言葉とリアルの違い(テーマ 言葉にできない)
今ここにある何か。
自分という肉体が鼓動する音。
目に入る光。
苦しい心。
足りない睡眠時間。
つらく長い仕事時間。
これらから何を思うだろうか。
現代のブラック企業?古代の奴隷?
その後、『パソコンに向かって』と続けば『現代かな』と読者は思い、『皆でオールを漕ぐ』とか『鞭が跳ぶ』とかが続けば『現代ではないな』と読者は思う。
また、時代が分かっても、情景がありありと浮かぶまで文字を紡ぐと、長大な文章になる。
そして、それだけやっても、おそらく読者それぞれの心の中の情景は異なる。
言葉が紡げることと、紡げないこと。
心の現れを、その機微を、言葉で正確に表すことはできない。
アナログ音をデジタルデータに変換するように、言葉にすることで、実際の現実から『言葉で表現できる範囲』に切り取ることになる。
そして、その(仮)デジタル化した文字情報が、読者の頭の中でアナログに変換される。
そのとき、読者の頭の中に浮かぶ光景は、(仮)デジタル化された文字から、読者の知識と経験によってデコードされたものだ。
人物Aが恋をした。
と書いても、読者が恋を知らなければ、情景は浮かばない。
パソコンに向かって
と書いても、パソコンを知らなければ、意味が通らない。
言葉とは、本質的に孤独で、互いに理解し得ない我々に渡された『か細い糸』なのだ。
言葉にできない範囲は広く昏い。
4/11/2024, 10:04:49 PM