その子との邂逅は鮮烈だった。
最初に見たのは大きく見開かれた瞳。その直後に、眩いばかりの笑顔で迎えられたのを覚えている。
何よりも私という嫌忌すべきモノを己の意思で呼び出したとその子は言った。
そして―――
『お友達になって下さい!』
願いを問うた私に、花の様な笑顔でそう言った。
彼女は葎(むぐら)と名乗った。大きな瞳の快活な少女で、現世に残る私の話が好きでたまたま古本屋で売っていた本に呼び出し方が書いてあったから試したらしい。
とても危機感のない子だと思ったが、結果として変なモノではなくちゃんと私を呼び出しているので黙っていた。
それから私は彼女の隣に立ち、共に日常を過ごしていく。
朝起きて挨拶を交わし、彼女は身支度を整えると私の伸びっぱなしの髪を整え結き。
朝食を準備して食べ学校へ向かう。友人は居るようだがあまり関係を持ちたくないように見えた。私の時はもっと積極的だった為、少し違和感を覚える。
それでも、彼女は私と話す時は基本的に笑顔を絶やさず幸せそうだった。
そんな毎日がこれからも続くのかと思っていた。
問題が起き始めたのは7日目の夜。父親が帰ってきた時。
酔った父と遭遇した彼女は難癖を付けられ、挙句暴力を振るわれたのだ。
咄嗟に庇ってしまったのがいけなかった。
私は彼女と過ごす内に、自身が嫌忌される存在である事を忘れていたのだ。
父親は顔面蒼白になりながら家を出た。その後に沢山の人と宮司や僧を連れて戻り、私を見た人々が騒然となり葎に詰め寄る。
なぜマガツガミがいるのか。お前が呼び出したのか。
なんて罰当たりな。災いが起こるぞ。
その他にも言っていた気がするが覚えているのはそのくらいで、皆一様に私に対しての嫌忌をあらわにしている。
『勝手に決めつけないで! 私がどんなに辛くて助けを求めても、貴方達は誰一人助けてくれなかった! どんなに痣だらけになっても知らないフリしてたくせに、偉そうに言わないで! カイエンは助けてくれた。災いだって起こってない。私にとっての災いは貴方達の方だ!』
そう言った彼女に彼等は手遅れだと言い放ち、魅入られているだの何だのと言っていた。
それを尻目に彼女は私にこう言った。
『本当はあの時、私は殺してもらう予定だったんだ。この人達と一緒にいるのが嫌で、でも⋯⋯直前で怖くなって咄嗟にあんな事を言ってしまったの。
でも、今は貴方と友達になれて良かったって思うよ。
誰よりも優しい神様、お願い。どうかこの魂を貴女のムクロにしてください』
とても安らかな笑顔で私を見つめる彼女に、今まで感じていた違和感の正体を知る。
ならば、友として⋯⋯私は彼女の魂をもらう事にした。
どうせ、このまま此処に居ても苦しむだけならば私と共に生きて欲しい。話し相手にくらいはなれるから、お前の気が済むまで付き合おうと。
そうして帰った深淵の中。
泥で作った身体に彼女の魂を入れたムクロは、全ての記憶を無くして私のそばに。
幾百の時を共に過ごすも虚ろなまま、あの日の笑顔は拝めなかった。
願わくば、この長い年月の中でいつかあの日の様に笑ってくれる事を。
“日陰者のアイウタ”
どうしてだろう? 時々胸が苦しくなるのは。
思い出さなければいけない事があるのに、それが何か分からない。
ただ―――それは私にとってとても大切なモノだった事だけ覚えていた。
それは一生に一度の晴れ舞台。
空は綺麗に晴れ渡り、雲一つない快晴の日だった。
私が扉をノックすると彼女から返事があり入室する。
彼女は綺麗なドレスを身に纏い、髪も綺麗に纏められて、綺麗なメイクも施されていた。
ずっと隣で見てきたけれど、今までで一番綺麗だと思ってしまった。
『来てくれたの? ここまで来るの大変だったでしょう。』
でも嬉しいと、私を労いながらも嬉しそうにはにかむ彼女に、私もつられて笑ってしまう。
『今日は招待してくれてありがとう。もう、用意してしまってるかもしれないんだけど⋯⋯これを受け取ってほしいの』
そう言って差し出した物を見て、彼女は目を見開いてそれを手に取った。
『⋯⋯覚えててくれたの? とても綺麗に編み込めてる。こんなに素敵な物、作るの大変だったでしょう? 私がもらってしまって良いの?』
そう問いかけてくる彼女に私は頷く。
『貴女にもらってほしいの。今日のお祝いに貴女のためだけに作った物だから』
そう言った私に彼女は嬉しそうに笑うと、ありがとうと言ってくれた。
『本番! 楽しみにしててね!』
そう笑いながら彼女はそれを丁寧に机の上に置いた。それを見届けて、少しだけ話をしていたら時間になったので退室する。
今日という日を祝うために他の参列者と共に、別の場所へと移動するのだ。
そうして最後尾に付くと少し待たされたけど、程なくして始まった。
白を身に纏った男女の入場。壇上には神父の姿があり、その後ろには大きな十字架。
ステンドグラスが光りに照らされて、美しく輝いている。
神父の前で互いに愛を誓い合うその女性の頭には、先程渡した花の帽子。
ピンクのバラ、カスミソウ、ガーベラ、トルコギキョウ、ミモザ、スイートピー、ホワイトスター、アリウム・コワニー、ストックで帽子本体とツバの部分を編み込み。カーネーションとアルストロメリアのアクセントを加えて、斜め後ろの方にコチョウランでヴェールの様相を表現している。
彼女の地域のみに伝わる古い風習を、楽しげに語っていた彼女に―――私から最初で最後の祝福(おくりもの)を。
沢山の意味と祝福を込めて編み上げた花帽子を被り、今、新たに人生を歩もうとする彼女に呟く。
『おめでとう愛し子。この門出に精霊(われら)の祝福とさよならを』
それは一生に一度の晴れ舞台。
空は綺麗に晴れ渡り、雲一つない快晴の日だった。
初めて出来た人の友人。優しい貴女の瞳に、私が映ることはもうないでしょう。
それでも、私は貴女の幸せを願っているから。
暇な時にでも、思い出してね。
誰かの為になんて、今まで考えた事も無かった。
自分がやらなくても誰かがやってくれるし、そもそも面倒事が嫌いだ。
だからこそ、こんな事にならなければ僕はずっとそうして生きていたのだろうと今更ながらに思う。
科学の発展は僕達の生活を豊かにする。
それが悪いわけじゃなかった。なのに、結果としてその問題を引き起こしてしまった。
“星の異界化” “魔素結晶” “魔素症”
人類は今、窮地に立たされている。
それを食い止めるため、或いは治療法確立のため。死地である異界化地区に調査に入る事になった。
選抜されたのは魔素に対する抗体を持つ者で構成されていた。かくいう僕もそこに選抜されてしまったのだ。
死ぬかもしれない場所になんて、本当は行きたくない。
けれど断る事も叶わない。
だからせめて、誰かの為になればなんて⋯⋯綺麗事を並べて自分を奮い立たせるくらいしか出来なかった。
調査に入って3日目。たった3日で殆どの部隊は全滅した。かくいう僕の部隊も、それ程多くは残っていない。
しかも、僕は傷も負っている。このままだと残った部隊員も死んでしまうかもしれない。
せめてそうなる前に異界化地区の外に、一人でも多く逃さなければならない。
少しでも多くの情報を持って生き延びてもらわなければならない。
だから僕は恐怖に震える体を抑えて彼らに伝える。
『僕がここで、少しでも長く足止めをするから、そのままみんなで地区外に逃げてほしい』
そう言った僕に何かを言おうとした人を別の人が制する。
きっと僕の言いたいことをわかってくれたのだろう。悲しそうな顔をしている。
『必ずこの情報は持ち帰る。みんなの勇気を無駄にはしないと、約束する』
そう言って敬礼したその人に僕も敬礼を返す。
その刹那、後ろか獣の様な雄叫びが聞こえてドスドスと地面を鳴らしながらこちらに近づいてくる音が聞こえた。
『早く行け!』
そう叫んだ僕は奴に向き直る。
きっと僕はここで死ぬだろう。これまでに死んでいった隊員達の様に。
でも、タダじゃ死なない。せめて、一矢報いてやらねば!
そうして僕は覚悟を決めると、肥大化した頭を揺らしながら4足走行で駆けてくる―――元人間であった獣の様な何かに向かってハンマーを振り下ろした。
せめてこの小さな勇気が、後の人類の為になる様願いを込めて。
それは突然訪れた。
例えば、道端の小石に躓く様に。
或いは、朝、目が覚めるように。
何の前触れもなく、けれどさも当たり前の様に告げられた。
ある者は騒ぎ、ある者は慟哭し、また、ある者は呆然とその光景を見つめている。
かく言う私はどうかと言うと。
あぁ、そんなものかと、納得してしまった。
そして、ふとある考えが過ったのだ。
“そうだ、旅に出よう”と。
どうせなら、思い出を巡る旅にしようと思い立ち私は必要最低限の物を持って、長年住み慣れた家を出た。
それからというもの。私は自分の人生を振り返りながら、幼少期から今までに行った縁の地を巡る。
歳を重ねていつの間にか無くなった場所もあったが、ボロボロになりながらも、そこにあり続ける物もあって、懐かしさと共に長く生きたのだなと感慨深くもあった。
けれど、結局私は全ての終わりに我が家に帰ってきたのだ。
長く人生を共にした大切な君との沢山の思い出が詰まったこの場所に。
そして今、最後の時間に、あの日君と過ごした最後の日と同じ場所で、同じ様に星を眺めている。
あの日とは違う空模様でも、美しさは変わらずに⋯⋯隣に君は居なくとも、同じ様に世界はまわり―――そして終わっていくのだろう。
せめて、最後の瞬間に君を感じられたなら幸せだと、そんな事を思いながら私は一層きらめく星空に呟くのだ。
『美しい世界よ、おやすみなさい』
それは突然の出来事だった。
例えば、ふと顔を上げた時に見つけた、1輪の桜の花だったり。
或いは、遠くに見える夕日のオレンジが街を染め上げる光景によく似ていた。
偶然に恵まれて見つけた美しいもの。
ある日目覚めたら世界は終わっていた。
それは何の前触れもなく、突然に。
昨日まで居たはずの両親も、寝る前までメッセージをやり取りしていた友人達も。
全ては瓦礫の中に消えていて、見る影もない惨状になっていた。
目の前に広がるのは、街だった物の残骸とムカつく程に晴れ渡った青い空。
どうすれば良いのかも分からずに、私はただ歩いていた。
戸惑いながら歩いていた時に見つけた一軒のお家。
周りはみんな酷い有様なのに、このお宅だけ原型を留めている。
悪いと思いながら入ったお家で、1人眠るように横たわるご老人。
大切そうに持っていたその本を拝借して覗き見してみた。
それは終末旅行記。
綺麗(たいせつ)なモノを巡る旅の物語。
そのページに挟まれた、恐らくご老人の書いた最後の想い。
私はそれに触発されて、この命か星の終わりまで終わってしまった世界を旅してみようと思った。
ご老人には悪いと思ったが、この本と彼の想いを持って。
そして私はその2つを旅のお供に、終わった世界を歩いて行く。
きっと終わらなかったら見れなかったであろう景色を、この瞳に焼き付けながら。
『わぁ!なんて美しい光景なのかしら!』
おはよう、世界。そうして新たに君は目覚めた。
最初は祝福されていた。
優しい神々の腕の中で、安寧を享受する。
次に経験を送られる。
辛い事、悲しい事の中から学びを知った。
それから成長を送られる。
同じ状況でも、昔とは違う選択肢を見つけられる様になった。
沢山の贈り物を受け取った。
友人も仕事も愛情も、全ては祝福されていたからだと知る。
そうして祝福されたまま、天寿を全うするのだと思っていた。
それなのに―――優しい神々は歪な神様に食べられて、安寧は崩れ去る。
最後にもらったモノは呪い。
永遠に取り憑かれた歪な神様が、世界の理を塗り変えた。
不完全な不老不死。
幸福とは程遠い苦痛の中で、半永久的に生かされ続ける。
体の一部が千切れても吹き飛んでも、腐りながらも生かされていく現状に、心を壊す者もいた。
『ねぇ、いつまでこの地獄は続くの?』
誰かの呟きが空気を揺らす。
『この体(ぺーじ)が全てなくなるまで。それか⋯⋯この魂(ものがたり)の終わりまで、続くかもしれないね』
違う誰かの声が聞こえて、僕はふとある考えに至る。
『或いはこの星(しりーず)が終わるまで、僕達は生かされ続けるのかもしれないなぁ』
死にながら生き続ける僕達は、苦痛に耐えながら⋯⋯いつ来るかもわからない救世主を待ち続ける。
星(しりーず)が終わる前に、いつかあの歪な女神様を倒してくれる新たな神様を―――この地獄の中でずっと待ち続けるのだろう。