紅月 琥珀

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 今も耳に残る声。私を撫でるその手の温もり。
 忘れもしない――――――あの日、貴方の紡いだ言の葉を反芻させながら……今日も私は文を書く。
 あの日伝えられなかった事も、今貴方に伝えたい想いも。全てが貴方へ届く様に、一文字一文字を丁寧に綴る。その度に込み上げてくる何かを堪えながら⋯⋯書き上げたものをまた、丁寧に折りそして―――貴方が散った海へと投げた。

 風に乗って遠く⋯⋯遠く⋯⋯飛んでいく紙飛行機を見つめてから、両手を合わせて貴方の為に祈りを捧げる。
 あの日私に手紙を書き遺し、死地へと飛んだ貴方の心を想うと⋯⋯今でも涙が溢れて止まらなくなるのです。
 貴方を忘れて幸せになれと、貴方はそう言い残しましたが⋯⋯私にとってそれが何れ程難しいことか、理解されていないのでしょう。

 冷たい海に沈んでしまった、愛しい貴方。
 私の幸せは、貴方とともに過ごせたあの日々にこそあったのだと知りました。だから今度は―――御国の為にと勇敢に散っていった貴方が、私の送るこの紙飛行機(てがみ)を読んで、あるべき場所へと帰れる事を切に願います。
 そしてもしも、貴方がその海から帰れた時は―――風に乗せて私にそっと伝えてくださいな。

 ◇ ◇ ◇

 深く冷たい海底へと沈み、幾許の時を経てもこの御霊は底から帰れず⋯⋯友との約束を未だ果たせずにいる。
 ここから這い上がる術も分からず⋯⋯そも、天井(あまい)も底も分からぬ暗闇の中で何方へ行けば良いのかすら曖昧であるから、動けずにいるのだ。
 そんな最中、何処からか白い何かが飛んでくるようになった。それに向かって歩き手に取ると紙飛行機であると分かった。
 丁寧に折られたとても綺麗なそれは、どうも便箋で作られている様に見える。私は少し気になって、それを開くとやはり文が書かれていた。
 それに目を通すと、それが私が残していった彼女の綴ったものだと分かる。筆跡も書き方もあの時と同じで⋯⋯懐かしさと、共に歩めなかった事を悔しく思った。

 それからというもの。
 彼女からの紙飛行機(てがみ)は定期的に飛んできた。その度に私は紙飛行機が飛んできた方へと進み、それを手に取り文を読む。これを幾度となく繰り返していく。
 そうして気付けば前方に光が薄っすらと見えてきたのだ。
 私はそれに向かって走り、そしてその光に進むにつれ段々と目が眩み、前も見えぬ様になった。しかし、それでも歩みを止めず進み続ける。
 そうして全てが白に包まれた後に、ようやく目を開けられる場所にたどり着いた。
 その先に見えたのは海の見える丘と年老いた女性。
 彼女は何かに祈るような仕草をすると、その手に紙飛行機を持ち海へと飛ばそう投げる。
 だが、紙飛行機は何故か海の方には飛ばず⋯⋯私の足元に着地した。それはあの天井(あまい)のない暗がりで何度も見た紙飛行機であり、ともすれば⋯⋯この女性は私の大切な彼女という事になる。

 よろよろとこちらに歩くその姿を眺めながら、彼女が紙飛行機に手を伸ばした瞬間―――私の手を彼女のそれに重ねた。
『貴女の気持ちはもう、充分に受け取りました。
 だからどうか⋯⋯これから先は、貴女の為に生きてください。
 私も貴女をずっと慕っております故⋯⋯貴女が天寿を全うしたその時は、迎えに行くのでもう一度この手を取って頂けますか?』
 彼女には聞こえぬと分かっていても、言わずには居られなかった。
 そうして彼女の顔を見ると、一度驚いた顔で⋯⋯しかし直ぐに涙を流しながら破顔すると、大きく頷いた。
 こちらが驚いていると、彼女はゆっくりとこう言った。
『私の命が終わるその時には、必ず迎えに来てくださいね。
 今度こそ⋯⋯約束ですからね!』
 その言葉を聞き終わるや否や。私の身体は軽くなり、ふわりと天へと召し上げられていく。暫くすると暖かな光へと包まれて―――心地の良い感覚に身を委ねると、私は意識を手放した。

2/13/2025, 2:25:19 PM