『失恋』
「おめでとうございます!あなたは神に選ばれました!」
学校からの帰り道。突然見知らぬ女の人が声をかけてきた。何事だ一体。無視して通り過ぎようとしたが、見知らぬ人は諦めることなくついてくる。
「あれ、聞こえてませんか?聞こえてますよね?だって、さっきより歩行速度が上がってますから」
わかってるならついてくるなよ。いい加減不審者として通報するぞ。今時学生でも通信機器は持ち歩いてるんだぞ。威嚇もかねてポケットからスマホを取り出す。このスマホは便利なもので、ワンタッチで緊急通報できる。警察への連絡も一発だ。俺の動きで何をしようとしているのか気づいたのか、不審者は慌て始めた。
「ああああやめてください!私は怪しい人ではないんです!」
「どこがだよ」
「そりゃそうですよね。急に話しかけられても困りますよね。すみません。私こういう者で」
そういいながら名刺らしきものを取り出し、俺に差し出してきた。見てみると、確かにそれは名刺らしきものであった。しかし、名刺にしてはあまりにもカラフル過ぎる。しかも、碌に会社情報が載っていない。俺はまだ学生で自分の名刺なんて持っちゃいないから詳しいことはわからないが、こういうのはもっとシンプルで必要な情報が簡潔に記載されているのではないのだろうか。
やはり不審者か。しかし、こうクソ真面目に名刺を渡されると、コイツ自身が何かに騙されているのではないだろうか。とりあえず話でも聞いてやって、ことと次第によっては忠告だけしてやろう。そう思い、俺は不審者に向き合った。不審者は話を聞いてくれると判断したようで殊更嬉しそうな顔をして、話を続けた。
「厳正な審査の結果、あなたは一つ、なんでも願いを叶えることができる権利を取得しました。どうぞ、今のあなたの願いを教えてください」
やっぱり通報したろか。こんなのもしコイツが騙されていたとしても、自業自得だろ。阿呆らしすぎて、声も出なかった。
「あの…馬鹿だと思われてますよね……」
「よくわかってるじゃねぇか」
「でも、本当なんです!信じてください!」
「その言葉、信頼を得られないとわかってるときによく使う言葉って知ってるか?」
「うっ……」
その後、不審者はうつむきながら口を噤んだ。どうしたら信じてもらえるか、本気で考えているように見える。……仕方ない。もう少しだけ付き合ってやるか。俺はなんて優しいやつなんだ。
「で、例えばどういう願いを叶えてくれるんだ?」
「⁉信じてもらえるんですか?」
「話を聞くだけだ。で?どうなんだよ」
「え、ええ、状況に対して破綻しない願いであればなんでも叶えられます」
「破綻しない、とは」
「『叶えてもらえる願いを十個に増やす』といった願いですね。一つであるべき願いが十にも増えてしまうと、たとえそれが叶えてもらった願いとはいえ、破綻します」
「なんだ、そういうことか。それなら問題ない。そんな子どもみたいな願いはしねぇよ」
「でしたら、どうぞおひとつ願いを教えてください!今すぐ叶えます!」
さてはて、どうしたものか。適当にあしらってもいいが、あえて無理難題を言ってみて相手の反応を見て楽しむのもいい。…そうだ。とてもいいことを思いついた。
「じゃあ、お姉さん付き合ってよ」
「え…?」
「なんでも叶えてくれるんでしょ?じゃあ付き合ってよ」
これは流石に困るだろう。せいぜい困って、断ればいい。俺はそれで安寧を得られる。別に怒るつもりはない。相手も常識外れだが、自分自身も非難されるようなことを言っている自覚はあるから。
目の前の女性は、また悩みはじめた。いや、ここで悩むことあるか?断る一択だろ。さあ断れ、今すぐ断れ。
「いいですよ!」
「いいのか⁉⁉⁉」
しまった。つい声に出してしまった。あまりのことに唖然としてしまう。
「だって、それがあなたの願いなんでしょう?願いを叶えるのが私の役目。しっかり叶えさせていただきます!」
「いやいやいやいやいいですすみませんからかおうとしただけです俺が悪かったからこの話はなかったことに」
「できませんよ」
「できないの⁉」
そこは「仕方ないですね」とか言って別れるところじゃないのか?コイツの貞操観念どうなってるんだ?
俺が頭を抱えている時、目の前の女性は笑顔で話しかけた。
「ところで、どこに付き合えばいいんです?」
「…………は?」
「え?あなたの用事に付き合えばいいんですよね?全然かまいませんよ」
「…………」
なんということだ。こんなテンプレートのごとき勘違い、あるものだろうか。いや、実際今目の前で起こっている。これはあり得ることなのだ。
「もしかして、行く場所決まっていない感じです?それなら、この辺を案内してもらってもいいですか?せっかくなので、下界を楽しみたいです!」
何かまたおかしなことを言っているような気がするが、もうなにも頭に入ってきていない。俺は黙って頷いた。目の前の女性は嬉しそうに顔をほころばせながら俺の腕を取って駆けだした。
……なんだろう。結果的にはいい結果となった。いい結果となったはずなのに。なぜ俺はこんなに空虚な気持ちになっているんだろう。失恋したわけでもあるまいに。今更になって、本当に付き合ったらどうなっていたのだろうと想像してしまった。
もうこの話は考えないようにしよう。今は、目の前の女性と目いっぱい楽しむことを決意した。
6/3/2024, 3:04:37 PM