紅月 琥珀

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2/15/2025, 2:57:33 PM

 朝目が覚めると、私は誰もいない世界にいた。
 昨日までの喧騒が嘘のように―――しん、と静かな世界に私一人が存在している。
 寝室からリビングに行っても誰もいなくて、でも⋯⋯不思議な事に音もなくフライパンは熱され、美味しそうなベーコンを焼いていた。
 テーブルには朝食が並べられて、やはり音もなくお皿に乗っている朝食達は減っていく。
 その光景はまるで、私には見えない何かがそこにいて、いつもと変わらない生活を送っているように見えた。
 そうこうしているうちに、私のいつも座っている席に朝食が並べられていく。
 少し怖かったが、私は席につくといただきますと挨拶してからご飯を食べた。
 警戒した割には何ごともなく、ただ美味しい朝食でホッとする。けれど、音は一切しなくて⋯⋯そこだけ違和感を感じた。

 それから支度して、一応学校まで行ってみたけど通学路も学校内も、誰もいなくて音もしない。ただ、私だけがぽつんと存在している異様な光景があるだけ。
 そんな中で、周りに違いがないかと観察していると、ある事に気づく。
 姿は見えないのに、何故か影だけは動いているのだ。壁や床にうつる影は誰かと楽しそうに話していたり、席に座って読書をしたりと思い思いに動いている。

 授業の時も黒板に文字が浮き出てくる様に見えていたが、よくよく見ると影が何かを描いているように動いていた。
 何が原因か分からないけれど、どうやら私は影の世界に来てしまったみたいで、どうやって来て、どうしたら帰れるのかさっぱり分からない。
 それでも授業はちゃんと受けて、放課後から何とか元の世界に帰る方法を探してみる。

 色んな場所に影達が犇(ひし)めいているが、そのどれもが私に無関心で各々自分のやりたい事をしながら放課後を過ごしていた。
 そうして学校内を歩きながら、何か違和感は無いかと探している時だった。
“―――ンパイ”って何処かから声がしたような気がして、耳を澄ませる。
『センパイ』
 今度はハッキリ聞こえて、私はなんとか声のする方を割り出そうと更に耳を澄ました。
『センパイ!』
 その声のする方へ私は走る。何度も何度もセンパイって呼ぶ声を頼りに走り、辿り着いたのはある階段の踊り場。そこに飾ってあった鏡からだった。
 私が鏡を覗くと、声はするもののその人の姿はなく⋯⋯ただセンパイと呼び続ける声が聞こえるだけ。
 試しに鏡に触れてみるが、ひんやりとした感触が手に伝わるだけで⋯⋯ここから出られる気配はない。

 それから暫くすると、足音がこちらに近付いてきて、遂にその人の姿が鏡にうつる。聞こえていた声からもしかしてと思っていたけど、部活の後輩が誰かを探しているようだった。
 それを他人事の様にぼーっと眺めていた。
 鏡越しの彼が私に気付くこともなく、ただ必死に誰かを探している姿がうつるだけ。
 それでも⋯⋯この無音の影の世界で、唯一聞こえた君の声に―――酷く安心してしまって今まで麻痺していた心に熱が灯るのを感じる。

 そうして堪えられなくなって、視界が歪む中で君に届けと願いながら彼の名を叫んだ。
 一瞬だけ立ち止まって辺りを見回して、センパイ、どこですかって言いながら探す姿にこちらの姿が見えていないのだと、少し肩を落としたけど⋯⋯声は届いたかもしれないって思ったらちょっとだけ希望が持てた。
『私は此処だよ。お願い⋯⋯見つけて―――』
 鏡越しに聞こえる君の声を聞きながら、私は静かに涙を流しそう呟いた。

2/14/2025, 1:56:28 PM

 新しい街に入って少しした頃、急に雨が降り出した。
 濡れるとマズイものは基本袋に入れているとはいえ、なるべくなら濡らしたくなくて⋯⋯急いで知らない街を走り、どこか雨宿り出来る場所を探す。
 そうして走っている途中でたまたま見つけた⋯⋯まだ崩れていない神社に駆け込み、拝殿で雨宿りさせてもらう事にした。
 カバンの中身を確認して濡れた髪などを軽く拭き、床にブルーシートを敷いて一休み。

 段々と強くなっていく雨を見ながら、ふと昔の事を思い出す。
 雨の日にお母さんとお気に入りのレインコート来てお買い物に行って、水溜りに飛び込んで怒られたり。
 遠足前日に凄い雨で、でも明日の遠足行きたくて両親と一緒に作ったてるてる坊主の事とか。
 降り続ける雨の音を聞きながら、もう送ることの出来ない日々を思う。
 そうする中で、どうして私だけ生き残ったのかと考えてしまった。私よりももっと、生き残った方がいい人なんて沢山いたと思うのに、どうして私だったんだろうと。

 何かやらなきゃいけない事があるんだろうか?
 それともただの気まぐれ? 運が良かったとか?
 グルグル考えたけど、結局答えは分からずじまい。それでも無駄に考え事してる間に雨が止んできたのか⋯⋯雨音が小さくなっていた。
 この調子なら、もうすぐ晴れそうかな?
 そう思った私は少し乾かしていたカバンに中身を詰めて、使い道もないのに持っていた―――なけなしのお金をお賽銭箱へと入れ、本坪鈴(ほんつぼすず)を鳴らし二拝二拍手一拝をして神様に、雨宿りさせてもらいありがとうございますと伝えてから、まだ少し降る雨の中⋯⋯レインポンチョを来て神社を後にする。

 瓦礫の街を歩いている途中で少しずつ青空が見えてきて―――そこに、あるものを見つけて嬉しくなった。
 それは綺麗な虹の橋。そのそばにある雲が龍の顔みたいに見えて⋯⋯そんな雲は初めて見たから驚きつつも凄くレアなんじゃないかって嬉しくなる。

 私が生き残った理由は分からずじまいだけど、それでも⋯⋯今の私に1つ言える事があるなと思った。
 だから私は、その虹と龍の雲に向かって叫ぶ!
『祝福なのか、呪いなのか、分かんないけど! 私を生かしてくれた誰かー! 終わった世界でしか体験できない事を、体験させてくれて、ありがとうー!』
 私は思いっ切り叫んでから、その虹と龍の雲が消えるまで、ゆっくりと歩きながら眺め続けるのだった。

2/13/2025, 2:25:19 PM

 今も耳に残る声。私を撫でるその手の温もり。
 忘れもしない――――――あの日、貴方の紡いだ言の葉を反芻させながら……今日も私は文を書く。
 あの日伝えられなかった事も、今貴方に伝えたい想いも。全てが貴方へ届く様に、一文字一文字を丁寧に綴る。その度に込み上げてくる何かを堪えながら⋯⋯書き上げたものをまた、丁寧に折りそして―――貴方が散った海へと投げた。

 風に乗って遠く⋯⋯遠く⋯⋯飛んでいく紙飛行機を見つめてから、両手を合わせて貴方の為に祈りを捧げる。
 あの日私に手紙を書き遺し、死地へと飛んだ貴方の心を想うと⋯⋯今でも涙が溢れて止まらなくなるのです。
 貴方を忘れて幸せになれと、貴方はそう言い残しましたが⋯⋯私にとってそれが何れ程難しいことか、理解されていないのでしょう。

 冷たい海に沈んでしまった、愛しい貴方。
 私の幸せは、貴方とともに過ごせたあの日々にこそあったのだと知りました。だから今度は―――御国の為にと勇敢に散っていった貴方が、私の送るこの紙飛行機(てがみ)を読んで、あるべき場所へと帰れる事を切に願います。
 そしてもしも、貴方がその海から帰れた時は―――風に乗せて私にそっと伝えてくださいな。

 ◇ ◇ ◇

 深く冷たい海底へと沈み、幾許の時を経てもこの御霊は底から帰れず⋯⋯友との約束を未だ果たせずにいる。
 ここから這い上がる術も分からず⋯⋯そも、天井(あまい)も底も分からぬ暗闇の中で何方へ行けば良いのかすら曖昧であるから、動けずにいるのだ。
 そんな最中、何処からか白い何かが飛んでくるようになった。それに向かって歩き手に取ると紙飛行機であると分かった。
 丁寧に折られたとても綺麗なそれは、どうも便箋で作られている様に見える。私は少し気になって、それを開くとやはり文が書かれていた。
 それに目を通すと、それが私が残していった彼女の綴ったものだと分かる。筆跡も書き方もあの時と同じで⋯⋯懐かしさと、共に歩めなかった事を悔しく思った。

 それからというもの。
 彼女からの紙飛行機(てがみ)は定期的に飛んできた。その度に私は紙飛行機が飛んできた方へと進み、それを手に取り文を読む。これを幾度となく繰り返していく。
 そうして気付けば前方に光が薄っすらと見えてきたのだ。
 私はそれに向かって走り、そしてその光に進むにつれ段々と目が眩み、前も見えぬ様になった。しかし、それでも歩みを止めず進み続ける。
 そうして全てが白に包まれた後に、ようやく目を開けられる場所にたどり着いた。
 その先に見えたのは海の見える丘と年老いた女性。
 彼女は何かに祈るような仕草をすると、その手に紙飛行機を持ち海へと飛ばそう投げる。
 だが、紙飛行機は何故か海の方には飛ばず⋯⋯私の足元に着地した。それはあの天井(あまい)のない暗がりで何度も見た紙飛行機であり、ともすれば⋯⋯この女性は私の大切な彼女という事になる。

 よろよろとこちらに歩くその姿を眺めながら、彼女が紙飛行機に手を伸ばした瞬間―――私の手を彼女のそれに重ねた。
『貴女の気持ちはもう、充分に受け取りました。
 だからどうか⋯⋯これから先は、貴女の為に生きてください。
 私も貴女をずっと慕っております故⋯⋯貴女が天寿を全うしたその時は、迎えに行くのでもう一度この手を取って頂けますか?』
 彼女には聞こえぬと分かっていても、言わずには居られなかった。
 そうして彼女の顔を見ると、一度驚いた顔で⋯⋯しかし直ぐに涙を流しながら破顔すると、大きく頷いた。
 こちらが驚いていると、彼女はゆっくりとこう言った。
『私の命が終わるその時には、必ず迎えに来てくださいね。
 今度こそ⋯⋯約束ですからね!』
 その言葉を聞き終わるや否や。私の身体は軽くなり、ふわりと天へと召し上げられていく。暫くすると暖かな光へと包まれて―――心地の良い感覚に身を委ねると、私は意識を手放した。

2/12/2025, 3:12:28 PM

 あの日の僕達はきっと、誰よりも幼くて純粋に夢を描いていたんだと思う。
 大切な夢を胸に、それを叶えられるようにと共に歩んでいたはずだったのに⋯⋯年を追うに連れて、大切なモノも憧れも、いつの間にか失っていた。
 それに気づいた時にはもう遅くて、たくさんいた同志達は僕と君だけになっていた。
 それでも2人で夢を追い続けた。それなのに、現実は残酷で⋯⋯2人で叶えたかった夢は1人だけの片道切符になると知る。
 その事実に君はまだ気付いていない。1人しか乗れない事も、帰ってこれない事も。
 僕は泣きながら悩み、そして決断したんだ。
 君にその権利を譲る事を。

 だから僕は辞退した。そして、君に最初で最後の嘘を吐く。
『この状況で夢を追うことがバカらしくなった』と、君が傷付いて僕の事を大嫌いって思ってくれるように。

 あの日の君は泣きながら僕を説得してきた。正直決心が揺らぎそうになったけど、でも⋯⋯心を鬼にして酷い言葉を浴びせ続けて、最後は僕の思惑通りになったと思う。
 君が旅立った後、少しずつ⋯⋯でも確実に僕らが育った街は荒れ果てて、見る影もなくなっていき、最後には誰もが諦めて時間を浪費するだけになっていった。
 もうすぐ星(ここ)は終わりを迎えるだろう。あの日から宣告されていた銀河の終わりに巻き込まれて、その他の惑星ごと消滅する。
 その前に、もう会うことすら叶わなくなった君に、謝りたくてこうしてメールを送っています。
 あの日君を傷付けてまで別れたことを、未だに後悔しています。本当は僕もいきたかった。それでも、ずっと少年のままで憧れを持ち続けた君なら⋯⋯母星(ちじょう)で終わりを迎えるよりも、憧れ続けた宇宙で終焉を迎える方が幸せなんじゃないかって思ったからそうしたんだ。
 普通に譲るって言っても、君は理由を話さない限り納得してくれないだろうから、傷付けてでも宇宙(そら)へ旅立って欲しかった。例えそれが低確率だったとしても、生き残れる可能性があるなら他でもない君に生きて欲しくて、酷い事を言ってしまったんだ。
 嘘ついて、傷付けてごめんなさい。
 きっとこのメールが君に届いた頃にはもう、母星(わたしたち)は消えているだろうけど⋯⋯どこか遠い宇宙で、今も元気に旅している事をいつだって願っています。

 25歳の君へ56歳の僕から愛を込めて。

 ◇ ◇ ◇

 そのメールは突然届いた。差出人の名前を確認して、酷く驚いた事を覚えている。
 喧嘩別れした筈の君からだったから、酷く動揺していたけど気になって直ぐにメールを開く。
 そこに書かれた内容に僕は涙を堪えきれず、それでも泣きながら最後まで読んだ。
 この宇宙船の航行速度から計算して、今僕が何光年先を行っているのか。大体の計算だけで現在の僕の年齢を当ててくるのは、流石と言うしかなかった。
 彼女はそういうのが凄く得意な人だったから。
 僕が巻き込まれない様に、帰ってくるなと釘をさしたかったんだろうな。
 きっと、書かれていた内容も本心なんだろうけど―――僕にとっての未来の記憶を送る理由なんてそれ以外にないだろう。
 彼女は得てしてそういう人なのだ。なら僕は、君の年齢に達するまでに新しい惑星を見つけてみせるよ。
 そしてその星を開拓して、いつか僕達が思い描いた宇宙(そら)で、もう一度会おう。
 そしたら今度こそ、その手を離さないから―――僕達の壊れてしまった宇宙(そら)を探す旅に行こうか。

2/11/2025, 2:28:11 PM

 生まれた時から酷く醜い世界を見つめていた。
 この瞳に映るものは基本的に2重に見えて、耳で拾う声も2重に聞こえる。
 無機物は誰かの声を録音して、自動で私に聞かせてくる厄介なモノだった。
 それが私の世界。今までもこれからも、変わることなく続いていくと思ってた。

 ある日、突然変化は訪れた。
 学校にやってきた転校生は、私のクラスメイトになるらしい。そんな噂を聞いていたが、正直興味なんてなかった。
 それなのに、彼女が余りにも綺麗だったから⋯⋯今まで見ていた私の普通が歪であると知る。

 声も姿も2重にならない不思議な人。出会った瞬間、一気に興味がわいた。
 それと同時に、なぜ他と彼女は違うのかを考えるきっかけにもなり、私はそれを解明するべく彼女の秘密を探る事にした。
 話しかける勇気は流石になかったから遠巻きに彼女の事を観察してみる。
 彼女という人となりを観て、ようやく理解したことがあった。

 それは彼女も良く見れば2重に見えるし、声も2重に聞こえていたという事。ただ他と違うのは、彼女の姿も声も同じモノを重ねただけだから気付かなかっただけ。
 それに気付いて、私は自分が見ている2重の世界の片方が―――相手のココロである事を知った。

 彼女だけが美しい世界。
 鏡に写る私も例外ではなく⋯⋯周りにいる誰も彼もが取り繕っている。
 虎視眈々と、自身の利益のために誰かを蹴落とそうとする人達がいる中で――――――彼女は今日もキラキラとした優しい笑顔で、醜悪(わたし)の世界を彩っていく。

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