sairo

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4/9/2026, 10:17:35 AM

後日。燈里《あかり》は冬玄《かずとら》と東と共に、繩手《なわて》の家へと向かっていた。

「あの人間、許せないわ。あんな卑怯な手で燈里を無理矢理巻き込んだのですもの!」
「煩い。少しは静かにしろ」

燈里の腕に抱き着き怒りを露にする東を、冬玄は一瞥し窘める。しかしその目は鋭く凍てついて、纏う空気すら張りつめていた。

「どうしてそんなに落ち着いていられるのかしら!北は燈里のことが心配ではないの?」
「だからといって、燈里にしがみついて耳元で喚くな。燈里の迷惑だろうが」
「私は、別に迷惑だなんて思ってないから……でも、できればもっと穏便に……」

腕に抱き着く東に大丈夫だと微笑みかけてはいるものの、燈里の表情はどこか固い。それはこれから繩手に会いに行くことも原因の一つではあるが、どちらかと言えば、冬玄と東の会話の内容に対しての方が大きいからだった。

「それよりも分かっているだろうな」
「もちろんよ!あの人間がまた混じって燈里に危害を加える時には、人間ごと封じればいいのでしょう?ちゃんと南に札は貰っているわ」
「ちゃんとすぐに取り出せるようにしておけ。時間との勝負だ。相手が燈里に干渉する前に終わらせるぞ」

真剣な二人に、燈里は何度目かの溜息を吐いた。できるだけ繩手に危害を加えたくはない燈里ではあるが、どちらも聞き入れる様子はない。
人と妖の感覚の違いなのだろうか。救いたい燈里と違い、二人は自己責任として切り捨てることを厭わない。

「燈里。そんなに不安がらなくても、失敗なんてしないわ。速さには自信があるもの」
「いえ、そういうことではなくてですね……」
「燈里」

できることならば封じないでほしい。そう言いかけた燈里を、冬玄の静かな声が止める。
窘めるような響きに眉を寄せ、燈里は視線だけを冬玄に向けた。

「そもそもあの人間が祀り方を誤ったから、憑き物が暴れているんだ。それに巻き込まれただけの俺たちが、心を砕く必要はない」
「そうよ!富を得ようと迎え入れたのに、正しく祀らなかったのだから自業自得だわ。無理矢理封じたせいで混じってしまった後始末をしてあげるのを感謝してほしいくらいよ」

怒りが収まらない二人からそっと視線を視線を逸らし、肩を落とす。
憑き物筋がどういうものか。その末路を燈里も知らないわけではない。しかし繩手の場合は、自ら望んで受け入れたようには思えなかった。

「会って早々、手荒な真似はしないって約束してね」

何度目かになる忠告を二人にしながら、教えられた繩手の家へと足を速めた。



「いらっしゃい。まさか本当に来てくれるとは思わなかった」

出迎えた繩手は変わらず青白い顔をしながらも、その表情はどこか安堵が滲んでいる。

「あんたが無理矢理約束をしたんだろうが」
「あ……そう、だね……俺が……」

不機嫌な冬玄の言葉に、繩手の表情は途端に暗くなる。
無理もない。繩手は燈里に巻き込まれてほしいと言ったことを覚えてはいなかったからだ。
助けを得られるのはありがたい。だがその理由が自身の脅すような言動にあること、そしてそれが両腕の痣の原因であろう憑き物の仕業であることは、繩手にとって恐怖でしかなかった。

「こっち。両親の部屋はそのままにしてあるんだ」

繩手の案内で部屋の奥へと向かいながら、燈里は冬玄と東の様子を伺う。纏う空気は鋭いものの、問答無用で手を出す気配がないらしい。そのことに少しだけ安堵して、燈里は繩手に話しかけた。

「あれから、何か思い出せたことはある?」
「いや、なにも……」

答える声は沈んでいる。

「麗《うらら》って名前にも、やっぱり心当たりはないよ」

それは応接室での話し合いの際、繩手が口にした名だった。
あの時、繩手は燈里と麗の目が合ったと言っていた。ならば、それは繩手の中にいる憑き物の名である可能性が高かった。

「ごめん。巻き込んで」
「気にしないで。とにかく今は手がかりを見つけないと」

大丈夫だという燈里の微笑みに、繩手もほんの少し表情を緩めた。
そして、ある部屋の前で立ち止まり、ゆっくりと扉を開ける。

「ここが両親の部屋。何か見つかればいいんだけれど」
「見つかればじゃなくて、見つけないといけない……それじゃ、手分けして探そうか」

その部屋はカーテンを閉め切っているせいか、暗く湿った匂いがした。
カーテンを開け日差しを取り入れてもなお暗さが残っているようで、振り切るように燈里は頭を振り部屋の中から手がかりになりそうなものを探し始めた。



「宮代《みやしろ》さん。これ……」

暫くして繩手が燈里に見せたのは、何冊もの分厚い日記帳だった。
日記の一つを手に取りぱらぱらと捲る。どうやら繩手の成長記録のようで、彼の幼い頃の様子が事細かく書かれていた。
思わず笑みを浮かべながら燈里は文字を追うが、ある日付に書かれていた内容にその表情は一気に険しさを増す。それに気づいた冬玄が日記を覗き込み、同じように眉を顰めた。

「宮代さん?」
「北?何か見つけたのかしら?」

近づく東と繩手に、冬玄は無言で日記のページを見せた。その内容に表情を険しくする東とは対照的に、繩手はただ困惑する。

――やっぱり父の家に行くべきではなかった。式貴《しき》にもしものことがあったら、私は絶対に父を許さない。どんな手を使ったとしても必ず、報いてやる。

憎しみに近い、怒りを綴った言葉。日付を見ると、どうやら繩手の六歳の頃の出来事のようだ。
その日にはそれ以上のことは書かれてはいない。しかし後の日記には、しばらく高熱が続いている様子が書かれている。

「そんなことがあったんだ……ごめん、記憶にない」

申し訳なさげに首を振る繩手を、冬玄は鼻で笑う。それを燈里が嗜めようとするのを手で制し、冬玄は繩手の眼を見据え、告げた。

「黄昏時だ。巻き込んだのだから、ある程度の情報を寄越せ」
「冬玄?何言って……」

言いかけて、ふと差し込む光に朱が混じり始めていることに気づき、燈里は口を噤んだ。
黄昏時。逢魔時とも呼ばれる夕暮れは、人と魔が混じり合う時間帯だとされている。

「だんまりか。これからも、ずっとそうやって誤魔化すつもりなのか?」
「まさか。これからもずっとここにいるために、協力は惜しまないつもりだ」

繩手の唇が歪に弧を描く。

「燈里。話は北に任せて。声を出しては駄目よ」

東の忠告に、燈里は冬玄の背を見つめた。
燈里を隠すように繩手と対峙する冬玄に変わりはない。
目を伏せ、息を吐く。触れる東の手を握り、祈るように頷いた。

4/8/2026, 9:33:36 AM


「燈里《あかり》。話す時は目を見るな」

囁かれる忠告に、燈里は横目で隣に座る冬玄《かずとら》を見た。
表情のないその横顔からは、何を考えているかは分からない。逆隣りに座っている東の刺すような警戒も感じられず、それが燈里の不安を掻き立てる。
視線を前に向け、正面に座る夏煉《かれん》と繩手《なわて》を見た。
夏煉の表情は普段と変わらない。しかしその目はどこか鋭く、繩手の言動を監視しているのだろう。
警戒されていることを感じているのか、それとも囲まれているからか、繩手の表情は青白い。記憶の中に朧気に残る彼の姿とかけ離れた姿に、燈里は僅かに目を細めた。
目を合わせてはいけない。目を合わせ取り込まれないよう忠告されたということは、縄手には確実に何かが憑いているということだろう。
それを守り、視線を落とした繩手のかさついた唇を見ながら、燈里はゆっくりと口を開いた。

「ごめんね、物々しくて」
「あ、いや。同窓会の後の話を聞いたんなら、それも仕方ないっていうか……あ。お、俺が何かした訳じゃないんだ!それは、信じてほしい」

酷く掠れた声だった。記憶の中の繩手の声との差異に、燈里は表面上は穏やかに微笑みを浮かべながら、内心で警戒を強める。

「うん、そんなこと思ってないから心配しないで。それより、私に話があるって聞いたけど」

繩手の唇が震える。目を見れないため、彼が何を考えているのか察することは難しい。だが震える体や唇は、何かを恐れているように燈里には感じられた。

「じ、実は、その……助けて、ほしくて」
「助ける?」
「話を聞いてくれるだけでもいいんだ!これ以上はもう、本当に……っ!」

がたがたと繩手の体が激しく震え出す。痩せた手が顔を覆い、呻くように声が漏れる。
最初に反応したのは東だった。警戒を露わに立ち上がる彼女を、夏煉は短く名を呼ぶことで制止する。それでも納得がいかないのか繩手に鋭い視線を向け、ややあって元の通りに座り小さく鼻を鳴らした。

「繩手くん?」
「ごめん。もう、どうすればいいのか……蓋を開けて中を覗いてしまえば、戻れないんだ。忘れたままにできない……どうすれば……これ以上は……」

呻くように言葉を続ける繩手には、周囲の様子を気にかける余裕はないように見えた。燈里のことすら認識していないのかもしれない。
思わず身を乗り出す燈里の体を、冬玄の手が止める。視線を向けると、やはり感情の読めない目をして、冬玄は静かに口を開いた。

「あんたのその両腕は、誰が封じたんだ?」
「え……?」

震えていた繩手の動きが止まる。
のろのろと顔を覆う手を離し、袖を捲る。痩せこけたその両腕には、うっすらとだが黒く何かが巻き付いているように見える痣が浮き出ていた。

「これ、は……」
「徴《しるし》を消し、記憶を消して封じていたようだが、それが綻びかけているな。助けを求めるのは燈里ではなく、その封をしたやつの所だ。これ以上関わろうとするな」
「封じた……そんな……そんな人、知らない。何で、こんな痣……今朝はなかったのに」

声を震わせ腕をさする繩手には、痣のことも、封を施した誰かのことも記憶にないのだろう。目の前の不可解な現象に怯えている。
ふと、燈里は学生時代の卒業までの数か月のことを思い出した。
そこに繩手の姿はない。覚えてないのではなく、ある理由で学校に来ていなかったはずだ。

「そういえば、繩手くん。事故で入院してたよね?確か……両腕を怪我したって、聞いたけど」
「あ……入院……」

燈里の言葉に恐慌をきたしかけていた繩手が、落ち着きを取り戻す。深く息を吐いて、ソファの背に凭れながら当時を思い出すように宙を見る。

「入院、してた……あぁ、そうだ。確かに入院して、その時に記憶をなくしたって、皆が言ってた。今までの全部の記憶じゃなくて、事故のこととか、小さかった子供の頃のこととかだったから、そんなに不便はなくて……あぁ、いや、思い出してはいけないって感じて、だから気にしないように……」
「それなら、あんたの両親に聞けば済むことだな」

無感情にそれだけを告げて、冬玄は燈里を促し立ち上がる。
退室しようとするが、数歩歩いた所で燈里は何かを思い出したように足を止めた。

「待って。間違ってたら申し訳ないんだけど、繩手くんのご両親って卒業式の前日に……」

振り返る燈里に、繩手は力なく笑う。肩を落とし、燈里の言おうとしていたことを肯定した。

「うん。俺の両親は亡くなってる。それに親戚とも疎遠になっていたから、当時のことを知っている人はいない……だから、もう閉じられない」

冬玄の表情が歪んだ。
燈里を縄手の視界から隠すように、一歩前に出る。一気に張り詰めた空気に、燈里は冬玄の腕を軽く引いた。

「冬玄」
「燈里、下がっていろ」
「でも……」

固い声に戸惑いながら、燈里は繩手に視線を向けた。

「え……?」

先程から、繩手は無言のまま微動だにしていない。殺気にも似た鋭い空気に怯えているのかと思っていたが、それは間違いだと気づく。

「繩手、くん?」

笑っていた。
唇が歪に弧を描き、頬を涙が伝い落ちていく。

「宮代《みやしろ》さん」

声を震わせ、繩手は燈里を呼ぶ。
縋るような、祈るような響きを湛え、囁く。

「視線が合わないのは、警戒しているからだよね。目を見つめると、囚われると理解しているから……でも、遅い。さっき宮代さんは麗《うらら》の眼を見てしまった」
「燈里っ!」

びくり、と燈里の体が震えた。意思とは無関係に、繩手と眼を合わせようと視線が動く。

「燈里、止めろ」

肩を引かれ、燈里の目が冬玄の手に覆われる。それでも時間稼ぎ程度にしかならないことを理解して、忌々しいと冬玄は舌打ちした。

「宮代しか頼れる人はいないんだ。どうか、巻き込まれてくれ」

険しさを増す周囲を感じながら、燈里は冬玄の腕の中で小さく頷いた。

4/7/2026, 8:01:30 AM

「宮代《みやしろ》。少しいいか」

編集長である夏煉《かれん》に呼ばれ、燈里《あかり》は彼女と共に応接室へと移動した。

「宮代に会いたいという連絡が来た」
「それって……」

燈里の脳裏に繩手《なわて》という同級生の姿が浮かぶ。事情は話してはいないが何かを察しているのだろう。普段よりも険しい表情で、夏煉は燈里の目を見据え告げた。

「繩手という男だ。あれは何かが憑いているな。断ろうとも思ったが、他所で接触されるよりはここの方が安全だと判断して、仕事終わりに約束を取り付けた。北に連絡して、来るように伝えてくれ」

予想もしていない言葉に燈里は目を丸くする。
北とは冬玄のことだ。かつて小さな村で祀られていた時の呼び名であった。
そしてその名で呼ぶ夏煉もまた、冬玄と同じ存在だった。
夏煉に無言で促され、燈里は慌てて冬玄に連絡を取る。事情を説明するより早く、すぐに行くとだけ告げられ切れた電話に、燈里はただ困惑する。

「すぐ、来るそうです。それで、その……」
「ならば、北が来るまではここで仕事をしていてくれ。東を呼んでいるから問題はないだろう」

繩手について話をしようとするが、夏煉はそれだけを言って応接室を出て行ってしまう。呆然とその背を見送っていると、不意に背中に誰かが抱き着く感覚がした。

「燈里!久しぶりね。わたしが来たからには、もう安全よ」

ふわりと鼻を掠める沈丁花の香り。聞き覚えのある声に振り返ると、長い黒髪の少女がにこにこと笑いながら燈里に抱き着いていた。

「お久しぶりです。でもどうしてこちらに?」

夏煉に東と呼ばれている少女は冬玄と同じ村に祀られていた存在だった。冬玄が宮代の守り神として祀り直されたように彼女もまた他の場所で祀り直され、先日のある出来事を切っ掛けに縁ができた。

「南が燈里が危険だから今すぐ来るように言ったのよ。堕ちた憑き物に狙われているのでしょう?」
「堕ちた、憑き物?」

状況が良く理解できず、燈里は首を傾げる。それを真似するように東も首を傾げ、不思議そうに目を瞬いた。

「違うのかしら?」
「いえ、憑き物筋らしき男性には心当たりがあるのですが、堕ちた、というのは?」
「西のような澱みを感じたのですって。また南は何も説明しなかったのね」

分かりやすく頬を膨らませ、東は怒る。燈里に抱き着いたまま、仕方がないと溜息を吐いた。
あのね、と聞いた情報を説明しようと燈里を見つめた東の動きが止まる。次の瞬間には険しい表情で部屋の扉を睨みつけた。

「来る……」

警戒を露にした呟きと同時、扉がじわりと端から黒く染まり出す。光沢のない、どこまでも暗く底のない黒。息を呑む燈里に抱きつく腕を強め、しかし片手だけを離して、指先を扉に向けた。
ぶわりと風が巻き起こる。春疾風よりも強く鋭い風の刃が扉に突き刺さるが、それはすべて黒の中へと吸い込まれてしまう。

「燈里。離れないでいてね」

小さく舌打ちする東の手には、いつの間にか翁の面があった。躊躇なく面をつけると、もう一度、鋭さを増した風が扉に向けて放たれる。
びしり。扉に刻まれるいくつもの傷から、どろりとした黒が流れ落ちてくる。血のようにも、涙のようにも見えるそれから燈里は目を逸らせないでいた。
痛み、悲しみ、あるいは怒りが黒を通して染み込んでくる。食い入るように見つめる黒の奥底。

金の眼と視線が合った。





気づけば星空の下、庭先に一人佇んでいた。
月のない、暗い夜だ。風もなく、生き物の声もなく、辺りは静謐で満たされている。

――がたん。

ふと、音がした。立て付けの悪い戸を開けた時のような、そんな少しばかり乱暴な音。
気になって視線を向けた。

ちょうど屋敷から誰かが這い出てきていた。黒い面をつけた子供。同じように黒く染まった両腕を動かし、必死になって部屋から出ようとしている。
ひゅうひゅうと、か細い呼吸音が聞こえる。体を引き摺り、縁側から庭先まで転がるように降りてきた子供は、けれどもそこで体力が尽きたのか動く様子はない。

――また、すべて失敗か。

部屋の中から、低い声が聞こえた。感情を抑えてはいるものの、その声音には隠し切れない落胆や苛立ちが滲んでいる。
また意味のないことを繰り返している。手順を誤っているのだから、正しく定着するわけはないだろうに。
倒れ伏す子供に近寄った。辛うじて生きてはいるが、それも時間の問題だろう。
そっと腕を伸ばす。黒い面に手が触れる、寸前。

吹き抜けた風に乗った花びらと雪に視界を覆われ、意識は暗転する。



「燈里」

名を呼ばれ、燈里はゆっくりと目を開けた。

「冬玄」

目の前には心配そうに顔を覗き込む冬玄の姿。燈里はどこか冷静に、自分が冬玄の膝に頭を乗せソファに横たわっていることを理解した。

「燈里!目を覚ましたのね!」

燈里が目覚めたことに気づいた東が、ほっと息を吐く。
だがその表情は翁の面に隠れ、分からない。
まだ安心はできないのだろう。夢の余韻を振り切るように、燈里は一度強く目を閉じた。

「無理をするな。もう少し横になっていろ」
「大丈夫。少し夢を見ただけだから」

目を開け安心させるように燈里は微笑み、ゆっくりと体を起こす。状況を理解しようと周囲に視線を巡らせ、応接室の扉を見て眉を寄せた。
刻まれ凍りついた扉の破片が部屋の隅に申し訳程度に集められているだけで、大方の事情が察せられる。無言で二人に視線を向ければ、それぞれ仕方がなかったと口にしながらも視線を逸らした。

「まあ、あの状況だと仕方ない部分はあるだろうけど、南方《みなかた》編集長にはちゃんと説明しないと」
「大丈夫よ、燈里。南にはもう叱られたもの」
「胸を張って言うことではないな」

呆れた声がして、燈里は応接室の入口に視線を向けた。同時に、東が燈里を庇うように前に立ち塞がる。
東の肩越しに見えるのは夏煉の姿。そしてその後ろに誰かの影が僅かに見えた。

「客人を連れてきた。彼の中のモノが動けない間に話をしてしまおう」

そう言いながら夏煉は応接室に入り、机を挟んで燈里の正面に座る。
それに続けて入ってきた男性は、目に濃い隈を作りやつれた顔をしていた。
おどおどと夏煉の隣に座り、警戒を露わにする周囲に怯えながらも、男性――繩手は燈里を見て深く頭を下げた。

4/6/2026, 9:32:22 AM

同窓会の知らせを前に、燈里《あかり》は悩んでいた。

「まだ悩んでるのか」
「冬玄《かずとら》」

コーヒーを置きながら、冬玄は燈里の頭を撫でる。ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられ、燈里は慌てて冬玄の手を掴んで止めた。

「たまには楽しむのも大事だ。それとも前に何かあったのか?」
「そういう訳じゃないけど……」

乱れた髪を直しながら、燈里は言葉を濁す。眉を寄せ何かを考えているその様は、同窓会への参加を悩んでいるだけではないように思えた。

「燈里」

名を呼ぶと燈里は冬玄を見つめ、うぅ、と小さく声を漏らす。自分でも何を迷っているのか分かってはいないのだろう。その表情は普段と異なり、どこか頼りない。
暫く何も言わずに燈里は冬玄を見つめていたが、小さく息を吐くとカップに手を伸ばす。何度か息を吹きかけ、香りと味を堪能するように目を細めてコーヒーを飲み、もう一度悩みを吐き出すように息を吐いた。

「同窓会に行きたくない訳じゃないの。ただ……何ていうか……自分でもよく分からないんだけどね。こう、胸がざわざわするというか……」

かたん、とカップを置き、燈里は自身の胸に手を当てる。とくとくと刻まれる鼓動は普段と変わらないように感じた。
しかし何かが違う。参加しようと考えるだけで、途端に言いようのない不安が込み上げ落ち着かなくさせる。それは同窓会自体に関してというよりも、それに参加する同級生に関してのことのように思えた。

「前回はこんなことなかったのに……でも、今回は参加しない方がいいのかな」
「それでいいと思うよ」

不意に燈里の後ろから伸ばされた手が、スマホを取り上げる。突然のことに反応できないでいる燈里の前で欠席の項目にチェックを入れて送信し、楓《かえで》は困ったように肩を竦めた。

「楓?」
「その勘は大事にした方がいい。今回だけになるかは分からないけど、何か嫌な感じが伝わってくるよ」
「どういう意味だ?」

冬玄の問いかけに、楓は眉を顰め首を振る。答えの代わりにスマホを操作し、ある画面を提示した。

「これって……参加者名簿?」

首を傾げる燈里とは対照的に、冬玄の表情は次第に険しさを増していく。その視線は、ある一つの名前に注がれていた。

――繩手式貴《なわてしき》

前回の同窓会にも参加した男性だった。
燈里には見えていないのだろうが、冬玄には彼の名から黒い靄が滲んでいるのが見えている。どろりとした昏い感情が文字を通して燈里を絡め取ろうとしているように感じられて、冬玄は顔を顰め舌打ちした。

「冬玄?」
「こいつは、一体どんな奴なんだ」

指差された名前に視線を向け、燈里は困惑したように眉を寄せる。学生時代を思い出すように宙を見つめ、迷うように口を開いた。

「静かな人、かな?よく覚えてないけれど、誰かと集まって話したりするよりも、一人で本を読んでいることが多かった気がする」
「ほとんど燈里の記憶には残ってないよ。ただ、ここまで記憶に残らないのは、認識を歪める何かが作用している感じも受けるね」

そう言って楓は画面を消し、燈里にスマホを返す。その表情には僅かな安堵が見えるものの、警戒が解かれる様子はない。

「まるで辺り障りのない印象以外を隠しているようだ。こちらに対して悪意があるわけではないのだけれど、その分異様さが浮きだって気持ちが悪い」

燈里の内に在る妖の楓は、彼女の記憶を共有している。燈里が見たものをそのままの視線で見ることができる彼女だからこそ、その不自然さに楽観視ができないのだろう。

「繩手くんは何をしようとしているの?それとも繩手くんに何かがあるの?」

二人の様子に燈里はただ困惑する。しかし今までの経験から彼自身、あるいは彼に関わる何かが不安を掻き立てていることは理解できた。
燈里の疑問に、冬玄は画面の落ちたスマホを一瞥する。ほんの僅か逡巡し、燈里の目を見つめた。

「何をしようとしているかは分からない。だがそいつには何かが憑いている」
「憑き物筋ってこと?」
「おそらくな。そしてその憑き物も宿主も、燈里に接触しようとしているようだ」

何故、そこまで分かるのか。言葉にこそ出さなかったが燈里の不安げな表情を見て、冬玄は苦笑する。

「名前を見たからな」

その者を現世に留める楔であり、在り方を示す言霊だ。人ならざるモノにとって、名を見ることはその者自身を見ることと言っても過言ではない。
特に冬玄は代々彼女の家で祀られていた守り神だ。名を見れば、本人に接触せずともある程度の情報は読み取れる。

「何かが憑いているのは感じられるが、それ以上は分からない。ただ燈里を求めているのは確かだ。今後別の形で接触を図ってくるだろうな」

同窓会に参加しないことで直接の接触は断たれたものの、燈里に向けられた感情が消えるわけではない。楓もそれを察して顔を顰め、冬玄に目配せをしてから部屋を出ていく。

「楓?」
「暫くは睦月《むつき》の側にいることにするよ。大丈夫だとは思うけれど、念のためにね」

振り返らずに答える楓の背を見ながら、燈里は表情を曇らせる。年明けに縁あって燈里の家に住むようになった睦月は、先日恐ろしいことに巻き込まれたばかりだった。
不安げに右手の薬指に嵌るリングに触れる燈里の肩を、冬玄はそっと引き寄せる。落ち着かせるようにその華奢な背を撫でながら、大丈夫だと囁いた。

「俺がいる。燈里が望むのならば、あのちびだって守ってやるから、心配するな」
「うん……ありがとう、冬玄」
「いつも通りでいろ。そのままでいられるために、俺も楓も燈里の側にいるんだ」

ふわり、と燈里は微笑んだ。甘えるように冬玄に擦り寄りながら、静かに目を閉じる。
大丈夫だと自身に言い聞かせ、胸の奥で燻る黒い何かから目を逸らした。



しかしその懸念は後日届いた一通の連絡で、一気に形を持ち出した。
差出人は燈里の友人。
繩手が燈里に連絡を取りたいとのこと。
そして続く文面には、同窓会で繩手が接触した女性たちは、皆それぞれ小さいながらも事故で怪我をしたらしいことが書かれていた。
自身も階段から落ち、捻挫をした。見知らぬ女性に押されたことは間違いないはずが誰もその女性を見ておらず、一人で落ちたのだと言っている。他に怪我をした子も同じような女性を見た。焦り、恐怖しているのが伝わってくるような、内容だった。
その最後には、こう書かれている。

――燈里、繩手くんに会う時には気を付けて。絶対に一人で会おうとしないでね。

4/5/2026, 9:01:58 AM

「お一つです」

無機質な声が聞こえ、目を開けた。
広い畳敷の広間。厳重に封をされた陶器の壺を前に座っている。
また、同じ夢だ。
正面に座る、面布をつけた神主のような格好をした人物を前に考える。
壺に視線を落とす振りをしながら、そっと左右を見た。
壺のような光沢を放つ面をつけた子供らと、それぞれの前に置かれた壺。変わらぬ夢の内容に、密かに眉を寄せた。

「お開けください」

その言葉と共に手が意思とは無関係に動き、壺の封を剥がしていく。一枚、また一枚と、剥がれ落ちた瞬間に煤となって消えていく不安に、どうしようもなく不安を覚えた。
止めようとしても無駄だ。どんなに指先に力を込めても動きが僅かに緩慢になるだけで、止まることはない。

「お一つです」

繰り返される言葉とほぼ同時、左右から悲鳴が上がる。
倒れる音。畳を転がりのたうち回る子供の姿が視界の端に映り、手が震え出す。
それでも手は止まらない。また一枚、封が剥がれ消えていく。
いつしか悲鳴は聞こえなくなっていた。しん、と静まり返る広間に、封を剥がす微かな音がやけに大きく聞こえる。
後一枚。封に指をかけながら、ふと目の前の人物に視線を向ける。
いつの間にか、面布は子供らのような白い面に変わっていた。つるりとした表面に灯りが反射し、一瞬だけ鱗のような模様を浮かばせる。

「開けなさい」

そう告げられ、壺に視線を落とした。最後の封は剥がれ消えて、壺は静かに開けられるのを待っている。
手が蓋にかかる。止めたくても止められない。
夢だと分かっていても、呼吸が浅くなる。額に汗が浮かび、蓋を持つ手がかたかたと震え出す。
これ以上は駄目だ。開けてはいけない。中を覗いては、二度と戻っては来られない。
救いを求めて左右に視線を巡らせた。

「――っ!?」

他の子供らはすでに蓋を開け、中を覗いてしまったらしい。
倒れ伏し動かない子供ら。その面はそれぞれ変わり、異様さを際立たせていた。
壺を開ける前までは同じだったはずの白い面。それが獣のように、あるいは人のように形を変えている。だがどれもが歪で、正しくはないのだと本能が告げていた。
かたん、と音がした。とうとう蓋が開けられてしまうのだろう。
視線が戻る。壺へと向けられていく。
もう、止められない。

「一人、一つだけ。その身に受け入れ、馴染ませなさい」

無駄だと思いながら、最後の抵抗に目を閉じた。



「――っ、は」

声にならない悲鳴をあげ、男は飛び起きた。
忙しなく暴れる鼓動を感じながら、深く息を吐く。

「またか……」

呟いて、項垂れる。夢の名残りが纏わりついているようで、男は眉を寄せ頭を振った。
ここ最近繰り返し見る夢に、男は明らかに憔悴していた。夢だと分かってはいるものの、伝わる五感全てが現実のような生々しさを孕んでおり、それは恐怖となって目覚めた後も男を苛む。夢を見ることが恐ろしく薬に頼り、神社へ行くこともあったが、その成果はないと言っても過言ではなかった。

「助けてくれ……誰か……」

睡眠不足からくる頭痛に顔を顰め、サイドテーブルから鎮痛剤を取り、水で流し込む。震える手でペットボトルのキャップを閉めサイドテーブルに戻すと、ちょうどスマホが一件の通知を知らせた。

――同窓会のお知らせ。

このような体調では参加は難しい。そう思い断りの連絡を入れようとしたが、不意にその手が止まる。
男の同級生で一人、民俗誌の記者として働いている女性がいたことを思い出した。
学生時代に謎の昏睡状態でしばらく学校を休んでいた同級生。前回参加した同窓会では、彼女はいくつかオカルト関係の事件に巻き込まれたらしい噂を耳にしていた。
縋る気持ちで、同窓会への参加の返信をする。彼女が同窓会に参加しなくとも、連絡先は知れるかもしれない。

「どうか……助けて……」

スマホを握りしめ、男は祈る。
だが男は気づかない。
スマホの明かりでできた自身の影。それが不気味に揺らぎ、体に巻きつく何かを浮かばせたことを知ることはなかった。

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