのだろうか。
夜空に浮かぶ三日月へ問いかけるが、
月は無慈悲にもただ青年を照らすだけだった。
『君の目を見つめると』
「私の目を見なさい」
ククク、この者の命は今、我が手中に握られている。
生かすも殺すも私の自由。
悪役令嬢は獲物の黒くつぶらな瞳を見つめた。
「さあ、とっとと白状なさい!この盗っ人!
私のお芋ケーキを食べたのはお前ですわね?!」
腕の中にいる標的のぶよぶよとした
脂肪をつまみながら尋問する悪役令嬢
私が楽しみに取っておいたお芋ケーキ。
お気に入りのテラスでセバスチャンが淹れてくれた
紅茶と一緒に味わおうと思っていたのに!
少し目を離した隙に、テーブルの上に置かれた
お芋ケーキは忽然と姿を消していたのだ。
そう、犯人はコイツ。
ふてぶてしいフォルムに何を考えているのか
わからないぽけーっとした表情
こいつの正体はマーモット。
庭に植えている野菜や果物を
食い荒らしていく極悪人(獣)ですわ!
海よりも深く寛大な心を持つこの私が
目を瞑ってやっていたにも関わらず、
この者は私のお気に入りを奪うという大罪を犯した。
これは生かしてはおけません。
「おほほほほ!セバスチャン?今日の夕食は
マーモットの丸焼きと行きましょうか?
マーモット鍋でも良いですわね~」
小動物相手に怒りの業火を燃やす悪役令嬢を
セバスチャンは暖かい目で見守っていた。