針間碧

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『好きじゃないのに』

 私の趣味は美術館巡りだ。色々な美術館を巡って、様々な作家によって描かれた絵画たちを眺める。ただ、それだけ。
 このような話をすると、大概の人が「誰の絵が好き?」と聞いてくる。あるいは、「印象派?写実派?」といった絵画の特徴に関する話を持ち掛けてくる。私は、そのどちらの質問に対して、こう答える。「別に」と。そう答えると、周りは少し困ったような顔をして、次に何事もなかったかのように次の話題にうつる。
 悪いとは思っているのだ。相手は私の趣味に対して話題を広げようとしてくれたに過ぎない。それをたった一言で無碍にしているのはほかの誰でもない、私自身なのだから。しかし、恐らく次に同じような質問をされても、きっと私は答えられないだろう。
 私は、別に絵画は好きではない。興味もさほどない。では、なぜ美術館に行くのか。それは偏に私という人間の情緒を育てるためだ。私は齢二十四でありながら、人間の感情に対して鈍すぎる節があるらしい。いや、鈍いどころの騒ぎではない、わかってない、と言われた。例えば、今目の前に大量の星で覆われた星空があったとする。普通なら、「綺麗」やら「明るい」やら、何かしらの感想を得るらしい。それが、私には一切ない。ただ、星空がそこにあるだけ。その星空を見てどう思ったか、と言われても、わからない。星空に感情を求めるのか?私にはわからない。
 だから、人々が感情を得るものを見て、自分の情緒を育てようと思った。その一つが、美術館巡りであった。
 正直なところ、絵画を見るのは、そこまで好きじゃない。見ても何も感じられないから。そこに絵画があるだけ、としか感じられず、私の情緒のなさが浮き彫りになってしまうから。でも、何故か人々は絵画を見て、何かを感じている。必死に絵画にかじりついて、片時も離れまいと言わんばかりに見つめ続けている人だっている。私はそのような人たちの気持ちはわからないが、少し羨ましいなと思う。
 私は、絵画は好きではない。好きではないが、いずれは好きになれると、私が見つめる人々のようになれると信じて、今日も私は美術館を訪れる。

3/25/2024, 11:42:41 AM