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私からあなたへ(テーマ あの頃の私へ)



 コンピュータによって現実をシミュレーション(模擬実験)する、という業界がある。

 現実世界は物理法則によって動いているため、例えば、大砲を何度で打ち上げれば、より遠くまで届くか、といった計算ができる。ただ、現実には、風が吹いたり、地形が斜めになっていたり、あるいは大砲の弾の形状や火薬の質や量などによって、計算通りの結果が出ないこともある。

 人間の手で計算することが難しくとも、コンピュータなら、多数の要素を取りまとめて計算し、より精度の高い計算結果を望むことができる。
 そもそも、最初期のコンピュータとは、弾道計算をするために生まれたとされている。

 コンピュータ技術が発展してくると、天気予報のような風と雲の動きをシミュレーションするもの、人の動きをシミュレーションするものなど、いくつかの別の方面にもに使用されるようになった。

 時代が進むとコンピュータの性能も上がり、より広い範囲を、相互に作用する形でシミュレーションできるようになってきた。

 さらに、物理学の大統一理論へのアプローチや、AIによる人間の思考へのアプローチ、DNAの解析による生命進化の仕組みの解析など、幅広い分野での科学の発展があったことで、コンピュータがシミュレーションする際の『計算式』が発見、発展され、より現実に近寄ったシミュレーションができるようになった。

 そして、科学は、コンピュータシミュレーションとの相互作用を起こすようになった。
 つまり、分析した法則をシミュレーションのルールに設定することでシミュレーション世界はより現実に近づき、現実の科学の世界はシミュレーション世界による『検証の場』を得てさらなる発見をした。

 シミュレーションの世界は、より広い世界を、より多くの内容について、より細かく再現できるようになった。

 これは、今から数百年は未来。コンピュータが世界を正確にシミュレーションできるようになり、高い費用を支払えば、一般市民でも使えるようになりはじめた頃の話だ。



「もういやだ。」

 ある日、私の口からその言葉が自然と口をついて出た。

 休みなしで仕事を続ける日がちょうど一ヶ月を超えたくらいの時だ。

 自分にはそれまでの人生、仕事しかなかった。仕事が終わると家に帰って寝る。起きたら仕事へ行く。
 その繰り返し。

 気がついたらもう、家族を作る年齢ではなく、守るものもなくなっていた。

 妻も子どももいないなら、20年後に死んでも、40年後に老衰で死んでも、あるいは明日死んでも同じだ。

 残すものがないのだから。

 そう思ったら、気持ちは一気にはじけた。

 あっさりと会社を辞めた。



 ある程度の貯蓄はあったため、シミュレーションに手を出すことに決めた。

 クラウド上の環境をレンタルし、その上にシミュレーションシステムを構築して、ネット上にある『誰かの作った地球データ』をインポートし、要素を追加して時間を進め、人類の発現を目指す。

 有効な発見があれば大きな収入になり、何の発見も無ければ、ただクラウド上の環境レンタル費用が支出としてずっと続くことになる。

 まごうこと無き「博打」であった。

「もう、俺の人生はどうでもいいから。」

 サラリーマン時代の貯蓄の半分を使って、世界をシミュレーションする計算を始めた。

 残り半分のお金を切り崩しながら、シミュレーションを続ける。

 お金がつきるまでに、お金になる発見をしなければ、破滅だ。

(それでもいいんだ。どうせいつ死んでも同じだから。)

「条件設定をしてください」

 AIが、世界の条件設定を聞いてくる。

 シミュレーションの世界は、条件設定がすべてだ。物理法則・宇宙空間の状況・星の状況。DNAや生き物の条件など。条件付けが違うと、全く違う世界が生まれる。
 全く違う異世界を作る者もいるが、そういう世界にはほとんど知的生命体は発生しない。そして、そこから得られた発見を買い取る企業もいない。
 つまり、金策にするなら、現実世界に近い世界にするべきなのだ。

 私は、AIに、「自分と家族と初恋の人と親友がいる世界になったら知らせろ、それ以外になりそうになった段階で停止してやり直せ」と指示して、後は放置していた。
 退職した私は、安いアパートへ引っ越しをして、糊口を凌ぐアルバイトをしなければならなかったのだ。

 権限が少ないが、同時に責任が少なく、時給のため、時間になったら帰ることのできるアルバイトは、気楽な仕事だった。

(なんだ。こんな生き方の方がいいじゃないか。)

 もちろん、贅沢はできないし、結婚している同級生などと比較されると、いい年してアルバイトで生計というのは外聞は悪い。しかし、メンタルを病んでいた私には、非常に魅力的な職場に思えた。


 そして、2ヶ月後。

 私は偶然から『現実世界とうり二つのシミュレーション』を作ることに成功してしまった。



「え?できたの?」

「はい。ご注文の条件を達成しました。次の指示をお願いします。」

 AIがメッセージを送ってきた時、最初に思ったのが「指示を間違えたか」だった。

 初恋の人はともかく、自分については血液分析したDNA情報をAIに渡している。これと同じ情報で、文化レベルも同じで、関係性も同じような世界。

 きっと「文字上は条件を達成しているが、期待とは別の形で条件を達成した世界」になっているだろう、と思っていた。

 ブラック企業での長年の勤務は、私から希望的な観測をする能力を奪っていた。

 期待すると、裏切られる。
 休みは取り消し、部下は辞める。
 下請けは納期を守れないと言ってくるくせに、契約金は満額支払えと言ってくる。

 いや、もういいのだ。
 あの会社はもう辞めたのだ。

 いまは気楽なバイト生活だ。

 バイトの同僚たちからは、陰で人生の落伍者と言われているだろうが、表向きは仲のよい同僚だ。それで十分だった。

 話を戻す。

 本当に現実と同一の世界を構築できたかどうか、簡単な確認方法がある。

 VR機器で世界に入るのだ。

「VR機器を注文してくれ。安いヘッドセット型でいい。」

 VR機器は高いものなら全身体験型のカプセル型もあったが、とりあえずは簡単なものでいい。

 次の日には届いた。

 AIが訪ねてくる。

「VR体験を行う時間軸と座標軸を指定してください。時間軸については現在マイナス5年までは計算済みです。」

「時間軸は20年、いや30年前にしてくれ。座標軸は・・・」

 当時の自分の家の住所を、シミュレーション世界の地球の座標に変換して伝える。

 VRヘッドセットをかぶり、スイッチを入れた。



 古い形式だが、真新しい家の中が見えた。

 懐かしい、実家の部屋だ。窓の外には柿の木がある。

 今はもう伐採して影も形も無い。

「かあさーん」

 小さな姉が母を探しているのが見える。

 横には、まだ元気な祖父。祖父は私が15の時に亡くなった。

 そして、10歳の、幼い自分がいた。

「みんな・・・」

 自然と、涙が出る。

 VR機器は、ただ、のぞき込むだけだ。
 シミュレーション世界も、再生しているだけ。
 声をかけることも今はできない。

 正確な過去の世界をシミュレーションしたと思われる世界が、そこにあった。



 VRヘッドセットを外した私は、どうするか考えた。

 とりあえず、AIに命じる。

「計算しながらのシミュレーションに変更。昔の私を操作する。あと、全身体験型のVR機器の注文。」

 そこから一ヶ月。

 私はタイムマシンを楽しんだ。

 初恋の人に告白してみた(振られたが、現実よりも仲良くなれた)。

 祖父の食生活に注文を付けてみた(現実よりも5年、長生きした)。

 自分の周囲以外であれば、坂本龍馬が殺される現場も見たし、邪馬台国も探してみた。

 世界的な美女と会うこともできた。

 未来も計算してみて、競馬の結果を見て、現実で購入してみたりもした。(結果は内緒だ)


 ひときしり楽しんだ私は、AIに命じた。

「今の世界を作った初期設定と、途中に介入したすべての操作データのバックアップを取れ。パッケージングするんだ。そして、終わったらワールドAIクリエイティブ社のシミュレーションデータ買い取り窓口に連絡をしてくれ。社運を賭けたビッグビジネスだと。」

 正確と思われる現実世界のシミュレーション条件。

 今私がやったような過去の閲覧。歴史の「もしも」を実際にやってみるシミュレーション。計算を続ければ未来もわかる。

 莫大な金が入るのは確実だ。



 結論から言うと、莫大な金が入ると同時に、自由が無くなった。

 内容を確認したワールドAIクリエイティブ社は、私に買い切り100億円を提示したが、私は利益割合からの定期的な収入での契約を望み、結果として私は100億円などはした金になるような金額が口座に積み上がるようになった。

 正確な世界のシミュレーションが発見されたことはニュースになり、私の顔と名前が全世界に広まってしまった。


 友人、知り合い、知らない人。慈善団体。

 無数の連絡が入るようになり、金をせびってきた。

 親しい友人なら喜んで支援し、知らない人は知らない。

 かつての会社から投資の依頼が来た時は笑ってしまった。もちろん断った。むしろ潰そうかと思ったくらいだ。

 
 私は、自分の身を守るために大きな屋敷を建て、警備隊(警備員ではなく警備「隊」だ)を雇用した。


 自由に移動することに苦労することになった私は、自分が発見したシミュレーション世界で楽しむようになった。

 独裁者と呼ばれた人が、世界大戦で負けなければどうなっていたか。

 早逝の天才が生きていればどうなったか。

 もちろん、買い取ったワールドAIクリエイティブ社は同様のことをしているだろう。

 そして結果を様々に利用しているはずだ。

 その利益の1%は私の口座に入る契約であるため、文句は無い。

 私は労働からは永久に解放され、世界的な有名人にもなってしまった。


 私はその後、昔の自分に声をかけることをしてみた。

 いわゆる「天の声」を飛ばしてみるというものだが、目的は無い。興味本位の暇つぶしだ。

 自分にはどんな可能性があったのか。


『もっと勉強するんだ。このままでは苦労するぞ。』
『友達は大事にするんだ。』
『女の子とも交流しておくように。結婚できないぞ。』

 言葉は、響いたものあれば、響かないものもあった。

 トップにはなれなかったが、一流大学から一流企業で働く未来もあった。

 家族を作る未来もあった。

 けんか別れした友人たちと仲直りし、起業する未来もあった。

(未来は自分次第、というのは本当だったか。)

 私は、満足したような、そうでもないような複雑な気持ちになった。



 ある日、VRカプセルから出た私は、机に、紙が一枚あることに気がついた。

 警備隊からの伝言だろうか。

 それにしても、今の時代に紙は無いだろう。

 のぞき込んでみると、そこには走り書きでこう書いてあった。

『おまえは、自分の人生を諦めるにはまだ早い。人にものを言う暇があるなら、今からおまえがやれ。おまえならできる。なぜなら、シミュレーションしたからだ。』

 と書いてあった。

5/25/2024, 9:53:22 AM