悪役令嬢

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『誰よりも、ずっと』

「月が綺麗ですわね」

テラスで三日月を眺めながら彼の主は呟く。
その言葉にセバスチャンは何も返せなかった。

三日月は嫌いだ
あの忌々しい夜を思い出すから
満月はもっとおぞましい
自分が制御できなくなるから

「セバスチャン?」
主が怪訝そうに執事の顔を覗き込む。
「すみません、考え事をしていました」
「そう……」

月に照らされた彼女の横顔を見つめていると、
彼は全てを打ち明けてしまいたくなった。

「俺は、いつまでここにいても良いでしょうか?」

セバスチャンは自身の零した言葉が
失言だった事に気が付き、すぐに後悔した。

もしも自分のせいでこの方の名誉に
傷が付くような事があれば、自ら主の元を離れる。
それが従者としてあるべき姿だ。

彼女はその想いを知ってか知らずか、
唇を引き結んだ後、優しい声音で彼に語りかける。

「いつまでだっていなさい。
あなたが私に散々こき使われて、
嫌になって逃げ出したくなるまでね」

セバスチャンは目を見開いた後、
金色の瞳を揺らしながら小さく微笑んだ。

「……あの日、俺を見つけてくれて
ありがとうございます」

彼は主の手をそっと掴んで口付けた。

「あなたが俺の主でよかった」

セバスチャンはそのまま長いあいだ、
彼女の手の甲にキスを捧げていた。

やがて胸がいっぱいになり、
恥ずかしくなって急いでその手を離す。

「申し訳ございません……」
「いいえ、かまいませんわ」
二人の間に沈黙が流れた。

「今日はもういいですわ。
あなたも休んでください、セバスチャン」
「はい。失礼いたします」

執事は深々とお辞儀をしてその場を去った。

「セバスチャン……」

ひとり残された彼女はたまらなくなって、
手を胸の前で握り締め涙を流した。

魔物と人との間に生まれた者に
待ち受ける運命は残酷だ。

どちらにもなり切れず、人々からは忌み嫌われ、
排除され、隠れながら生きていくしかない。

この世の全てを憎み、力のかぎりを出し尽くし、
暴れまわり、魔物と同じように討伐される者も
いれば、自ら命を絶つ者も少なくない。

今まで周りに頼る事も出来ず、一人で生きてきた
彼には、誰よりも幸せになってほしかった。

彼女は夜空に浮かぶ三日月へ祈りを捧げる。
これ以上あの者を苦しめないでほしいと────

4/9/2024, 3:00:02 PM