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残業後対話篇 誰もがみんな平等に抱えているもの(テーマ 誰もがみんな)


 これは、西暦2020年を超えた日本の、ある会社での、一人の会社員の、残業が終わってから帰宅するまでの心の中の話。酷く狭く短い範囲の話。



 建築されてから1年も経たない、真新しいビルだった。
 作りたての社屋に、キレイな机、座り心地の良い椅子。

 しかし、そんなビルでも勤務形態までホワイトな訳では無い。
 まだ肌寒い時期であるのに、定時と同時にエアコンは停止している。構造上、外気が入りにくい設計となっているためそこまで寒くなっていないが、熱源がないので限界がある。

 一人の会社員が、スーツの上からコートを着てパソコンのキーボードを叩いていた。
(40を超えた中年の体には、この寒さはこたえる。)

 彼はしばらく一人で仕事をしていたが、22時を回り、いい加減、続きは明日に回そうという気になったのか、パソコンを机にしまい、施錠した。

 残業カウントのためのタイムカードを切ると、今日一日お世話になったコーヒーカップを洗いに給湯室へ向かう。

 昨今、日本では働き方改革が声高に叫ばれるようになった。
 大変結構なことで、彼の会社でも、早く帰るようになった社員や部署がいくつもある。

 彼も見習いたいと思っているが、効率化したり辞めたりした仕事より、手を変え品を変えて降ってくる仕事の方が多く、全体として彼の担当仕事は減っていなかった。そして、それは彼だけではなき、一定の社員は結局遅くまで残っている。

 世の中、すべての問題を一度に解決することはできないのだ。

 彼が思うに、残業というのは、仕事上の様々な要因によって「日中に終わらなかった仕事」を結果的に勤務時間外に片付けているだけなので、「結果」なのだ。
 根絶するためにはその「結果」に至る「様々な要因」を根気強く解決していく必要がある。

 「病気をなくせ」と言われてもなくせない。世の中には様々な病気の要因があるからだ。一言でなくせるなら医者はいらない。
 現実的には、増えた病人をカバーできるくらい病院を増やすことになる。

 同様に、「残業をなくせ」と言われても、その内訳を個別の社員の「効率化」にだけ求めている以上、解決するはずがないのである。
(少なくとも、原因究明の時間も対策する時間も全て「個別の社員の努力」に丸投げしているうちは、解決しないだろう。)

 そんな慢性的な残業においても、他の社員よりも少しだけ長く残って仕事をしていた。それは、家庭を持っていないからかもしれないし、効率が良くないからかもしれない。効率が叫ばれ始めてからもう5年以上経っている。いくら個人で仕事をしても終わらない現状に、彼自身にはもう、よくわからなくなっていた。

 必然、彼は定期的に、会社を出る前には一人になる時間ができてしまっていた。



 彼には、学生の頃、自問自答する癖があった。
 自問自答くらいなら誰でもするだろう、と思われるかもしれないが、彼は、頭の中に別の人格を想像し、イマジナリーフレンドとして、あたかも別人格と話をするようにして会話をしていた。
 そのような痛々しい癖も、卒業して就職して忙しくしていると姿を消し、若気の至りとして、思い出すこともなくなっていた。

 かつて、学生の頃にしばしば会話したイマジナリーフレンド。

 主に雑談と哲学談義に花が咲いた会話について、不惑の年齢に至って結婚も子育てもしていない精神的な寂しさも会ったのかもしれない。
 残業でタイムカードを切った後、その癖が彼の中で20年振りに復活していた。



 今日の話題は、「生き物全体の共通項とはなにか」。働くことの意味を体験していなかった学生の頃とは違い、彼地震も、イマジナリーフレンドも、心が年を経ていた。

「もちろん、生きている、ということがまず挙げられる。」
『『僕らはみんな生きている』というやつだ。』
 20年ぶりだろうが、イマジナリーフレンドはごく自然に話をする。
 他人ではないので、特に挨拶も何も無い。

「しかし、それでは定義を繰り返しただけだ。生き物とは、生きているもののことだ。というだけ。何のひねりもない」

 彼の中で『◯次郎構文』という悪口が流行っていた。

『では、それ以外に「誰もがみんな」と言えることはあるか?恋している?群れたがる?幸せを求めている?番を残そうとする?』

「どれも例外はある。友だちを作るのも、恋人を作るのも、子どもを作るのも、「誰もがみんな」ではない。恋をしない生き物もいるだろうし、群れからはぐれるものもいる。そもそも、私は今幸せを求めているのだろうか。夜中まで働き、休みもない現状で。」

 両親は彼という子どもを作ってくれたが、彼は恋人も子どもも作っていない。

 美味しいものを食べる経験?
 悲しくて泣く経験?

 いやいや、それらには例外がある。
 生まれてすぐ死ぬ子どももいるのだ。

『では、単純に対義語から攻められるだろう。生き物がいつか辿り着く場所、死だ。』

 そう、みな、死だけは行き着くのだ。



 祖父が亡くなったのは、彼が高校生の時だった。まだイマジナリーフレンドも彼の心の中にはいなかった。
 数年前から頭がはっきりしなくなった祖父。食事時に倒れたこともある。

 そして、ある日起き上がれなくなり、寝たきりになった。
 寝たきりになってから数ヶ月、もう危ないと分かったのだろう。

 盆正月以外に会うことがない叔母と従兄弟が、県外から家に来ていた。

 祖父が亡くなるまでの、2日間。
 奇妙な時間だった。
 誰も祖父の死を望んでいない。しかし、彼らは、死に目に会いに来ている。

(もし、このまま死なずに生きていたら、彼らはいつまで居たのだろう、と思う時がある。)

 その時は、たぶん、最後の別れを済ませて、彼らは帰っていったのだろう。

 しかし、そんな都合の良い「 もし」はなかった。

 祖父はそのまま亡くなった。

 亡くなった瞬間より、その後の事の方がよく覚えていた。
 葬儀屋が死んだ祖父の体を拭き、髪を整え、爪を切り、脱糞しないためだろう、尻から綿を詰めた。
 葬儀には沢山の人が訪れた。「葬儀場で家族葬」が増えた昨今ではあまり見なくなった『自宅での葬儀』に詰めかける近所・会社関係の人・人・人。

 火葬場では、柩を台車に載せて炉に運び込み、戸を閉める。遺体を焼く長い待ち時間があった。

 火葬後は、熱気が残る台車から、親族が長い箸を使い、順番に骨を丁寧に骨壺に入れていった。
 しかし、骨が立派に残りすぎたためだろう、骨壺からは骨が明らかにはみ出していた。

 火葬場の職員は骨壺に入らない骨を、上から棒のようなものでボキボキと嫌な音を立てて折って、壺に骨を詰めていった。

 彼にとって衝撃的なことであり、嫌なことでもあったからだろう。
 20年以上前のことなのに、よく覚えている。



 一人の人間には両親がいて、両親のそれぞれに親が居るので、祖父祖母が二人ずつ存在することになる。

 前述の祖父は彼にとって父方で、その後は、彼が20代のときに母方の祖父が、30代のときに父方の祖母が亡くなった。

 特に、祖母が亡くなった時は、偶々彼が一番近くにいた。

 彼は仕事をしていたが、危篤状態になった祖母のことを知らされ、早退して新幹線に飛び乗った。祖母の特別養護老人ホームは県外にあった。

 新幹線駅からタクシーで特別養護老人ホームへ向かう。もう夜も遅く、22時を回っていた。
 先に現地にいた彼の父が、出迎えてくれた。

 そのまま祖母の部屋へ行った。

 ほとんど話もできないくらい認知が進んでいた祖母だが、最後の時は彼を孫だと認識していたと、彼自身は思っていた。
 声にならない声で、「 幸せに」と言われた気がした。

 その後、痛かったのか、苦しかったのか、ギュッと目を強くつぶり、力が抜けたと思ったら、亡くなっていた。



 母方の祖父も、父方の祖父も、父方の祖母も、彼が20代〜30代の時は、たまに夢枕に立った。彼自身は、自分を霊感のない人間だと思っていたので、人生がうまく行っていない自分の将来を悲観する心が見せた夢だと思っていた。

 あれから時が経ち、40代になった私は、結局家族を作らなかった。

 舞台は彼の心象風景から、現代の給湯室へ戻る。
 手早くカップを洗い、明かりを消しながらロッカーへ向かった。

「もし、本当に幽霊がいたなら、きっと、仕事しかできない人間になってしまった私が、心残りになってしまったんだろう。」
『そうかもね。いまだに私が出てきているくらいだし。』

 しかし最近は、誰かが彼の夢枕に立つこともない。

(父、母、母方の祖母が健在だが、子どもを作らない以上、いずれはこの世界から、私ごと、私の痕跡は消えてしまうだろう。)

 それはとても悪いことのような気がするが、残念ながら、結婚して子どもを作るために必要な「社交性」とか、「勢い」とか、「どうしても結婚したい」という欲とか、「寂しいから誰かと一緒にいたい」という感情とか、そういうものが足りないのだろう。と、彼は悟っていた。あるいは、諦めてしまっていた。

 忙しいとは、心を亡くすと書く。

 余談だが、日本の少子高齢化の原因は、「若い人が忙しいから」だと彼は思っていた。

「もしブラック企業から脱出し、時間ができたら、私は寂しさに泣くのかもしれない。」
『そのときは、きっと寂しさのあまり私の出番が増えるでしょうね。』

 しかし一方で思うことがある。

 誰もがみんな行き着く場所へ、行くのだ。

 死神は、美しく慈悲深い神だと、彼は勝手に信仰している。
 適当に作り、個人的に思っているだけの、妄想だ。

 人間は、生き物は、その神に命を刈り取られ、収穫されるのだ。

(そうなると、私は私でなくなるのだろう。)

 寂しいし、悲しい。
 できれば永遠に生きていたい。

 しかし、生き物は、誰もがみんな、そこへ行く。



 会社のビルから出ると、彼は一層肌寒い感覚に、思わず歩調を速めた。

 会社から自宅前の家路。
 踏切や信号で何度も足止めを食う。

「しかし、AIの進歩はすごいから、話し相手には困らなくなるかもしれないね。」
『私はいらなくなるっていうこと?』
「そうかも知れないし、そうでもないかもしれない。」

 イマジナリーフレンドが久しぶりに出てきたのは、彼自身の心の問題であることが大であろう。

(妻も子どももいたら、きっとこんなことを考える余裕もなかっただろうし。)

 人間の内心にもう一人人格を作り、話をするというのは、集中力を必要とする。

 しかし、では、同時にAIがいればイマジナリーフレンドが不要かと言うと、そこまででもない。

「AIは、心で直接会話したりできない。言葉で内心を伝え合うことをしないといけない以上、きみの代わりにはならないだろうね。」
『つまり、あれだ。考えを共有している私と君とだけが、『わかり合っている状態から』議論をスタートさせられる。こういう深い会話ができるのは、私と君の間だけ、ということだ。』

「そう。最初の議題の答えがもう一つ出てきたね。それは孤独ということだ。」

 誰もがみんな、他人の心の中を覗くことはできない。わかり会いないことからスタートする。

 言いたいことは、言葉と時間を重ねて、理解したような気になるだけなのだ。
 それはAIでも一緒。分かってもらうために言葉を使い、表面的に一部理解する。

 誰もがみんな、心から分かり合うことなどできない。
 分かり合えない。孤独なのだ。
 分かり合えないことから始まる。

(イマジナリーフレンド、君を除いて。)

 信号と2度の踏切を超えると、家路もあと僅かだ。

 寒さに対抗するかのように、彼は街灯の下の暗い家路を急いだ。

2/11/2024, 5:47:34 AM