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どこにも書けないこと

1 書く理由、読む理由

小説の定義とはなにか。
小さな説明?

そう。説明ではあるのだろう。
一言では言葉にすることが難しい、「物語」や「気持ち」を伝えるための説明。

桃太郎を知らない人に、桃太郎を伝えようと思ったら、「 むかしむかし、おじいさんとおばあさんが……」と説明していくしかない。

「 桃から生まれた人間が鬼退治をする話だよ」と端折ると、きびだんごや犬猿雉は、相手の頭には入らないのだ。
そして何より、幼子が話を聞いて胸に湧き上がる気持ち。
「 次はどうなる」とワクワクする気持ち。

読むことで、読んだ人の胸に湧き上がる物を「伝える」。

感動して「嬉しかったり、怒ったり、悲しかったり、楽しかったり 」。

読むことで心のなかで物語を経験し、経験することで感動する。
心は少し、学び、成長する。

読者にとって、それらを得ることが、小説を読む理由だと思うから。
だから、書く方も、小説を書くのだ。
読んでもらうことで、この気持ちを、経験を伝えたいから。

全く同じでなくとも、分かって欲しいから。


2 どこにも書けないこと

「 愛している」では気持ちが正確に伝わらないから、「 月が綺麗だ」と言う。
言いたいことは、決して「 月が綺麗である」ということではないけれど。

一言「愛している」と書いてしまうと、言葉にできなかった部分が抜け落ちてしまう。

私の気持ちは、愛とは少し違うかもしれない。
あるいは、「愛の定義」が相手とは違うかもしれない。

そこを取りこぼさないために、あえて、愛していると言わなかったり、一言だけではなく、色んな話をしたり。
話をすることで、「あなたと経験を共有したい」という気持ちは伝わると思うから。


私達は、人の心を直接感じることはできない。

自分の心と比較することで、「 こんな気持ちかな」と想像することしかできない。

手で触れたり、笑い合ったり、言葉を尽くしたり。
そうして時を共有することで、ようやくお互いに「気持ちが通じ合ったような気になる」のである。

こうして今回は説明のような、詩のような物を書いてみたけれど、実はこの文章で何かを伝えられるようななった気がしないのです。

時間の制限の中でできなかったけれど、これも小説にして、「心が伝わらない男女の話」にしたら、伝わるかもしれない。



一昔前の時代の話だ。
若い頃はたくさん「 愛している」と言い合ったが、男は寝たがるばかり、女はプレゼントを欲しがるばかり。
愛とは何なのか。

しかし、プレゼントを贈り、寝所を共にする間に、男は女を守るようになり、女は男の世話を焼くようになった。
女は男の威張ったところや寂しがり屋なところや短気なところを知り、男は女の見栄っ張りなところや世話焼きなところや強い心を知る。

それは年月を共にして、嫌なことも良いことも共有したことで、自然に感じることができたから。

二人で子ども育て、近所付き合いをして、歳を取る。

そうして積み上げたものは、とても書ききれない。



こんな感じだろうか。

え?小説、書いてるじゃないかって?

いやいや、中に書いているでしょう?
とても書ききれない、と。

私にとって、これは、小説未満。

まとまりもないし、普段、どこにも書けないけれど。

書き続けていたら、いつかきっと、私自身も書ききれない「この気持ち」を表現できるようになるかな、もっと伝わるようになるかな、と思いながら、何とも言えないふにゃふにゃな文章をとりあえず書き続けているのです。

2/7/2024, 10:50:00 PM