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4/12/2024, 11:50:26 PM

ここではないどこかへ(テーマ 遠くの空へ)


見知らぬ土地へ行こう。

仕事時間と睡眠時間、後は親の介護。

これらだけで構成される人生から解き放たれて。


飛空艇に乗って。
飛行船でもいい。

空を飛び、あての無い旅へ。


雲を乗り越え、国を下に見下ろして。

冷たく強い空気と、空を飛ぶ鳥だけを友として。


飛び続ける手段を得られるなら、そういう人生もいいだろう。


若い頃は、自分の夢とプライドが、あるいは『いつかは結婚して子どもを産むだろう』という根拠の無い期待や、世間体。

そんなものが『失敗するかもしれない無謀』を許さなかった。

しかし、もう歳は40を越え、未だ独身だ。

夢もプライドも期待も世間体らしきものも、日々の長時間労働で粉々になって、ほとんど残っていない。


無くすものが無い。

若い頃持っていた様々なものを歳とともに失い、代わりに得たものは無い。

気がつけば、守るべきものもほんのわずかになっていた。


だったら、好きに生きていい。


どうせ失うものなどほとんど無い。

これから得られる目処もない。


遠くの空へ、漕ぎ出そう。


我慢は40年もすれば十分だろう。


4/11/2024, 10:04:49 PM

言葉とリアルの違い(テーマ 言葉にできない)


今ここにある何か。

自分という肉体が鼓動する音。
目に入る光。

苦しい心。

足りない睡眠時間。
つらく長い仕事時間。


これらから何を思うだろうか。

現代のブラック企業?古代の奴隷?


その後、『パソコンに向かって』と続けば『現代かな』と読者は思い、『皆でオールを漕ぐ』とか『鞭が跳ぶ』とかが続けば『現代ではないな』と読者は思う。


また、時代が分かっても、情景がありありと浮かぶまで文字を紡ぐと、長大な文章になる。
そして、それだけやっても、おそらく読者それぞれの心の中の情景は異なる。


言葉が紡げることと、紡げないこと。

心の現れを、その機微を、言葉で正確に表すことはできない。

アナログ音をデジタルデータに変換するように、言葉にすることで、実際の現実から『言葉で表現できる範囲』に切り取ることになる。

そして、その(仮)デジタル化した文字情報が、読者の頭の中でアナログに変換される。

そのとき、読者の頭の中に浮かぶ光景は、(仮)デジタル化された文字から、読者の知識と経験によってデコードされたものだ。


人物Aが恋をした。

と書いても、読者が恋を知らなければ、情景は浮かばない。

パソコンに向かって

と書いても、パソコンを知らなければ、意味が通らない。


言葉とは、本質的に孤独で、互いに理解し得ない我々に渡された『か細い糸』なのだ。

言葉にできない範囲は広く昏い。


4/9/2024, 9:18:27 PM

月は見ている(テーマ 誰よりも、ずっと)


 夜の空に浮かぶ月は、世界中でたくさんの人が見ている。
 つらい人も、泣きそうな人も、孤独な人も。
 楽しい人も、幸せな人も、恋人たちも。

 人だけでなく、動物も。

 月から見ると、数えきれないほど多くの人、動物が、自分を見つめてきた。
 昔から、ずっと。

 誰よりも多くの生き物が、億年というスパンで、月を見続けてきた。

 これからも、月が地球から離れていく遠い未来のその日まで、多くの生き物が月を見ていくだろう。

 あくせく働き、過労死したりメンタルをやられたりする私たちも、勉強が嫌で仕方がない子どもも、一定以上の視力を持つ生き物たちも。

 願いを掛けた者もたくさんいた。

 恨み、にらみつけた人もいた。

 単に眺めた人ももちろんたくさんいた。

 誰よりも多くの生き物から、月は見られ続けている。

 月にもし意思があったなら、『すぐに寿命が来る割に、よくこちらを見上げてくる人間という生き物は、なんでこっちを見ているのか』と疑問に思うかもしれない。

 忙しい私たちや、生存競争でしのぎを削る生き物たちとは大きく離れた別世界で、月はただ、たたずんでいる。

4/8/2024, 4:32:51 AM

残り時間(テーマ 沈む夕日)

 朝起きて、仕事のことを考えて胃が痛くなる。

 片付かない仕事。

 もう若くなく、体も、段々と無理がきかなくなっている。

 毎年求められるものは増え、体はボロボロになっていく。

 得られたものは何だろう。

 と最近考える。

 結婚もせず、子もいない。

 両親は老い、自分も老い。

 白髪は、数えるのが無意味なくらいにはある。


 万能感と、有り余る時間と、世の中の不条理への不満に満ちていた学生時代。 

 『あの時ああしていれば、全く違う人生があった』

 それは単なる空想だが、確度の高い予想で。

 あそこで仲違いしなければ、あそこでキチンと勉強していれば、あそこで我慢せず、自分の思うがままに生きていれば・・・。

 思ったところで、時間に戻らない。

 沈む夕日を扇で戻す、などという芸当はできないのだ。

 できることは、ただ残りの時間を大切に過ごすことだけだ。


 そのまま沈むか、沈む際にひときわ明るく輝くか、は選ぶことができる。

 まだ沈んでいないから、まだ選べる。

 沈みきったら、『日が出ているうちにやっておけばよかった』と後悔することすらできないから。

 ほら。

 もう、恥ずかしがって何もできないほど幼くもないでしょう?

 手に入らなくなったものをうらやましがるより、まだ手には入るかもしれないものに尽力する方が、人生はきっと楽しいから。

 沈む夕日は、まだ沈んでいない。


 

4/4/2024, 10:26:09 PM

迷い続ける私たち(テーマ それでいい)


 私たちは迷う。

 Aを選んだが、Bにするべきだったのではないか。

 Cはしないほうがよかったのではないか。

 このままの生活を続けていいのか、Dをするべきではないのか。


 同時に二つのことを選べない場面というのは、人生には往々にしてある。

 現在に不満がある場合、特にそう思う。

 人は後悔をする生き物だし、夢を見る生き物だから。

 だから苦しいし、だから成長してきた。

 しかし、誰だって苦しみ続けることを望みはしない。


 成長したい人だとしても、苦しまずに成長できるならそれに越したことはないのだ。

 しかし、成長すること、すなわち変化することは、往々にして、苦しみを伴う。

 なぜなら、変化とは、今までとは違うことを選択することであり、そして、選択の連続の人生で、正解を選び続けることは至難の業だから。

 では、変化しなければ、成長しなければいい?


 いやいや。
 自然界も、現代の人間社会も、変化に対応できなければそもそも生き残ることができない。

 となると、結局、生きることとは迷い苦しむこととセットなのだ。

 『そんなのは嫌だ』と思うことすら、織り込み済みの、世の中の仕組みなのだ。

 私たちは、間違うことを覚悟の上で、今日も試行錯誤し、苦しみ、そして夢を見て生きていく。


 明日がなくなるその日まで。

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