悪魔と魂について(テーマ ずっと隣で)
※まとまりが今ひとつの中途半端なファンタジー小説です。
1
僕が中学生の時に亡くなった祖父には、若くてきれいな介護士がついていた。
名を佐久間さんといい、長い黒髪、スラリとして背が高く、女性らしいメリハリのある体。顔は優しそうでお淑やかそうな風貌。
昔の僕が彼女に密かに憧れていたことも無理からぬことだと、今も思う。
しかし彼女は、風貌に反してキビキビ働いた。
黒髪は根本で縛り、地味なエプロン姿が多かった。
佐久間さんは、祖父につきっきりで食事の世話はもちろん、掃除も服の洗濯などもして、もうスーパー家政婦といった塩梅だった。
それは甲斐甲斐しく祖父の世話を焼いていた。
両親は「募集してみるものだ。いい人が来てくれた。」と喜んでいた。
佐久間さんが来るまで、うちはどうしたらいいか、難しい状態になりつつあったのだ。
両親は共働きで、祖母はすでに他界。
昼間の家は、認知の入った祖父しかいなかった。
祖父は杖をつけばかろうじて外を散歩することができるくらいの状態だったので、徘徊して行方不明になることもあり、その時は消防や警察が出て捜索された。
両親は家を施錠してから会社に行くようになった。
僕は鍵っ子で、家に帰ると鍵を開け、祖父にお昼は食べたか聞いたり、夕飯の用意をしたりしていた。
祖父は家に閉じ込められることで鬱々としていた時期もあった。
佐久間さんが来てからは、家の鍵は開いていたので、僕も鍵っ子から卒業した。
そして、僕が祖父の世話をする必要はなくなり、祖父の散歩も佐久間さんが付き添うようになった。
それどころか、僕ら家族全員の洗濯・食事の面倒まで見てくれた。
両親が二人とも帰ってきたら、佐久間さんは両親に今日の報告をして帰宅する。
そして、翌日、朝にまた来る。
決して出しゃばらず、気配りを欠かさず、掃除洗濯、料理もやってくれる。
土日は休みだが、両親がどうしても外せない仕事があるときなどは休み返上で来てくれたりもした。
一体彼女のプライベートはどうなっているのか。
あまりの仕事ぶり、熱心さに親父など『もしかして昔、親父の愛人とか、隠し子だったのでは』とか冗談半分に言い出す始末だった。
当時は『変なことを言い出す親だ』と思っていたこのセリフは、真実の一欠片を持っていたと、後で気がついた。
2
佐久間さんが来て半年ほど。
僕も家族もすっかり佐久間さんに馴染んでいたが、祖父の認知は徐々に進んでいた。
食事したことを忘れる。
ひどい時は両親の顔すら忘れる。
不思議なことに、僕の顔はだいたいいつも覚えていたが、佐久間さんにも「あんたは誰だ」と何度も言っていた。
そして、自分の思ったように話が進まないと怒鳴るようになった。
2日に1回は怒鳴り声が上がるようになり、僕は佐久間さんが嫌になって辞めてしまうと思っていたが、佐久間さんは辞めなかった。
怒鳴る祖父にも柔らかな態度を崩さず、愛想よく対応していた。
この頃の両親はひたすら佐久間さんには恐縮していた。
しかし、祖父が元気なのもこのあたりまでであった。
祖父は転倒して骨折し、寝たきりになってしまったのだ。佐久間さんが食事を準備するために離れていた時の出来事だった。
まともに歩けず、ベッドと車椅子の日々。
佐久間さんは文字通り、祖父の身の回りの世話をすべてするようになった。
今考えていたことを忘れたり、立ち上がることも相当難しくなっているのに、気に入らないとすぐ怒鳴る。そんな祖父にどう接していいかわからず、僕はこの頃から、祖父の部屋を避けるようになった。
しかし、今はもう少し祖父の話を聞けばよかったと後悔することも多い。
僕は、祖父のことをあまりにも知らなかった。
そして、避けることができたのも、佐久間さんが祖父の面倒を見てくれたからにほかならない。
3
ある時、佐久間さんが僕のところに来た。
「ハルさんが君を呼んでいる。悪いけど、ちょっと来てくれないか?」
ハルさんとは、祖父のことだ。祖父は貞治(サダハル)と言う名前で、佐久間さんはしばしばハルさんと呼んでいた。
そして、佐久間さんは両親に話す時は女性らしい大人の話し方をするのに、僕に対してはなんだか男の人のような話し方をする人だった。
ただ、僕はそういう佐久間さんの態度は嫌いではなかった。
久しぶりに祖父の部屋に入ると、寝たきりの人特有の、食事も排泄もこの部屋でしていることによる、色々と混在した匂いがした。
とはいえ、佐久間さんが空気の入れ替え等を適宜しているので、そこまで気になるほどでもない。
「護(まもる)か。」
祖父は、今日は調子が良さそうだった。
護とは僕のことだ。
「うん。じいちゃん。今日は元気そうだね。」
祖父はこちらを見た。目に力がある。
「まあ、な。いつもこうならいいんだが。」
「頭がはっきりしているうちにな、伝えておきたいことがあってな。色々言わなければならないことがあった気もするが、ほとんど忘れてしまった。」
途中で咳をしながら、祖父は続けた。あまり長く話をすることに体が、喉が慣れていないのだと思った。
「だから、浮かんできたことだけ話す。」
佐久間さんが黙ってお茶を入れた。
祖父はそれを飲みつつ続ける。
「あー、そうだ。……素直でいることだ。何かを偽ると一段落ちる。これは元々は婆さんから教えてもらった言葉だがな。誰にでも素直でいろとまではいわない。大事な人達と、自分自身には素直でいろ。ワシなりの解釈だが、偽ることも、見栄を張ることもエネルギーがいる。そして、それを読み取ることにもエネルギーがいる。回りの人間にも自分にもエネルギーの消費を強いることは、結果的に、できることを狭めてしまう。」
「・・・うん。」
祖父の言っていることは、僕にとってわかるような、わからないようなことだった。理解したような気になるが、誤解しているかもしれないとも思う。
ただ、これだけはわかった。いつもの認知が進んできた祖父とは全く違う。
「昔、調子がいい時は、こういうことばかり話していたんだがな。」
祖父はまたお茶に口をつける。喉を湿らせているのだろう。
「あとは、そうだな。護はワシの血を引いていて、頭が切れそうだ。しかし、まだ若い。納得できないと動きたくない、正しいことしかしたくない、ということもあるだろう。そういうときに、少しだけ我慢して体験してみることだ。体験は言葉では表現できない経験を得られる。相手のつたない言葉で納得できなくても、手を動かすことでわかるようになることも多い。若い時は特に経験を積むことを厭うな。・・・いかんな、これでは説教だ。」
祖父は窓の外を見た。
「親は大事にしろ。特に、お前の親はお前を愛してくれている。この世に二人しかいない親だ。」
最後にまた、僕の方を見た。
「そして、心の底からやりたいと思ったことは、やれ。心の底からやりたいことを我慢してやらなかったら、年を取ってからその「我慢」に逆襲される。なぜあのときやらなかったのか、とな。」
祖父は、その後はだんだん調子が悪くなってきたのか、とりとめもないことを話し始めた。
そして、癇癪を起こし始め、佐久間さんになだめられていた。
その日の話は終わりだった。
4
祖父との話は終わったが、その後、佐久間さんは、おかしな話をした。
祖父が眠った後、居間で佐久間さんが紅茶を入れてくれたのだ。
「なんだか、今日のじいちゃんは、様子が違う感じがしたんだけど。」
「ハルさんは昔、知恵者でね。今日の様子はその時期の感じだったね。」
佐久間さんはたまに、僕とは率直な話をしてくれるときがあった。
「知恵者?」
「まあ、頭のいい人。知識がたくさんあり、物事を解決する手段を示す人、とかかな?」
この際、聞きたかったことを聞いてみる。
「・・・。佐久間さんは、昔、じいちゃんと知り合いだったんですか。」
「昔ね。」
ポットを眺めながら佐久間さんが言った。
「昔って、こどもの頃とか?」
さらに突っ込んで聞こうとした僕だったが、佐久間さんの空気と声色が変った気がした。
紅茶を優雅に飲みながら、カップから一滴わざと紅茶をテーブルに溢し(その行為に意味はわからない)、こちらに流し目をした。
「私はね。実は人間じゃなくてね。悪魔なんだ。」
なんともいえない空気が流れた。
「そういう冗談はいいので。」
「まあ聞いてくれ。ハルさんはね。悪魔の私と知恵比べをしたのさ。昔話でよくあるだろ?妖怪や悪魔との取引・騙し合い。アレみたいなものだ。物語になっている分は、人間が書いた物語だ。当然人間が勝つが、実際は何百倍も悪魔が勝っている。希少な勝ちだから、物語になっているわけだ。」
話半分(いや、半分でも信じ過ぎだと思うが)で聞きながら、紅茶を飲む。
佐久間話しながらおかわりを注いでくれた。
水仕事もずさんはっとしているはずなのに、手もキレイだ。
「様々なやり取りをしたよ。ハルさんは賢く、私はほとんど勝てなかった。そこでね。知恵ではなく絆を試すことにした。トメさんが死ぬときにね、トメさんと賭けをしたんだ。あんたの夫の心を奪えるかどうか。奪えれば、魂をもらうと。」
トメさんとは、祖母の名だ。
祖母は僕が小学生低学年の時に亡くなった。
祖父が田舎から出てきて僕らと同居する前のことで、その頃は田舎に祖母と二人で住み、僕は両親に連れられて盆正月に田舎に行っていた時に会うだけだった。
死に目にも会っていない。
悪魔かどうかはさておき、その頃に、佐久間さんは祖父・祖母の両方と面識が会ったということだ。
「それで、ボケてきた今を狙って、ハルさんの心を私のものにしようとしているわけだ。いつも隣にいることでね。」
「いや、じいちゃん、ボケてますよ。それでいいんですか。」
「悪魔の価値観は、人間とは違う。悪魔にとって、人間は死んで終わりでもないしね。」
話は、それで終わりだった。
祖父の話は難しく、佐久間さんの話はトンデモで、からかわれたとしか思えなかった。
5
祖父は、それから半年ほどで亡くなった。
あれから祖父とまともに話をする機会はなく、そもそも祖父はまともに話をすることもできなくなった。
祖父は意思を示すことが稀になり、僕たちも祖父の意思を汲み取ることができなくなった。
佐久間さんだけが、ずっと隣で、相変わらず祖父の側で世話を続けていた。
しかし、それが祖父の容態を良くすることはなかった。
祖父はある朝、冷たくなっていた。
父も母も、通夜、葬式を通して、静かに祖父と別れをしていた。
佐久間さんも、両親からの願いもあり、家族として葬儀から火葬まで付き添った。
佐久間さんは、言葉少なく、悲しそうだった。
通夜・葬儀というのは中々の重労働だ。
特に参列者が多い葬儀の場合は香典や挨拶もある。
ただ悲しみに暮れるよりも、やることがある方がいいということなのだろう、とは、歳を取ってから思うようになったことだ。
そうして、火葬後、一週間ほど祖父の部屋の遺品整理などに一区切り着いた段階で、墓地に骨壺を納め、それで終わりだった。
佐久間さんも契約が終わり、何度もお礼を言う両親に対しても「お世話になりました」と頭を下げて去っていった。
(どう考えても、お世話になったのはこっち・・・。)
佐久間さんの悪魔がどうとかいう与太話は、すっかり頭から抜け落ちていた。
6
小さな子どもをからかっただけか、本当に悪魔だったのか、今となってはわからない。
あれから5年が経ち、僕は大学生になっていた。
学生生活は楽しい。レポートは多いし、我慢することも、不安も多いけど、何をしてもいい時間も多いからだ。
しかし、あの時祖父に言われた言葉は、僕の側にずっといた。
我慢した分だけ何かが溜まっていった気がした。
見えを張って偽った分だけ、上っ面の付き合いの知り合いは増えたが、僕という人間を理解してくれる深い友達は減った気がした。
判断をするとき、迷う時、祖父の言葉は一緒にいた。
そして、その言葉の意味も身にしみた。ただし、多くの場合は、やらかしたあとで、後悔とともに思い出した。
(まるで呪いだ。)
ある日、サークルの飲み会。二十歳になった僕は、飲み会に参加して、悪酔いした。
その飲み会の帰り道、酔っ払った僕は、佐久間さんに再開したのだ。
7
サークルの皆と別れ、ビルの間の道を千鳥足で歩いていると、懐かしい佐久間さんがいたのだ。
5年ぶりに見る彼女は、全く変わらないように見えた。
僕はあれから背が伸びたので、視点は逆転している。
「久しぶりだね。私のことを覚えている?」
その声を聞いて、それだけで酔いが覚めた気がした。
「佐久間さんだよね。お久しぶりです。」
「すっかり大人になったね。背が伸びた。」
いや、やはり酔いは回ったままだ。いつもより余計な口が回る。
「そりゃ、あれから5年も経ったので。佐久間さんは変わりないようで。さすがは悪魔、でしたっけ。」
「良く覚えているね。忘れているかと思った。」
「少し気になることもあったので。」
「気になること?」
「じいちゃんの魂は、結局佐久間さんが持ってっちゃったのか、どうか。」
佐久間さんは、少しふくれっ面をした。
「ハルさんは死ぬまでトメさん一筋で、トメさんもあいつをずっと思っていたよ。」
(そうか。じいちゃんは、魂を取られなかったか。)
満足そうな笑みを浮かべた僕を、佐久間さんは舌打ちした。
「まあいいよ。ハルさんと、もう一つ賭けをしていたのを思い出して、きみに会いに来たんだ。」
「?」
「孫の心を奪えるかどうか。」
「・・・?それは、どういうこと?」
「ハルさんは死ぬまで一途だったが、きみはどうかな?」
「・・・いやいや。前提が違いますよ。僕、彼女いないですし。」
僕は、自分で言うのも何だが、独り身だった。
(奪うって言っても、だれから?)
「賭けは成り立たないでしょ。僕と佐久間さんがくっついたら、誰が負けるんです?」
「いや、成り立つ。きみの心を奪えたら、きみが死んだ時、私はきみの魂をもらう。」
「なんだか分かるような、分からないような。そもそも、魂って、なんですか。」
「それをわかっていないから、賭けが成り立つところがある。その商品が100円か10000円か分かっていれば、1000円で買うかどうか、迷う人はいないでしょ。」
(そもそもなぜ、じいちゃんは僕を賭けの俎上に載せたのか。)
「まあ、まずは寂しそうなきみの身の回りの世話をするくらいだ。」
佐久間さんは、こうして僕の側にいることになった。
この展開が祖父の深慮遠謀によるものかどうかは、良くわからない。
なお、佐久間さんが部屋に入り浸るようになってから大学の寮からは早々に出ていくことになり、バイトしながらワンルームを借り、様々な騒動にも首をつっこむことになるが、それは別の話だ。
残業後対話篇 ~愛と平和と恋と革命~(テーマ 愛と平和)
1
これは、西暦2020年を超えた日本の、ある会社での、一人の会社員の、残業が終わってから帰宅するまでの心の中の話。ひどく狭い範囲の話。
会社員こと私が、『イマジナリーフレンド』と呼んでいる想像上の友人と、内心で話し合うだけの物語だ。
もう40も過ぎた独身男の、痛い独白の話だ。
イマジナリーフレンドは、私の想像上の存在だからして、私の内心は言葉にしなくてもわかるし、イマジナリーフレンドの考えることももちろん分かる。
なにせ、私が考えているからだ。
『何の意味があるのかは、わからないけどね』
今日のテーマは、戦争と平和。いや、愛と平和について。
2
(いや、そんな壮大なこと考えなくてもいいよ。疲れたから帰ろうよ。)
パソコンを閉じる。タイムカードを切る。今日も一日お世話になったコーヒーカップを洗う。
頭は仕事で酷使されて疲れ切っている。難しいことは考えるのがつらい。
『きみ、学生の頃はこういうの考えるの、好きだったじゃん。大人になるとすっかり丸くなったというか、日和ったというか。』
(自分の能力の限界を知っただけだよ。世界をどうこうする力なんて無くて、ただ、自分の生活を守ることすら難しい。毎日夜遅くまで働かないと、行きていくことすらできない。)
『愛と平和。大事でしょ。』
(大事だね。特に平和は。戦争なんかになったら、会社で給料をもらって日々暮らすことすらできなくなるかもしれないし。ミサイルが飛んできて会社が物理的になくなることも考えられる。愛は・・・。まあ、大事なんじゃない?関係ないけど。)
『もう自分の人生に関係ないと思って、投げやりになってるね。』
(40過ぎて独身だとね。愛はもう縁が無いかな。)
『恋と革命、若いときには憧れてなかった?』
(若い頃のそういうのって、はしかみたいなもんでしょ。誰もが通る道だよ。)
ふと、思う。
(いや、革命は今でも切に求める。DXだよ。デジタルの力で夢の定時帰宅だよ。)
そう。改善と仕事の改革は諦めてはいけない。
『革命ってそういうのだったっけ?きみ、話の規模がちっちゃくなったよね。』
(それが大人になるっていうことだ。)
『大人でも、平和のために活動している人、結構いるじゃん。きみもやってみたら。』
ここ広島では、毎年夏になるとそういう活動がちらほら見えることは確かだった。
3
平和を歌で実現しましょう。
そういう運動もある。
平和を行進で訴えましょう。
そういう運動もある。
平和を署名で訴えましょう。
やはり、そういう運動もある。
そういう意思を示すことは重要だ。
しかし、意思を示す以上のことは、歌にも、行進にも、署名にもできない。
もしかすると、その意思が国民の半分以上になれば、民主主義の国だ、なにか大きな力になるかもしれない。
ただし、それは内部への力であり、外部、特に外敵に対しては無力だ。
例えば、他国で志を同じくする人が同じく平和を訴えて、戦争しないようその国に訴えるのであれば、効果はあるかもしれないが。
相手が強盗をすると決めている場合、無抵抗では奪われるだけなのだ。
抵抗しないという主張であっても、せめて逃げなければ。
(参加しても成果はでないから。暇ならともかく、さ。こちとら、仕事だけで精一杯の人生だし。)
『えー?じゃあ、きみはあれか。愛と平和においては、愛は諦め、平和は自分には何もできないと放置。恋と革命については、恋はやはり諦め、革命については仕事が楽になる改革のみを求める、と。』
(まとめてくれてありがとう。)
『ちょっと情けないと思いませんか。』
(いや、現実的に考えようよ。むしろ真っ当な結論じゃん。)
4
「恋と革命のために生まれてきた」とは、太宰治の「斜陽」で使われた言葉だった気がする。太宰先生がさらにどこかから引っ張ってきていたら知らないが。
「恋と革命」とは、つまり、恋=普通ではない状態と、革命=世界を変えるための行為のことである。
争いと密接に関わっている気がする。
(皆が「恋と革命」に身を投じたら、性犯罪とテロの頻発するカオスな世界になってしまう。)
『ラブ&ピースって言葉があるくらいなのにね。』
(愛って英語で何だっけ?)
『ラブ』
(恋って英語で何だっけ?)
『ラブ』
(・・・。ラブとピースって、関係なくない?)
『恋と革命も、そういえば関係ないよね。』
それからしばらく大して意味のないやり取りをして、結論は平和のためには『和を以て尊しとなす』であった。
(和。それのみ。愛、恋は不要。革命はもってのほか。)
そもそも、愛、他者への深い感情を重視すると、戦争や争いによって人が傷つき、死んでしまったら、その人を愛している人は、仇を討ちたくなるだろう。
大事に思っているから。
そして、仇を討つと、今度はその人を大事に思う人が、またこちらを恨みに思う。
永久に恨みの連鎖だ。
愛によって、戦争は終わらなくなる。
戦争は終わらせることの方が難しい。
平和は、維持することに努力を必要とする。
愛と平和は、両立が難しい。
極めて難しいことを要求しているのである。
『まあ、結局、恋も革命も愛も無関係の年になっちゃったからね。』
(せめて平和くらいは維持したいものだよね。)
22時を回った会社から帰宅しながら、戦争はもちろん、災害も起きないことを切に願って私は帰宅する。
願うだけでは、何の意味もないことはわかっているけれど。
残業後対話篇 ~過去の美しさとは~(テーマ 過ぎ去った日々)
1
これは、西暦2020年を超えた日本の、ある会社での、一人の会社員の、残業が終わってから帰宅するまでの心の中の話。ひどく狭い範囲の話。
私には、人に言えない癖がある。
『イマジナリーフレンド』と呼んでいる想像上の友人と、内心で話し合う癖だ。
もう40も過ぎだ独身男の、痛い行為。蘇った中二病、とでも言おうか。
イマジナリーフレンドは、私の想像上の存在だからして、私の内心は言葉にしなくてもわかるし、イマジナリーフレンドの考えることももちろん分かる。
なにせ、私が考えているからだ。
『何の意味があるのかは、わからないけどね』
イマジナリーフレンドは、だいたいいつも余計なことを言う。
2
残業を続けていると、他の社員が皆帰り、私だけになる時間がある。
もちろん、私が先に帰るときもあるが、しばしば、そういうこともある。
PCを閉じ、タイムカードを切って、後は机を片付けて帰るだけ、と時計を見ると、だいたい22時前後だ。
(学生の頃はよかったな。)
そう。社会人になってから、『早く帰る』なんて全くのレアケース。逆に、休みに出てくるのはよくある。コモンケースだ。
『そうかな?学生の頃より良くなったこともたくさんあるだろう。』
(そんなのある?)
『例えば、宿題がない。』
(まあ、ないけど、家の時間もないからね。22時に会社から出て翌日は8時までに家を出るんだから、宿題なんてあってもできないよ。)
『お金はある。』
(使う時間がないよ。)
『アマ◯ンで電子書籍を大人買いしている。』
(それはある。)
仕事のストレスから、面白い漫画などを見つけたら即買いしてしまうことも少なくないのだ。
そういえば、本屋に行かなくなって久しい。
学生の頃はお金がないので古本屋を巡って本を買い集めた事もあった。
そういう、有り余った時間で、お金がない分を工夫したことも、学生の楽しさだったのかもしれない。
『では、アルバイトで生活したら、学生と同じような生活になるのでは?』
(それは・・・。ある程度の稼ぎがないと、行きていけない。老後とか。)
40を超えて独身だと、確かに考えることはある。
結婚も子育てもしない、ということであれば、そこまでお金は必要なのではないか。
アルバイトや非正規雇用で程々に働きつつ、日々を暮らしていけば、人間らしい生活が送れるのではないか、と。
(しかし、だ。人間らしい生活が送れるかは疑問だ。)
おそらく、『一人で行きていくなら十分稼ぎ』は非正規雇用やアルバイトでは無理だ。
(例えば、50歳で死ぬことがわかっていれば、やるかもね。)
『あたかも一万年も生きるように行動するな。という言葉があるよね。今のきみはそれを考えるべきでは?』
(何歳で死ぬことを予定して、その分に必要なだけお金を稼ぐってやつ?)
『そう、それ。病気になるかも。貧乏するかも。そう不安を煽って貯蓄や投資を言うけれど、独り身で行きていくなら、子どもがいないなら、今日死んでも明日死んでもあまり変わりはない。』
(まあ、親より先に死ぬ不孝はしないつもりだけどさ。)
結局、お金が大事なのは、不安を消すためなのだ。だから、ゴールが決まっており、それに必要なだけのお金があれば、お金より大事なものはたくさん出てくる。
『すでに近い境地だとは思うけどね。結婚するかもしれない年齢の時は、マンガの大人買いとかで発作的に数万円使うとか、きみ、しなかったじゃん。』
そうかもしれない。
(現在から過去を思う時、過去の自分が不安だったことまで思い出すのは難しい。だから、過去を思い出すと美しかったことだけ思い出してしまうのかも。)
『本当に記憶を持ったまま学生に戻ったとしたら、「まともに稼げる会社に就職できるか」「単位を落として留年したらどうしよう」とかの不安と、再び付き合っていくことになるってわけ。』
3
昔が良くなかったことは他にもある。技術進歩だ。
(そもそも携帯電話だってかろうじて高校の途中から持っていたくらいで、それまでは電話もなかった。スマホは社会人4年目くらいからだった。)
『そう。昔の不便さにも鈍感になるよね。本当によかったことだけ、楽しかったことだけ覚えてる。』
PCも遅いし、大したこともできなかった。ゲームばっかりしてた気もするけど。
同時に、毎日を過ごすのに精一杯だった気もする。
「なんだ。今と対して変わらないか。」
『でも、一つだけ大きな違いがある。あの頃のきみには可能性があった。将来への希望といってもいい。何者にもなることができた可能性。』
(今の私にはない。)
『ないこともない。いつだって、今日が人生で一番若い日なんだから。』
4
話がだれてきた。
『だれてきても、誰も咎めないよ。』
(自分の心は咎める。)
だから、イマジナリーフレンドはしゃべるのだ。
『結局、今の状態も、きみは10年したら「あの頃はよかった」って言ってるよ。自信がある。』
そうかもしれない。
今も、過ぎ去るのだ。
何もしなくても、なにかしても。
(だから、何か行動を起こしたくなる、というわけだ。)
『きみは、結果的には「あの頃はよかった」という気持ちがもっと大きくなるよう行動すべきだと思うね。』
(どういう意味?)
『きみは学生の頃のことを思い出すけど、その頃付き合っていた女性もいないし、トモダチとつるんでいたくらいだ。女性とのお付き合いやデートなんかの思い出があれば、もっと「あの頃はよかった」と思っただろう、ということさ。10年後、50歳を過ぎたきみが「まあ今と変わらないか」と思うのであれば、人生を楽しむ「かい」がないということだよ。40歳でなにかを初めてやる?結構なことじゃないか。』
(今が人生で一番若い日、か。)
『過ぎ去った日々を思うのは、懐かしむだけではなく、今日明日をより良くするためだよ。』
今日のイマジナリーフレンドは、何だか良いことを言い過ぎだと思う。
そして、会社の電気を消して、私は帰途についた。
何をしようか、と考えながら。
月のありがたみについて(テーマ 月夜)
昔は月明かりで歩く人も多く、月は照明代わりになっていた。
もちろん、現代の街灯ほどの明るさはないので、十分とは言えない。
それでも、月のない夜というのは、街灯がない田舎では足元どころか手元も見えないありさまだったのだ。
あまりにも何も見えないので、どこに何があるかわかっている家の中ならともかく、外は歩くというよりも『泳ぐ』と表現する方が適切なくらいだ。
視覚が完全に塞がれている状態だから、不用意に走ったりなんかできない。足だけでなく両手も聴覚もフルに使いながら手探りで進まなくてはならない。
そんな具合だから、月明かりによって何となくでも『近くになにかある』とわかることは大きな違いであり、お月さまとは、大変にありがたい存在だった。
今は、街灯なしの道は少なくなり、夜間でも歩くのに不便は少なくなった。
『お月さま』のありがたみも、日常ではだいぶ減った。
明るすぎ、近すぎなので、天体観測では邪魔者扱いされることもしばしばだ。
しかし、その代わり月の効能は学校で皆が習う。
潮の満ち欠け。
宇宙からの隕石を代わりに引き受けてくれる。
月の質量が地球の地軸の傾きを長期間維持するために寄与しており、月がなくなると、いずれは季節の移ろいもなくなる、なんて話もある。
我々がこうして日々を送れているのは、第一に地球の大地と水と空気のおかげ。
第二に太陽のエネルギーのおかげ。
そして、第三に月の効能のおかげ、というわけだ。
目に刺さるようなLEDライトの街灯が夜を明るく照らす現代の夜でも、その事実は変わらない。
そして、日本人は満月にかこつけて団子を食べたりもするのである。
ダイエットについて( テーマ たまには)
*
「たまにはいいじゃん。」
ダイエット中のはずの彼は言い、お菓子をバクバク食べた。
(この前もそう言ってた。)
「あなたのコレステロール値は悪化している。太っているようにも見えないので、体質でしょう。なので、今後は一生、この薬を毎日飲み続けてください。」
そう言って医者から告げられた知り合いは、しばしば薬を飲むのをサボっている。
彼の言い分も「一生飲み続けないといけないんだから、たまには、ね。」だ。
「1日練習を休んだら、取り返すのに2日かかるから」
他方、スポーツに打ち込んでいる友人は、そうして雨の日もどこかで体を動かしている。
「習慣づけないといけないから」
このアプリで、毎日欠かさずに文章を書いている人もいるでしょう。
*
世の中のほとんどは、後者のように「欠かさずに習慣づけないと維持できないもの」ばかりなんだろう。
だからダイエットした人はリバウンドするし、薬を飲まなくなった知り合いの健康状態は悪化した。
しかし、多くの人は「これから一生〇〇してください」と言われると反発する。
『一生歩行器を使って』と言われた祖母は、家の中では平気で杖も歩行器もなしで歩き、そして転んで骨折する。
話がずれた。
ダイエットも続かないし、スポーツもうまくならない人で世の中は溢れている。
1つは諦めてしまうから。
もう一つは「たまにはいい」と思ってしまうから。
そして「たまに」の頻度は人によって違う。
一年に一回?いやいや一ヶ月に一回?それとも、週に一回?
それはすでに「サボることを習慣づけている」とも言える。
そして、彼は一向に痩せないのだ。
*
「そんなのロボットじゃん。」と言われそうだ。
しかし、考えてみてほしい。
『たまには信号や踏切を無視してみよう』とか『たまには町を裸で走り回ってみよう』とかやる人はほぼいないはずだ。
……いないよね?
そして、信号を守るから、服を着ているから「お前はロボット」だとは言われない。
つまり、人には『一生守るのが当たり前』のことと『そうでないこと』があるのだ。
ダイエットも薬も、本来そうなのだろう。
『 一生守るのが当たり前のこと』のグループに入れて、「 たまには」の活躍の場は別のグループに委ねる。
即ち『守っても守らなくてもいいこと』のグループだ。
(まあ、そうは言っても美味しいものは食べたいんだけどね。)
だから、世の中にはダイエット本が溢れているのだ。