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4/8/2024, 4:32:51 AM

残り時間(テーマ 沈む夕日)

 朝起きて、仕事のことを考えて胃が痛くなる。

 片付かない仕事。

 もう若くなく、体も、段々と無理がきかなくなっている。

 毎年求められるものは増え、体はボロボロになっていく。

 得られたものは何だろう。

 と最近考える。

 結婚もせず、子もいない。

 両親は老い、自分も老い。

 白髪は、数えるのが無意味なくらいにはある。


 万能感と、有り余る時間と、世の中の不条理への不満に満ちていた学生時代。 

 『あの時ああしていれば、全く違う人生があった』

 それは単なる空想だが、確度の高い予想で。

 あそこで仲違いしなければ、あそこでキチンと勉強していれば、あそこで我慢せず、自分の思うがままに生きていれば・・・。

 思ったところで、時間に戻らない。

 沈む夕日を扇で戻す、などという芸当はできないのだ。

 できることは、ただ残りの時間を大切に過ごすことだけだ。


 そのまま沈むか、沈む際にひときわ明るく輝くか、は選ぶことができる。

 まだ沈んでいないから、まだ選べる。

 沈みきったら、『日が出ているうちにやっておけばよかった』と後悔することすらできないから。

 ほら。

 もう、恥ずかしがって何もできないほど幼くもないでしょう?

 手に入らなくなったものをうらやましがるより、まだ手には入るかもしれないものに尽力する方が、人生はきっと楽しいから。

 沈む夕日は、まだ沈んでいない。


 

4/4/2024, 10:26:09 PM

迷い続ける私たち(テーマ それでいい)


 私たちは迷う。

 Aを選んだが、Bにするべきだったのではないか。

 Cはしないほうがよかったのではないか。

 このままの生活を続けていいのか、Dをするべきではないのか。


 同時に二つのことを選べない場面というのは、人生には往々にしてある。

 現在に不満がある場合、特にそう思う。

 人は後悔をする生き物だし、夢を見る生き物だから。

 だから苦しいし、だから成長してきた。

 しかし、誰だって苦しみ続けることを望みはしない。


 成長したい人だとしても、苦しまずに成長できるならそれに越したことはないのだ。

 しかし、成長すること、すなわち変化することは、往々にして、苦しみを伴う。

 なぜなら、変化とは、今までとは違うことを選択することであり、そして、選択の連続の人生で、正解を選び続けることは至難の業だから。

 では、変化しなければ、成長しなければいい?


 いやいや。
 自然界も、現代の人間社会も、変化に対応できなければそもそも生き残ることができない。

 となると、結局、生きることとは迷い苦しむこととセットなのだ。

 『そんなのは嫌だ』と思うことすら、織り込み済みの、世の中の仕組みなのだ。

 私たちは、間違うことを覚悟の上で、今日も試行錯誤し、苦しみ、そして夢を見て生きていく。


 明日がなくなるその日まで。

4/3/2024, 10:13:55 PM

一つだけ(テーマ一つだけ)


 ただ一つだけの答えを見つける。

 『1+1』の答えは2だ。

 答えは一つ。



 では『私たちが幸せに満足して生きていくにはどうしたらいいか』の答えは?

 それに答えはあるのか?

 一つだけでも答えはあるのか?

 たくさんあるかもしれないし、一つもないのかもしれない。


 ただ、一度に選べるのは一つだけ。

 そうして選んでいった跡が、『結果』として道になっていく。



 それが正解だったのかどうかは、よく分からない。

 ただ、『幸せだったか』『満足したか』だけで考えるなら、正解ではなかった気がする。

 私は『我慢』してしまったから。

 人並みの何かにすがり、『失敗』しないように、やりたいことを『後回し』にして。

 我慢は年を経るごとに増えていった。

 それでも振り返ると道はあった。

 いびつな道だ。


 もっと真っ直ぐ、やりたいことをやって生きたかった。

 ただ、そうしたら今の私はなかったのかもしれない。

 途中で野垂れ死にしていたかもしれないし、もっと惨めに生きていたのかもしれない。


 ただ、やりたいことをやらずにひたすら『我慢』してきた私の人生も、十分に惨めである気がする。

 ただ仕事を失わないために昼も夜もなく、平日も休みもなく働くだけの日々。

 妻も子も得ることなく、ただ生きているだけの日々。

 だったら、同じ惨めなら、やりたいことをやった方が幸せだったのかもしれない。満足だったのかもしれない。

 もちろん、そんなの勘違いで、『そっち』の私も、後悔している可能性は高い。

 でも。



 友のやることを真似たら?
 別の人間だから同じ答えは出ない。

 親のやることを真似たら?
 似ていてもやはり別の人間だし、そもそも時代が違うから同じ答えは出ない。


 ただ参考にすることはできる。


 結局、自分の人生は一つだけ。


 何かを得られなくても、自分の人生だ。

 悲しくて泣き続けても、自分の人生だ。

 我慢するだけで何も得られず、ただ生きているだけの状態でも、自分の人生だ。

 とはいえ、その人生から、顔だけは背けずにいたい。

 顔を背けてしまったら、まるで他人事のように自分の人生を眺めるばかりになってしまったら、そこには『満足』も『幸せ』もなく、それは『不正解』だと思うから。

 意地で、歯を食いしばって、見るのだ。

 目を背けずに。


 そうでないと、そもそも正解をつかんだのかどうかすら、わからないから。

4/2/2024, 10:25:06 PM

 大切なものは何か。


 忙しいとは、『心を亡くす』と書く。

 時間があったらやっていたことをいくつも諦めていく。

 それは死に近づく行為と似ている。


 一部の大学やお寺で『死の体験についてのワークショップ』というものがある。

 現在行っていること、手に入れているもの、得ているものをカードとして持ち、『病状が進行した』として少しずつ手放していき、最後まで手放せなかったものや、手放すときの喪失感から、死に近づく際の疑似体験をするというものだ。

 家族、恋人、旅行やスポーツ、映画など趣味の時間。

 現代人は様々な時間を持っている。

 それを、『より大切なもの』を残し、手放していく。


 このワークショップのことを聞いたとき、私は『今の私と何が違う』と感じてしまった。

 休日なく、毎日夜中まで働く環境。現代日本では珍しくなくなってしまった『ブラック環境』は、まさにこの『手放すこと』の連続である。

 子どもの運動会や参観日、家族との時間、あるいは続けていた自分の趣味。それまでやっていたことを次々と手放していくことになる。

 忙しいから。


 体が健康でも、心は亡くなる。現に『死のワークショップ』と同じことをしているのだから、まさに『亡くなる』といえる。


 妙に納得である。


 そして、そんな生活を続けていたら、本当に体や心を壊すのである。

 日々の忙しさにかまけて、ワケが分からなくなっていないか。

 別に大切でもない『仕事』というカードを大事にして、『家族』や『健康』など、大切なものを捨てていないか。


 『忙しすぎる仕事』とは、心を亡くす病である。

 『そうは言っても、仕事をしないと食べていけないよ。お金がないのだから』ということもあることと思う。
 むしろ、その声の方が多いかもしれない。

 しかし、結局は『程度の問題』であり、それで体を壊し、心を壊して、働けなくなっては、やはり、食べていけなくなる。

 我々は一体どうしたらいいのか。

 『ワークライフバランスをとれる職場』に当たるまで転職を繰り返すべきなのか。

 悩みながら、今日も夜中まで仕事をするのだ。

 答えはすぐに出ない。

 しかし、考えないと、行動しないと待っているのは自分が壊れる未来だけ。



 『大切なもの』は何ですか。

3/31/2024, 8:50:32 AM

休職(テーマ 何気ないふり)


悪いけど、これをお願い。

これも。

これも。

あれこれあって悪いけど。

あなたは職位も高いし、求められている責任も大きいから。


家に帰ると、家事と育児を手伝わないことを妻になじられる。

やれ、近所の○○さんの旦那さんは料理してくれる。

プレゼントをくれた。


子どもは授業参観に来ることを期待しているが、その日は仕事が入っている。


どうしたらよいのか。


きつく言われても、泣かれても、顔色一つ変えない、作り笑顔だけはうまくなる。


はあ。はあ。そうですか。

分かりました。


家庭と仕事の板挟みになって数年。

上司に相談しても、上司も同じようなものだ。

妻の悲鳴と怒声を、子どもの泣き声をワタシが聞き流すように。

ワタシの悲鳴も上司に聞き流される。

そうして、大量の仕事を、家庭と健康をを犠牲にして回していく。

そこには何もない。

私の心はない。

ただ、顧客には笑顔を見せているだけだ。


そして、ある朝、体が動かなくなる。

声が出なくなる。

文字が読めなくなる。


胃が痛くてたまらなくなる。


何もないフリ、優秀なフリ、仕事ができるフリ。


嘘で塗り込められたワタシは、ついに機能しなくなった。

いっそ、心がなくて、本当に『何でもない』ならよかったのかもしれない。


精神科でもらった薬で、心を矯正する。

字が読めるようになる。

胃が痛くなくなる。

体が動くようになる。


これで、何気ないフリをして、仕事に戻れる。

だが、結局、授業参観には行けないのだ。

ああ、息子の悲しい心が分かるから、自分も同じ思いを子どもの頃にしたから、だから余計に、○○が痛いのだ。

薬で胃は痛くなくなるが、○○が痛むのは止まらない。

やがて薬の量は増える。


何気ないフリはもう限界だ。

ワタシという機械は、この環境ではもう満足に動かないのだ。

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