月のありがたみについて(テーマ 月夜)
昔は月明かりで歩く人も多く、月は照明代わりになっていた。
もちろん、現代の街灯ほどの明るさはないので、十分とは言えない。
それでも、月のない夜というのは、街灯がない田舎では足元どころか手元も見えないありさまだったのだ。
あまりにも何も見えないので、どこに何があるかわかっている家の中ならともかく、外は歩くというよりも『泳ぐ』と表現する方が適切なくらいだ。
視覚が完全に塞がれている状態だから、不用意に走ったりなんかできない。足だけでなく両手も聴覚もフルに使いながら手探りで進まなくてはならない。
そんな具合だから、月明かりによって何となくでも『近くになにかある』とわかることは大きな違いであり、お月さまとは、大変にありがたい存在だった。
今は、街灯なしの道は少なくなり、夜間でも歩くのに不便は少なくなった。
『お月さま』のありがたみも、日常ではだいぶ減った。
明るすぎ、近すぎなので、天体観測では邪魔者扱いされることもしばしばだ。
しかし、その代わり月の効能は学校で皆が習う。
潮の満ち欠け。
宇宙からの隕石を代わりに引き受けてくれる。
月の質量が地球の地軸の傾きを長期間維持するために寄与しており、月がなくなると、いずれは季節の移ろいもなくなる、なんて話もある。
我々がこうして日々を送れているのは、第一に地球の大地と水と空気のおかげ。
第二に太陽のエネルギーのおかげ。
そして、第三に月の効能のおかげ、というわけだ。
目に刺さるようなLEDライトの街灯が夜を明るく照らす現代の夜でも、その事実は変わらない。
そして、日本人は満月にかこつけて団子を食べたりもするのである。
3/7/2024, 7:41:57 PM