【題:時計の針】
この春から、私は都会の方にある大学へ通う。
そう決まったときは子供のように喜んだ。
都会が楽しみだということも勿論だが、なんてったって一人暮らしができるのだ!
絶賛反抗期中である五歳下の弟やら、口うるさい両親から離れられ、自由に過ごせる――なんて魅力的だろうか。
ワクワクした気持ちで新幹線に乗り、人生で初めて、都会へと足を踏み入れた。
人々が早歩きで行き交う。車が一時も休まず動き続けている。
私の実家らへんにあったしんみり静かな気配はまるでない。代わりに冷静さや焦燥感が辺りを支配していた。
時間が、実際に私の地域よりも早く進んでいるのではと感じるほど、その差は明白だった。
私の暮らす場所は、駅から15分の一般的なアパートだ。
備え付けられているのは、小型冷蔵庫やらエアコン、布団などと最低限のもののみ。
このままでは食事すらまともに作れないため、家電を買いに行こうと思い立った。
大きなショッピングモールへ赴き、良さそうな包丁やフライパンなどを適当に購入した。
そろそろ帰ろうかというとき、時計屋を見つけた。
アパートには壁掛け時計がなかったからあると便利かも、と考え、入ってみた。
大小、白黒、様々な時計が、棚いっぱいに並んでいた。
カチリ、カチリと音を鳴らしているものと、スムーズに動き続けるものがあった。
同じ時間を刻んでいるはずなのに、何かが違う。
音を立てて進む針は、今どこにいるのかが分かりやすい。一秒ずつ、ちゃんとそこにある感じがした。
一方で、音もなく流れていく針は、気づけば少し先に進んでいる。見ていたはずなのに、いつの間にか時間が過ぎているような気がした。
なんとなく、時間を感じて過ごしたいと思って、音を立てて進む時計を購入した。
その日から、都会に組み込まれた私の部屋に、カチリカチリと時を教えてくれる音が流れるようになった。
【題:溢れる気持ち】
――もう、休みたい
他の人よりなんにも努力してないのに、強くそう思ってしまいます。
学校には週の半分ぐらい行けてません。
いけたとしても三時間目からとか、午後の授業からです。
課題もほとんど手につきません。やりたくないことが、何でか一つもできないんです。
ここ一ヶ月で提出した課題は、学校に着いてから急いでやった、歴史のプリント一枚だけです。
人ともほとんど話せません。学校で話す言葉は、一日で10言にも満たないです。
班活動では、一人だけなんにも話せないから、邪魔なだけでしょう。
夜は、寝たくありません。夜は楽で、日中より楽しいからです。
朝は起きられません。夜に寝ないからです。
みんな優しいから苛められたり不満を言われてないだけで、きっとみんなから要らないやつ、って見られてます。
それか、存在すら認知されてないかもしれません。
だからもう、ずっと休んでしまいたいです。
家で毎日、ゲームとか、SNSとか、自分がやりたいことだけしてたいんです。
でも、やっぱり、怖いんです。完全に止まってしまうってことが。
完全に止まってしまえば、それからずっと、もう歩き出せなくなってしまいそうだからです。
なんにもできない、ゴミみたいな人間になってしまいそうだからです。
だから、学校にいかなきゃって、いっつも言い聞かせてます。
でも、すぐに楽したいって気持ちにまけて、結局行けません。
今日は、お母さんに『どうしてほしいの?』って聞かれました。
休んでいいよ、って言ってほしい気持ち。
ダメな人間になりたくないから、無理やりでも学校に行かせてほしい気持ち。
もうほうっておいてほしい気持ち。
いろんな気持ちが一気に溢れてきて、ぐちゃぐちゃに混ざりました。
だから素直に、『分かんない』って答えました。
お母さんは寂しそうで、ちょっと怒ったような表情になりました。
喉がきゅっとしまりました。痛かったです。
もう部屋にいっていいよ、って言われたから、逃げるように自室へ入り、扉を閉じました。
その瞬間、『自分は弱いな』って気持ちがどばっと溢れてきて、体内を埋めていきました。
それは今、涙とうめき声という形で、外に出ていっています。
でも出ていったそばからまた気持ちが貯まっていきます。
いつになったら、溢れなくなるんでしょうか。
【題:Kiss】
『キス』って、文字の雰囲気からその実態までの全てがセンチメンタルで、キラキラしている。
一つ恋人に落とすだけで、言葉にできない深すぎる愛情を、相手に捧げられる。
そんな、大人だけがつかえる魔法みたいなものなんだろう。
中学生の私
不安定な私
初恋すら来ていない私
女性なのに、乙女心が全く分からない私
大人になりきれない私
私が嫌っている私
なんにも愛せない私
どんな私にも、決して交わることのない言葉だ。
そう思ってたから今日、挨拶代わりにキスをする国がある、って知って驚いた。
それは、恋とか欲とかじゃなくて、ただ「あなたがここにいること」を確かめたり、「大丈夫だよ」って伝えるためのものらしい。
触れるだけでいい。深い意味なんてなくていい、だってさ。
それなら、こんな私でも『キス』を使って良いのかな。
誰かにするなんてまだ出来ないから、一度、自分で確かめてみようかな。
好きになれない、私の黒いココロに『キス』をする。
胸がふわっと浮いたような感覚。少しだけ、満たされたようだ。
私の、不確定で不安定な明日に『キス』をする。
未来に流れ星が落ちる感覚。ああ、明日も生きていられそう。
嫌いな私にも、気に入っている私にも『キス』をする。
愛情にふれあう感覚。ちょっとだけ、私という存在を許せた。
私に勇気と安心をくれた。
やっぱり、『キス』は魔法だ。
【題:1000年先も】
『今日は、
"今から1000年前は、どんな時代だったの?"
と息子に問われた。
学校で習っていくうちに、興味をもったらしい。
まあ、たしかにあの頃は激動って感じで、歴史好きの間では結構有名だ。
それに、記録も結構少ない。大抵は、900年前のあのときに消えてしまった、星と共に。残っているのは、ちょっとの書籍や論文だけ、そんなロマン溢れる時代だったはずだ。
私は、学校で習った記憶をたどって、
"とにかく、戦争とかが少ない、いい時代だったらしい。技術が一気に成長したり、国が協力して支え合って、もっと世界をよくするにはどうするか、みたいなことを話し合いながら、進んでいったらしい。それと、普通の人もごはんに困らないようになっていたはず"
みたいなことを話した。
初めて知ったことも多くて、息子は驚いていた。
懐かしい。私も習った当時は、素晴らしい時代じゃん、って感嘆してたな。
息子は、もっと1000年前に興味をもったらしく、
明日、おじいちゃんの家にいって調べてくる!
と息巻いていた。
1000年、数字で見ると少ないが、その間にこんなにも状況が変わってしまうなんて、人間がもつ力は恐ろしい。
ふと思ったが、今から1000年後はどうなっているのだろう?
また人類はあやまちをおかして、また別のばしょで暮らしていたりするのかな。
それとも、全滅してたりして。
もしかしたら、この日記が残っているのかも。
ワクワクするし、怖くもある。
あああと、今思い出したけれど、1000年前は世界のいろんなところから、また別のところまで、1分とかからずに手紙が送れていたらしい。データ?みたいな形で。
全部900年前のアレで跡形もなく消えちゃったらしいけれど。
だいたいがデータ管理だったから、史料が少ないんだよね。
そのことは息子にいうのを忘れていたから、明日話してあげよう。
今からでも、息子の驚いている顔を見るのが楽しみだ。』
今日の日記を書き終わり、本を閉じる。
そろそろ寝よう。明日もやらなければいけないことがたくさんある。
明日はちょうど、人間のせいで地球が壊れて、人類がこの星へ移住してきた日から900年。
毎年の明日には、その900年前にあった人類の不の歴史を、ずっと忘れられないように式典を開くのだ。
わたしはその式の準備を少し任されている。
正直面倒だが、まあこれも仕事だから仕方ない。
あ、そういえば、日記に今日の日付を書くのを忘れていた。
ページを開き、日付を記す。
『3026年2月3日』
よし、完璧だ。
【題:勿忘草(わすれなぐさ)】
これは、私が高校生だったころに出会った、少し変わったクラスメイトの話だ。
私はその子と、高校生活でほとんどの昼休みを共にした。
出会いはいたって単純だった。始業式の次の日、クラスで孤立していた私に、
――お昼、いっしょに食べない?
なんて眩しい笑顔で話しかけてきた。
その子はお花が大好きだった。
昼休みには毎日のように学校の裏庭を探検した。一ヶ月に一度ほど、共に植物園にいったりもした。
花を前にすれば、その子は花言葉や名前の由来などをおもしろおかしく話すのだ。それの顔や声があまりにキラキラしていて、ヒマワリを擬人化したらこうなるんだろうな、なんてくだらないことを考えていた。
そんなある日、その子にひとつの質問をした。
"一番好きな植物ってなんなの?"
彼女は一拍考えてから言った。
――ワスレナグサ……かな?
"へえ、どんな植物なの?"
――青とか白の、小さくてかわいいお花を咲かせるの。花言葉は、有名なのは"わたしをわすれないで"かな。
"あ~、聞いたことある!恋人とか友達に贈るんだよね"
――そうそう!でも、その花の一番好きなところは、その漢字なんだよね。
彼女がくしゃくしゃなメモ用紙を取り出して、ボールペンで字を書いた。
『勿忘草』
"……これでワスレナグサって読むの?順番逆じゃない?"
――へへ、これでそう読むんだよね~。『勿』って漢字が"~しない"、って意味だから、漢文の書き下し文みたいな感じで、ワスレナグサってつけられたんじゃないかな。
"なにそれ、面白いね!でもなんでこれが一番好きなの?"
――えっと、ちょっとぶっとんだこと言うんだけどさ、私、勿忘草の『勿』みたいな存在になりたいんだよね。
"……どういうこと?"
――『勿』って字、話すときには読まれないというか、そこにあるって思われないけど。なかったら忘草になって、"忘れてしまう草"みたいに、意味が逆になっちゃいそうじゃない?
だから、ワスレナグサの根本を支えてる文字って『勿』だと思うんだよね。
"えっとつまり?分かるような……分からないような"
――簡単にいうと、決して目立たないけど、誰かを支えられたり、誰かのこころにいい影響を与えられるような人になりたい、ってこと!
その会話は、不思議とずっと、こころに残っている。社会人になった今でも、だ。
そして今では、私もそんな人になりたい。そう思うのだ。
あの時、あの子はそんな人になりたいって言ってたけれど、もうなれてたんじゃないの、って最近考え出した。
だって、時間を越えて、今の私のなりたい人の像にまで、いい影響を与えてくれているのだから。
次の週末、彼女と高校卒業ぶりに会うことになっている。何を話そうか、わくわくしてくる。
それと、彼女になにか贈り物をしたいな。高校のときはそういうの、できなかったから。
ああ、そうだ。彼女に桃色の勿忘草をイメージしたアクセサリーを贈ろう。
ピンクの勿忘草の花言葉は『真実の友情』
あの子への贈り物にはピッタリだ。