【眠れないほど】
少し丈の長い草を踏みしめる音が控えめに響く。
もう辺りはすっかり真っ暗で、目が闇に慣れてもぼんやりと夢の中に居るような感覚が消えない。
冷えて熱を求める手を無視して、どんどんと歩を進めていく。
自分の呼吸の音、風の音、微かに虫の声、静かな音達が膨大な空間を満たしている。
ぼんやりと働かない頭は、どこに行くのかも決めずに本能のまま足を進めて、それすらも疑問にすら思わない。
ちゃぷん、
水の音がした。
どこかに出かけていた脳みそが一気に帰って来る感覚がした。
(こんなとこに水場ってあったっけ…)
目的地点を決めていなかった体は、水の音がした方へと向きを変えた。
思考が戻ってくると一気に寒くなったように感じて、両手を袖に突っ込む。
冬の夜に上着1枚で外に出るのは、少し舐めていたかもしれない。
水の方へ向かったって暖かい訳でもないし、なんなら家からも離れるだろう。
だが、今の気分がそういう気分なのだ。全ての行動に理由を持たなくたっていい。
どれくらい草を踏みしめただろうか。
時間が分かるものは何一つ持っていないので分からない。
ちゃぷん、ちゃぷん、
微かにしか聞こえなかった水音が、確実に近くなる。
音が大分近くなってきたな、と辺りをぐるりと見回すと、今まで気付かなかったのがおかしい位の大きな塊があって驚く。
近付いてみると、大きな大きな岩であった。
岩に手を添えると、自分の冷たくなった手よりも遥かに冷たい感覚が掌を濡らす。
(…水?)
暗さで詳しいところまで認識ができない目を凝らして岩肌を見ると、てらてらと少ない月明かりに反射している箇所があるのが分かった。
反射している箇所に接している地面を見ると、水が溜まっている。
どれくらいの深さなんだろう、と近くにしゃがんで指を浸けてみた。
――りん
急な鈴の音に、へ?と思う間も無く、明らかに不自然に足元のバランスが崩れた。
(濡れる!!)
眼前に迫った水に体を強張らせる。
だが、私が濡れることは無かった。
とぷん、と自身が水の中に入っていく感覚がして、水深が深いことに絶望を感じたが、いくら待てども息苦しくならないし、寒くもない。
むしろ先程よりも暖かいくらいだ。
ぎゅっと固く閉じていた目を恐る恐る開けると、入り込んできた光景に脳がフリーズするのが分かった。
「っえ??」
目の前には、地面が見えるほど透き通った湖。
よく見える水底にはキラキラと光る何かがある。
湖の周りにはポヤポヤと周期的に光る何かが漂っていて、夜中とは思えないほど辺りは明るかった。
――りんりん
先程よりもはっきりと聞こえてくる鈴の音。
目の前に広がる光景と謎の音に一周回って冷静になっていると、しゃん、と先程とは種類の違う鈴が聞こえた。
ポヤポヤと光っていた何かが湖の上に集結して、人型を形作る。
ポヤポヤが全部集結しきったかと思うと、ぴかっと強い光が放たれた。
「やっと逢えたぞえ、妾の愛し子よ!」
心底嬉しそうに言う声が聞こえて、反射で閉じていた目を開く。
目の前には、淡い光を放つ少女がいた。
淡い光を放っている時点で普通の少女じゃないことは確かだが、頭の上に大きめの狐のような耳があるのを見て、人間じゃないんだなと再確認をする。
というかそれ以前に真っ白い。
髪も、肌も、耳も、着ている巫女さんみたいな服も、着けている装飾も、今まで見たことが無いくらいに純白だ。
その中でも、ひとつ。瞳だけが金色に染められていて、純粋に綺麗だと思った。
「綺麗…」
「お、そうか?そなたに言われると照れるの」
嬉しそうにぴょこぴょこと耳を動かす目の前の少女の笑顔は艶やかで、見てはいけないものを見ている気分になってしまう。
…というか私、なんでここに居るんだ?
眠れなくてちょっと散歩してただけなのに、いつの間にか超常現象に巻き込まれている。
「?どうかしたか、愛し子よ」
こてん、と首を傾げて少女は私に尋ねた。正直言ってめちゃくちゃ可愛い。
(夢よりも夢らしい現実に遭遇するなんて、思いもしなかった…)
眠れないほど、私は夢の中に迷い込んでしまうらしい。
【夢と現実】
ばん、という音と共に弾ける火の花を目に焼き付ける。
パラパラと光の残滓が下に放物線を描いて、地面に届く前に消えた。
――すごいね、母さん!
収まらない興奮をそのままに母に話しかける。
花火の後に目に写った母は、子供でも見惚れるような優しさに溢れた表情をしていた。
――そうね、また来年も見に来ましょう。ね、あなた?
――ああ、そうだな。来年も来よう。
私を挟んで微笑み合う両親は、まだ幼かった私には嫉妬心を沸かせるものだった。
ぷく、と頬を膨らませて、精一杯の不機嫌アピールをする。
母さんは父さんが大好き。父さんは母さんが大好き。
だから、そのふたりの娘の私は大大大好きでしょ?
そんな事を言って、私は2人の手を片方ずつ握った。
2人も笑いながら肯定してくれて、心がぽかぽかと暖かくなる。
ああ、ずっとこの時間が続いたらいいのに。
ずっと、ずーっと。
…分かってるんだ。これは、夢でしかないこと。
まだ私が明るく輝く星で在れた頃の、しあわせな夢。
沢山の、数え切れない星達に混ざれていた頃。
……出来ることなら、暖かい星のまま居たかった。
・
・
・
ぱちりと目が冷めて、無機質な白の天井にしばらく目を向けていた。
まだ暗い。また、2時間ほどしか眠れなかったらしい。
腕に繋がっている管が抜けないように注意しながら、のそりと鈍い体を横の真っ白い壁にある窓に向ける。
温度の差で若干結露しているガラスの向こうには、数え切れないほどの星が輝いていた。
「なんで…星になれなかったんだろうなぁ」
ふたつの意味を込めて、そう呟く。
いつの間にか、目元から生暖かい水が零れ落ちていた。
…その目元に光る雫が、星に負けないほど輝いていること。
それが、本人が1番気付くことのできない事実というのは、
少し、皮肉が効きすぎている。
【さよならは言わないで】
「私ね、ヒーローになるんだよ」
気味が悪くなるほどに晴れて青い空に背を向けて、彼女はそう言った。
顔はニッコリと作られた笑顔で彩られていて、ぞっとしたのを今でも思い出す。
「…どうして」
絞り出した言葉は思っていたよりもずっと小さくて、でも彼女は聞き取ってくれたらしい。
大袈裟に、まるでショーでもするみたいにバッと大きく手を広げて、彼女は言った。
「私の体ってね、特殊なんだって。特異体質ってやつだよ。私の体は多くの人を助けられる未知の物質で構成されてる
…だから、体を提供することにした」
不自然に感じられるほど大きな声で、彼女はそう語った。
背を向けていた青を正面にしてしまったので、その表情は見ることができない。
「あなたは…生きれるの」
しん、と恐ろしいほどの静けさがその場を支配した。
ねえ、なんで黙っちゃうの。
あなたが生きてないと、誰がどんなに助かったって意味がないんだよ。
分かってるの。どうせ分かってないんでしょ。
黙ってしまった意味を直ぐに理解してしまって、頭がごちゃごちゃと黒色に染められていく。
「私はね、」
ああ、やめて、これ以上先を言わないで
「死ぬんだってさ」
はは、面白いよね。体の90%は実験にいるらしいんだって。
全く面白くなさそうな乾いた笑いで、震えた声で、彼女はそう言った。
その姿に耐えられなくなって、ぎゅっと力強く、痛いくらいだろうな。そんな力で抱きしめる。
「私はいやだよ。絶対にやだ。死なないで、お願い」
泣きたいのは彼女なはずなのに、涙が溢れて止まらない。
やだ、やだよ、とこれまで願ったことないくらいの気持ちを抱えながら伝える。
「やめてよ、覚悟つけたのにさ、揺らいじゃうじゃん」
彼女は静かにそう呟く。
「、あーもう。泣かないって決めたのに」
彼女の顔を見ると、目からぼろぼろとこぼれる涙が太陽に当てられて輝いていた。
「今生の別れってわけじゃない
今生の別れにはさせない
だから
”またね”」
ーー
さよならは言わないで。
「っ、…ばかやろー」
なにが”またね”だ。
何年待たなきゃいけないんだよ、勝手に約束だけして居なくなって。
絶対に、”久しぶり”を言ってやるから。
滲む視界も、今日は受け入れることにした。
【光と闇の狭間で】
「これで…よしっ」
ポチッと投稿のボタンを押して、後ろ側に大きく伸びをした。
ボキボキと鳴る体に何時間作業をしたのか気になって時計を見ると、午前3時で驚く。閉め切っていたカーテンを少し開くと、案の定真っ暗であった。
外の暗さに、時間見ずに投稿しちゃったな…と少し後悔をする。
どうせなら多くの人に自分の作品を聞いてもらいたいのがクリエイターというものだろう。
だが自分の知名度もまあまあ上がってきたのか、ちらりと今投稿した曲の再生数を見ると、3桁に届いていた。
まだ出して数分、しかも3時。世の中には3時に起きている人間が沢山居るもんだなと何だか感心してしまう。
確認の為に何回も聞いた自分の曲を、最後にともう一度再生する。
希望、光、そんなものをテーマにした曲だ。
何か元気がつくような、勇気が出るような、そんな曲になるように作詞作曲をした。
ここがこだわりポイントなんだよな、とか、ここの歌詞悩みまくったな、とか振り返りながら聞いていると、あっという間に聞き終わってしまった。
私の作り上げた数分は人に何かを感じさせることが出来るだろうか。
そんなことを思ったって、自分は作り上げた立場なので分かりはしない。
「あ~〜…めんどくさいけど仕事するか…曲だけ作る人生送りたいもんだ」
今日までに終わらせておかないといけない仕事の予定が書かれたスマホのメモを眺める。運がいいことに今日は2件だけ。しかも簡単なやつ。
早めに終わらせて、その頃には沢山ついているだろう曲の感想コメントを見よう。
そうと決めて、仕事をするために真っ黒な服に着替える。
ぴちっと体にフィットする服はあまり好みではないが、動きやすい方が仕事も早く終わるので我慢だ。
関節の動きとかで行動を予測されないようにフード付きのポンチョを着て、手袋を付けて、体中に刃物を隠して、仕事用のバックを腰に付けたら準備完了だ。
曲作りが3時に終わって良かったかもしれない。多分皆んな寝てると思うし。
今私の曲を聞いてくれた人以外は、だけど。
「目標6時までかなぁ、それ以降は明るくなってきついし」
そう決めると、夜に持ち越しにならないように、私は直ぐに仕事に飛び出した。
今日の暗殺相手は希望なんか持ってくれてないと良いな、と頭の隅で考えながら。
ーー ーー
希望と光を与える曲の作曲者が、闇にどっぷり嵌っている奴だとしたら。
その曲は光なのか、闇なのか。それともその狭間でゆらゆらと揺れているのか。
多分、受け取り側の気持ちが全てなんだろう。
【距離】
ぽつりと雫が地面に落ちる。
あ、と空を見上げると、今すぐにでも泣き出しそうな鉛色をしていた。
「やべ」
何となく家に帰りたくなくて、ゆっくりと動かしていた足を速める。
だが、空というものは思っていたよりも堪え性が無かったらしい。
腕に水滴が落ちた感覚がしたと思うと、あっという間にザーザーと視界が湿度100%の光景になった。
教科書を濡らさないように、バッグを腹の方に抱えて少し前屈みになって走る。
あー、最悪だ、だとか。風邪引きそう、だとか。降り注ぐ雨に負けないくらい頭の中で色々とぐちぐち思っていたが、今びちょ濡れになっている事実は変えれない。
何だか教科書を必死に守っている事とか、自然現象にイラついている事とか、全てが滑稽に思えてしまう。
もう濡れているのに何でこんなに急いでるんだ?という考えに至って、最初のゆっくりとした速度に戻した。
別に雨だって悪いものじゃないしな。
冷たい雫達に体を撫でられながら、俺はそう思うことにした。
ー?ー?ー?ー
ぽつりと雫が地面に落ちる。
あ、と空を見上げると、そこには雲一つ無い青色がいっぱいに広がっていた。
今日の最後の授業が理科だったせいか、雲量が0~1で快晴だな。と変なことを考える。
「やべ」
何となく家に帰りたくなくて、ゆっくりと動かしていた足を速める。
どんどんと足元に落ちていく雫達を見ないようにして、年中長袖の腕で目を拭った。
拭った時にじん、と腕が少し鈍く痛んで、そういえば昨日怪我したなと思い出す。
だが、いつものことだ。と一瞬腕に向けた意識を足を動かす方に移した。
家で酒を飲んでいるだろう父は、思っている何倍も堪え性が無いのだ。
こんなことしている場合じゃない。早く帰らないと。
だって、また怪我が増えてしまう。痛いのは誰だって嫌いだろう。
何で俺だけがこんな目に…なんて、思っていないさ。
だって、あれが父さんから貰える愛情だから。
冷たい視線、言葉、暴力、色んなことから目を逸して、あれも俺を愛しているからなんだ、と。
そう、思うことにした。
(雫が落ちる距離は、幸せの距離と反比例)