仮色

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【逆さま】

もし重力が逆さまになってしまったとしたら、どうなるんだろう。

人間とか、車とか、水さえも空の方に吸い込まれていくのだろうか。
息が出来なくなって、苦しい苦しいと思いながら死ぬんだろうか。

あ、でも空を飛べるのはいいな。
だって飛んだ記憶が人生最後の記憶なんて、粋だと思わない?

ーーー

「考え直すんだ!こっちに戻ってこい!」

必死な表情をして、担任の先生が私に叫ぶ。
屋上の柵の外側にある自分の体がかつて無いほどに軽く感じられて、今すぐにでもふわりと羽のように飛んでいけそうだった。

きっと、どこまでも飛んでいける。

ふわふわと飛んで行っていた思考が、うるさい担任の声で引き戻される。
ちら、と後ろにいる担任を柵越しに見ると、絶望のような、焦りのような、悲しみのような、とにかくごちゃ混ぜな感情が読み取れた。
それが、どうにも腹立たしい。
生まれてからずっと苦しんできた人間じゃないのに、恵まれた人間なのに、一丁前に自分が1番苦しんでいますみたいな顔をする。

「お願いだ、一生のお願いだから戻ってきてくれ…」

涙を流しながら訴えかけてくる担任に感じたのは、単純に嫌悪。
今更何を言ってるんだこいつは、という思いが溢れ出てくる。

「あのさ、ちょっと黙っててよ。せっかく一人で空を飛ぼうと思ってたのに勝手に邪魔してこないでよ」

溜まったイライラをぶつけると、直ぐに静かになった。
口を開いて何かを言いたそうにしているが、肝心の言葉が出ていない。
もうこいつに構うのも時間の無駄だし、と柵に添えていた手を離す。
風を全身で受けるように手を広げると、少し冷えた風が体を撫でてくる。
制服のスカートがひらめいて、悪くなっていた気分が随分と良くなった。

前に一歩、踏み出した。

宙に放たれた体は、重力に従って下に落ちていく。
前に踏み出す瞬間にあいつが何かを叫んだ気がしたが、もうどうでも良かった。

なんて気分が良いんだろう。
まだ体は重くて下に落ちていくけど、落ちきったら羽のような軽さになれる。
どんな景色が私の目に広がっているのだろう、と無意識の内に閉じてしまっていた目を開けると、逆さまになった地球が目に飛び込んできた。
空が地面で、地面が空。

ああ綺麗だな。

そう思った瞬間に、視界は真っ黒の幕が引かれて見えなくなってしまった。

私は無事、羽になれたのだ。

12/6/2023, 1:54:13 PM