『また明日』
世界は崩壊した。私が産まれる、数百年前の話だ。原因はわかっていない。世界の崩壊とともに、歴史の全てが失われてしまったからだ。伝聞では様々に言われているが、正直そのどれも信じてはいない。もしかしたら全て正解なのかもしれないし、全て間違っているのかもしれない。まあ、私にはどうでもいいことだ。崩壊した理由なんて知っても、私自身の生活の足しにはなりやしないんだから。
さて、今日は食料調達の日か。食料調達といっても、その辺に生えている食用かすら怪しい植物を採取し、動物がいれば狩りをする、といった程度だが。これが結構難しい。なんせこちらの気配がばれたら終わりだ。それに、動物によっては逆に襲われる可能性だってあり得る。私はそこまで狩りが得意なわけではないので、ここ数日肉を食せていない。そろそろ肉が食べたい。こういう時に仲間がいてくれると狩も楽になるのだが、私の知る中で人間という種族は私しかいないので、仕方がない。一人でできることをしよう。
家を出て小一時間、適当に植物採取し、帰ろうと思った矢先、やっと動物らしき生物を見つけた。その生物は、不思議にも頭が二つあったが、まあ食べるのには問題ないだろう。頭が二つあるおかげで逃げるのも遅いようだ。よく今まで生きてこれたな。大きさからして、ほぼ成獣だろう、あれは。
弓を構える。ゆっくり弦を引き、弓がしなる音を感じる。気づけば、矢は手元から離れ、双頭の獣に直撃していた。双頭の獣はゆっくり身体を傾け、そのまま動かなくなった。ゆっくり近づいて、心臓が止まっていることを確認した。双頭の獣は思っていたよりも大きく、持って帰るのは少々大変そうであった。仕方がないので、ここでそのまま血抜きをして、食べられそうな部分だけ持って帰ることにする。他は、きっとその辺の野生の生物が食べてくれるだろう。無理に持って帰って腐らせるより随分マシだ。にしても、食用で持って帰るにしても、相当な量だ。これは、今日はごちそうだな。
家に帰って、持って帰ったものを整理する。植物はいつもの通り処理するとして、肉はどうするか。大量に肉があるから、一気に焼き肉にしてしまうのもいいが、折角の肉を簡単に消費してしまうのももったいない。今日は豪勢なスープにして、残りは保存することにしよう。肉入りスープなんていつぶりだろう。もう三十年近くは食べていないのではないだろうか。久々のスープの匂いを思い出しながら、夕飯の準備を始めた。
夕飯を食べ終わった頃、日は完全に傾き、完全な暗闇が訪れた。昔は火で室内を照らしていた時もあったが、今やそんなことをしても無意味な時間が増えるだけだと気づき、暗闇とともに眠りにつくことにした。
布団に入り、目を瞑る。いつもの、変わらない日常。友もいない、家族もいない。全員死んでいき、私は生きている。一人はつまらないが、死ぬつもりもない。私はこのまま生きていく。このまま、また同じ明日を迎えるのだ。
『大切なもの』
はじめまして。…おや、なんとも珍しいお客さんですね。いえいえ、構いませんよ。この店は、どんな方でも歓迎しておりますから。どうぞ、お席にお座りください。
この店は、夜しか経営していないカフェなのです。夜、一息つきたい。そんなお客さんの為に、この店は存在しております。そして、この店に決められたメニューはございません。お客さんのリクエストにお応えしてお品物をお出ししております。…といっても、当店の在庫にあります食材でできる範囲内ではございますが。基本的にカフェで食べられそうなものは作れるように取り揃えておりますので、どうぞご安心ください。
それでは。今日は何をお作りいたしましょうか?勿論お飲み物だけでも構いませんが。…ふむふむ。オムライスとココアですね。かしこまりました。オムライスの上にかけるものは、ケチャップでよろしかったですか?そうなんです。ケチャップ以外にもオムライスの上にかけるものがあるのですよ。ケチャップでいい?それは過ぎたことを申し上げました。ケチャップ以外がかかっているオムライスは、いずれまたお召し上がりください。
ところで、どうしてこんなところにいらしたのですか?…なるほど、わからない。でも、迷子というわけでもない、と。そうですね。そうおっしゃるのなら、きっと迷子ではないのでしょう。こちらでオムライスとココアをお召し上がりになっている間に、きっと思い出しますよ。
…おや、卵でご飯を包んでいるところを見たいのですか?勿論よろしいですよ。ただ、危ないので手は出さないでくださいね。…面白そうですか?確かに、ちょっと難しいですが、慣れればそれなりに楽しいですよ。コツは「中火で焼くこと」です。といっても、卵料理全てにおいて言えることではあるんですがね……。
お話している間に、できましたよ。オムライスとココアです。オムライスには好きにケチャップをかけちゃってください。…いいんですよ。オムライスは描いて楽しむものでしょう。食べ物で遊ぶな、という言葉はありますが、こういった遊び心は忘れたくないものです。
お味はいかがですか?…懐かしい、ですか。それはなんとも嬉しい言葉ですね。お客さんのお口に合ったのであれば何よりです。おや、どうされたんですか?もしや、目に何かゴミでも……。
……そうですか。思い出されましたか。あなたは、もう死んでいることを。…詳しくは存じ上げませんが、あなたは交通事故で亡くなられたと聞いております。そのままあなたは成仏されるはずだった。しかし、記憶をお忘れになったようで、そのまま現世にとどまり続けてしまっていたのです。そのまま数年は経ち、今私の目の前にいらしているのです。
…このオムライスは、あなたが生前一番好きな料理だったようですね。あなたのお母さんがよく作ってくれた。私はあなたのお母さんのオムライスを完全に再現することはできませんが、限りなく近い味だったようでよかったです。ココアもそう。夜眠れなくなったときに、お父さんにこっそり作ってもらっていたようですね。どちらも、あなたにとっては忘れられない、大事な思い出。
え?私との思い出も作りたい?……お気持ちは嬉しいですが、私はいいのですよ。あなたが満足されている。その姿を見られただけで充分ですから。ただ、そうですね……。もし、次またお会いできることがあれば、その時は、ケチャップ以外がかかったオムライスをお出ししますよ。是非楽しみにしていてください。
…そうですか。もう行かれますか。どうもありがとうございました。またのお越しを、お待ちしております。
『見つめられると』
私は今、普通の精神状態じゃない。そんなのは私が一番よくわかってる。なんたって、私は先ほど人を殺してきたのだから。
夕方の六時。それが友人との約束の時間であった。その友人と連絡は定期的にとっていたが、遠方に住んでいるため会うのは久しぶりであった。だから、普段の私なら、いつも通りに会って、何気ない会話をして帰る。それだけになるはずだった。でも、今日は違う。私は、さっき人を殺してきてしまったのだ。
別に殺したかったわけではない。電車に乗ろうとしていて、目の前の人の様子がおかしいからなんとなく見つめていたのだが、フラフラと前に進んでいて、気が付いてしまった。この人は自殺をしようとしているのだと。私は、止めるべきだった。でも、声も出なかったし、手足は一切動かなかった。何もできなかった。気づけば目の前にいた人は、駅のホームから、消えていた。
一瞬の沈黙。後の度重なる悲鳴。凄惨な現場を前に、私は動くことができなかった。周りの人の誰かが私にぶつかってきて、はじめて足が動くようになった。私は黙って踵を返して、ホームから離れた。
目の前で人が死んだわかっていたのに何もできなかった声をかけるべきだったのにどうして何もできなかった私は……。私は、人殺しだ。
この後は、正直帰りたかった。友人には申し訳ないと詫びて、寝て忘れてしまいたかった。でも、滅多に会えない友人との約束を反故にすることも、私にはできなかった。重い足を引きずりながら、私は約束の場所へと向かった。
「お、久しぶり~!」
「久しぶり……」
友人は変わらぬ笑顔をこちらに向けてきた。いつもなら私も嬉しくなって笑い返すが、今はとてもそんな気分にはなれない。私は何とか取り繕った笑顔を返した。
「え、大丈夫?なんか顔色悪いけど……」
「大丈夫、昨日夜更かししちゃって……」
「…そっか!じゃあご飯食べに行こう!この辺に行ってみたいバーがあるんだよ」
「本当、相変わらずだねぇ」
何とか誤魔化せたようだ。そのまま友人についていき、目的のバーに着いた。バーにはカウンター席とテーブル席があり、友人は真っ先にカウンター席へ向かい、席についた。私はその隣に座り、メニュー表を眺める。今は何を飲んでも味がしそうになかったが、よく私が頼んでいるカクテルの名を口にした。
友人との話は、全く頭に入ってこなかった。なんだかんだアルコールを口にすれば忘れられると思っていたが、そんなこともなく、なんなら先ほどの出来事がフラッシュバックし始めた。私は、人を救えなかった。
「それで……。……本当に大丈夫?」
友人は流石におかしいと思ったようで、こちらを見つめてくる。こういうときの友人は厄介だ。人の機敏に対して、妙に鋭くなる。私は友人の方を向いていたが、こちらを一心に見つめてくる友人の目に耐えられずとっさに顔をそらしてしまった。
「こっち向いて」
そらした目を、元に戻す。友人の目は、変わらずこちらを見ていた。
「ねえ、何があったのか、問題なければ教えて」
「…………」
「……はぁ。言いたくないのならいいよ。別に強制はしない」
「…………」
「でも、これだけは言っておくよ。私は、君の味方だから。話ができるようになったら教えて」
「……ありがとう」
私は、そうとだけ返した。知っている。このお人好しの友人ならそう言ってくれることは、わかっている。だからこそ、私は言いたくなかった。友人なら、絶対に受け入れてくれるから。私の罪も、何もかもすべて一緒に受け入れてくれる。だからこそ、言うつもりはなかった。
友人は、一切の曇りもなくこちらを見つめ続けている。友人の瞳には、私がうつっていた。お願い、やめて。これ以上私を見つめないで。見つめられると、私の醜さが浮き彫りになってしまう。だから、お願い。私を見つめないで。私を助けて!
『好きじゃないのに』
私の趣味は美術館巡りだ。色々な美術館を巡って、様々な作家によって描かれた絵画たちを眺める。ただ、それだけ。
このような話をすると、大概の人が「誰の絵が好き?」と聞いてくる。あるいは、「印象派?写実派?」といった絵画の特徴に関する話を持ち掛けてくる。私は、そのどちらの質問に対して、こう答える。「別に」と。そう答えると、周りは少し困ったような顔をして、次に何事もなかったかのように次の話題にうつる。
悪いとは思っているのだ。相手は私の趣味に対して話題を広げようとしてくれたに過ぎない。それをたった一言で無碍にしているのはほかの誰でもない、私自身なのだから。しかし、恐らく次に同じような質問をされても、きっと私は答えられないだろう。
私は、別に絵画は好きではない。興味もさほどない。では、なぜ美術館に行くのか。それは偏に私という人間の情緒を育てるためだ。私は齢二十四でありながら、人間の感情に対して鈍すぎる節があるらしい。いや、鈍いどころの騒ぎではない、わかってない、と言われた。例えば、今目の前に大量の星で覆われた星空があったとする。普通なら、「綺麗」やら「明るい」やら、何かしらの感想を得るらしい。それが、私には一切ない。ただ、星空がそこにあるだけ。その星空を見てどう思ったか、と言われても、わからない。星空に感情を求めるのか?私にはわからない。
だから、人々が感情を得るものを見て、自分の情緒を育てようと思った。その一つが、美術館巡りであった。
正直なところ、絵画を見るのは、そこまで好きじゃない。見ても何も感じられないから。そこに絵画があるだけ、としか感じられず、私の情緒のなさが浮き彫りになってしまうから。でも、何故か人々は絵画を見て、何かを感じている。必死に絵画にかじりついて、片時も離れまいと言わんばかりに見つめ続けている人だっている。私はそのような人たちの気持ちはわからないが、少し羨ましいなと思う。
私は、絵画は好きではない。好きではないが、いずれは好きになれると、私が見つめる人々のようになれると信じて、今日も私は美術館を訪れる。
『ところにより雨』
「…なあ、いい加減魔法やめてくれよ」
「なんで?」
馬鹿みたいに大きな本を背負って俺の隣を歩く少女に、俺は苦言を呈した。隣のコイツはただ普段通りに歩いているように見えるが、俺にはわかる。コイツは今魔法を使っている。しかも、恐らくはそれなりにはた迷惑になりかねない魔法を。
「お前のせいだろ、ずっと曇りが続いてんの。この雨雲だと数日は雨が続いてもおかしくないのに、一切雨が降ってこない。いくらなんでもおかしすぎる」
「そーんなわけあるかもね」
「ほらあるんじゃないか!」
隣の少女はすぐに白状してきた。しかも、全く悪びれていない様子。俺がおかしいのかと頭を悩ませていると、コイツは俺の前にまわってきて、俺を見上げながら首を傾げた。
「でも、それは君のせいだよ?」
「なんでそうなるんだよ」
「だって、連日雨続きで足場の悪い山道を歩くの嫌だってぼやいていたの、君じゃん。だから雨降らないようにしてあげたのに」
「うっ……」
言った。確かに言った。数日前に出発した町から次の村まで、山道を進まざるを得ない。おおぶりではなかったとはいえ、雨が降り続けられると足も取られるし、滑って大事故になりかねないのでできれば避けたかったのだ。とはいえど、天候を変えるなんてこともしたくなかったので、なんとか我慢していた。しかし、朝起きてまだ雨が降っているのを見て、つい口にしてしまったのだ。「雨、いい加減やんでくんねぇかな」と。まだコイツは寝ていると思っていたからすっかり油断していた。まさか聞かれていたとは。
「わたしは君の願いを叶えてあげただけだよ?まあ、さすがに天候を大きく変えることはできないから、せいぜい雨を降らさないように雲を操っているくらいだけど」
それがせいぜいで済むことではないことに何故コイツは気が付かない。いや、それはこの際いい。コイツの情操教育は今後いくらでもできる。今は、操っている天候をもとに戻すように言うのが先決だ。
「確かに雨がやんでくれればいいのにとは言った。その方が安全に進めるしな。でも、天候を操るのはよくない。世界の循環を狂わせることになるぞ」
「どうして?」
「お前は今、雨を降らさないように雲を操っているといったな。具体的にはどのように操っているんだ」
「そりゃ勿論、雲の中の水分が落下してこない程度の大きさで固定しているの。できるのはわたしから半径五キロってところだけど、わたしたちが今ここを歩いている分にはそこまで問題ないでしょ?」
「俺たちが歩いている分にはな。お前の範囲外に入った雲はどうなるんだ」
「そりゃ勿論、効果が切れるんだから、雨が降るでしょうね」
「ってことは、俺たちの後ろでは、大雨が降ってんじゃないのか?」
少女は大きな目を瞬かせた。やっぱりコイツ、気づいていなかったな。
「俺たちが楽をしようとした結果、周りが大きな被害にあっているんだ。それは俺の意に沿わない。だから、頼むからその魔法はやめてくれ」
「……わかった」
随分不本意そうではあったが、雲をコントロールするのはやめてくれるようだ。もとは俺の呟きが発端であるから、コイツばかり叱るのはお門違いではあるのだが、このまま周りが見えないままは問題がある。これを機に、自分の懐に入れた人間以外も目を向けるようになってくれればいいが。
考え事をしていると、鼻先に水滴が落ちてきたのがわかった。雨を降らし始めてくれたのだろう。
「…ちなみに」
「なんだ?」
「今頭上にある雲も、間違いなくわたしの魔法がかかっていた雲なわけでして」
「そうだな」
「しかも、半径五キロ分の雨を抱えているわけでして」
「……おい、まさか」
「今から、五キロ分の雨が一気に降ってきまーす!」
ドドドドドドドドド。まるで滝のような雨が一気に降ってきた。前言撤回だ。コイツはもっと叱るべきだった。ていうか、半径五キロ分でこの雨量だったら、その後ろではもっととんでもない雨が降っているんじゃないのか。
「てめぇ!今度あの町に帰ったら、誠心誠意謝れよ!わかったか!」
「大丈夫だよ。私の効果範囲を離れた雲は少しずつ雨が降るように調整はしたから。まあ、その分長期間の雨にはなるけれど」
「それを!先に!言え!」
「ははっ!魔女のいるところにより雨ってね!」
「雨どころの騒ぎじゃねぇだろうが‼」
まあ、あとでちゃんと町のことも考えているじゃないかと褒めてやろう。そう思いながら、降りしきる大雨をしのげる場所に向かって走り出した。