仮色

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12/11/2023, 2:49:59 PM

【何でもないフリ】

「ねぇ、知ってたかい?目を向けなければそれは本当にならないんだよ」

酷く疲れた顔をして煙草をふかす彼は、大きな哀愁を背中に背負っているように見えた。
なんて言えば良いのかいくら考えても分からなくて、沈黙がその場に満ちていく。
その事に焦って、咄嗟に一番最初に思ったことを口に出す。

「自分の本当にはならないかも知れないですけど、他の人の本当にはなるんじゃないですかね」

口に出してから、少し後悔をする。
色々とごちゃごちゃ考えた末に何も考えずに言ってしまったので、何か失言が無かったか後になって思い返した。
ちらりと隣の顔を見ても、やっぱり何を考えているのかは分からない。
煙草の紫煙がちょっとずつ顔を隠していって、彼の存在が薄くなってしまったかのように感じてしまう。

「まぁー、そうかもしれないけど、それにすら目を向けなかったら良いことだしね」

はは、と作り笑いだとひと目見て分かる笑い声が聞こえて、思わず眉を寄せてしまう。
笑ったことによって、彼が持っていたひとつの感情が抜けていってしまったような感覚に陥る。

「あー、ごめんね、変なこと聞いちゃって。今のこと忘れてほしいな」

「え、嫌です」

すっと考える前に出てきた言葉に、自分で驚く。
彼も、間髪入れずに言った私の言葉に驚いたように目を少し開いていた。
その姿を見て、まだ彼は感情が抜け切っていないことに少し安堵する。

「忘れてほしいのであれば、少し休んで下さい。今から。働きすぎです」

休んでるよ、今も煙草休憩だし、と本気で口にする彼に、怒りを通り越して呆れが浮かぶ。

「いいですか、休むっていうのは心が大事なんですよ。心、休まってますか。休まってないですよね」
「えー、休まってると思うんだけどな」
「それは自分で自分が何でもないフリをしてるだけです」

きょとんとした顔をする彼に、人生で1、2を争う長さの溜息が出る。


「いいですか、もう一度言いますよ?


……いいから休んどいてください!!」

12/11/2023, 9:54:35 AM

【仲間】

「おら待て犯人!!」
「っ、俺があっちから待ち伏せするから頼むぞ」
「おうよ!」

俺よりも若干速い足を全力で使って、相棒が離れていく。
犯人をずっと追いかけているので息が切れるが、あいつに負ける訳にはいかない。
犯人の姿は見えなくなってしまったが、ここからは一本道だ。
さあ、こちらからも追いかけるぞ、と駆け出した時だった。

「う、うわぁぁぁあああ!!!」

死角だった横の道から、異常な大声を出して人影が突っ込んで来る。

「うおっ!?」

咄嗟に避けてから人影を見ると、それは今追いかけていた犯人だった。
くそ、奥に行ったと思ってたら隠れてたか。
呻く犯人の手元にはキラリと光るなにかがある。
光るものが包丁だと理解した途端、どっと冷や汗が吹き出た。

(あっっぶね〜!危うくお陀仏になるところだったな…)

警棒を腰から取り出して、犯人に構える。
犯人はギラギラと包丁に負けないくらいのイカれた目をしていて、今にも飛び掛かってきそうだった。

あああぁぁああ!!!と狂った声を出して犯人がこちらに向かってくる。

「せい、やっ!!」

バキッ、という少々不穏な音がして、犯人は五体投地のポーズにさせられた。
…俺は何もしていない。やったのは相棒だ。
ほら、証拠にここから一歩も動いていない。

「案外早かったな」
「もう待てど待てど来ねぇから焦ったわ」

ふぅー、とひと仕事を終えた相棒は息をついた。
さんきゅ、と短く言うと、おうよ、とにかっと歯を見せて返事をされる。
こいつマジで学生の時から変わんねぇな、と毎回のごとく思いながら、犯人に手錠を掛ける。

「えー、18時54分、犯人確保」
「え、ちょっと待て、こいつ俺らで運ぶのか」
「…まぁーー、この道にパトカーは入れないわな」

まじかよ〜…と面倒くさそうに犯人をどうにかして運ぼうとする相棒を見て、俺は思わず笑っていた。



警察に入った時から一緒に事件を解決していた。
でも、こいつはいつまでも変わらないままだ。

…変わらないままで居てくれる。
俺には、そのことがどうしようもなく輝いて見えてしまうのだ。

12/9/2023, 2:21:01 PM

【手を繋いで】

小さな頃、入るなと常々聞かされてきた森に好奇心で入ったことがあった。
自分の背丈より何倍も大きい木々。恐ろしいほどに何も聞こえない森の中。
虫や小鳥が鳴く音はまだしも、木が擦れる音さえも聞こえなくて、小さいながらも底知れない恐怖を感じたのを覚えている。
お母さんとお父さんの居る家に戻ろうと思い後ろに振り返ったが、いつの間にか森の深いところまで来ていたようで、どこをどう行けば良いのか分からない。
早く帰りたいのに、歩いても歩いても森から出ることが出来ない。
怖くなって、泣きそうになっていた時だった。

こっちよ、こっち。

きゃははっ、そんな笑い声と共に、同じ位の歳の女の子の声が聞こえた。
ぐるりと周りを見渡すが、誰も居ない。

おーいで、おいで、声の聞こえる方に。

んふふふ、また笑い声と共に声が聞こえた。
誰でもいいから人に会いたいと望んでいた体は、ふらふらと声の聞こえる方に向かって行っていた。
歩いている間にも、止めどなく声が聞こえてくる。
声が聞こえる度に笑い声も聞こえてきて、なんて明るい子なんだろうと頭の片隅が考えていた。
どれくらい歩いただろうか、いつの間にか目の前に大きな大きな鳥居が立っていた。
見慣れている赤色の鳥居ではなくて、白色に金色の模様が入ったやつ。
信じれないほどに綺麗で、暫く見惚れた気がする。

おいで、階段の上よ。

あはは、また笑い声と一緒に声が聞こえた。
白の鳥居をくぐって、階段をどんどんと登っていく。
階段の周りは霧が立ち込めていて、上に伸びている階段以外のものは全く見えなかった。
段数を重ねる毎にどんどんと辺りが暗くなってきて空を見上げると、早送りをしたみたいに空の時間が過ぎていた。

不思議に思いながらも階段を登っていくと、足を踏み出した瞬間に後ろから手を掴まれて体がつんのめる。
ばっと後ろを振り返ると、10歳位の男の子が自分の腕を掴んでいた。
顔の上半分を黒色に金色で装飾した狐面で隠している。

『…だめだ、帰れなくなるぞ』

ハウリングしたような声が脳みそに直接響いてきて驚く。
何が起きているのか分からずに目を白黒させていると、男の子は説明もせず自分の手を引いて階段を降り始めた。

「なんでかえれないの?」
『…ここのやつが悪いやつだからだ』

ふーん、とあまり分からないまま返事を返す。
自分から話題を広げる気は無いのか、静かに階段を降りていく狐面の男の子。

「きつねのおめんかっこいいね」
『…そうか』

あ、ちょっと照れてる。
照れさせたことに気分が良くなって、上がった気持ちで階段を降りていく。
手元を見ると、優しく、でも決して離さないように手を繋がれていて、なんだか嬉しくなった。

『…手は離すなよ』
「はなさないよ」

ぎゅっと手を握って、離さないことをアピールする。
それで少し満足したのか、男の子は少し止めていた足を再び動かした。

手は、しっかりと握ったまま。




これは、手を繋いで森から出してくれた、あの男の子の記憶。
本当にあったことなのか、自分でも分からない記憶。

でも、あの時の手の暖かさは今でも思い出せる、不思議な記憶。

12/8/2023, 9:58:28 AM

【部屋の片隅で】

そこはいつでも僕の定位置で、逃げ場で、遊び場だった。
周りはゴミで埋め尽くされていたけど、それは俺の体をすっぽりと隠してくれた。

小さく体を縮こませて座って、顔を膝に埋める。
頭の中でいくらでも遊べたし、美味しいご飯も腹がはち切れそうな位食べられたんだ。

「お前の顔なんか見たくない!!」

母さんの望みの通り顔は見えないし、

「あんたなんか産まなきゃ良かった」

苦しそうな母さんの感情は出てこない。

だから、僕はいつも部屋の片隅で静かにしていたし、ずっとそこに居た。
ここにいれば誰も傷つかないから。
僕のことを見ずに済むから。
少しだけでも幸せな夢が見れるから。
だから今日も、膝を抱えて部屋の隅に縮こまる。


「〜〜〜、〜?」

いつものように部屋の隅に座っていた時だった。
誰かが喋る声が聞こえる。
知らない男の人の声。また母さんが誰かを招き入れたのだろうか。

「〜〜はどこ〜、〜に〜る〜〜な?」

少しずつ声が近づいてくる。
母さんが招き入れた人がこんなに近くに来るのは初めてだ。
見つかったらどうしよう。せっかくここで静かにしてたのに。

「まさ君?まさ君はいるかな?」

どきっと胸が音を立てた。僕の名前だ。
…なんで僕を探してるんだろう。
床中に広がったゴミを踏む音がどんどん近付いてくる。
やめて、こないで。お願い。

「まさ君?」

僕の周りに高く積み上がったゴミを掻き分けて、声をかけられた。
答えちゃだめだ。
母さんが呼んだ人なら僕のことを知らないはずだ。母さんは俺のことを居ないものとして考えるから。
そこから導き出される答えは、この男の人は勝手に入ってきた人。
固く目を瞑って、体をさらに縮こませる。

「なんて酷い…まさ君、急に来てごめんね。君を迎えに来たよ」

君のお母さんも了承してくれたんだよ、と優しい声で言われる。
母さんが了承した…?気になる言葉が耳に入ってきて、思わず顔を上げる。
男の人は手をこちらに差し出して、僕が掴むのを待っている様子だった。

「僕、ここから動いていいの…?」
「ああ、勿論だよ。君には立派な足が付いているんだから」

この男に人が言うには母さんも了承してるみたいだし、と久しぶりに体を持ち上げる。
しばらく立ってすらいなかった体はふらついて、豆腐の上に立ってる気分になった。

「さあ、寒かっただろう、暖かいところに行こう」

もう一度目の前には差し出された手に、僕はそっと手を重ねた。


その日は、僕がちっぽけな部屋の片隅から救い出された日。

12/6/2023, 1:54:13 PM

【逆さま】

もし重力が逆さまになってしまったとしたら、どうなるんだろう。

人間とか、車とか、水さえも空の方に吸い込まれていくのだろうか。
息が出来なくなって、苦しい苦しいと思いながら死ぬんだろうか。

あ、でも空を飛べるのはいいな。
だって飛んだ記憶が人生最後の記憶なんて、粋だと思わない?

ーーー

「考え直すんだ!こっちに戻ってこい!」

必死な表情をして、担任の先生が私に叫ぶ。
屋上の柵の外側にある自分の体がかつて無いほどに軽く感じられて、今すぐにでもふわりと羽のように飛んでいけそうだった。

きっと、どこまでも飛んでいける。

ふわふわと飛んで行っていた思考が、うるさい担任の声で引き戻される。
ちら、と後ろにいる担任を柵越しに見ると、絶望のような、焦りのような、悲しみのような、とにかくごちゃ混ぜな感情が読み取れた。
それが、どうにも腹立たしい。
生まれてからずっと苦しんできた人間じゃないのに、恵まれた人間なのに、一丁前に自分が1番苦しんでいますみたいな顔をする。

「お願いだ、一生のお願いだから戻ってきてくれ…」

涙を流しながら訴えかけてくる担任に感じたのは、単純に嫌悪。
今更何を言ってるんだこいつは、という思いが溢れ出てくる。

「あのさ、ちょっと黙っててよ。せっかく一人で空を飛ぼうと思ってたのに勝手に邪魔してこないでよ」

溜まったイライラをぶつけると、直ぐに静かになった。
口を開いて何かを言いたそうにしているが、肝心の言葉が出ていない。
もうこいつに構うのも時間の無駄だし、と柵に添えていた手を離す。
風を全身で受けるように手を広げると、少し冷えた風が体を撫でてくる。
制服のスカートがひらめいて、悪くなっていた気分が随分と良くなった。

前に一歩、踏み出した。

宙に放たれた体は、重力に従って下に落ちていく。
前に踏み出す瞬間にあいつが何かを叫んだ気がしたが、もうどうでも良かった。

なんて気分が良いんだろう。
まだ体は重くて下に落ちていくけど、落ちきったら羽のような軽さになれる。
どんな景色が私の目に広がっているのだろう、と無意識の内に閉じてしまっていた目を開けると、逆さまになった地球が目に飛び込んできた。
空が地面で、地面が空。

ああ綺麗だな。

そう思った瞬間に、視界は真っ黒の幕が引かれて見えなくなってしまった。

私は無事、羽になれたのだ。

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