明日の月日はないものを(テーマ また明日)
「じゃあいつか、また会おう」
高専を卒業するときに、そう言って別れた、同じ研究室で一年過ごした友人とは、卒業後に会わずじまいだ。
卒業後に20年経ち、彼は30過ぎで亡くなったと聞いた。
*
「また来るね」
そう言って別れた祖父は、数週間後に病院で亡くなった。
もう話すこともできなくなっていたが、今生の別れだとは思わなかった。
*
学生の時、教授は、朝、家を出る時に突然倒れて亡くなった。
授業が終わってから、学生服で葬儀に並んだ。
最後に何を話したのかは、覚えていない。
*
「またどこかで会うだろうから、よろしくね。」
そう言って別れた高専の先輩とは、卒業後41年、会っていない。
*
皆、これが今生の別れだとは、思わなかった。
今日も、今生の別れだとは思わない形で、「また明日」と言うのだろう。
例えば、今日「またね」と言って別れた友達も、二度と会えないかもしれない。
親も、兄弟も、もしかすると私自身が死んで、誰にも会えなくなることもあり得る。
言葉は「またね」と言うけれど、もう会えないことを覚悟して、別れを告げるべきなのだろう。
その分、想いを伝えることをためらうべきではない。
*
「またね」
そう言って別れてから、親友とは4年、会っていない。
仕事が忙しく、全く身動きが取れないのだ。
電話でもつれない返事しかできなかった。
朝早くから夜遅くまで仕事。
家には寝に帰るだけ。
休みも仕事。
忙しさにかまけて、もう二度と会うことができないこともある。
本当に、これでいいのか。
これが終わりで、本当によかったのか。
今ならまだ、間に合うかもしれない。
これが、『後悔の残る今生の別れ』にならないように。
5/23/2024, 1:03:34 AM