明日の私はいずこ(テーマ 理想のあなた)
「君たちの明日を考えてみてほしい。未来の君たちだ。」
平社員だった私たちに、研修で部長は言った。
「係長でも、課長でも、部長でもいい。想像してみてほしい。君たちは平社員の3倍の仕事をして、下から上がってきた書類をさばき、同時に部下の面倒を見て、上司のサポートをする。部下からは理想の上司とされ、上司からは頼りになる部下と言われる。」
部長は『理想』とホワイトボードに書いた。
「一方、今の君たちはこのどれでもできるだろうか。人の3倍の仕事は?部下からは理想の上司と見られるマネジメントは?上司から「頼りになる部下」と見られる?」
今度はさっきの左下に『現実』と書く。そして2つの間に矢印を引いた。
「ここからここまでの間は、毎日仕事をこなすだけでは埋められない。これは分かるか?ただ日々の仕事をこなすだけでは、仕事を3倍のスピードで片付けられないし、それをやりながら部下を見ることも、上司をサポートすることもできない。努力がどうしても必要だ。それも、並々ならない努力を、継続しないと無理だ。」
その後も、部長は色々言っていた気がするが、覚えていない。
ただ、その頃の私は『研修とはいえ無茶苦茶言うなあ』とは思っていた。
*
係長になった私は、あの言葉の真意を悟っていた。
仕事は山のようにあり、早朝から深夜まで働いても片付かない。
自分の仕事が、だ。
部下は仕事量が多くて文句ばかりで、私は『気持ちは分かる』と、同僚のように言うばかりだ。
仕事が多すぎる、人は増えないのか、と上司に訴えるが、答えはいつも同じだ。
『人は増えない。そもそも、仕事が多いから減らして、人が足らないから人を増やして、と言えば人が増えるなら、みんなそう言い始める。』
それは詭弁だ、と喉元まで出る。
それが通用するのは、仕事量が増えていないときだけだ。仕事を増やす方は増やして、人は増やせないというのは単純におかしい。
つまりは、だ。
あの研修で部長が言っていたことは、理想論的な努力論ではなく、単なる事実、宣言だったということだ。
君たちの仕事を増やします。
その上で、部下の面倒も見てもらいます。上司のサポートをしてもらいます。
日々の仕事をしているだけでは追いつきませんよ。
部下は早々にメンタルの診断書を出して休みに入った。
その部下の分も仕事があふれる。
休んだ部下の代わりは入ってこない。
どうすればよかったのか。
どうすれば、あの研修で部長が言っていた『理想の私』になれたのか。それとも、そもそも無理な話だったのか。
今の私は6時に職場へ行き、22時まで仕事をしている。仕事をしていない時間は8時間で、そのうち6時間は睡眠だ。残り2時間で、職場と自宅の移動、食事、シャワーなどを済ませる。
のんびりした時間などない。
それでも、自分の仕事を片付けるのが精一杯。
(そもそも、そこまで私生活を犠牲にしないといけないのか。)
今の仕事は、自分にとって『理想の仕事』などではない。
やりたかった仕事は、自分に才能がなかったとか、食っていけないとかで早々に諦め、サラリーマンになった。
しかし、サラリーマンはこうも生きづらく、皆バタバタと倒れていく。
自分は夢のために、私生活を一日二時間まで切り詰めたりしなかった。
だから能力が伸びず、挫折した。
しかし、今は、別にやりたくもなかったサラリーマンで居続けるために私生活を一日二時間まで切り詰めている。『理想のサラリーマン』になるために。
笑ってしまう。
なんだ。
結局、ここまで切り詰めた努力がいるなら、好きなことで苦労した方がマシだったではないか。
『食っていけないから』として諦めた夢は、見切りが早すぎた。『そこそこの努力で食っていけるから』と選んだサラリーマンは、見立てが甘すぎた。
我慢や諦めは必要だが、私は方向性を間違っていたのではないか。
好きな人を勝手に諦めたが、好きでもない人と結婚するために努力を重ねる。
好きな仕事を諦めたが、好きでない仕事のためにそれ以上の努力をしている。
ピントがずれている。
人生を、見直さないといけないのではないか。
理想の私はどこにいる。
5/20/2024, 8:28:31 PM