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明日の月日はないものを(テーマ また明日)


「じゃあいつか、また会おう」

 高専を卒業するときに、そう言って別れた、同じ研究室で一年過ごした友人とは、卒業後に会わずじまいだ。
 卒業後に20年経ち、彼は30過ぎで亡くなったと聞いた。



「また来るね」

 そう言って別れた祖父は、数週間後に病院で亡くなった。

 もう話すこともできなくなっていたが、今生の別れだとは思わなかった。



 学生の時、教授は、朝、家を出る時に突然倒れて亡くなった。

 授業が終わってから、学生服で葬儀に並んだ。

 最後に何を話したのかは、覚えていない。



 「またどこかで会うだろうから、よろしくね。」

 そう言って別れた高専の先輩とは、卒業後41年、会っていない。



 皆、これが今生の別れだとは、思わなかった。

 今日も、今生の別れだとは思わない形で、「また明日」と言うのだろう。

 例えば、今日「またね」と言って別れた友達も、二度と会えないかもしれない。

 親も、兄弟も、もしかすると私自身が死んで、誰にも会えなくなることもあり得る。

 言葉は「またね」と言うけれど、もう会えないことを覚悟して、別れを告げるべきなのだろう。

 その分、想いを伝えることをためらうべきではない。




「またね」

 そう言って別れてから、親友とは4年、会っていない。

 仕事が忙しく、全く身動きが取れないのだ。

 電話でもつれない返事しかできなかった。

 朝早くから夜遅くまで仕事。
 家には寝に帰るだけ。
 休みも仕事。

 忙しさにかまけて、もう二度と会うことができないこともある。

 本当に、これでいいのか。

 これが終わりで、本当によかったのか。

 今ならまだ、間に合うかもしれない。


 これが、『後悔の残る今生の別れ』にならないように。


5/23/2024, 1:03:34 AM