家(テーマ:この場所で)
1
昔、小さな町の小学校が火事で消失した。
小高い山に面した坂の上にあった学校で通学には辛かったが、周囲を山の木に囲まれていて近隣の民家が少ないため苦情も少なく、学校運営には利点もあった。
そして、町を見下ろせる景観が、生徒・教師の共通の自慢だった。
そんな小学校が火災に遭った。
当時の校舎は木造で、全焼してしまった。
このため、坂の上まで歩く利便性の低さがクローズアップされ、火事を機に、小学校は移転することになった。
学校跡地は分割で売りに出され、住宅地になった。
同時に、裏山にあった墓地がジワジワと広がり、しばらくすると、墓地に隣接した住宅地となった。
住宅地になってから数十年経ち、いくつかの家が建て替えられた。
この話は、その中の、特に珍しくもない一軒の家についての話だ。
桃太郎のような、胸のすくような話ではない。
人間の話ですらない。
読む方は、そういう話だと思って、読んでください。
2
一軒の家が建った。何の特徴もない木造建築だ。
そこは元々スロープ状になった土地で、かつては学校の講堂があった場所だ。
しかし、そのようなことを知っている人はもう殆どいない。
スロープの先は広がってきた墓地に面していたが、同時に坂道にも面しており南向きには高い建物はない。
墓地を気にしなければ、かつて小学校の生徒が見ていた町を見下ろす景観は、相変わらず楽しむことができた。
家主は、スロープ状の土地を土で埋めて石垣で囲うことで平地面積を増やし、それまでより広い2階建ての家を建てた。
在来軸組工法という、昔ながらの柱と梁による家の建築である。
枠組壁工法という安価で品質が均一な工法もあったが、南向きの窓を広く取ることでリビングから景観を楽しみたかった家主は、壁面を大きく取る必要があるその工法を選ばなかった。
また、スロープ状の土地を埋め立てたため地盤も頑丈とは言い難く、家の基礎もよく使われる「布基礎」ではなく、費用がかかる「ベタ基礎」となった。
余分に費用がかかったが、仕方がなかった。
その分、こだわり部分は譲らなかった。
決して広くない庭に、柿の木を植えた。
また、かつて学校が売却された際に残されたのか、土地にあった鉄棒も、庭に埋め直した。
完成した家は、木造二階建て。日が入る南側に1階は広いリビング、2階はこども部屋で、どちらも大きな窓から町を見下ろすことができた。
太陽熱温水器で日当たりの良さを風呂を沸かすガス代低減に活かしてみたりもした。
間取りの関係から決して広くない台所には、半地下の収納を追加することで漬物などもしやすくした。
台所はリビングと繋がっており、家族団らんをしながら料理ができることを狙っていた。
家の周囲は北と西には民家が、南は墓地と坂道から町を見下ろせ、東は山道と、山道の向こう側の山壁に根を張る大きな樹木に面していた。
柿の木は、山道側を通って墓参りや山登りをする人からリビングが見えないようになる目隠しの役目もあった。
3
家に住むのは家主夫婦と家主の両親夫婦、家主の子ども3人の3世帯7人だった。
これまでの家は部屋数が少なかったため、部屋数もリビングも広くなって家族全員がおおむね満足していた。
特に子どもたちは、墓地に面しているが、同時に街を見渡せる景観が良く、真新しく広い家を無邪気に喜んでいた。
夜は怖がっていたが、しばらくすると慣れ、むしろ持病になった小児喘息の発作の方におびえていた。
柿の木は数年すると毎年柿の実をつけるようになり、家族のデザートになった。
子どもには柿はいまひとつ受けが悪かったが、家主が柿の木の大振りな枝にロープを張ってブランコにしたときは、大喜びでよく遊んでいた。
柿の木の横にはプレハブの倉庫があり、大工道具と釣り道具が収められていた。
釣りは、家主と家主の父が趣味にしていた。家の側には魚の住むような川はなかったため、たびたび車で釣りに行っていた。
2階は子供部屋と、家主夫婦の寝室、そして書斎だった。寝室にはレコードが揃えてあり、海外のレコードが揃っていた。
子どもはおっかなびっくりレコードの使い方を覚え、特撮番組の曲が入ったソノシートを繰り返し聞いていた。
子どもは小学生になると、放課後の有り余る時間を使い、ある意味家主よりも家を探検した。家主としてはもっとスポーツに打ち込んだり、何なら裏山で飛び回ってもらうほうが安心だったかもしれない。
家主があまり子どもに見せたくない本も見つけたし、押入れから屋根裏に上がることができることも発見した。
気に入っていたこどもの日の鎧兜の模造刀を、最初は屋根裏に入れ、次に台所の半地下収納に隠した。
そして、隠したことも忘れてしまった。
しばらくして、半地下収納はほとんど開けられることがなくなり、上に段ボールや棚が置かれてしまった。
4
新築の家も、住んでいれば当然、古びてくる。
子どもの背が高くなる度に、一家は柱にマジックで線を書いた。
和室の障子は破れる度に柄のように切り貼りした。
子どもは3人になり、子供部屋は手狭になった。
外部だけではない。
埋め立て地盤をカバーするためのベタ基礎であったが、震災による耐震性などが見直される前の基準であった。
大きな地震によって家はわずかに傾き、リビングの床はビー玉が転がるようになった。
それでも、一家は、石垣が崩れたりしないだけマシだと思っていた。
太陽熱温水器は、長年の汚れからか、給湯すると黒いカスのようなものが出るようになった。
大きな窓は、そのまま内部の熱が逃げる最大の場所になった。
窓ガラスだけでなく、窓枠が伝熱性の良いアルミサッシであることも、要因の一つであったかもしれない。
しかし何より、建築した時とは日本の気候が変化し、地球温暖化によってか、夏はより一層暑くなり、冬はより一層寒くなった。
地震から数年経ち、家主の父が老衰で逝去した。
その日から数日は、家は葬儀屋の手によって白黒の幕が張られ、葬儀場となった。
まだ、今ほど葬儀場の葬儀が一般的でない、ギリギリの時代だった。
更に数年経ち、上の子どもが大学や社会人となり、3人の子どものうち2人が家を出た。
家の使い方は代わり、古びた部分も出てきたため、家主は度々リノベーションを行った。
バリアフリー化して床を平坦にして、トイレと風呂に手すりをつけた。
風呂も太陽熱温水器を外し、オール電化機器を導入してガスを止めた。
2階にもトイレを設置し、エアコンも追加した。
介護が必要になった家主の母のため、大きな音のなる呼び出しブザーなどもつけた。
そして、プレハブは取壊し、家に防音室を増築した。これは家主の趣味だった。
子どもたちは、家に帰省したときは新しくなった家の設備に喜んでいたが、3人が3人とも結婚も、子どもも設けなかったため、帰省時のみの賑わいにとどまっていた。
家の裏の山道については家の外であるため、増改築での対応は無理であった。
年々激化してきた豪雨などで度々土砂崩れしている箇所があり、道を挟んだ先の大きな樹木も家主の心配の種になっていたのだ。
何しろ大きな木だ。土砂崩れがおき、樹木が家に倒れてくれば、家は潰れてしまう。
役所に対応を依頼したが、民地らしく勝手に切ることはできないとの回答であった。
家主は、いざというときは柿の木がクッションになってくれることを願っていた。
築50年が過ぎ、心配が実現する前に家主が世を去った頃、相続した家主の妻と3人の子どもたちは話し合って、坂の上り下りが厳しいとして、不自由な立地から、結局、家を売ることにした。
5
売られた家は、まだ若い別の家族にすぐ買われた。
坂の上り下りが厳しいのは高齢者であり、若い家族は特に問題に思わなかったのだ。
新しい家主と家主の妻、そして小さな子ども。
家は、築半世紀を超えて、新しい住人を迎えた。
50年経っていたが、前の家主の増改築によって、そこまでの古さは感じさせなかった。
また、高度経済成長期に働いていた前の家主と比べ、新しい家族は不況が長期間続いている期間で働いているため経済状況は比較にならない。
新築など考えることもできなかった。
家にとって2番目の住人となる彼ら家族は、家を大事に使っているように思えた。
以前の家主一家が置いていった家具などもほとんどそのまま使い、使えないものだけを捨てていた。
そのため、冷蔵庫も棚も、置いていった食器も、そのまま使わせてもらっていた。
子どもは前の一家と同様に墓地に怯えていたが、やがて慣れた。
夫婦は、外気の冷気が入りやすいことや、山に近いために虫が出やすいことに悩んでいたが、やはりこれも慣れた。
家を十分以上に探検し、喜んでいたのはやはり子どもだった。
トイレが1階と2階の2つあることに驚き、子供部屋の広さに満足した。
しかし、台所の棚を動かすことはできなかったので、台所の半地下収納の中に隠された模造刀は発見できなかった。
というより、この一家はそもそも台所の下に収納があることに気がついていなかった。
築年数に比べて相当に住みやすい家であったが、同時に、建築時は7人で住んでいた家である。
夫婦3人で住むには広すぎたのだ。
夫婦はよく親戚を招待してパーティーなどを行って、空いている部屋を使用したが、やはり年間のほとんどの期間は空き部屋になる部屋がいくつもあった。
使わない部屋をルームシェアなどで活用してはどうかと夫婦で話すこともあったが、玄関や動線は一つであり、子どももいるので結局実現しなかった。
新しく出た掃除ロボットなどを活用して、キレイに保つようにしたくらいである。
2番目の住人の家族は、大事に家を使っていたが、10年以上経過し、子どもが大学で家を出てからは、より一層静かな家だと感じるようになった。
大学を卒業した子どもが東京で就職し、帰ってこないことがはっきりしてからは、夫婦は広すぎる家について考えるようになり、結局、売ってしまった。
6
家は、夫婦から不動産屋へ売却されたが、不動産屋はそれをどうするか悩んでいた。
築年数が相当経っているので解体して土地として売るか、再度建売をするか。
または、賃貸で住人を募集してみるか。
とりあえず、一番金のかからない、「家具つき物件」の賃貸で募集してみると、あっさりと応募が遭ったため、不動産屋は考えるのを辞めた。
次に住んだのは、高齢の老夫婦だった。
夫婦は最初から2階部分を使うことを諦め、バリアフリー化している1階部分だけを使用した。
買い物には不便であったが、この頃になると、スーパーが食材や食事を届けるサービスの対象地域になっており、あまり外出しない老夫婦には、静かな環境は快適だった。
また、夫はレコードがあることに喜び、防音室で懐かしい曲を聞いて楽しんでいた。
妻は、小さな庭に畑を作ってミニトマトを育てたりしていた。
この夫婦が住んでいる時、ここは、時間がゆっくり進む家となった。
老夫婦は、照明部分だけ工事を行った。
壁のスイッチをやめて、リモコンとセンサーによる照明に切り替えたのだ。
これで、老夫婦は生活に完全に満足していた。
この生活は、家が本格的に老朽化してくるまで10年続いた。
オール電化機器が壊れたことで風呂・台所がまともに使えなくなったころ、老夫婦も体が満足に動かなくなったため、老人ホームへ移った。
7
再び不動産屋はこの家をどうするか考えることになる。
オール電化機器が壊れたことが、この家の賃貸物件としての価値を激減させていた。
(しかし、この時点で解体しては赤字だ。)
不動産屋が家を購入した際の価格と、老夫婦の10年の家賃、解体のための費用が釣り合っていないのだ。
しかし、世の中の経済状況は少子高齢化から決定的に悪くなっており、家の周囲どころか、全国的には自治体自体が収縮・消滅傾向にあった。
全国各地に「廃村」「廃町」は珍しくなくなっていた。
悩んでいたところを、一人の作家が建物ごと不動産屋から購入した。
不動産屋は、頭の悩ませる物件から一つ開放されて喜んだ。
作家はあまり売れていなかったが、オール電化機器を取り付け直すと、ひたすら家に籠もった。
作家が気に入ったのは防音室だった。
周囲の生活音が気になる性質出会った彼は、執筆の際にはその部屋にこもった。
執筆が終わっても、用がある時以外は家から殆ど出ずに、前の老夫婦と同じように宅配サービスに頼った生活をしていた。
作家は5年間そこで暮らしたが、やがて本が当たり、大金を得た彼は東京へ引っ越して行った。
家を所有したまま。
8
5番目の住人は、複数の若い学生だった。
作家は、年の離れた甥が地方の大学に行くことになったと聞き、そういえば昔住んでいた家がそのままなので、と甥に住むように言ったのだ。
甥は、ワンルームでも最新家電が揃った部屋で生活したかったが、家賃がタダなので妥協した。
更に甥は、一人で住むには広すぎることをひと目で判断した。
寂しい大学生活が嫌だった彼は、サークルの人間を「家賃格安でルームシェアしないか」と次々誘い、完全に溜まり場にしてしまった。
周囲は墓地と、人が少なくなった住宅地。
文句も殆ど出なかった。
若さがあり余っているサークルの若者たちは、何十年も設置したままだった棚を動かし、冷蔵庫を入れ替え、自分たちの住みやすい基地に作り変えていった。
「うわ、なんだこれ。日本刀あった!!日本刀!!」
ついには台所の半地下収納から、最初の家族の子どもが隠したままの模造刀を見つけたりもしたが、模造刀だとわかると、棚に放り投げ、たまにサークルの人間がふざけて振り回すおもちゃになった。
しかし、その彼が卒業を控えた大学4年の時、事件が起きた。
人が少なくなったご時世。若い人間が毎晩集まって騒いでいるのを見て、金を持っていると勘違いしたのか。
強盗が入ったのである。
9
その強盗は、日本語が話せないようであった。
その日に家にいたサークル仲間は、作家の甥を含めて3人。
インターホンが鳴り、誰か別のサークル仲間が着たかと家主代理の作家の甥が不用意に玄関を開けると、目出し帽を被った強盗が立っていた。
強盗は一人だったが、刃物を持っていた。
「カネ、出せ」
作家の甥は腰が抜け、大声を出せなかったが、すぐ横にあった紐を引いた。彼はそれがなにか知っていた。最初の家主が、母の介護に使おうと家の各所に設置したブザーだ。
リビングに大きな音がなり、不審に思った残り二人が玄関を覗くと、そこには目出し帽と刃物。
2人は逃げた。
しかし、強盗は逃げる者から仕留めようと思ったのか、幸いにも腰を抜かした甥を放置して二人を追いかけることを優先した。
多少広いとはいえ、所詮は一軒家。ぐるぐる家の中を回るうちにすぐに追い詰められた。
「カネ!出せ!」
カタコトの日本語で繰り返す強盗に、作家の甥は相変わらず玄関で腰が抜けていたが、残り二人のうち一人は剣道経験者で肝が座っていた。
先程逃げ回りながら拾った模造刀を無言で抜いた後、「キィエエエイ!」と気合の声を出して渾身の小手を打ち、強盗の手から刃物を叩き落とした。
残ったもう一人は警察を呼び、強盗はあっけなく逮捕された。
10
強盗逮捕後は特に何もなかった。作家は、甥を助けてくれたサークル学生に感謝して、家は何年かサークルの持ち物として賑やかに使われた。
しかし、老朽化した建物に若い大学生が何人もいればどうなるか。
やがて壁が壊れ、床が抜けた段階で、さすがの作家も諦めて解体することにした。
幸い、それだけの蓄えはあった。
甥も卒業しているため、もうこの地に建物は不要だった。
実に建築から97年。
その家は取り壊された。
ついでに、崩れかかっていた石垣も崩し、もとのスロープ状に戻した。
しかし、一方で何も無くなるのは惜しいと思ったのか、あるいは墓地にすることで節税を狙ったのか。
作家はそこに自分の墓を建て、ついでに余った土地に墓参り用に小さな東屋を建てた。
電気も水道も、そこだけ生きている。
そこには看板がついている。
『墓参りの方、ご自由に水を使ってください。なお、よければ横のミニトマトと柿の木にも水をやってください。実がなっていればご自由にどうぞ。』
東屋には畑仕事用の道具と掃除道具もあり、墓地に墓参りに来た人は皆水を借りて、ある人は柿の木の葉っぱを掃除し、ある人はトマトに水をやり、季節が良ければ実をいただいた。
その場所に家はなくなったが、柿の木と、山道を挟んだ先の大きな樹木は健在であり、町を見下ろす景観は、今も墓参り客を楽しませている。
残業後対話篇 誰もがみんな平等に抱えているもの(テーマ 誰もがみんな)
これは、西暦2020年を超えた日本の、ある会社での、一人の会社員の、残業が終わってから帰宅するまでの心の中の話。酷く狭く短い範囲の話。
*
建築されてから1年も経たない、真新しいビルだった。
作りたての社屋に、キレイな机、座り心地の良い椅子。
しかし、そんなビルでも勤務形態までホワイトな訳では無い。
まだ肌寒い時期であるのに、定時と同時にエアコンは停止している。構造上、外気が入りにくい設計となっているためそこまで寒くなっていないが、熱源がないので限界がある。
一人の会社員が、スーツの上からコートを着てパソコンのキーボードを叩いていた。
(40を超えた中年の体には、この寒さはこたえる。)
彼はしばらく一人で仕事をしていたが、22時を回り、いい加減、続きは明日に回そうという気になったのか、パソコンを机にしまい、施錠した。
残業カウントのためのタイムカードを切ると、今日一日お世話になったコーヒーカップを洗いに給湯室へ向かう。
昨今、日本では働き方改革が声高に叫ばれるようになった。
大変結構なことで、彼の会社でも、早く帰るようになった社員や部署がいくつもある。
彼も見習いたいと思っているが、効率化したり辞めたりした仕事より、手を変え品を変えて降ってくる仕事の方が多く、全体として彼の担当仕事は減っていなかった。そして、それは彼だけではなき、一定の社員は結局遅くまで残っている。
世の中、すべての問題を一度に解決することはできないのだ。
彼が思うに、残業というのは、仕事上の様々な要因によって「日中に終わらなかった仕事」を結果的に勤務時間外に片付けているだけなので、「結果」なのだ。
根絶するためにはその「結果」に至る「様々な要因」を根気強く解決していく必要がある。
「病気をなくせ」と言われてもなくせない。世の中には様々な病気の要因があるからだ。一言でなくせるなら医者はいらない。
現実的には、増えた病人をカバーできるくらい病院を増やすことになる。
同様に、「残業をなくせ」と言われても、その内訳を個別の社員の「効率化」にだけ求めている以上、解決するはずがないのである。
(少なくとも、原因究明の時間も対策する時間も全て「個別の社員の努力」に丸投げしているうちは、解決しないだろう。)
そんな慢性的な残業においても、他の社員よりも少しだけ長く残って仕事をしていた。それは、家庭を持っていないからかもしれないし、効率が良くないからかもしれない。効率が叫ばれ始めてからもう5年以上経っている。いくら個人で仕事をしても終わらない現状に、彼自身にはもう、よくわからなくなっていた。
必然、彼は定期的に、会社を出る前には一人になる時間ができてしまっていた。
*
彼には、学生の頃、自問自答する癖があった。
自問自答くらいなら誰でもするだろう、と思われるかもしれないが、彼は、頭の中に別の人格を想像し、イマジナリーフレンドとして、あたかも別人格と話をするようにして会話をしていた。
そのような痛々しい癖も、卒業して就職して忙しくしていると姿を消し、若気の至りとして、思い出すこともなくなっていた。
かつて、学生の頃にしばしば会話したイマジナリーフレンド。
主に雑談と哲学談義に花が咲いた会話について、不惑の年齢に至って結婚も子育てもしていない精神的な寂しさも会ったのかもしれない。
残業でタイムカードを切った後、その癖が彼の中で20年振りに復活していた。
*
今日の話題は、「生き物全体の共通項とはなにか」。働くことの意味を体験していなかった学生の頃とは違い、彼地震も、イマジナリーフレンドも、心が年を経ていた。
「もちろん、生きている、ということがまず挙げられる。」
『『僕らはみんな生きている』というやつだ。』
20年ぶりだろうが、イマジナリーフレンドはごく自然に話をする。
他人ではないので、特に挨拶も何も無い。
「しかし、それでは定義を繰り返しただけだ。生き物とは、生きているもののことだ。というだけ。何のひねりもない」
彼の中で『◯次郎構文』という悪口が流行っていた。
『では、それ以外に「誰もがみんな」と言えることはあるか?恋している?群れたがる?幸せを求めている?番を残そうとする?』
「どれも例外はある。友だちを作るのも、恋人を作るのも、子どもを作るのも、「誰もがみんな」ではない。恋をしない生き物もいるだろうし、群れからはぐれるものもいる。そもそも、私は今幸せを求めているのだろうか。夜中まで働き、休みもない現状で。」
両親は彼という子どもを作ってくれたが、彼は恋人も子どもも作っていない。
美味しいものを食べる経験?
悲しくて泣く経験?
いやいや、それらには例外がある。
生まれてすぐ死ぬ子どももいるのだ。
『では、単純に対義語から攻められるだろう。生き物がいつか辿り着く場所、死だ。』
そう、みな、死だけは行き着くのだ。
*
祖父が亡くなったのは、彼が高校生の時だった。まだイマジナリーフレンドも彼の心の中にはいなかった。
数年前から頭がはっきりしなくなった祖父。食事時に倒れたこともある。
そして、ある日起き上がれなくなり、寝たきりになった。
寝たきりになってから数ヶ月、もう危ないと分かったのだろう。
盆正月以外に会うことがない叔母と従兄弟が、県外から家に来ていた。
祖父が亡くなるまでの、2日間。
奇妙な時間だった。
誰も祖父の死を望んでいない。しかし、彼らは、死に目に会いに来ている。
(もし、このまま死なずに生きていたら、彼らはいつまで居たのだろう、と思う時がある。)
その時は、たぶん、最後の別れを済ませて、彼らは帰っていったのだろう。
しかし、そんな都合の良い「 もし」はなかった。
祖父はそのまま亡くなった。
亡くなった瞬間より、その後の事の方がよく覚えていた。
葬儀屋が死んだ祖父の体を拭き、髪を整え、爪を切り、脱糞しないためだろう、尻から綿を詰めた。
葬儀には沢山の人が訪れた。「葬儀場で家族葬」が増えた昨今ではあまり見なくなった『自宅での葬儀』に詰めかける近所・会社関係の人・人・人。
火葬場では、柩を台車に載せて炉に運び込み、戸を閉める。遺体を焼く長い待ち時間があった。
火葬後は、熱気が残る台車から、親族が長い箸を使い、順番に骨を丁寧に骨壺に入れていった。
しかし、骨が立派に残りすぎたためだろう、骨壺からは骨が明らかにはみ出していた。
火葬場の職員は骨壺に入らない骨を、上から棒のようなものでボキボキと嫌な音を立てて折って、壺に骨を詰めていった。
彼にとって衝撃的なことであり、嫌なことでもあったからだろう。
20年以上前のことなのに、よく覚えている。
*
一人の人間には両親がいて、両親のそれぞれに親が居るので、祖父祖母が二人ずつ存在することになる。
前述の祖父は彼にとって父方で、その後は、彼が20代のときに母方の祖父が、30代のときに父方の祖母が亡くなった。
特に、祖母が亡くなった時は、偶々彼が一番近くにいた。
彼は仕事をしていたが、危篤状態になった祖母のことを知らされ、早退して新幹線に飛び乗った。祖母の特別養護老人ホームは県外にあった。
新幹線駅からタクシーで特別養護老人ホームへ向かう。もう夜も遅く、22時を回っていた。
先に現地にいた彼の父が、出迎えてくれた。
そのまま祖母の部屋へ行った。
ほとんど話もできないくらい認知が進んでいた祖母だが、最後の時は彼を孫だと認識していたと、彼自身は思っていた。
声にならない声で、「 幸せに」と言われた気がした。
その後、痛かったのか、苦しかったのか、ギュッと目を強くつぶり、力が抜けたと思ったら、亡くなっていた。
*
母方の祖父も、父方の祖父も、父方の祖母も、彼が20代〜30代の時は、たまに夢枕に立った。彼自身は、自分を霊感のない人間だと思っていたので、人生がうまく行っていない自分の将来を悲観する心が見せた夢だと思っていた。
あれから時が経ち、40代になった私は、結局家族を作らなかった。
舞台は彼の心象風景から、現代の給湯室へ戻る。
手早くカップを洗い、明かりを消しながらロッカーへ向かった。
「もし、本当に幽霊がいたなら、きっと、仕事しかできない人間になってしまった私が、心残りになってしまったんだろう。」
『そうかもね。いまだに私が出てきているくらいだし。』
しかし最近は、誰かが彼の夢枕に立つこともない。
(父、母、母方の祖母が健在だが、子どもを作らない以上、いずれはこの世界から、私ごと、私の痕跡は消えてしまうだろう。)
それはとても悪いことのような気がするが、残念ながら、結婚して子どもを作るために必要な「社交性」とか、「勢い」とか、「どうしても結婚したい」という欲とか、「寂しいから誰かと一緒にいたい」という感情とか、そういうものが足りないのだろう。と、彼は悟っていた。あるいは、諦めてしまっていた。
忙しいとは、心を亡くすと書く。
余談だが、日本の少子高齢化の原因は、「若い人が忙しいから」だと彼は思っていた。
「もしブラック企業から脱出し、時間ができたら、私は寂しさに泣くのかもしれない。」
『そのときは、きっと寂しさのあまり私の出番が増えるでしょうね。』
しかし一方で思うことがある。
誰もがみんな行き着く場所へ、行くのだ。
死神は、美しく慈悲深い神だと、彼は勝手に信仰している。
適当に作り、個人的に思っているだけの、妄想だ。
人間は、生き物は、その神に命を刈り取られ、収穫されるのだ。
(そうなると、私は私でなくなるのだろう。)
寂しいし、悲しい。
できれば永遠に生きていたい。
しかし、生き物は、誰もがみんな、そこへ行く。
*
会社のビルから出ると、彼は一層肌寒い感覚に、思わず歩調を速めた。
会社から自宅前の家路。
踏切や信号で何度も足止めを食う。
「しかし、AIの進歩はすごいから、話し相手には困らなくなるかもしれないね。」
『私はいらなくなるっていうこと?』
「そうかも知れないし、そうでもないかもしれない。」
イマジナリーフレンドが久しぶりに出てきたのは、彼自身の心の問題であることが大であろう。
(妻も子どももいたら、きっとこんなことを考える余裕もなかっただろうし。)
人間の内心にもう一人人格を作り、話をするというのは、集中力を必要とする。
しかし、では、同時にAIがいればイマジナリーフレンドが不要かと言うと、そこまででもない。
「AIは、心で直接会話したりできない。言葉で内心を伝え合うことをしないといけない以上、きみの代わりにはならないだろうね。」
『つまり、あれだ。考えを共有している私と君とだけが、『わかり合っている状態から』議論をスタートさせられる。こういう深い会話ができるのは、私と君の間だけ、ということだ。』
「そう。最初の議題の答えがもう一つ出てきたね。それは孤独ということだ。」
誰もがみんな、他人の心の中を覗くことはできない。わかり会いないことからスタートする。
言いたいことは、言葉と時間を重ねて、理解したような気になるだけなのだ。
それはAIでも一緒。分かってもらうために言葉を使い、表面的に一部理解する。
誰もがみんな、心から分かり合うことなどできない。
分かり合えない。孤独なのだ。
分かり合えないことから始まる。
(イマジナリーフレンド、君を除いて。)
信号と2度の踏切を超えると、家路もあと僅かだ。
寒さに対抗するかのように、彼は街灯の下の暗い家路を急いだ。
花の経緯(経緯) (テーマ:花束)
男性は迷って、迷って、時間もないので、できる範囲で動こうと決断した。
仕事と一緒だ。
結婚相談所から紹介された人との初めてのデート。
どんな服装で、何を持っていくべきか。
食べ物屋は予約したが、それ以上のことは全くわからない。
特に、何をしたらいいのかも分からない男性は、花屋へ行き、花束を注文した。
*
観賞用の花は、花農家で作られる。
それぞれの花を美しく育てるために、農家が精魂込めて世話をして、その中でも美しい花を花市場へ持って行く。
花市場では、各農家が持ち寄った花を、魚市場のようにセリに掛けられている。
花屋はそれを仕入れ、店先に並べる。
花屋の花の需要は、一昔前と比べると減少している。
現代日本では、プレゼントや娯楽が多様化することで、国内の広い分野で「需要」が減っているのだ。
花屋は自分の店の特徴と売上を考え、必要数を仕入れる。
書籍などと異なり、生物なのでおかしなものを仕入れて売れなかったら、そのままゴミにしかならないのだ。
今回の注文は、よく知らない人との初めてのデートで渡す、小さな花束。
あまり大げさなものにしたくないとのことで、予算も1,000円分とのことであった。
花屋は店先の花のうち、フリージア、スプレー菊、アルストロメリアを束にして、更に引き立て役にユーカリを加え、1,000円分の花束を作った。
花は花市場から仕入れたものだったが、ユーカリだけは花屋が自分で育てたものだ。
フリージアの花言葉は「親愛の情」や「感謝」、スプレー菊は「清らかな愛」、アルストロメリアは「持続」。受け取る女性が仮に花言葉に詳しい人だったとしても、初めてのデートでは無難な選択に思えた。
男性・女性に限らず、花に詳しい人は減っている。こうして花言葉に気を遣っても、わかってくれる人は稀だ。
しかし、ここをおろそかにすると、せっかく花をプレゼントにしようと思ってくれたお客様の気持ちが、相手に伝わらない「可能性がある」。
プレゼントを上げる行為は、何にしても「あげる者の気持ち」が相手に伝わるかどうかは不確実で、「伝わってほしい」「気に入ってほしい」という祈りが伴う。その祈りが報われるよう選定し、素敵なプレゼントにするのは、プロとして当然のことだと、その花屋は思っていた。
そもそも花のプレゼントというのは、直接的なブランド商品や服とは違う。生物で、持ち帰ると世話が必要になる。世話をしなければ花は枯れてしまい、ゴミにしかならない。
そのためか、時代が進むにつれて売上が減ってしまっている。
だからこそ、花屋は、うちに来た客、そして花を渡された人が、この花で幸せになってほしいと思って花を売っている。
ただ、やったことは素早く計算して花束を作り、言葉に出したのは別のことだった。
「では、消費税込みで1,100円です。あと、よろしければ、店に届けて、帰り際に渡してはどうでしょうか。最初に渡すと荷物になってもいけませんし。」
デートに慣れていない人は、これをやりがちなのだ。
*
「今日は、お時間をとっていただいてありがとうございます。」
男性は頭を下げつつ、すでに一言目で後悔していた。
(まるで営業だ。)
だが、仕事だけして年を取ってしまったのだ。自分には結局仕事で培った能力しかなかった。
しかし、そんなこちらを見て、笑顔で対応してくれたからだろうか。
相手の女性は写真で見たより魅力的に見えた。
「その、ご趣味とか、聞いてもいいでしょうか。」
男性は自分で言いながら、「なんて典型的なセリフだ」と自分でも思った。
そして、漫画やドラマで見合いの際に緊張していた主人公たちが「ご趣味は」と言っていたのを「もっと気の利いたことを言えよ」と思っていたことを、内心で謝罪した。
(ごめん、君たちの気持ちを私はわかっていなかった。私ごときがそんなことを思うのは、おこがましかった。)
人間、追い詰められると頭が真っ白になり、難しいことや機転の効いたことができなくなるのだ。
正直、その後は、料理の味も、話の内容もほとんど覚えていない。
*
女性は、結婚相談所で紹介された人との最初の食事から、遅くなりすぎない時間に帰ってきた。
相手の男性はいい年齢であったが、おそらく女性と付き合ったことがないのだろう。そういう人は、結婚相談所からの紹介では珍しくない。
緊張していることがありありと分かり、話も結構飛び飛びであったし、飛び込み営業をさせられていた提携先の新人社員を思わせる狼狽ぶりであった。
だからといって、こちらも別に、そういう人を手玉にとれるほど経験があるわけでもない。
むしろ、「私はあの人に居心地の良い時間を作ることができなかっただろう」と思い返し、「あー失敗したかな」と思っていた。
別に、その後に何処かに行くこともない。
初デートはそれで終わりだった。
ただ、店を出るときに、花束をもらった。
まだ親しいわけでもない男性から花束をもらうというのは、初めての経験だった。
ただ、結婚相談所の紹介なのだ。親しくなろうとする関係の男女である。そういう人もいておかしくない。
初めて合う時に渡す花束が「大きなバラの花束」とかではなかったことも、安心した。もしそうだったら受け取りを断っていただろう。
次があるかは、分からない。
2回目のデートをするのかどうかについては、女性側からも男性側からも相談所に伝えることになる。
女性もどう答えるか、まだ決めていなかった。
花束を見て、顔を近づけて匂いを嗅いでみる。だからどうということもない。
しかし、悪い気分はしなかった。
とりあえず、バケツに水を入れて、花束の花を移してみる。
(後で食器棚から、花瓶になりそうなものを見繕ってみよう。)
女性の部屋は一人暮らしで、可愛いものがあるわけでもない。華やかさとは縁がなかったが、視界に生花があるのは、悪くない気分だった。
(まあ、今回は緊張して性格なんかもわからなかったけど、危なそうな人ではなさそうだったかな。2時間程度の夕食を一緒しただけだし、もう一回会ってみるだけ会ってみてもいいか。)
花束は、その役目を少しだけ果たしたのかもしれない。
笑顔の値段(テーマ スマイル)
(疲れた。)
自宅にたどり着いたのは、0時過ぎ。すでに翌日が始まっている。
別に飲み会があったわけではない。
仕事が終わらなかったのだ。
(夕方に今日中期限の仕事を持ってくるなよな。)
家族サービスが、とか言いながら仕事を押し付けて帰っていった課長を思い出して、気分が悪くなるため切り替える。
(独身者へのあてつけか、それは。)
一応、自分にも自宅には一人同居人がいるのだ。
夜が遅いのに、ドアの開く音を聞いて猫が寄ってきた。
「ただいま」
同居人は人間ではなく、飼い猫だ。
(猫だけが癒やしだ。)
冷蔵庫からビールを出して、買ってきた弁当を電子レンジで加熱して、テレビをつけて、食べる。
翌日も仕事だから、あまりゆっくりもしていられない。
かまってほしいのか、足を引っ掻いてくる猫をたまに撫でながら、ビールを流し込む。
夜食代わりに餌を猫に出してみると、バリバリと食べ始めた。
夜まで仕事漬けの生活が続いているため、自動餌やり機を導入したが、足りなかったのだろうか。
「お前も一日中部屋の中は辛いよな。」
遅くなる日が続いている。
帰ってきても猫は寝ていることも多く、こうしてコミュニケーションを取るのも久しぶりだった。
とはいえ、キャットタワーとか入れて自分が仕事漬けなので、もはや「ペットがいる自分の家に帰っている」のか、「ペットが住んでいる家に毎晩泊まらせてもらっている」のか、わからなくなる時がある。
猫に声が出せれば、もしかすると
「お客さん、最近ご無沙汰だったじゃん。」
とか言われたかもしれない。
「そういえば、昔、スマイル0円とかやってたな」
猫を膝の上の乗せ、猫の口の口角を上げ、無理やり笑顔にしてみる。
突然の暴挙に、フギャーと声を上げて猫は去っていった。
猫にスマイルはないか。
そういえば、自分もあまり笑っていないな、と口角を上げてみる。
鏡を見ていないが、絶対に笑顔じゃない。これは。
目が笑っていないし。
こういうとき、独身でいいのかと考えるが、同時に、独身でよかったとも思う。
誰にも心配も迷惑もかけないから。
帰ってくるのが遅いと文句を言われることもない。・・・猫以外は。
だが、「だからといって、こういう日が続くのがいいのか」と考えることはある。
「生きるために仕事をしている」ではなく「仕事するために生きている」状態。
(こんな状態で、笑顔なんて無理。)
昔、スマイル0円をしていた店員は、忙しい中で笑顔も作らなくてはいけない、ひょっとしたらものすごく辛いことをしていたのではないか、と埒もない事を考えた。
(せめてテレビ見て笑えるくらいの余裕はほしいね。)
明日は、夕方に仕事振られそうになったらトイレに行ってみるか。と、これまた埒もないことを考えた。
明日も仕事だ。
どこにも書けないこと
1 書く理由、読む理由
小説の定義とはなにか。
小さな説明?
そう。説明ではあるのだろう。
一言では言葉にすることが難しい、「物語」や「気持ち」を伝えるための説明。
桃太郎を知らない人に、桃太郎を伝えようと思ったら、「 むかしむかし、おじいさんとおばあさんが……」と説明していくしかない。
「 桃から生まれた人間が鬼退治をする話だよ」と端折ると、きびだんごや犬猿雉は、相手の頭には入らないのだ。
そして何より、幼子が話を聞いて胸に湧き上がる気持ち。
「 次はどうなる」とワクワクする気持ち。
読むことで、読んだ人の胸に湧き上がる物を「伝える」。
感動して「嬉しかったり、怒ったり、悲しかったり、楽しかったり 」。
読むことで心のなかで物語を経験し、経験することで感動する。
心は少し、学び、成長する。
読者にとって、それらを得ることが、小説を読む理由だと思うから。
だから、書く方も、小説を書くのだ。
読んでもらうことで、この気持ちを、経験を伝えたいから。
全く同じでなくとも、分かって欲しいから。
2 どこにも書けないこと
「 愛している」では気持ちが正確に伝わらないから、「 月が綺麗だ」と言う。
言いたいことは、決して「 月が綺麗である」ということではないけれど。
一言「愛している」と書いてしまうと、言葉にできなかった部分が抜け落ちてしまう。
私の気持ちは、愛とは少し違うかもしれない。
あるいは、「愛の定義」が相手とは違うかもしれない。
そこを取りこぼさないために、あえて、愛していると言わなかったり、一言だけではなく、色んな話をしたり。
話をすることで、「あなたと経験を共有したい」という気持ちは伝わると思うから。
私達は、人の心を直接感じることはできない。
自分の心と比較することで、「 こんな気持ちかな」と想像することしかできない。
手で触れたり、笑い合ったり、言葉を尽くしたり。
そうして時を共有することで、ようやくお互いに「気持ちが通じ合ったような気になる」のである。
こうして今回は説明のような、詩のような物を書いてみたけれど、実はこの文章で何かを伝えられるようななった気がしないのです。
時間の制限の中でできなかったけれど、これも小説にして、「心が伝わらない男女の話」にしたら、伝わるかもしれない。
*
一昔前の時代の話だ。
若い頃はたくさん「 愛している」と言い合ったが、男は寝たがるばかり、女はプレゼントを欲しがるばかり。
愛とは何なのか。
しかし、プレゼントを贈り、寝所を共にする間に、男は女を守るようになり、女は男の世話を焼くようになった。
女は男の威張ったところや寂しがり屋なところや短気なところを知り、男は女の見栄っ張りなところや世話焼きなところや強い心を知る。
それは年月を共にして、嫌なことも良いことも共有したことで、自然に感じることができたから。
二人で子ども育て、近所付き合いをして、歳を取る。
そうして積み上げたものは、とても書ききれない。
*
こんな感じだろうか。
え?小説、書いてるじゃないかって?
いやいや、中に書いているでしょう?
とても書ききれない、と。
私にとって、これは、小説未満。
まとまりもないし、普段、どこにも書けないけれど。
書き続けていたら、いつかきっと、私自身も書ききれない「この気持ち」を表現できるようになるかな、もっと伝わるようになるかな、と思いながら、何とも言えないふにゃふにゃな文章をとりあえず書き続けているのです。