【題:太陽のような】
「まあまあ。切り替えて、次のテストで一緒にいい点とろうぜ! 今回の結果でずっと悩むなんて損だ、損!」
「……確かに、こんなことで悩んでるより、切り替えたほうがいいよね!」
「ああ! 次のテストに向けて、また一緒に勉強会しような!」
「ありがとう――やっぱり君は、『太陽』みたいだね! じゃあまた!」
先ほどまで相談相手だったクラスメイトが去ってゆく。
……思えば、いつからだっただろうか。
僕が、周りのみんなから「太陽みたい」と言われ始めたのは。
つい先日からのようにも、僕がまだ生まれる前からずっと、言われてきたようにも思える。
なんだか、その言葉が聞こえると、生涯いつも隣にあったようななじみ深さと、毎回毎回僕の心を刺すような新鮮さが、確かにそこに生まれるのだ。
そして、その度に僕は、もっと太陽として生きなければと焦る。
そうだ、僕の本性は、太陽なんかじゃない。欺き続けているだけなんだ。
本当は、もっとちんけな、小さなガラス玉だ。
公園で遊ぶよりも、家で寝ているほうがずっと好きだし、太陽のもとを歩くよりも、新月の夜に歩くほうが心地よい。
そんな自分の本性を落ち着かせるために、毎日の夜には散歩をする。
今日も、何度も通った道を歩いて、何度も座った道端のベンチに座る。
そして、物思いにふけるのだ。
――明日は、どんなことを学校で言おうか。
――週末の友人とのお出かけには、何を着ていけばよいだろうか。
――あの課題の感想欄に何を書いたほうが、「太陽」に近づけるのだろうか。
ぺらり……ぺらり……
何か音がする。意識が現実に戻される。
自分の右側からの音だ。そちらへ首を回す。
思わず、息をのんだ。
僕が座っている隣のベンチに、同い年ぐらいの少女が座っていた。
本を読んでいるらしい――のだが、その様のすべてがキラキラとして見えるのだ。
正した姿勢、なびく髪、目線の移動、一定のリズムで人差し指と親指を使いページをめくる動き。
優雅で美しくありながらも、どうしてか、いい意味で子供らしいエネルギッシュさも感じられるのだ。
「……どうしました? 五分間ずっと、こちらを見ていますが」
気づけば、話しかけられていた。
「……あ、いや、ごめん。なんでもない」
反射的に目をそらす。
なのに、彼女はふっと笑った。
「なんでもない、って顔じゃなかったですよ」
やわらかい声だった。からかうでもなく、慰めるでもなく、ただ事実を述べるような。
「悩みごとですか?」
その問いに、胸の奥がきゅっと縮む。
太陽は、悩まない。
太陽は、いつだって前向きだ。
太陽は、人を照らす側だ。
「……別に。大したことじゃないよ」
いつもの言葉で、いつもの笑い方をする。
彼女は本を閉じ、膝の上に置いた。
「じゃあ、どうしてそんなに暗い顔をしているんですか?」
その言葉が、胸のどこかにすとんと落ちる。
暗く、見えているのか――
「……僕、太陽みたいって言われるんだ」
なぜか、口が勝手に動いた。
「……素敵じゃないですか」
「でも、本当は違う。僕は、そんな立派なものじゃない」
夜のほうが好きだし、ひとりのほうが落ち着くし、誰かを励ます言葉だって、家で何度も練習してから言っている。
「本物じゃないんだよ」
吐き出した瞬間、胸が少し軽くなる。
「――太陽って、ずっと燃えてるんですよね」
「……うん?」
「休まずに。ずっと」
彼女の視線が空へ向く。今日は月も見えない、新月の夜だ。
「それって、すごく大変だと思いませんか?」
ふっと、息がつまる。
「無理して光る必要なんて、ないんじゃないですか」
彼女は、そう言って立ち上がった。
街灯の下に出た彼女の姿は、眩しかった。
自然体なのに、どこか堂々としている。
無理に笑っているわけでも、誰かのために光ろうとしているわけでもないのに。
それが、どうしようもなく悔しかった。
「私はそう、信じてます」
本を抱えたまま歩きだす。
僕は立ち上がることもできず、ただ彼女を見上げていた。
――ああ。
僕なんかより、彼女の方がよっぽど太陽みたいじゃないか。
目を焼かれてしまいそうになりながらも、決して彼女から目をそらすことはできなかった。
【題:0からの】
大学で数学を専攻していると言うと、決まって同じような質問をされる。「計算、速いんでしょ?」とか、「一日中数字のこと考えてるの?」とか。
けれど私がいちばん好きな問いは別にある。
「何の数字が好き?」というものだ。
そのときだけは、迷わず答える、「0」と。
『0』を――『数学』を好きになったのは、中学生のころだ。
私の数学教師は、問題を解かせるよりも、「なぜそうなるのか」を執拗に問い続ける人だった。
公式の丸暗記を許さず、「方程式とは何か」「係数とは何を指すのか」と、言葉の輪郭を私たちに自分の力で捉えさせようとしていた。
初めての授業は強すぎるほど印象に残っている。
進み方の説明をしてから、先生はまず、黒板に大きく0を書いた。
「0は、すべての始まりだと言われることが多い。でもね、歴史的には逆なんだ」
――人間はまず、物を交換するときのために、1や2といった数を生み出した。
自分が物を渡すだけの時のために、失ったことを表す−1や−2も考え出した。
そうして長い時間が過ぎたあとで、ようやく“何もない”という状態を表す0が、数として認識された。
そんなことを説明したあと、一呼吸おいて、先生が口を開いた。
「ない、を、ある、として扱う。そこが面白いんだ」
その意味を理解した瞬間、黒板の『0』は、たしかに生命を持った。
動きこそしないが、なんだか、
「わたしはちゃんと、ここにいるよ」
って、やわらかなメッセージを送っているように見えた。
そうだ、「0」は、"記号"から、生きた"概念"となったのだ。
同時に『数学』が、『得意な科目』から『好きな科目』へと変わった。
だから今も、「好きな数字は?」と聞かれたら、私は少しだけ誇らしい気持ちで答える。
「0だよ」
0からのメッセージは、今もたしかに私の心に届いている。
【題:枯葉】
豪雨の後、今にも虹が飛び出てきそうな晴れ空のもと、コンクリートの通りを歩く。
出会う人々の多くは、短い袖の衣服を身に付け、また等しく汗を首筋に沿わせる。
私も、そんな大衆の中の一つだ。
まるで居酒屋のおしぼりを、身体中のすみからすみまでに貼り付けられているような、そんな不快感が、常に大きな声で主張し続けていた。
こんなときだけ、やけに冷たくってからからに渇いた、色のない時期が恋しくなってくる。
視界の果てまで続く、多様な緑を宿した街路樹。
光を反射してキラキラと、元気だよって証明するように輝いている葉っぱ達。
常に不快感に圧迫される心には、うざったくしか写らない。
この心模様には、枯れきった葉の方がよっぽど似合うだろう。
途端に、しわくちゃになって舞い落ちるそれや、くしゃりと声をだしながら大衆に踏まれるそれが、キラキラで夢のようなものに感じられる。
どちらかと言えば寒がりだというのに、夏の私は早く寒くなりますようにと願うのだ。
ああ、秋冬では枯葉を『切なくて儚いもの』だとしか捉えられないのに――どうしていつもいつも夏には、葉たちの3ヶ月後の姿を心待ちにしてしまうのだろう?
季節が巡るたび、私は同じ問いを抱え、この道を歩く。
【題:10年後の私から届いた手紙】
1ヶ月と少し前から、先頭に「15歳の私へ」と書かれた手紙が、一週間に一度届くようになった。
記念すべき一通目の手紙の文章には、
『大変なことも多いけれど、まあまあ会社でうまくやってるよ』
などという変哲もないし驚きもない内容が、3枚に渡って長々と綴られていた。なんというか、実に私らしい。
未来からの手紙だなんて、当初はなにかのイタズラで、くだらないと無視しようと思っていた。
けれど、自分の筆跡とおおよそ等しいし、そもそもそんなイタズラをしてくる人間を私は知らない。それに特別害も無いものだから、今は週末のちょっとした楽しみという立場を得ている。
二通目の手紙は、
『15歳の私が推している人は、まだ今も私の一推しとして君臨している』
ということ。
三通目の手紙には、
『昨日は仕事内容の伝達が上手くできてなくて、上司に少し注意された。へこんで、昨日の夜はちょびっとお酒を呑んだ。
ちょっとしたことで落ち込むのは、十年前から変わってないね。私の本質の一つなのかも』
ということが書かれていた。
私の本質の一つ――確かにそうなのかも?
もちろん、全て2枚以上に渡って、うだうだと書かれている。よくもまあ飽きないなと我ながら感心してしまう。
四通目の手紙から、内容が少し変わった。
――来週の水曜日、あなたは数学のテストでひどい点を取る。
でも落ち込まなくていい。それがきっかけで、隣の席の子と話すようになるから。
これが手紙の全文だった。一枚目の4分の1も埋まっていないなんて珍しい。
本当にそうなったら面白いな、何て考えて手紙をファイルに突っ込んだ。
その水曜日、本当に私は32点とかいうひどい点を取った。はじめての赤点だ。
答案を見てため息をついたとき、隣の席の彼が小さく言った。
「俺もやばい」
それが、私たちの最初の会話だった。
手紙は本当だった。
その週末、五通目の手紙が届いた。いつもよりドキドキしながら手紙を読み始める。
――15歳の私へ
本当だったでしょ?
でも、これからはこの手紙の内容を、あまり意識しすぎないでほしい。
あなたの進みたい道を進めばいいよ。
いきなり手紙をよこして、未来のことを教えて、急にそれは……ちょっと身勝手だね。
まあ私がそういう人間なのはきっと、一番理解してるでしょ?
今の私もまだ信じきれるものがないから、そう言うしかできないんだよね。
35歳になっても、45歳になっても、迷い続けてるんじゃないかな。
でも、25年生きてきて思ったのは、人生、意外とどうにかなるんじゃないかな、ってこと。
だから、素直に自分が今必要だと思ったり、やりたいことをして、その中で迷い続ければいいと思う。
ただ、結局この手紙をどう受け取るかも全部、あなた次第だよ。
選ぶのは、あなただ。
頑張って。
25歳の私より――
ああ、私の扱い方を分かりきっているな。
そう言われたら、頑張るしかなくなるじゃないか。
意地悪なとこは、10年後も変わっていないらしい。
もしかしたら……私の本質の一つなのかも。
【題:バレンタイン】
今日は2月14日、バレンタインデー。
といっても、気になる人もチョコを贈りあうような友人もいない社会人にとっては、ただむなしいだけだ。
平日であれば仕事で気が紛れるというのに、休日で用事もないとなると、家で一人だ。
チョコを贈り合う男女や友達の集団を想像して、なんだか居たたまれなくなるだけである。
ため息を一つつき、寝返りをして、そこらにあるクッションを抱き締める。
これでも一応、10年前――高校生だった時には友達とチョコレート味の自作クッキーを贈り合ったり、本命チョコを渡そうとする友人をはやし立てたりした。
まあもう、高校時代の友人とは、ここ3年連絡も取っていないのだが……
ピンポーン。音ひとつしなかったこの部屋に、突然チャイムが鳴り響く。
誰だろう。こんな日に訪ねてくる人など、いるはずがないのに。
やや重い足取りで玄関まで行き、ドアを開けた。
「お届け物でーす。ここにサインをお願いします」
のんびりとした声色と共に、ボールペンが差し出される。
ここ一ヶ月で、なにか頼んだ記憶はないのだけれどもな。
「あの――部屋間違ってませんか?」
「え? えっと、◯◯◯号室の✕✕さんですよね?」
それはたしかに私の部屋番号と名字であった。にしてもどういうことだろうか。
ああ、実家から何か送られてきたとかだろうか。
「ええ、そうです。すみません、サインさせていただきますね」
自分の名前を紙に書き、それと段ボール箱を交換する。
「はい、ありがとうございます。それでは」
配達員はそう言い残し、エレベーターの方へ向かっていった。
部屋に戻り、リビングの机に段ボール箱を置き、封を開ける。
中には――有名なブランドの生チョコが、おしゃれに飾られて入っていた。
ああ、そういえば。
2週間前、酔った勢いで、バレンタインに到着するように生チョコをオンラインで購入したんだっけ。
2週間後の自分へのプレゼントだ、って。
完全に失念していた。
とりあえず、買ってしまったからには食べようか。
かわいらしい包装を開けて、チョコと対面する。
ああ、外ではチョコを贈りあう人々が居る中、私は一人で何をやっているのだろうか。呆れてしまう。
生チョコにフォークを浅く刺し、口元まで運んで、口にぽいっとほうりこむ。
思っていたより甘い風味が、口の中でなめらかに広がった。
――案外、悪くないかも。