Open App
5/23/2024, 1:03:34 AM

明日の月日はないものを(テーマ また明日)


「じゃあいつか、また会おう」

 高専を卒業するときに、そう言って別れた、同じ研究室で一年過ごした友人とは、卒業後に会わずじまいだ。
 卒業後に20年経ち、彼は30過ぎで亡くなったと聞いた。



「また来るね」

 そう言って別れた祖父は、数週間後に病院で亡くなった。

 もう話すこともできなくなっていたが、今生の別れだとは思わなかった。



 学生の時、教授は、朝、家を出る時に突然倒れて亡くなった。

 授業が終わってから、学生服で葬儀に並んだ。

 最後に何を話したのかは、覚えていない。



 「またどこかで会うだろうから、よろしくね。」

 そう言って別れた高専の先輩とは、卒業後41年、会っていない。



 皆、これが今生の別れだとは、思わなかった。

 今日も、今生の別れだとは思わない形で、「また明日」と言うのだろう。

 例えば、今日「またね」と言って別れた友達も、二度と会えないかもしれない。

 親も、兄弟も、もしかすると私自身が死んで、誰にも会えなくなることもあり得る。

 言葉は「またね」と言うけれど、もう会えないことを覚悟して、別れを告げるべきなのだろう。

 その分、想いを伝えることをためらうべきではない。




「またね」

 そう言って別れてから、親友とは4年、会っていない。

 仕事が忙しく、全く身動きが取れないのだ。

 電話でもつれない返事しかできなかった。

 朝早くから夜遅くまで仕事。
 家には寝に帰るだけ。
 休みも仕事。

 忙しさにかまけて、もう二度と会うことができないこともある。

 本当に、これでいいのか。

 これが終わりで、本当によかったのか。

 今ならまだ、間に合うかもしれない。


 これが、『後悔の残る今生の別れ』にならないように。


5/20/2024, 8:28:31 PM

明日の私はいずこ(テーマ 理想のあなた)


「君たちの明日を考えてみてほしい。未来の君たちだ。」

 平社員だった私たちに、研修で部長は言った。

「係長でも、課長でも、部長でもいい。想像してみてほしい。君たちは平社員の3倍の仕事をして、下から上がってきた書類をさばき、同時に部下の面倒を見て、上司のサポートをする。部下からは理想の上司とされ、上司からは頼りになる部下と言われる。」

 部長は『理想』とホワイトボードに書いた。

「一方、今の君たちはこのどれでもできるだろうか。人の3倍の仕事は?部下からは理想の上司と見られるマネジメントは?上司から「頼りになる部下」と見られる?」

 今度はさっきの左下に『現実』と書く。そして2つの間に矢印を引いた。

「ここからここまでの間は、毎日仕事をこなすだけでは埋められない。これは分かるか?ただ日々の仕事をこなすだけでは、仕事を3倍のスピードで片付けられないし、それをやりながら部下を見ることも、上司をサポートすることもできない。努力がどうしても必要だ。それも、並々ならない努力を、継続しないと無理だ。」

 その後も、部長は色々言っていた気がするが、覚えていない。
 ただ、その頃の私は『研修とはいえ無茶苦茶言うなあ』とは思っていた。



 係長になった私は、あの言葉の真意を悟っていた。

 仕事は山のようにあり、早朝から深夜まで働いても片付かない。
 自分の仕事が、だ。

 部下は仕事量が多くて文句ばかりで、私は『気持ちは分かる』と、同僚のように言うばかりだ。 

 仕事が多すぎる、人は増えないのか、と上司に訴えるが、答えはいつも同じだ。
『人は増えない。そもそも、仕事が多いから減らして、人が足らないから人を増やして、と言えば人が増えるなら、みんなそう言い始める。』

 それは詭弁だ、と喉元まで出る。
 それが通用するのは、仕事量が増えていないときだけだ。仕事を増やす方は増やして、人は増やせないというのは単純におかしい。

 つまりは、だ。
 あの研修で部長が言っていたことは、理想論的な努力論ではなく、単なる事実、宣言だったということだ。

 君たちの仕事を増やします。

 その上で、部下の面倒も見てもらいます。上司のサポートをしてもらいます。

 日々の仕事をしているだけでは追いつきませんよ。


 部下は早々にメンタルの診断書を出して休みに入った。
 その部下の分も仕事があふれる。

 休んだ部下の代わりは入ってこない。


 どうすればよかったのか。

 どうすれば、あの研修で部長が言っていた『理想の私』になれたのか。それとも、そもそも無理な話だったのか。

 今の私は6時に職場へ行き、22時まで仕事をしている。仕事をしていない時間は8時間で、そのうち6時間は睡眠だ。残り2時間で、職場と自宅の移動、食事、シャワーなどを済ませる。

 のんびりした時間などない。


 それでも、自分の仕事を片付けるのが精一杯。


(そもそも、そこまで私生活を犠牲にしないといけないのか。)

 今の仕事は、自分にとって『理想の仕事』などではない。

 やりたかった仕事は、自分に才能がなかったとか、食っていけないとかで早々に諦め、サラリーマンになった。

 しかし、サラリーマンはこうも生きづらく、皆バタバタと倒れていく。


 自分は夢のために、私生活を一日二時間まで切り詰めたりしなかった。
 だから能力が伸びず、挫折した。

 しかし、今は、別にやりたくもなかったサラリーマンで居続けるために私生活を一日二時間まで切り詰めている。『理想のサラリーマン』になるために。

 笑ってしまう。


 なんだ。

 結局、ここまで切り詰めた努力がいるなら、好きなことで苦労した方がマシだったではないか。

 『食っていけないから』として諦めた夢は、見切りが早すぎた。『そこそこの努力で食っていけるから』と選んだサラリーマンは、見立てが甘すぎた。


 我慢や諦めは必要だが、私は方向性を間違っていたのではないか。

 好きな人を勝手に諦めたが、好きでもない人と結婚するために努力を重ねる。

 好きな仕事を諦めたが、好きでない仕事のためにそれ以上の努力をしている。


 ピントがずれている。


 人生を、見直さないといけないのではないか。


 理想の私はどこにいる。

5/12/2024, 8:04:08 PM

大人になるということ(テーマ 子どものままで)

 私はいつも子どものままで。

 友達や家族、仕事仲間。

 みんな分別をつけて大人になっていく。



 私は、分別がつかない。

 夢を諦めきれない。

 何も手に入らなかったからこそ。

 子どもも居ない、結婚もしていない。

 親の介護と仕事しかない人生。

 だからこそ、夢を諦めきれない。



 『子どもはかわいいよ』『結婚はいいものだよ』

 彼らは言う。でも同じ口でこんなことも言う。

 『いつまで夢を見ているの?』『大人になれ』

 大人とは何か?



 例えば、ハローワークへ行き、したくない仕事を探し、面接で明るく振る舞い、『これがしたいです』と嘘をつき、めでたく就職して、毎日好きでない仕事をする。
 我慢しながら。

 例えば、結婚相談所や婚活サイトに登録し、明るい性格を偽装して、仕事の合間に知らなくて興味もない人とデートして、我慢して会話をして、めでたく結婚して、毎日好きでもない相手と暮らす。
 我慢しながら。

 これが大人なのか。

 これが大人なら、何のために生きているのか。



 子どもの頃は、『生きる希望』と言う袋の中には『未来』とか『夢』とか、よく分からないけれどキラキラしたものがあった。

 大学生になり、社会人になり、多くの人は『生きる希望』の袋の中には『恋人』とか『子ども』が入る。そして、代わりに『未来』や『夢』が小さくなる。
 そして、別の『生きるためにやること』という袋の中には、『仕事』とか『家事』とか『家族の面倒を見る』とか『親の介護』とかやることが数限りなく増えていく。


 私は、『生きる希望』の袋の中には、新たな物が入らなかった。昔から居るけど、年々小さくなる『夢』と『未来』があるだけ。

 一方、『生きるためにやること』袋の中は、他の人と変わらず、『仕事』とか『家事』とか『家族の面倒を見る』とか『親の介護』とかやることが増えていく。
 だから、こっちの袋はなるべく増やしたくない。

 『生きる希望』袋より『生きるためにやること』袋が重くなりすぎると、生きていたくなくなるから。

 だから、『生きるためにやること』袋だけものを詰め込んでいくと、一見、もっともらしく、社会人しているように見える。

 でも、それは「そう見える」だけで、実は『生きるためにやること』袋に好きでもないことを詰め込んで、生きがいの方は空っぽにしていて、人生を生きていくためのバランスを失ってしまっている。



『みんな我慢しているんだ』

 いやいや、それはあなたの『生きる希望』袋に、バランスが取れるくらいの大きな物がいるからだ。

 コンビニバイトに企業経営をやれと言っても、時給千円じゃやる人は居ない。

 その時、『大人になれ』『みんなしている』と言われても、彼らは責任に応じた報酬(生きていく希望)をもらっている。

 まともな報酬なしで、同じことはできない。

 釣り合いが取れないから。
 一生続く我慢が見えているから。

 だから、『それ』をしないのだ。


 子どものままで?


 それは当然だ。

 子どもの時よりも、『生きる希望』が減っているのだ。

 我慢も尽きた。
 体力も減った。
 親は老いて介護が必要だ。

 これ以上、『生きるためにやること』袋は重くできない。

 人間がみな、マゾヒストではないのだ。


5/7/2024, 1:00:57 PM

生業(テーマ 明日世界が終わるなら)


 生きていくためにする仕事=食うためにする仕事か?


 今日も仕事が終わらない。
 朝早く出社し、夜遅くまで残業する。

 日中は仕事が増える時間だ。
 定時後、お客が来なくなってから、仕事を片付ける時間が始まる。

 そして、深夜、家に帰る。

 睡眠時間は短く、必然的に眠りも浅い。

 年齢のせいか、糖尿病になりつつあるのか、腎臓が悪いのか。トイレが近くなり、夜中に何度も目が覚める。

 そして、久しぶりにはっきりとした夢を見た。



 高校の授業の夢だ。
 高校の時の落ちこぼれだった私は、態度だけは真面目で、成績はさんさんたるものだった。
 夢の中でも態度だけは真面目な私。

 夢の中で、教師は言った。かつて実際に言われたことだ。

『明日世界が終わるとしてもやるのが、一生の仕事だ。』

 学生の時はピンときていなかった。

(明日世界が終わるなら、仕事なんてしないに決まっている。家族や友人と会うくらいか。)

 反抗とかではなく、ごく自然にそう思っていた。



 目が覚めて、天井を見る。
 時計は午前3時。
 さすがに起きるにはまだ早い。

(今はどうだろうか。)

 今の仕事は『そういうもの』か?

 あした世界が終わるとしても、仕事をするだろうか。

(するわけがない。)

 では、何なら『明日世界が終わるとしても』やるのか。

 子どもがいたら、子どもと一緒に居るかもしれない。

 妻がいたら、妻と過ごすかもしれない。

 両親と過ごすのが、もっともありそうなことだ。



 だが、もしかしたら。

 何かの気の迷いで、最後の一日は、文章を書いて過ごすかもしれない。


 つまり、自分にとっての生業とは、そういうものなのだろう。

 問題は、自分の文章では食っていけないと言うことだ。


 人間、やりたいことで食っていければ好運だ。

 自分は、好運ではなかった。

 だから、生業と言えない仕事で、糊口をしのぐのだ。


5/1/2024, 10:06:12 AM

失ってから気づくこと(テーマ 楽園)


 その日、職場で残業をしながら、私は後輩の谷にぼやいた。

「学生の頃はさ。」

「?」

 谷は、『いきなりなにをいいだすのこのひと』と言いたげな目をした。あるいは、『さっさと手を動かせよ』とでも言いたげな目だ。

「試験とか、体育祭とか、嫌なこともあったわけで。」

 せめて手を動かしながら続ける。

「体育祭とか、嫌だった系の人っすか。」

「意外か?」

「いや、全然。イメージ通り過ぎてつまらないくらいっす。」

「・・・。まあ、あれだ。嫌なことはたくさんあったけど、今こうして毎日残業して働いているのと比べると、楽園だったなって話。」

「そりゃ、そうっすよ。学生の時は、金を払う側、お客さんっすから。今は金をもらう側。仕事する側なんで、比べられないっすよ。」

 このくらいの話は脳細胞も使わないのか、谷は手を止めずに話に付き合ってくれる。


「だが、楽園だとは思っていなかった。むしろ、成績が低くて留年しそうでどうしよう、と思っていたくらいだ。」

 谷の手が止まった。

「体育祭嫌な系なのに、成績も留年を心配するくらいひどかったんすか?」

「意外か?」

「意外っす。先輩、成績はいいガリ勉タイプだと思ってたっす。・・・灰色の学生生活?」

「そこまでではなかったぞ。部活動を四つくらい掛け持ちしてな。放課後は楽しかった。・・・まあ、つまりだ。あの頃はそう思っていなかったが、今からすると楽園だ、と言うことは、だ。」

「ということは?」

「残業している今も、高齢者になったら楽園だったとか、思い出すのではないか、という話。」

 谷は手を動かしつつも、なんとなく上の方を見る。

 何やら考えているようだ。

「・・・。私は、今も、別に嫌で嫌でしょうがないってワケじゃないっすよ?残業は多いっすけど、それなりに満足してます。」

 私は谷を穴が開くほど見つめてしまった。

「マジ?」

「そりゃ、もっと早く帰れりゃいいな、くらいは思いますけど。文句ももちろんあります。ただ、こう言うのも含めて、悪くない日常っていえるのではないかな、とも思ってるってだけっす。」

(おこがましかった。)

 谷の姿が何やら高貴に見えた。

「案外、楽園に楽しんで住めるのは、谷みたいな感性を持つ人じゃないとだめなのかもな。どこに住んでもグチグチ文句しか言わないなら、楽園なんてどこにも存在しなくなるだろうし。」

「あれっすよ。足るを知る。」

「そうかもな。」

 私は無駄口を叩いたことを反省し、後輩の人生観に感化されて、黙って手を動かすことにした。

Next