希望は人の数だけある(テーマ たった一つの希望)
1
ある戦争に負けそうな王国が、適当な若者を選んで言った。
「君だけが希望だ。たった一つの希望だ。勇者として国のために敵国の王を倒してくれ。」
僅かな支度金とともに、敵国に送り出す。
若者は何人かの敵兵を殺したが、あっさり敵国に殺された。
2
王はしばらくして別の若者を選び、また言った。
「先日の勇者は死んでしまった。君だけが残された希望だ。」
また、僅かな支度金とともに、敵国に送り出す。
若者は何人かの敵兵を殺したが、やはり、あっさり敵国に殺された。
何人もの若者を選んで敵国に送ったが、そのうち若者は選んで国を出る前にいなくなるようになった。
どうも、勇者を送り込まれることを嫌った敵国がスパイを潜入させ、選ばれて王城から送り出された直後を狙って暗殺するようになったらしい。
3
国から無謀な命令を受けた若者たちのたった一つの希望。
それは、逃げること。
暗殺の機会に敵国に降伏し、そのまま亡命するようになった。
死にたくない若者たちは、国を捨てる以外にできることがなくなってしまったのだ。
やがて、捨て駒(勇者)にされるのが嫌なのか、王に呼び出された若者は病気になったり、行方をくらますことが多くなった。
4
王は宰相に言った。
「我が国は一体どうしたらいいのか。」
宰相は王に答えた。
「彼らは時間稼ぎです。彼らが稼いでくれた貴重な時間で、我が国は時間を稼ぐことができ、敵国は間諜を送り込んでまで『勇者』を警戒するようになりました。ダ大丈夫。計画通りです。」
王は安心した。
「さすがだ。お主がいてくれることだけが、ワシの唯一の希望だ。」
5
敵国の侵攻が迫ったある日、王は宰相に謀反を起こされ、捉えられてしまった。
「なぜだ。ワシはお前に全幅の信頼をおいて、地位も名誉も金も、可能な限りのものを与えたというのに。」
宰相は答えた。
「この国はもう終わりです。私にとって、王の首を手土産に降伏することが、たった一つの希望なのです。」
我慢(テーマ 欲望)
1
欲とはなにか。
生きていくためには必要なものなのか。それとも人を悪の道に誘う悪いものなのか。
中学生の頃、告白した相手の女子生徒の顔は、一生忘れないだろう。
信じたくない、認めたくない物を見る目。
当然のように断られる。
しかし、それだけでは済まず、ショックを受けた女子生徒は泣き出してしまった。
それは問題になってしまったらしく、女子生徒の家へ、両親は頭を下げに行ったらしい。
なお、本人には来てほしくなかったらしい。
「人が嫌がることはしてはいけない。」
戻ってきた両親から、私は滾々と諭された。
わかっていましたとも。
あの子の表情を見た時に、十分にわかりましたとも。
しかし、一方で思うところもあった。
人を好きになり、一緒になりたいと考えることは、欲なのか。
ならば両親はどうやって一緒になり、私を生んだのだ。
人を好きになることは自分で始めることではない。心が動いてしまうのだ。それは確かに欲と言えるかもしれない。
生き物を殺したくなくても、お腹はすくのだ。食欲は命を奪っている。
人と一緒になりたいという気持ちも、犠牲を生むということでは欲なのだろう。
しかも、人から嫌われることで、その欲は満たされることは無くなる。
2
高校の時、日曜日に遊びに行きたいと思ってしまう。
しかし、自分が遊びに行くと、家で年の離れた小さな弟が一人になってしまう。
我慢しなければ。
人の輪に入りたいと思ってしまう。
しかし、嫌われて、輪に入れない以上、その欲は叶わない。
一人で生きていけるように強い心を持たなければ。
他人に対して欲を持つことはよくないことだ。
自分が欲望を叶えると、それがそのまま相手の不幸になる。
相手を嫌な気分にさせてしまう。
なるべく自分の努力で手に入る欲だけを持つようにしよう。
他人の気分次第で叶えられないことに欲を持つと、辛い気分になるだけだ。
3
そして、そのまま年を取り、仕事はできるようになったけれど。
誰かと一緒になることはない。
だって、あんなに嫌な顔をされて、仲間の輪にも入れてもらえない私。
そんな私と一緒になるなんて、気の毒が過ぎる。
たまの休日は、部屋でゆっくりしていけば、誰にも迷惑をかけることもない。
気楽な過ごし方だ。
誰かに好かれ、誰かと一緒になれるなんて、とっくの昔に諦めている。
4
さらに年を取り、30代も半ばを過ぎると、『誰かと一緒にいたい』という欲も減ってくる。
ようやくこの「欲」から開放される。
実に清々しい気分で日々を過ごすようになった私を見て、なぜか年老いた父と母は悲しそうな顔をした。
なぜ、泣くのですか。
ああ、孫の顔を見たい、という、あなた方の欲が叶わないからですね。
申し訳ありません。
その欲を叶えようとすると、私の子を産むために一人の女性が犠牲になります。
そんな残酷なことは私にはできません。
叶わない欲は、持たないほうがよいですよ。
ええ。
結婚や子育ては、人から好かれる、一緒になって喜ばれる人だけが叶えられる欲望なのです。
嫌われる人には過ぎた欲望というものです。
ねえ、そうでしょう。
残り僅かなひととき(テーマ 遠くの街へ)
小さな部屋の中で、椅子に座ってタバコをふかす。
他に誰もいない部屋だ。
(どこか遠くへ行きたい。)
誰も私のことを知らない街へ。
大きな失敗をした私のことを、誰も知らず、誰も責めないだろうから。
そこで私は、公園のベンチに腰掛けて缶コーヒーを飲みながら、街行く人をのんびり眺めるのだ。
遠くの街では、私が知らないこと、知らない場所だらけだ。
私はゆったりと街並みを眺めながら歩き、珍しい店などあれば冷やかして歩くだろう。
小さくとも落ち着ける住居を手に入れ、気分によっては家から出なくてもいいし、出てもいい。
部屋に騒がしい音が近づいてくる。
「もう逃げられないぞ。」
そう言って突入してきた警官隊に取り押さえられ、私のささやかな想像は終わった。
これからの私は、留置所、裁判所、刑務所のフルコースだ。
のんびりはできないだろう。
街歩きもできないだろう。
そう。
どこか遠くの街、なんて言い出すのは、追い詰められた者ばかり。
遠く街になんて、行けない者ばかり。
しかし、一方で、これでいいと思いもするのだ。
ささやかな幸せについても、得るべき者と得るべきでない者がいる。
(これでもう逃げなくて済む。)
少しだけ安心し、大人しくパトカーに乗った。
終わらない仕事について(テーマ 現実逃避)
現実逃避とは、現実にやらなくてはならないことから、意図的に意識をそらす行為だ。
学生なら宿題、社会人なら仕事や家庭の問題などが、まあよくある対象だ。
そう、つまり。
『今、君がやっていることだ』
私の頭の中の想像上の友人、イマジナリーフレンドは、こちらを指差した。気がした。
イマジナリーフレンドは私の想像上の存在で、身体がないから、気がするだけだ。
『そろそろベッドから出ないと会社に遅れる』
「昨日も23時まで仕事だったんだけど。」
『なら休む?急な体調不良だと連絡すれば休めるでしょう。』
「そして、2日分溜まった仕事で、翌日からは夜中にも帰れなくなるわけだ。」
仕事は日々やってくる。
前回までの仕事に「改善」とか「効率化」とかの名前がついた雑務が追加され、雪だるまのようになる。
そのような雑務を、前回と同じ時間で終わらせるために個人で思いつく限りの「効率化」を行う。
そうして繰り返すことで、最初はシンプルだった作業は複雑怪奇になってしまう。
その手順は本人しかわからない、できない形になってしまい、人に容易に任せられなくなる。
職場の中に「職人芸」ができてしまうのである。
一方、雑務が増えた仕事を、できる範囲しかやらない人もいる。
範囲の外側を切り捨てて、「業務時間内に終わりませんでした」と帰ってしまうのである。
しかし、仕事は消えてくれないため、上司が職人芸を駆使して片付けるようになる。
こうして、「効率化」「働き方改革」の掛け声だけ叫ばれて放置された職場は、もはや他人に渡すのは暴力というべき形になった仕事爆弾を抱えた職人と、能力の向上しない使いっ走りに二極化してしまう。
『こうして、考えても解決策まで行かないことをグルグル考えるのも、一種の現実逃避だよね。』
耳が痛い。
現実逃避だろうがなんだろうが、とにかく、少しでも爆弾を処理するために職場へ急ぐのである。
これを繰り返しても、根本的解決にならないという「現実」に目を背けて。
おじいさまへ(テーマ 君は今)
あなたは今、どこでどうしているのだろう。
何年も前に亡くなってしまったお祖父様。
この世のどこにもいなくなっているお祖父様。
墓地の墓石の中にいるのだろうか。
それなら、月に一回は墓地に行き、花を備えてお墓を掃除するだろう。
そして、話せなくなったあなたの代わりに、色々あったことを話すだろう。
家の仏壇の中にいるのだろうか。
それなら毎日線香を上げて、あなたの安らぎになるならお経も覚えよう。
天国とか浄土とかだろうか。
それとも、最近流行りの異世界転生?
あなたは真摯で真面目な人だった。
あなたは明るく場を明るくできる人だった。
そんなあなただから、天国でも異世界でも、きっとやっていけるとは思う。
元気でいればいいけれど。
………
それとも。
どこにもいないのでしょうか。
バラバラになって水や風に漂ったり、何かを構成する一部になっているのでしょうか。
そして、私の知る、あなたをあなた足らしめる魂とでも言うべきものは、私の記憶の中にしか、頭の中にしかいないのでしょうか。
どうかどこかで、続いていてほしい。
たとえ、二度と会うことが叶わないとしても、私を優しく育ててくれたあなたが、ただいなくなり、消えてしまうなんて、考えたくない。
それが死というものだと、多くの人は言うけれど、皆はなぜそれに耐えられるのか。
私を愛してくれた人も、私自身も、周囲の人は皆、100年も経てばバラバラになって消えてしまうなんて。
この世界はあまりに辛い。
だから、今日も私は仏壇に手を合わせて、『そちらはどうですか』と心の中で問いかけるのです。
例え返事がないとしても。