sairo

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10/26/2025, 6:34:56 AM

この箱を開ければ、すべてが変わる。
そう言われて渡された、小さな木でできた箱。
何が変わるのか、何の説明もなく押し付けられた箱を手に、小さく息を吐いた。
開ければというものの、何か仕掛けがあるのか、箱が開く様子はない。
そもそも、箱を渡してきたのが誰なのかもよく分からなかった。
箱を振れば、からからと音がする。中に何かが入っているのは確かなようだ。

すべてが変わるという、小さな箱。
箱を開けるべきか否かを、ずっと悩んでいた。

10/25/2025, 9:51:44 AM

気づけば、誰もいない砂浜で一人、空を見上げていた。
周囲には誰もいない。一人きりだ。
辺りを探索しなくとも、この狭い島には他の人はいないことを理解していた。
目を閉じる。寄せては返す波の音を聞きながら、記憶を手繰り寄せる。
無邪気なあの子の笑顔に、頭が痛くなるのを感じた。

――働き過ぎは体に良くないんだって!

テレビで得たばかりの知識を、得意げに披露していた彼女。次の瞬間に訪れた、抗えない微睡。
ここは夢の中なのだろう。無人島にいる夢。

彼女のズレた優しさに、眩暈がしそうだった。

10/24/2025, 9:53:57 AM

冷たい風が吹き抜けた。
空はどこまでも青く遠く、悲しいほどに澄んでいた。

あの時言えなかった言葉が胸を締め付ける。
あるのは後悔と、寂しさ。そして、今も消えないこの想いだけ。

風に手を伸ばす。舞う葉を指先で追いながら、そっと唇を震わせる。

「――さよなら」

言葉にしてみれば、少しだけ救われたような気がした。

10/23/2025, 9:42:52 AM

風の向きが変わった。
空を見上げれば、雲ひとつない快晴。広がる薄い青は普段と変わらない。
目を閉じて、深呼吸をする。微かに薫る花の匂いを感じて、息を吐いた。
嫌だなと、誰にでもなく呟いて歩き出す。
この予感は、きっと当たることだろう。



「また来たね」

きゃらきゃらと笑う彼女は、いつもと変わらず木の枝に腰掛け足を揺らしていた。

「風が――」

言いかけて、その前に彼女が小さな石を投げ渡してくる。それは黒く艶々としていて、まるで目のような縞の模様が浮き上がっていた。

「気休めではあるけれど、頑張って」

手を振り、彼女は止める間もなく去っていく。
小さく息を吐いて、手の中の石を握り締めた。
冷たい石に手の熱が移り、生き物のような暖かさを持ち出す。

「気休め……」

呟いて、手の中の石に視線を落とした。
彼女はどこまで知っているのだろうか。何かを尋ねる前に、彼女はいつも去っていってしまう。
会えるのは、予感を感じた時だけ。気休めとして石を託して、何も言わせずに姿を消す。
もう一度息を吐いて、石をポケットの中に入れて歩き出す。

どこからか花の匂いがした。



家に帰れば、険しい顔をした大人たちが忙しそうに動き回っていた。
ポケットの中の石を握り締め、家の中に入る。誰にも声をかけずにいれば、誰からも声をかけられることはない。
そのまま部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。
花の匂い。そして何かが燃えたような匂いが立ちこめている。

「嫌だな」

溜息と共に溢れ落ちた言葉に、眉を寄せた。
漠然とした、嫌だと思う気持ちが胸を締めつける。何が嫌なのか、どうして嫌なのかも分からない。
ただ何となく、この先に嫌なものが待っているのだという予感だけは確かにしていた。

「――ちょっといいか?」

声がして、返事も待たずに部屋の扉が開く。
視線を向ければ、どこか険しい顔の父が部屋に入ってきた。

「頼みたいことがあるんだ」
「――なに?」

嫌だという気持ちを隠し、体を起こす。
父に向き直れば、小さな鍵を差し出された。

「朝からお祖母ちゃんと連絡が取れなくてな。様子を見に行ってほしい」

込み上げる溜息を押し殺し、鍵を受け取る。
そのまま部屋の外に向かえば、硬い声が小さく聞こえた。

「気をつけてな」

その言葉に何も反応せず、外に出る。
いつの間にか大人たちはいなくなり、落ち着かない静けさが広がっている。
鍵と、石と。両方を握り締めながら、家の裏の山へと足を踏み入れる。

祖母はこの山奥で一人暮らしている。
巫女としての役目なのだと祖母は言うが、本心ではただ住み慣れた生家を離れたくないだけなのだろう。その証拠に、山にある社はいつ訪れても手入れが行き届いているようには見えなかった。
また荒れているであろう社を思い、溜息が出る。
祖母の様子を確認して、帰りにまた軽く掃除をしに行こう。
そんなことを考えながら、しかしそれは叶わないだろうと根拠もなく確信があった。

不意に、冷たい風が吹き抜けた。
花の香りが漂っている。甘ったるく、腐り落ちたかのような鼻をつく匂い。
それに混じり、焦げた匂いを微かに感じた。
眉を寄せて、足を速める。
嫌な予感はずっとしている。予感と言うよりも、この先に何が起こるのかを既に理解していると言った方が正しいのかもしれない。

「嫌だな」

理解した所で、戻るという選択肢はない。
気休めだという、彼女からもらった石を握り締めながら、荒れた獣道をただ進み続けた。



「お祖母ちゃん……?」

しんと静まり返った祖母の家に、眉を寄せながら玄関を上がる。
花の匂いが風に乗って届く。どこかの窓が開いているのだろうか。石を握り締め、足音を殺して家の奥へと進んでいく。
風はどうやら、祖母の部屋がある方向から吹いているらしい。近づく度に花の香りが強くなり、胸が早鐘を打ち始める。
行きたくはない。そう思いながらも、足を踏み出した時だった。

「また来たね」

静かな声がした。
振り返ると、玄関に座り笑顔で手を振る彼女がいた。

「なんで……?」

小さく呟くと、彼女は目を瞬いた。心底不思議そうに首を傾げ、立ち上がる。
一歩、彼女が近づく毎に、背後から音がした。板張りの廊下が軋み、何かがゆっくりとこちらに近づいてきている。

「止めた方がいいよ」

彼女の無邪気な声が、音を確かめるため振り向こうとした動きを止めた。そのまま動けずに、立ち尽くす。
彼女と背後の何かに挟まれて、息を呑んだ。鼓動が痛いほどに鳴っている。
風が吹いて、花と焦げた匂いを運ぶ。嫌な予感に、心臓が嫌な音を立て始めた。
彼女は誰なのか。後ろにいるのは何なのか。
耐えきれなくて、石を握り締め目を閉じた。

「予感なんてね。起きてしまったことの、再現でしかないんだよ」

彼女の声がした。慰めるように、小さな手が石を握る手を包む。

「起きてしまったことはなくならない。どんなに繰り返しても、それはすべて同じ結末に至るんだよ……例えそれが、夢の中のできごとだとしてもね」

手の中の石が熱を持つ。熱くて思わず手を離せば、ぱりん、と硝子の割れたような音が鳴った。
驚いて目を開けた。

「――え?」

視界に広がるのは、一面の黒。そこは祖母の家ではなかった。
目の前で彼女が笑う。背後に気配は感じられず、振り返っても、そこには何もなかった。

「いない?」
「いないよ。最初からね」

その言葉に、これは夢なのだと理解した。
ならば、これから行うべきことは一つだけだ。

「じゃあね。忘れることはできないだろうけど、せめて引き摺らないように」

彼女は一点を指差し、手を振った。それに頷いて、指差した方へと歩き出す。
見上げれば、いくつもの青白い光が瞬いていた。それは炎のようにゆらりゆらりと揺らめいている。
視線を下ろせば、向かう先にも光が見えた。丸く、白い光。暖かなそれに惹かれて、次第に足が速くなる。
近づくほど大きくなる光に、迷いなく飛び込んだ。視界が白に染まり、そこで意識は途切れた。



目が覚めれば、白い病室のベッドで横たわっていた。
体が重い。視線だけで辺りを見回していれば、不意にカーテンを開かれた。

「っ、起きたか……!」

驚いた顔をした父が、その次の瞬間には泣きそうに顔を歪めて抱きついてきた。

「ごめんな。様子を見に行ってほしいなんて言わなければ」

声が震えている。泣くのを耐えて、父は只管に謝罪の言葉を繰り返した。
ぼんやりとした意識がはっきりするにつれ、ある予感が胸を過る。

けれど、きっとそれは予感などではないのだろう。



20251021 『予感』

10/22/2025, 9:16:47 AM

「よぉ!久しぶりだな!」

玄関を開けた瞬間に、視界が真っ暗になった。
風が吹き抜け、髪や服を揺らす。ふわりと辺りに潮の匂いが満ちていく。
内心げんなりしながらも、彼の胸を叩いて息苦しいだけの抱擁から抜け出した。彼の故郷ではこれが親しい者に対する挨拶だというが、慣れない身としては困惑するばかりだ。

「また大きくなったか?以前はこんなに小さかったのにな」

ぐしゃぐしゃと、頭ごと髪を掻き回されて視界が回る。楽しそうに親指と人差し指で隙間を作り小ささを表現する彼に、耐えきれず溜息が漏れた。

「そんなに小さいわけない。これから出かけるんだから、さっさとどっか行って」
「酷いな。俺とお前の仲だろう?そんなに冷たいことを言わないでくれよ」

笑みを崩さず擦り寄る彼に、顔を顰めてみせる。

またこの時期が来てしまった。
秋の暮れから春の始まりまでの間だけ現れる彼は、自分以外には見えないらしい。そのため彼はここにいる間の殆どを、自分の家や周りで過ごす。
溜息を吐く。また春の別れに苦しまなければならないのか。
胸に巣食う痛みが、強くなった気がした。



「なんでそんな、腹に溜まらないものを食ってるんだ」

呆れた声と共に、背後から伸びた彼の手が朝食を取り上げた。
振り返り文句を言うよりも早く、机の上に何かが置かれる。見ればそれは、皮の剥かれた果物が盛り付けられた皿だった。

「食うなら、こっちにすればいい。美味いぞ」

彼の指が葡萄を一粒摘まみ、口に押し当てられる。
眉を寄せ、首を振る。取られた朝食に手を伸ばせば、彼は肩を竦め溜息を溢した。

「こんなどろどろしたものなんて、美味くないだろうに」

口元に押し当てられていた葡萄を食べながら、朝食を机に戻す。不満げな表情をする彼から視線を逸らし、少しばかり冷めてしまった朝食を口にした。
味など関係ない。夏を迎える前に、味覚は感じられなくなっていた。
原因は分からない。春が訪れ、彼と別れてしばらくしてから、この体は原因不明の病に冒され衰弱していっている。もう固形物は、葡萄一粒さえ受け付けないのだ。
彼には何も告げてはいないが、おそらくは気づいているのだろう。感情の読めない彼の目が、こちらを見つめていることが増えていた。

「なぁ、俺たちの関係は何だ?」

不意に問われ、首を傾げる。
意味が分からず視線を向けるが、彼はやはり感情の読めない目をしてこちらの答えを待っていた。
自分たちの関係など、彼が一番良く知っているはずだ。ただの気まぐれか、それとも意味があるのか分からない。だが答えを待つ彼を見て、仕方がないと小さく息を吐き、口を開いた。

「友達」

friend。彼が普段から口にする言葉だ。

「そうだ。Friends are meant to be together always.だからお前は、俺が来ると家に招き入れ、もてなしてくれるんだろう?」

違うと否定しかけた言葉を呑み込む。
彼を招く理由は、自分でも分からない。ただ毎年訪れを待ちわびるほどには、彼に好意を抱いているのは確かだった。
彼の手が頭を撫でる。その優しさに何も告げられず、誤魔化すように俯いた。



冷たい風が、部屋の中を吹き抜けた。
胸の痛みを覚えて、ベッドの中で背を丸め、声を殺して耐える。
ベッドが軋み、布団の上から大きな手が背を撫でた。痛みや息苦しさが次第に引いて、詰めていた息を吐く。
布団から顔を出せば、いつものように表情の読めない目をして彼がこちらを見つめていた。

「どうしたの?」

問いかける声は、酷く掠れている。彼は僅かに目を細めただけで、何も言わず頭を撫でた。
かたかたと窓が音を立てる。外では風が吹き荒れているらしい。
冬が訪れようとしている。きっと自分は冬を越せないのだろう。
彼に告げなければ。そうは思うのに、彼の目を見ると言葉が紡げない。

「Friends are meant to be together always. Isn't that right?」

不意に彼が呟いた。けれど何を言っているのかは、よく分からない。
酷く疲れている。瞼を開けていられず、ゆっくりと目を閉じた。
彼の手が、頭から閉じた瞼を伝っていく。頬をなぞり、唇に触れた。
窓ががたがたと鳴っている。過ぎていく風を感じて、外ではなく家の中で風が吹き荒れていることに気づいた。

「お前のために、とびきり美味いものを用意したんだ」

彼が笑う気配がする。ぎしりとベッドが軋んで、指が唇を割った。

「――あ」

感じたのは冷たさ。そしてとろけるような甘さ。
唇を割り、差し入れられた何かを促されるままに飲み込む。
渇きを潤す瑞々しさを感じながらうっすらと目を開けると、彼は笑みを浮かべて囁いた。

「美味しかっただろう?もっと食べるか?」

布団を剥ぎ、体を起こされる。
彼の手には、皮が剥かれた葡萄が一粒。唇に押し当てられれば、自然とそれを受け入れてしまう。
瑞々しい果肉が口の中に広がって、くらくらするほどの甘さが喉を通り過ぎていく。
体が熱い。それなのに震えが止まらない。

「See? Now we're friends. We'll always be」

彼の言葉が、頭の中で反響する。彼の国の言葉が揺らいで、自分の国の言葉に変わっていく。

「分かるか?これで友達になった。これからずっとな」

次々と与えられる果実を食み、その度に体が熱を持つ。
次第に体から力が抜けて、彼に凭れかかった。差し出される果実をもう受け入れられない。
ぼんやりと果実を見つめていれば、褒めるように頭を撫でられた。

「――どうして?」

微かに呟けば、彼は瞼に唇を触れさせながら笑う。

「何度も言っただろ?友達というのは、常に一緒にいなければ……お前はそれを否定しなかった」

そう言えばと、ぼんやりと霞む記憶を辿る。
彼は時折何かを言っていた。聞き流していたが、それを彼は同意だと捉えてしまったのか。

「若い体を弱らせるのに時間がかかったが、ようやく連れて行ける。俺と同じになり、ひとつになるんだ」

彼の指が胸に触れる。弱い鼓動を楽しみ、そしてとどめを刺すように、指を沈めていく。

「――っ!」

悲鳴は喉の奥に張り付いて、言葉にはならない。
彼は胸の中に沈んだ指が脈打つ命を掴み、

「これで、ずっと一緒だ」

ぞっとするほど優しく囁いて、掴んだ命を引き抜いた。





時を止めた自分の体を、ただ見つめていた。

「そろそろ行くぞ」

腕を引かれ、視線を向ける。
そこには誰もいない。腕を掴まれたと思ったが、本当に腕を掴まれているのかも、定かではない。
体が軽かった。輪郭が朧気で、自分が本当にここにいるのかも、分からなくなってくる。
思考が定まらない。自分という意思が、なくなってしまったかのように。

「さて、最初はどこに行こうか」

彼の声がする。言葉と引かれる感覚に、部屋の外へと歩いていく。
床を踏み締める感覚も曖昧だった。歩いているつもりで、宙を漂っているのかもしれない。
暖かな熱に包まれている感覚がする。彼の輪郭と自分の輪郭が重なって、一つになっているようで落ち着かない。

「俺たちは一緒だ。friends《友達》は個じゃなくて、複数だからな」

くすくすと笑う声がすぐ隣で聞こえた。あるいはそれは自分の口から発せられたのかもしれない。

「すぐに慣れるさ。人間というひ弱な生き物よりも、強くて自由なモノになったんだ。嬉しいだろう?」

外に出て、空を見上げた。遠いはずの青空が、とても近く感じる。
一筋溢れたと思った涙は、気のせいだったのだろうか。
見えない手を伸ばす。その手を熱が包み込む。

吹き上げる風に乗るように、手を引かれ導かれるままに。

空高く舞い上がった。



20251020 『friends』

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