針間碧

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6/3/2024, 3:04:37 PM

『失恋』

「おめでとうございます!あなたは神に選ばれました!」
 学校からの帰り道。突然見知らぬ女の人が声をかけてきた。何事だ一体。無視して通り過ぎようとしたが、見知らぬ人は諦めることなくついてくる。
「あれ、聞こえてませんか?聞こえてますよね?だって、さっきより歩行速度が上がってますから」
 わかってるならついてくるなよ。いい加減不審者として通報するぞ。今時学生でも通信機器は持ち歩いてるんだぞ。威嚇もかねてポケットからスマホを取り出す。このスマホは便利なもので、ワンタッチで緊急通報できる。警察への連絡も一発だ。俺の動きで何をしようとしているのか気づいたのか、不審者は慌て始めた。
「ああああやめてください!私は怪しい人ではないんです!」
「どこがだよ」
「そりゃそうですよね。急に話しかけられても困りますよね。すみません。私こういう者で」
 そういいながら名刺らしきものを取り出し、俺に差し出してきた。見てみると、確かにそれは名刺らしきものであった。しかし、名刺にしてはあまりにもカラフル過ぎる。しかも、碌に会社情報が載っていない。俺はまだ学生で自分の名刺なんて持っちゃいないから詳しいことはわからないが、こういうのはもっとシンプルで必要な情報が簡潔に記載されているのではないのだろうか。
 やはり不審者か。しかし、こうクソ真面目に名刺を渡されると、コイツ自身が何かに騙されているのではないだろうか。とりあえず話でも聞いてやって、ことと次第によっては忠告だけしてやろう。そう思い、俺は不審者に向き合った。不審者は話を聞いてくれると判断したようで殊更嬉しそうな顔をして、話を続けた。
「厳正な審査の結果、あなたは一つ、なんでも願いを叶えることができる権利を取得しました。どうぞ、今のあなたの願いを教えてください」
 やっぱり通報したろか。こんなのもしコイツが騙されていたとしても、自業自得だろ。阿呆らしすぎて、声も出なかった。
「あの…馬鹿だと思われてますよね……」
「よくわかってるじゃねぇか」
「でも、本当なんです!信じてください!」
「その言葉、信頼を得られないとわかってるときによく使う言葉って知ってるか?」
「うっ……」
 その後、不審者はうつむきながら口を噤んだ。どうしたら信じてもらえるか、本気で考えているように見える。……仕方ない。もう少しだけ付き合ってやるか。俺はなんて優しいやつなんだ。
「で、例えばどういう願いを叶えてくれるんだ?」
「⁉信じてもらえるんですか?」
「話を聞くだけだ。で?どうなんだよ」
「え、ええ、状況に対して破綻しない願いであればなんでも叶えられます」
「破綻しない、とは」
「『叶えてもらえる願いを十個に増やす』といった願いですね。一つであるべき願いが十にも増えてしまうと、たとえそれが叶えてもらった願いとはいえ、破綻します」
「なんだ、そういうことか。それなら問題ない。そんな子どもみたいな願いはしねぇよ」
「でしたら、どうぞおひとつ願いを教えてください!今すぐ叶えます!」
 さてはて、どうしたものか。適当にあしらってもいいが、あえて無理難題を言ってみて相手の反応を見て楽しむのもいい。…そうだ。とてもいいことを思いついた。
「じゃあ、お姉さん付き合ってよ」
「え…?」
「なんでも叶えてくれるんでしょ?じゃあ付き合ってよ」
 これは流石に困るだろう。せいぜい困って、断ればいい。俺はそれで安寧を得られる。別に怒るつもりはない。相手も常識外れだが、自分自身も非難されるようなことを言っている自覚はあるから。
 目の前の女性は、また悩みはじめた。いや、ここで悩むことあるか?断る一択だろ。さあ断れ、今すぐ断れ。
「いいですよ!」
「いいのか⁉⁉⁉」
 しまった。つい声に出してしまった。あまりのことに唖然としてしまう。
「だって、それがあなたの願いなんでしょう?願いを叶えるのが私の役目。しっかり叶えさせていただきます!」
「いやいやいやいやいいですすみませんからかおうとしただけです俺が悪かったからこの話はなかったことに」
「できませんよ」
「できないの⁉」
 そこは「仕方ないですね」とか言って別れるところじゃないのか?コイツの貞操観念どうなってるんだ?
 俺が頭を抱えている時、目の前の女性は笑顔で話しかけた。
「ところで、どこに付き合えばいいんです?」
「…………は?」
「え?あなたの用事に付き合えばいいんですよね?全然かまいませんよ」
「…………」
 なんということだ。こんなテンプレートのごとき勘違い、あるものだろうか。いや、実際今目の前で起こっている。これはあり得ることなのだ。
「もしかして、行く場所決まっていない感じです?それなら、この辺を案内してもらってもいいですか?せっかくなので、下界を楽しみたいです!」
 何かまたおかしなことを言っているような気がするが、もうなにも頭に入ってきていない。俺は黙って頷いた。目の前の女性は嬉しそうに顔をほころばせながら俺の腕を取って駆けだした。
 ……なんだろう。結果的にはいい結果となった。いい結果となったはずなのに。なぜ俺はこんなに空虚な気持ちになっているんだろう。失恋したわけでもあるまいに。今更になって、本当に付き合ったらどうなっていたのだろうと想像してしまった。
 もうこの話は考えないようにしよう。今は、目の前の女性と目いっぱい楽しむことを決意した。

6/1/2024, 1:51:44 PM

『梅雨』

 目を覚ますと、湿気のにおいがした。そして脳が覚醒すると、サーという音が聞こえてくるのに気づく。ああ、またか。そう思いながら、私はベッドから抜け出した。
 今は六月。雨も真っ盛りの季節だ。恵みの季節ともいう。昨今梅雨といっても、長期でないうえに大ぶりで、恵みというより最早災害といってもいいような雨ばかりであったので、ここ数日の小ぶりの雨にはどこか安心感を覚える。といっても、洗濯はできないし、外にも出にくいのはやはり雨の良くないところかもしれないが。
 外は相変わらず雨が降っている。さて、どうしたものか。今日は休みなので一日中家にいてもいいのだが、なんとなく外に出たい気分もあった。悩んだ末、濡れても問題ないような服を着て、傘をさして家を出た。
 特に意味もなく、大通りを歩く。普段はごった返している通りだが、雨だからかいつもより人は少なかった。誰もかれも雨から隠れるように傘をさし、少しうつむきがちに歩いている。今の私のように。
 実際、私自身は雨はそこまで嫌いじゃない。不規則に鳴る雨音も、増えていく水たまりたちも幼心を思い出して楽しくなれる。こういう歌もあるだろう。「あめあめふれふれかあさんが」から始まるあの歌だ。今となっては忘れ去っている人も多いだろうが、私は雨が降る度この歌を思い出す。
 ところがどうだ。今の私は、周りの目を気にして、周りと同じように行動している。雨に濡れないように着込み、水たまりを避けながら歩いている。なんとなく外に出たい気分であったのに、歩いているうちに何故出歩きたくなったのかわからなくなってきた。このまま歩いていてもみじめになるだけだ。ここの道を左に曲がって、そのまま家路につくことにした。
 帰り道に、簡素な公園があることに気が付いた。そこはもう公園といってもいいのかどうか怪しいくらいに遊具のない公園であった。あるのは古びた滑り台とベンチだけ。滑り台のおかげで空き地と言われずに済んでいると言っても過言ではないのではないか。まあ、最近だとよくある公園だ。そのまま通り過ぎた。
 家について、濡れたところを軽くタオルで拭い、窓辺に座る。雨はまだ、降り続いていた。
 どんな形であれ、梅雨はやってきて、そのまま去っていく。いつも通り。いつも通りに。きっと私も変わることはできない。いつも通り。空虚な自分を自覚しながら、私はゆっくり目を瞑った。

5/23/2024, 9:13:32 AM

『また明日』

 世界は崩壊した。私が産まれる、数百年前の話だ。原因はわかっていない。世界の崩壊とともに、歴史の全てが失われてしまったからだ。伝聞では様々に言われているが、正直そのどれも信じてはいない。もしかしたら全て正解なのかもしれないし、全て間違っているのかもしれない。まあ、私にはどうでもいいことだ。崩壊した理由なんて知っても、私自身の生活の足しにはなりやしないんだから。
 さて、今日は食料調達の日か。食料調達といっても、その辺に生えている食用かすら怪しい植物を採取し、動物がいれば狩りをする、といった程度だが。これが結構難しい。なんせこちらの気配がばれたら終わりだ。それに、動物によっては逆に襲われる可能性だってあり得る。私はそこまで狩りが得意なわけではないので、ここ数日肉を食せていない。そろそろ肉が食べたい。こういう時に仲間がいてくれると狩も楽になるのだが、私の知る中で人間という種族は私しかいないので、仕方がない。一人でできることをしよう。
 家を出て小一時間、適当に植物採取し、帰ろうと思った矢先、やっと動物らしき生物を見つけた。その生物は、不思議にも頭が二つあったが、まあ食べるのには問題ないだろう。頭が二つあるおかげで逃げるのも遅いようだ。よく今まで生きてこれたな。大きさからして、ほぼ成獣だろう、あれは。
 弓を構える。ゆっくり弦を引き、弓がしなる音を感じる。気づけば、矢は手元から離れ、双頭の獣に直撃していた。双頭の獣はゆっくり身体を傾け、そのまま動かなくなった。ゆっくり近づいて、心臓が止まっていることを確認した。双頭の獣は思っていたよりも大きく、持って帰るのは少々大変そうであった。仕方がないので、ここでそのまま血抜きをして、食べられそうな部分だけ持って帰ることにする。他は、きっとその辺の野生の生物が食べてくれるだろう。無理に持って帰って腐らせるより随分マシだ。にしても、食用で持って帰るにしても、相当な量だ。これは、今日はごちそうだな。
 家に帰って、持って帰ったものを整理する。植物はいつもの通り処理するとして、肉はどうするか。大量に肉があるから、一気に焼き肉にしてしまうのもいいが、折角の肉を簡単に消費してしまうのももったいない。今日は豪勢なスープにして、残りは保存することにしよう。肉入りスープなんていつぶりだろう。もう三十年近くは食べていないのではないだろうか。久々のスープの匂いを思い出しながら、夕飯の準備を始めた。
 夕飯を食べ終わった頃、日は完全に傾き、完全な暗闇が訪れた。昔は火で室内を照らしていた時もあったが、今やそんなことをしても無意味な時間が増えるだけだと気づき、暗闇とともに眠りにつくことにした。
 布団に入り、目を瞑る。いつもの、変わらない日常。友もいない、家族もいない。全員死んでいき、私は生きている。一人はつまらないが、死ぬつもりもない。私はこのまま生きていく。このまま、また同じ明日を迎えるのだ。

4/2/2024, 3:24:28 PM

『大切なもの』

はじめまして。…おや、なんとも珍しいお客さんですね。いえいえ、構いませんよ。この店は、どんな方でも歓迎しておりますから。どうぞ、お席にお座りください。
 この店は、夜しか経営していないカフェなのです。夜、一息つきたい。そんなお客さんの為に、この店は存在しております。そして、この店に決められたメニューはございません。お客さんのリクエストにお応えしてお品物をお出ししております。…といっても、当店の在庫にあります食材でできる範囲内ではございますが。基本的にカフェで食べられそうなものは作れるように取り揃えておりますので、どうぞご安心ください。
 それでは。今日は何をお作りいたしましょうか?勿論お飲み物だけでも構いませんが。…ふむふむ。オムライスとココアですね。かしこまりました。オムライスの上にかけるものは、ケチャップでよろしかったですか?そうなんです。ケチャップ以外にもオムライスの上にかけるものがあるのですよ。ケチャップでいい?それは過ぎたことを申し上げました。ケチャップ以外がかかっているオムライスは、いずれまたお召し上がりください。
 ところで、どうしてこんなところにいらしたのですか?…なるほど、わからない。でも、迷子というわけでもない、と。そうですね。そうおっしゃるのなら、きっと迷子ではないのでしょう。こちらでオムライスとココアをお召し上がりになっている間に、きっと思い出しますよ。
 …おや、卵でご飯を包んでいるところを見たいのですか?勿論よろしいですよ。ただ、危ないので手は出さないでくださいね。…面白そうですか?確かに、ちょっと難しいですが、慣れればそれなりに楽しいですよ。コツは「中火で焼くこと」です。といっても、卵料理全てにおいて言えることではあるんですがね……。
 お話している間に、できましたよ。オムライスとココアです。オムライスには好きにケチャップをかけちゃってください。…いいんですよ。オムライスは描いて楽しむものでしょう。食べ物で遊ぶな、という言葉はありますが、こういった遊び心は忘れたくないものです。
 お味はいかがですか?…懐かしい、ですか。それはなんとも嬉しい言葉ですね。お客さんのお口に合ったのであれば何よりです。おや、どうされたんですか?もしや、目に何かゴミでも……。
……そうですか。思い出されましたか。あなたは、もう死んでいることを。…詳しくは存じ上げませんが、あなたは交通事故で亡くなられたと聞いております。そのままあなたは成仏されるはずだった。しかし、記憶をお忘れになったようで、そのまま現世にとどまり続けてしまっていたのです。そのまま数年は経ち、今私の目の前にいらしているのです。
…このオムライスは、あなたが生前一番好きな料理だったようですね。あなたのお母さんがよく作ってくれた。私はあなたのお母さんのオムライスを完全に再現することはできませんが、限りなく近い味だったようでよかったです。ココアもそう。夜眠れなくなったときに、お父さんにこっそり作ってもらっていたようですね。どちらも、あなたにとっては忘れられない、大事な思い出。
 え?私との思い出も作りたい?……お気持ちは嬉しいですが、私はいいのですよ。あなたが満足されている。その姿を見られただけで充分ですから。ただ、そうですね……。もし、次またお会いできることがあれば、その時は、ケチャップ以外がかかったオムライスをお出ししますよ。是非楽しみにしていてください。
 …そうですか。もう行かれますか。どうもありがとうございました。またのお越しを、お待ちしております。

3/28/2024, 2:19:48 PM

『見つめられると』

私は今、普通の精神状態じゃない。そんなのは私が一番よくわかってる。なんたって、私は先ほど人を殺してきたのだから。
 夕方の六時。それが友人との約束の時間であった。その友人と連絡は定期的にとっていたが、遠方に住んでいるため会うのは久しぶりであった。だから、普段の私なら、いつも通りに会って、何気ない会話をして帰る。それだけになるはずだった。でも、今日は違う。私は、さっき人を殺してきてしまったのだ。
 別に殺したかったわけではない。電車に乗ろうとしていて、目の前の人の様子がおかしいからなんとなく見つめていたのだが、フラフラと前に進んでいて、気が付いてしまった。この人は自殺をしようとしているのだと。私は、止めるべきだった。でも、声も出なかったし、手足は一切動かなかった。何もできなかった。気づけば目の前にいた人は、駅のホームから、消えていた。
 一瞬の沈黙。後の度重なる悲鳴。凄惨な現場を前に、私は動くことができなかった。周りの人の誰かが私にぶつかってきて、はじめて足が動くようになった。私は黙って踵を返して、ホームから離れた。
 目の前で人が死んだわかっていたのに何もできなかった声をかけるべきだったのにどうして何もできなかった私は……。私は、人殺しだ。
 この後は、正直帰りたかった。友人には申し訳ないと詫びて、寝て忘れてしまいたかった。でも、滅多に会えない友人との約束を反故にすることも、私にはできなかった。重い足を引きずりながら、私は約束の場所へと向かった。
「お、久しぶり~!」
「久しぶり……」
 友人は変わらぬ笑顔をこちらに向けてきた。いつもなら私も嬉しくなって笑い返すが、今はとてもそんな気分にはなれない。私は何とか取り繕った笑顔を返した。
「え、大丈夫?なんか顔色悪いけど……」
「大丈夫、昨日夜更かししちゃって……」
「…そっか!じゃあご飯食べに行こう!この辺に行ってみたいバーがあるんだよ」
「本当、相変わらずだねぇ」
 何とか誤魔化せたようだ。そのまま友人についていき、目的のバーに着いた。バーにはカウンター席とテーブル席があり、友人は真っ先にカウンター席へ向かい、席についた。私はその隣に座り、メニュー表を眺める。今は何を飲んでも味がしそうになかったが、よく私が頼んでいるカクテルの名を口にした。
 友人との話は、全く頭に入ってこなかった。なんだかんだアルコールを口にすれば忘れられると思っていたが、そんなこともなく、なんなら先ほどの出来事がフラッシュバックし始めた。私は、人を救えなかった。
「それで……。……本当に大丈夫?」
 友人は流石におかしいと思ったようで、こちらを見つめてくる。こういうときの友人は厄介だ。人の機敏に対して、妙に鋭くなる。私は友人の方を向いていたが、こちらを一心に見つめてくる友人の目に耐えられずとっさに顔をそらしてしまった。
「こっち向いて」
 そらした目を、元に戻す。友人の目は、変わらずこちらを見ていた。
「ねえ、何があったのか、問題なければ教えて」
「…………」
「……はぁ。言いたくないのならいいよ。別に強制はしない」
「…………」
「でも、これだけは言っておくよ。私は、君の味方だから。話ができるようになったら教えて」
「……ありがとう」
 私は、そうとだけ返した。知っている。このお人好しの友人ならそう言ってくれることは、わかっている。だからこそ、私は言いたくなかった。友人なら、絶対に受け入れてくれるから。私の罪も、何もかもすべて一緒に受け入れてくれる。だからこそ、言うつもりはなかった。
 友人は、一切の曇りもなくこちらを見つめ続けている。友人の瞳には、私がうつっていた。お願い、やめて。これ以上私を見つめないで。見つめられると、私の醜さが浮き彫りになってしまう。だから、お願い。私を見つめないで。私を助けて!

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