何でもないフリ
ー娘ー
「大丈夫!心配してくれて、ありがとう」
私は今日も、この言葉を使う。
本当は大丈夫ではないのに。
本当は、重めの生理痛が薬でも治らなくて、歩いているのも辛い。
「そう?ならいいんだけど…。あ、お母さん久しぶりにこっちに来たからこのお店に行きたいんだけど、いい?」
「いいよ!案内するね」
都合が合わずに、お盆も帰れなかった。
半年ぶりに合うお母さんは、また白髪が増えていた。
子どもの頃の私は、身体が弱くて、ただの熱でも長引いていたらしい。肺炎を起こして入院したこともあったらしい。
もともと心配症の母は、どれほど心を痛めただろう。
「この雑貨屋さん、おしゃれでかわいいよね」
他愛もない話をして、気を紛らわす。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
私のことを心配するお母さんに、何度この言葉を言ってきただろう。本当は大丈夫じゃないよ。気づいてよ。
そう思いながらも、何でもないフリをする。
だって、心配するでしょう?
心配したまま、実家へ戻ってほしくないんだよ。
合うたびに、痩せていき、白髪は増えていく。
時間は容赦無い。
私、お母さんには笑顔で居てほしいの。
離れているからと言って、興味が無いわけじゃない。
お母さんのことが、大好きだから。
だから私は今日も…。
ー母ー
「大丈夫!心配してくれて、ありがとう」
またこの子は、大丈夫じゃないときにも大丈夫という。
昔から強がる子だった。
私が、過剰に心配しすぎたのかも知れない。
身体が弱くて、ただの熱でも長引いていた。
肺炎を起こして救急車を呼んだときのこと、今でも覚えているわ。本当にもう…だめかと思ったのよ。
母親になる前は、こんなに私が心配症だなんて気づかなかったわ。我が子の入院を経験して以来、急にこの子を失うかも知れないと怖くなって、少しの体調不良でも大袈裟に看病していたこともあったわね。
あなたはそれを敏感に感じ取り、何でも大丈夫というようになった。
私は、それに甘えていたわ。
大丈夫という言葉を信じて、自分が心配でどうにかなりそうなプレッシャーから逃げていたの。
本当は大丈夫じゃないことも、きっとたくさんあったのに。
「買ってくるわ。外のベンチで休んでいて!」
「分かった!」
ベンチまで、のそのそ歩いていく娘を見ながら私は会計を済ませる。
今日は、久しぶりに会えたのだもの。
久しぶりに会えた娘に、無理をさせているなんて…
「買ってきたわ。はい、こっちはあなたへのプレゼントよ」
「え?私に??ありがとう!開けてもいい?」
私は頷き、娘は嬉しそうに包みを受け取ってくれる。
本当に優しい娘に育ってくれたのね。
「コレって…電気ホッカイロ?こっちは防寒用の巻きスカート!」
「寒くなってきたからね〜。特に女の子は、身体を冷やしてはだめなのよ。生理痛はお腹を温めるのが1番いいの。そんなに足出して寒そうな格好してたらだめよ~」
「お母さん…」
「また老けた考えって言うんでしょう。とりあえず、これをお腹に貼ってみて」
「貼るカイロだ、」
だから私も、何でもないフリをして…
☓☓☓☓年☓月☓日(月)晴れ
彼は今日も寝癖が付いていた。友だちに指摘されて、照れているのが可愛かった。
今日の体育は不調だった。楽しみにしていたのに…
☓☓☓☓年☓月☓日(金)くもり
彼と電車で会う。1番端のホームで、いつも同じ友だちも居るのに、今日は一人だった。
午後の数学はダメ。先生の声が子守唄みたい。
数式を見てると眠くなる。
☓☓☓☓年☓月☓日(水)雨
学校の玄関で、彼と会う。傘を差してるのに、びしょ濡れ。
濡れてる姿も、カッコイイ!
今日はお母さんと喧嘩した。お母さんは、いつもイライラしてる。全部私のせいにしてくる。
確かに、私も言い過ぎたけれど…
「うわぁ…何これ」
荷物の整理を手伝ってくれていたタツヤが、恐ろしいものを見たような声を出した。
「んー?何…って、それ!?私の日記帳!?やだっ!その段ボールはいいから!!」
私は慌てて日記帳を取り返そうとする。タツヤはひらりと日記を引くと、慌ててつまづいた私を受け止めた。
「何してるんだよ…」
「こっちのセリフ!勝手に読まないでよ!」
「日記だって知らなかったんだから、仕方ないだろ〜」
「…この彼って誰?俺の知ってるやつ?ちょっとストーカーぽいぞ。この日記…」
「ガッツリ読んでるじゃん!!やだ!やめてよ」
タツヤは、半泣きで抗議する私を優しく抱きしめて、おでこにキスをくれた。
「今日のことも日記に書くの?なんて書くの?」
タツヤは不敵な笑みを浮かべる。私はカァっと頬が熱くなるのを感じた。
「この彼とはどうなるの?俺と出逢う前の日記だよね?」
「う…」
その彼はあなたのことですよ。とは言えずに、言葉に詰まった私をじっと見つめてくる。
しばらくお互い黙ったまま、お互い様子を伺っていたけど、タツヤは私の頭を撫でた。
「困らせてごめん。同棲前日にこんな日記見ちゃうとわなぁ…妬ける」
大学1年のタツヤと高校3年生の私は、あるきっかけから顔見知りになり、喋るようになり、連絡先を交換するようになり…お付き合いが順調に進み、明日から結婚を前提に同棲を始める。最も、私はもっとずっと前からタツヤのことを知っていて、片想いをしていたのだけれど。
日記に書き、それを残していた黒歴史とも言える、私の日記帳を彼に見られてしまうとは。
「大丈夫だよ。私の頭の中はタツヤが想像してるより、ずっとあなたでいっぱいだよ」
「…なんか、照れるより先にさっきのストーカーぽい日記を思い出した…怖え…」
タツヤはそう言って声を出して笑った。
「うん、私も。なんか客観的に見えてきて、自分がちょっとだめな気がしてきた…確かに怖いね」
これからは日記には、当たり障りのないことを書こうと思った。
「ママ、きらい!」
目にいっぱいの涙を溜めて、ツトムは言った。
小さなスーパーのお菓子コーナー、買い物客たちは「何事か」とこっちを見ている。
勘弁してくれ。自分の子どもが産まれるまで、私はそちら側にいた。お菓子コーナーでギャンギャン駄々をこねる子どもを見て、「躾のなってない子」だとか「お菓子くらい買ってあげればいいのに」とか…所詮他人事で好き勝手思っていた。
だが子どもが産まれて、成長して、2歳を越えた頃からイヤイヤが始まり、今我が家のツトムは過去に見た「躾のなってない」子どもになっていた。ツトムはついに泣き出し、スーパーの床へ突っ伏した。
なぜ?なぜこんな事になっていると思う?
ツトムが欲しかった、有名なパンのキャラクターのラムネが売り切れだったからだ。
私は目線を合わせるようにしゃがんで、向かい合わせになるようにツトムを立たせようとする。
だが、立たない。まるでタコのように、軟体動物化した2歳児は立たすことすら困難である。
「大人気だから、もうこのキャラクターはないんだって!これもラムネだよ、この機関車の…」
「見て!こっちにはパンのキャラクターのお菓子があるよ!こっちでもいいんじゃない?」
私は買い物客たちの視線を痛いほど受けつつ、最大限に優しく必死でツトムと向き合おうとする。
「やだー!これじゃなきゃやだー!」
肩に置いた手を振り払われ、泣き声の勢いは増す。
泣きたいのは、こっちだわ。無いものはどうやっても買えないよ…
漫画で見るような、床で突っ伏し手足をバタバタなんて…本当にする子が居るんだな。号泣しながら床に寝転ぶ我が子を見て、他人になりたいと思ってしまった。
ここまで勢いが付いてしまえば、もうどうやっても止められない。
怒鳴ったところで聞く耳なんて持ってないし、冷静に話合いもできない。
海老反りになって「イヤイヤ」とうねるツトムをどうにか抱えて、買い物カートをレジの人に頼み、その場を離れた。
「見た?お菓子くらい買ってあげればいいのに」
去り際に届いた声、私は何とも言えない気持ちになった。
ひとしきり泣いたツトムは、ジュースが飲みたいと言い出した。ジュースとパンのキャラクターのお菓子を自分で持ち、レジのお姉さんにご機嫌で手渡した。
「買い物カート、ありがとうございます。騒いですみませんでした」
「全然、大丈夫ですよ〜!お母さん大変ですね、うちの甥っ子も同じ年くらいのとき、大雨の中地面に突っ伏してました!理由聞きます?」
あまりに明るく話てくれるから、私はハッとして顔を上げる。美人な金髪の店員さんと向かい合わせになる。目があった瞬間、ニコッと笑いかけてくれる。
「自転車移動だから不可能なんだけど、合羽じゃなくて傘を持ちたかったんです。」
僕は今日も海へ向かう。
「よう、今日も来たのか」
いつも釣りをしているおじさんがいる。釣り糸をキラキラ光る海の中へと垂らし、じーっとしながら僕を目だけで追った。僕はおじさんの後ろに置いてある、クーラーボックスの中を覗いた。
「悪いな、今日は不調だ」
クーラーボックスの中は空っぽだった。
仕方なく、おじさんの隣に座り、釣り糸の先を目で追う。おじさんは釣り竿を持っていない手で、僕の頭を撫でた。
「何も釣れずに帰ったら、嫁に小言言われちまう。何か釣りてぇよな」
おじさんはずーっと、海と向き合っている。
時々釣り竿を寄せて餌を付け替えては、また海へと糸を垂らす。僕はいつも近くで座っているだけだけど、おじさんの話す声や僕を撫でてくれる手が優しいから居心地が良かった。
「釣れねぇなぁー…これでも食べるか?」
おじさんは鞄からかつお節を出して、地面に置いた。
鼻にいい匂いが届く。これはとても美味しい。
「…これが今年最後の釣りだったんだよ、何にも釣れなかったなぁ」
おじさんは弱々しい声でつぶやいた。
「おい、野良猫。俺は明日から入院するんだ!検査入院だが、長引く可能性もあってな。釣りもしばらく来れねぇよ。もう魚をねだりに来てもやれねぇから…自分で餌を探せよ」
入院がよく分からなかったけど、あまり良くないことなのはおじさんの表情から分かった。
「にゃお…」
「またな、野良猫」
その日は結局、何も釣れずに、おじさんはてんこ盛りのかつお節を残して帰っていった。
翌日も、その翌日も、僕は海へと向かう。
何回海へと足を運んでもおじさんは来なかった。
「それで?サヤカと喧嘩しちゃったの?」
「そうなんだ。どうにか仲直りしたくてさ。カホはサヤカの親友だし、どうして怒ってるのか知らないかなと思って!」
放課後の図書室。ささやくような声で、ショウタはカホに話しかけてくる。カホは「ん〜」と窓の外を見る。
ポツ、ポツと窓へ雨が当たり音を立てている。
実は昨日の夜、サヤカから電話があった。ショウタは誰にでも優しい。老若男女構わず、誰にだって優しい。体調が優れなかったサヤカは、その優しさを自分だけに向けて欲しかったのだろう。ついつい言い過ぎたと、反省していた。
毎回両者から聞かされる惚気と愚痴に、カホは嫌気が差していた。つまらない、しんどい。ふたりで正直に話し合えば済む話なのに…。
「サヤカには、聞いてみたの??」
「聞いたけど、無視だった…」
「……」
中学から仲良くなり、親友だと言ってくれるサヤカ。
幼馴染で、保育園から一緒のショウタ。
どちらも大切、幸せになって欲しい…でも。
「今回は、私 何も言わないよ」
「え?」
再び窓の外へ目を向ける。雨足は早くなり、本降りになりそうだ。読んでいた本を閉じ、カホは椅子から立ち上がった。
「そろそろサヤカが出てる委員会終わるんじゃない?迎えに行って、直接話しなよ」
「カホ…怒ってるの?」
「……怒ってないよ。呆れてるの…」
そう、呆れている。ふたりにも、自分にも。
「素直に全部、話しちゃったら楽なのにねって」
捨てられた子犬みたいな目でカホを見るショウタを置いて、図書室を後にした。
ザーッと雨が窓を叩きつける音がする。
まるで、カホの心の中を表しているみたいで笑えた。
靴を履き替え、水色の傘を開く。
カホは一度も振り返ることなく、早足で学校を出た。
今日の夜は、サヤカから電話が来るだろう。きっと、ふたりは仲直りする。
ふたりとも大切、幸せになって欲しい。
だから、私は一生ふたりには正直に言わない。
この涙は雨に紛れて溶けてしまうから、雨が止んだらきっと虹がかかるはず。
カホのつぶやきは、誰にも届くことなく雨に流されて消えた。
「馬鹿じゃないの。私もショウタが好きなんて…早く諦められたら良いのに…いつまでたっても諦められない…自分に呆れちゃう…」