私からあなたへ(テーマ あの頃の私へ)
1
コンピュータによって現実をシミュレーション(模擬実験)する、という業界がある。
現実世界は物理法則によって動いているため、例えば、大砲を何度で打ち上げれば、より遠くまで届くか、といった計算ができる。ただ、現実には、風が吹いたり、地形が斜めになっていたり、あるいは大砲の弾の形状や火薬の質や量などによって、計算通りの結果が出ないこともある。
人間の手で計算することが難しくとも、コンピュータなら、多数の要素を取りまとめて計算し、より精度の高い計算結果を望むことができる。
そもそも、最初期のコンピュータとは、弾道計算をするために生まれたとされている。
コンピュータ技術が発展してくると、天気予報のような風と雲の動きをシミュレーションするもの、人の動きをシミュレーションするものなど、いくつかの別の方面にもに使用されるようになった。
時代が進むとコンピュータの性能も上がり、より広い範囲を、相互に作用する形でシミュレーションできるようになってきた。
さらに、物理学の大統一理論へのアプローチや、AIによる人間の思考へのアプローチ、DNAの解析による生命進化の仕組みの解析など、幅広い分野での科学の発展があったことで、コンピュータがシミュレーションする際の『計算式』が発見、発展され、より現実に近寄ったシミュレーションができるようになった。
そして、科学は、コンピュータシミュレーションとの相互作用を起こすようになった。
つまり、分析した法則をシミュレーションのルールに設定することでシミュレーション世界はより現実に近づき、現実の科学の世界はシミュレーション世界による『検証の場』を得てさらなる発見をした。
シミュレーションの世界は、より広い世界を、より多くの内容について、より細かく再現できるようになった。
これは、今から数百年は未来。コンピュータが世界を正確にシミュレーションできるようになり、高い費用を支払えば、一般市民でも使えるようになりはじめた頃の話だ。
2
「もういやだ。」
ある日、私の口からその言葉が自然と口をついて出た。
休みなしで仕事を続ける日がちょうど一ヶ月を超えたくらいの時だ。
自分にはそれまでの人生、仕事しかなかった。仕事が終わると家に帰って寝る。起きたら仕事へ行く。
その繰り返し。
気がついたらもう、家族を作る年齢ではなく、守るものもなくなっていた。
妻も子どももいないなら、20年後に死んでも、40年後に老衰で死んでも、あるいは明日死んでも同じだ。
残すものがないのだから。
そう思ったら、気持ちは一気にはじけた。
あっさりと会社を辞めた。
3
ある程度の貯蓄はあったため、シミュレーションに手を出すことに決めた。
クラウド上の環境をレンタルし、その上にシミュレーションシステムを構築して、ネット上にある『誰かの作った地球データ』をインポートし、要素を追加して時間を進め、人類の発現を目指す。
有効な発見があれば大きな収入になり、何の発見も無ければ、ただクラウド上の環境レンタル費用が支出としてずっと続くことになる。
まごうこと無き「博打」であった。
「もう、俺の人生はどうでもいいから。」
サラリーマン時代の貯蓄の半分を使って、世界をシミュレーションする計算を始めた。
残り半分のお金を切り崩しながら、シミュレーションを続ける。
お金がつきるまでに、お金になる発見をしなければ、破滅だ。
(それでもいいんだ。どうせいつ死んでも同じだから。)
「条件設定をしてください」
AIが、世界の条件設定を聞いてくる。
シミュレーションの世界は、条件設定がすべてだ。物理法則・宇宙空間の状況・星の状況。DNAや生き物の条件など。条件付けが違うと、全く違う世界が生まれる。
全く違う異世界を作る者もいるが、そういう世界にはほとんど知的生命体は発生しない。そして、そこから得られた発見を買い取る企業もいない。
つまり、金策にするなら、現実世界に近い世界にするべきなのだ。
私は、AIに、「自分と家族と初恋の人と親友がいる世界になったら知らせろ、それ以外になりそうになった段階で停止してやり直せ」と指示して、後は放置していた。
退職した私は、安いアパートへ引っ越しをして、糊口を凌ぐアルバイトをしなければならなかったのだ。
権限が少ないが、同時に責任が少なく、時給のため、時間になったら帰ることのできるアルバイトは、気楽な仕事だった。
(なんだ。こんな生き方の方がいいじゃないか。)
もちろん、贅沢はできないし、結婚している同級生などと比較されると、いい年してアルバイトで生計というのは外聞は悪い。しかし、メンタルを病んでいた私には、非常に魅力的な職場に思えた。
そして、2ヶ月後。
私は偶然から『現実世界とうり二つのシミュレーション』を作ることに成功してしまった。
4
「え?できたの?」
「はい。ご注文の条件を達成しました。次の指示をお願いします。」
AIがメッセージを送ってきた時、最初に思ったのが「指示を間違えたか」だった。
初恋の人はともかく、自分については血液分析したDNA情報をAIに渡している。これと同じ情報で、文化レベルも同じで、関係性も同じような世界。
きっと「文字上は条件を達成しているが、期待とは別の形で条件を達成した世界」になっているだろう、と思っていた。
ブラック企業での長年の勤務は、私から希望的な観測をする能力を奪っていた。
期待すると、裏切られる。
休みは取り消し、部下は辞める。
下請けは納期を守れないと言ってくるくせに、契約金は満額支払えと言ってくる。
いや、もういいのだ。
あの会社はもう辞めたのだ。
いまは気楽なバイト生活だ。
バイトの同僚たちからは、陰で人生の落伍者と言われているだろうが、表向きは仲のよい同僚だ。それで十分だった。
話を戻す。
本当に現実と同一の世界を構築できたかどうか、簡単な確認方法がある。
VR機器で世界に入るのだ。
「VR機器を注文してくれ。安いヘッドセット型でいい。」
VR機器は高いものなら全身体験型のカプセル型もあったが、とりあえずは簡単なものでいい。
次の日には届いた。
AIが訪ねてくる。
「VR体験を行う時間軸と座標軸を指定してください。時間軸については現在マイナス5年までは計算済みです。」
「時間軸は20年、いや30年前にしてくれ。座標軸は・・・」
当時の自分の家の住所を、シミュレーション世界の地球の座標に変換して伝える。
VRヘッドセットをかぶり、スイッチを入れた。
5
古い形式だが、真新しい家の中が見えた。
懐かしい、実家の部屋だ。窓の外には柿の木がある。
今はもう伐採して影も形も無い。
「かあさーん」
小さな姉が母を探しているのが見える。
横には、まだ元気な祖父。祖父は私が15の時に亡くなった。
そして、10歳の、幼い自分がいた。
「みんな・・・」
自然と、涙が出る。
VR機器は、ただ、のぞき込むだけだ。
シミュレーション世界も、再生しているだけ。
声をかけることも今はできない。
正確な過去の世界をシミュレーションしたと思われる世界が、そこにあった。
6
VRヘッドセットを外した私は、どうするか考えた。
とりあえず、AIに命じる。
「計算しながらのシミュレーションに変更。昔の私を操作する。あと、全身体験型のVR機器の注文。」
そこから一ヶ月。
私はタイムマシンを楽しんだ。
初恋の人に告白してみた(振られたが、現実よりも仲良くなれた)。
祖父の食生活に注文を付けてみた(現実よりも5年、長生きした)。
自分の周囲以外であれば、坂本龍馬が殺される現場も見たし、邪馬台国も探してみた。
世界的な美女と会うこともできた。
未来も計算してみて、競馬の結果を見て、現実で購入してみたりもした。(結果は内緒だ)
ひときしり楽しんだ私は、AIに命じた。
「今の世界を作った初期設定と、途中に介入したすべての操作データのバックアップを取れ。パッケージングするんだ。そして、終わったらワールドAIクリエイティブ社のシミュレーションデータ買い取り窓口に連絡をしてくれ。社運を賭けたビッグビジネスだと。」
正確と思われる現実世界のシミュレーション条件。
今私がやったような過去の閲覧。歴史の「もしも」を実際にやってみるシミュレーション。計算を続ければ未来もわかる。
莫大な金が入るのは確実だ。
7
結論から言うと、莫大な金が入ると同時に、自由が無くなった。
内容を確認したワールドAIクリエイティブ社は、私に買い切り100億円を提示したが、私は利益割合からの定期的な収入での契約を望み、結果として私は100億円などはした金になるような金額が口座に積み上がるようになった。
正確な世界のシミュレーションが発見されたことはニュースになり、私の顔と名前が全世界に広まってしまった。
友人、知り合い、知らない人。慈善団体。
無数の連絡が入るようになり、金をせびってきた。
親しい友人なら喜んで支援し、知らない人は知らない。
かつての会社から投資の依頼が来た時は笑ってしまった。もちろん断った。むしろ潰そうかと思ったくらいだ。
私は、自分の身を守るために大きな屋敷を建て、警備隊(警備員ではなく警備「隊」だ)を雇用した。
自由に移動することに苦労することになった私は、自分が発見したシミュレーション世界で楽しむようになった。
独裁者と呼ばれた人が、世界大戦で負けなければどうなっていたか。
早逝の天才が生きていればどうなったか。
もちろん、買い取ったワールドAIクリエイティブ社は同様のことをしているだろう。
そして結果を様々に利用しているはずだ。
その利益の1%は私の口座に入る契約であるため、文句は無い。
私は労働からは永久に解放され、世界的な有名人にもなってしまった。
8
私はその後、昔の自分に声をかけることをしてみた。
いわゆる「天の声」を飛ばしてみるというものだが、目的は無い。興味本位の暇つぶしだ。
自分にはどんな可能性があったのか。
『もっと勉強するんだ。このままでは苦労するぞ。』
『友達は大事にするんだ。』
『女の子とも交流しておくように。結婚できないぞ。』
言葉は、響いたものあれば、響かないものもあった。
トップにはなれなかったが、一流大学から一流企業で働く未来もあった。
家族を作る未来もあった。
けんか別れした友人たちと仲直りし、起業する未来もあった。
(未来は自分次第、というのは本当だったか。)
私は、満足したような、そうでもないような複雑な気持ちになった。
9
ある日、VRカプセルから出た私は、机に、紙が一枚あることに気がついた。
警備隊からの伝言だろうか。
それにしても、今の時代に紙は無いだろう。
のぞき込んでみると、そこには走り書きでこう書いてあった。
『おまえは、自分の人生を諦めるにはまだ早い。人にものを言う暇があるなら、今からおまえがやれ。おまえならできる。なぜなら、シミュレーションしたからだ。』
と書いてあった。
明日の月日はないものを(テーマ また明日)
「じゃあいつか、また会おう」
高専を卒業するときに、そう言って別れた、同じ研究室で一年過ごした友人とは、卒業後に会わずじまいだ。
卒業後に20年経ち、彼は30過ぎで亡くなったと聞いた。
*
「また来るね」
そう言って別れた祖父は、数週間後に病院で亡くなった。
もう話すこともできなくなっていたが、今生の別れだとは思わなかった。
*
学生の時、教授は、朝、家を出る時に突然倒れて亡くなった。
授業が終わってから、学生服で葬儀に並んだ。
最後に何を話したのかは、覚えていない。
*
「またどこかで会うだろうから、よろしくね。」
そう言って別れた高専の先輩とは、卒業後41年、会っていない。
*
皆、これが今生の別れだとは、思わなかった。
今日も、今生の別れだとは思わない形で、「また明日」と言うのだろう。
例えば、今日「またね」と言って別れた友達も、二度と会えないかもしれない。
親も、兄弟も、もしかすると私自身が死んで、誰にも会えなくなることもあり得る。
言葉は「またね」と言うけれど、もう会えないことを覚悟して、別れを告げるべきなのだろう。
その分、想いを伝えることをためらうべきではない。
*
「またね」
そう言って別れてから、親友とは4年、会っていない。
仕事が忙しく、全く身動きが取れないのだ。
電話でもつれない返事しかできなかった。
朝早くから夜遅くまで仕事。
家には寝に帰るだけ。
休みも仕事。
忙しさにかまけて、もう二度と会うことができないこともある。
本当に、これでいいのか。
これが終わりで、本当によかったのか。
今ならまだ、間に合うかもしれない。
これが、『後悔の残る今生の別れ』にならないように。
明日の私はいずこ(テーマ 理想のあなた)
「君たちの明日を考えてみてほしい。未来の君たちだ。」
平社員だった私たちに、研修で部長は言った。
「係長でも、課長でも、部長でもいい。想像してみてほしい。君たちは平社員の3倍の仕事をして、下から上がってきた書類をさばき、同時に部下の面倒を見て、上司のサポートをする。部下からは理想の上司とされ、上司からは頼りになる部下と言われる。」
部長は『理想』とホワイトボードに書いた。
「一方、今の君たちはこのどれでもできるだろうか。人の3倍の仕事は?部下からは理想の上司と見られるマネジメントは?上司から「頼りになる部下」と見られる?」
今度はさっきの左下に『現実』と書く。そして2つの間に矢印を引いた。
「ここからここまでの間は、毎日仕事をこなすだけでは埋められない。これは分かるか?ただ日々の仕事をこなすだけでは、仕事を3倍のスピードで片付けられないし、それをやりながら部下を見ることも、上司をサポートすることもできない。努力がどうしても必要だ。それも、並々ならない努力を、継続しないと無理だ。」
その後も、部長は色々言っていた気がするが、覚えていない。
ただ、その頃の私は『研修とはいえ無茶苦茶言うなあ』とは思っていた。
*
係長になった私は、あの言葉の真意を悟っていた。
仕事は山のようにあり、早朝から深夜まで働いても片付かない。
自分の仕事が、だ。
部下は仕事量が多くて文句ばかりで、私は『気持ちは分かる』と、同僚のように言うばかりだ。
仕事が多すぎる、人は増えないのか、と上司に訴えるが、答えはいつも同じだ。
『人は増えない。そもそも、仕事が多いから減らして、人が足らないから人を増やして、と言えば人が増えるなら、みんなそう言い始める。』
それは詭弁だ、と喉元まで出る。
それが通用するのは、仕事量が増えていないときだけだ。仕事を増やす方は増やして、人は増やせないというのは単純におかしい。
つまりは、だ。
あの研修で部長が言っていたことは、理想論的な努力論ではなく、単なる事実、宣言だったということだ。
君たちの仕事を増やします。
その上で、部下の面倒も見てもらいます。上司のサポートをしてもらいます。
日々の仕事をしているだけでは追いつきませんよ。
部下は早々にメンタルの診断書を出して休みに入った。
その部下の分も仕事があふれる。
休んだ部下の代わりは入ってこない。
どうすればよかったのか。
どうすれば、あの研修で部長が言っていた『理想の私』になれたのか。それとも、そもそも無理な話だったのか。
今の私は6時に職場へ行き、22時まで仕事をしている。仕事をしていない時間は8時間で、そのうち6時間は睡眠だ。残り2時間で、職場と自宅の移動、食事、シャワーなどを済ませる。
のんびりした時間などない。
それでも、自分の仕事を片付けるのが精一杯。
(そもそも、そこまで私生活を犠牲にしないといけないのか。)
今の仕事は、自分にとって『理想の仕事』などではない。
やりたかった仕事は、自分に才能がなかったとか、食っていけないとかで早々に諦め、サラリーマンになった。
しかし、サラリーマンはこうも生きづらく、皆バタバタと倒れていく。
自分は夢のために、私生活を一日二時間まで切り詰めたりしなかった。
だから能力が伸びず、挫折した。
しかし、今は、別にやりたくもなかったサラリーマンで居続けるために私生活を一日二時間まで切り詰めている。『理想のサラリーマン』になるために。
笑ってしまう。
なんだ。
結局、ここまで切り詰めた努力がいるなら、好きなことで苦労した方がマシだったではないか。
『食っていけないから』として諦めた夢は、見切りが早すぎた。『そこそこの努力で食っていけるから』と選んだサラリーマンは、見立てが甘すぎた。
我慢や諦めは必要だが、私は方向性を間違っていたのではないか。
好きな人を勝手に諦めたが、好きでもない人と結婚するために努力を重ねる。
好きな仕事を諦めたが、好きでない仕事のためにそれ以上の努力をしている。
ピントがずれている。
人生を、見直さないといけないのではないか。
理想の私はどこにいる。
大人になるということ(テーマ 子どものままで)
私はいつも子どものままで。
友達や家族、仕事仲間。
みんな分別をつけて大人になっていく。
*
私は、分別がつかない。
夢を諦めきれない。
何も手に入らなかったからこそ。
子どもも居ない、結婚もしていない。
親の介護と仕事しかない人生。
だからこそ、夢を諦めきれない。
*
『子どもはかわいいよ』『結婚はいいものだよ』
彼らは言う。でも同じ口でこんなことも言う。
『いつまで夢を見ているの?』『大人になれ』
大人とは何か?
*
例えば、ハローワークへ行き、したくない仕事を探し、面接で明るく振る舞い、『これがしたいです』と嘘をつき、めでたく就職して、毎日好きでない仕事をする。
我慢しながら。
例えば、結婚相談所や婚活サイトに登録し、明るい性格を偽装して、仕事の合間に知らなくて興味もない人とデートして、我慢して会話をして、めでたく結婚して、毎日好きでもない相手と暮らす。
我慢しながら。
これが大人なのか。
これが大人なら、何のために生きているのか。
*
子どもの頃は、『生きる希望』と言う袋の中には『未来』とか『夢』とか、よく分からないけれどキラキラしたものがあった。
大学生になり、社会人になり、多くの人は『生きる希望』の袋の中には『恋人』とか『子ども』が入る。そして、代わりに『未来』や『夢』が小さくなる。
そして、別の『生きるためにやること』という袋の中には、『仕事』とか『家事』とか『家族の面倒を見る』とか『親の介護』とかやることが数限りなく増えていく。
私は、『生きる希望』の袋の中には、新たな物が入らなかった。昔から居るけど、年々小さくなる『夢』と『未来』があるだけ。
一方、『生きるためにやること』袋の中は、他の人と変わらず、『仕事』とか『家事』とか『家族の面倒を見る』とか『親の介護』とかやることが増えていく。
だから、こっちの袋はなるべく増やしたくない。
『生きる希望』袋より『生きるためにやること』袋が重くなりすぎると、生きていたくなくなるから。
だから、『生きるためにやること』袋だけものを詰め込んでいくと、一見、もっともらしく、社会人しているように見える。
でも、それは「そう見える」だけで、実は『生きるためにやること』袋に好きでもないことを詰め込んで、生きがいの方は空っぽにしていて、人生を生きていくためのバランスを失ってしまっている。
*
『みんな我慢しているんだ』
いやいや、それはあなたの『生きる希望』袋に、バランスが取れるくらいの大きな物がいるからだ。
コンビニバイトに企業経営をやれと言っても、時給千円じゃやる人は居ない。
その時、『大人になれ』『みんなしている』と言われても、彼らは責任に応じた報酬(生きていく希望)をもらっている。
まともな報酬なしで、同じことはできない。
釣り合いが取れないから。
一生続く我慢が見えているから。
だから、『それ』をしないのだ。
子どものままで?
それは当然だ。
子どもの時よりも、『生きる希望』が減っているのだ。
我慢も尽きた。
体力も減った。
親は老いて介護が必要だ。
これ以上、『生きるためにやること』袋は重くできない。
人間がみな、マゾヒストではないのだ。
生業(テーマ 明日世界が終わるなら)
生きていくためにする仕事=食うためにする仕事か?
今日も仕事が終わらない。
朝早く出社し、夜遅くまで残業する。
日中は仕事が増える時間だ。
定時後、お客が来なくなってから、仕事を片付ける時間が始まる。
そして、深夜、家に帰る。
睡眠時間は短く、必然的に眠りも浅い。
年齢のせいか、糖尿病になりつつあるのか、腎臓が悪いのか。トイレが近くなり、夜中に何度も目が覚める。
そして、久しぶりにはっきりとした夢を見た。
*
高校の授業の夢だ。
高校の時の落ちこぼれだった私は、態度だけは真面目で、成績はさんさんたるものだった。
夢の中でも態度だけは真面目な私。
夢の中で、教師は言った。かつて実際に言われたことだ。
『明日世界が終わるとしてもやるのが、一生の仕事だ。』
学生の時はピンときていなかった。
(明日世界が終わるなら、仕事なんてしないに決まっている。家族や友人と会うくらいか。)
反抗とかではなく、ごく自然にそう思っていた。
*
目が覚めて、天井を見る。
時計は午前3時。
さすがに起きるにはまだ早い。
(今はどうだろうか。)
今の仕事は『そういうもの』か?
あした世界が終わるとしても、仕事をするだろうか。
(するわけがない。)
では、何なら『明日世界が終わるとしても』やるのか。
子どもがいたら、子どもと一緒に居るかもしれない。
妻がいたら、妻と過ごすかもしれない。
両親と過ごすのが、もっともありそうなことだ。
だが、もしかしたら。
何かの気の迷いで、最後の一日は、文章を書いて過ごすかもしれない。
つまり、自分にとっての生業とは、そういうものなのだろう。
問題は、自分の文章では食っていけないと言うことだ。
人間、やりたいことで食っていければ好運だ。
自分は、好運ではなかった。
だから、生業と言えない仕事で、糊口をしのぐのだ。