sairo

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1/7/2026, 9:34:00 AM

囲炉裏端で少女は姿勢を正して座り、訪れるはずの神を待っていた。
今年も、何事もなく年が明けた。やがて、山から神が降りてくるのだろう。
小正月になると、この村には来訪神が訪れる。山から村へと訪れ、家々を巡り歩くという。
少女の家にも、毎年のように来訪神が訪れていた。もっとも、それは村の男たちが来訪神に扮していたものではあったが。
だが一度だけ少女の家に、本当の来訪神が訪れたことがある。七年前の小正月の晩に訪れた来訪神は、泣きじゃくる少女の弟を戒めるでもなく、両親や祖父母に気にかけられることもなく、ただ静かに玄関に佇んでいた。
音もなく開く戸。風や火の音以外に何も聞こえなくなる感覚。七年経った今も、少女ははっきりと思い出すことができる。

不意に、家の外が騒がしくなってきた。村の男たちが扮した来訪神が訪れたのだろう。
がらがら、と戸が開けられる。異形の面を被り、藁蓑《わらみの》を纏い、手には刃を持った来訪神の訪れに、だがその姿に怯える子供は少女の家にはいない。少女の弟は本物の来訪神が現れた年の二月、春を待たずして流行り病で亡くなった。

「おめは、ほんっとに泣がね子だな」

どこか呆れを滲ませながら笑い、来訪神に扮した男は少女の頭を一撫でしてから去っていく。
少女は表情を変えず、微動だにしない。ぴん、と伸びた背を崩すことなく、男が去った後も玄関を見つめていた。
両親と祖父は、男について家を出た。この後、村の集会場で行われる祭りに参加するのだろう。その準備で祖母は昼過ぎから家を出ており家にはいない。
今この家にいるのは、少女だけだった。



ひょう、と風が鳴いた。ざ、ざ、と土を踏みしめ歩く音が近づいてくる。
僅かに目を細め、少女は玄関の戸が開くのを待った。やがて音もなく戸が開かれるのを見て、ゆっくりと立ち上がる。
入ってきたのは、先程の男のように異形の面を被り、藁蓑を纏った大柄な神だった。少女と向き合い、面越しに視線を交わす。
お互い何も語らず、聞こえるのは吹き込む風がかたんと戸を鳴らす音や火が爆ぜる音くらいなものだ。

「――削がれているな」

低くもなく高くもない声が、部屋に落ちた。吹き荒ぶ風に似ている声だった。

「削がれたわ。火班《ひがた》の代わりに削がれて、弟と共に連れていかれてしまった」

ぱちん、と囲炉裏で一際大きく火が爆ぜる音がした。

「だから行く。あなたと一緒に」

迷いのない声音だった。視線を逸らさない少女を暫し見つめ、来訪神は何も言わずに去っていく。
その後に、少女は続く。家を出て、山へと向かい歩いていく。
不思議なことに、来訪神が訪れる時には聞こえていた足音は今は少女のものだけだった。足跡すら残さず進む来訪神の姿に少女は僅かに目を細めるが、進む足取りに恐れはない。
村の集会所は、山の入り口とは正反対の方角にあった。それ故か少女を見咎める者は誰もいない。
遠く聞こえる祝いの音を背に、無言のまま少女は歩き続けていた。来訪神の後に続く少女の足跡が、家から山へと続いていく。

そして、来訪神と少女が山へと消えた後、厚い雲に覆われた空から雪が降り始めた。
しんしんと降る雪は一晩中村に降り積もり、辺りを白く染め上げていく。

そして小正月の祝いを終えた村の大人たちが家々に戻る頃。
少女の姿は村から忽然と消え、いくら探しても二度と見つかることはなかった。



それ以降、この村の小正月の晩には、来訪神に似た何かが現れるようになった。
異形の面を被り、藁蓑を纏ったその姿は来訪神のもの。だが、左目から頬にかけて大きくひび割れた面や、怠け者や泣く子を戒めるでもなく佇むその姿に、村の誰しもが眉を顰めた。

「あれはヒガタじゃねぇ」
「似ているが、違う。別のもんだ」
「おっかねぇ。泣ぐ子でねくて、泣かん子を攫っちまうモドキだ。浜吉の娘っ子も、そうだったんでねぇべか」

その何かが現れてから、次第に村は小正月に来訪神を拒みはじめ、小正月の祝いも行わなくなった。

そして月日は流れ。
風習は朽ち、今では村に残る僅かな住人が記憶に留めているだけとなった。





宮代燈里《みやしろあかり》がその来訪神について知ったのは、務める出版社に届いた一枚の手紙からだった。

「よくある怪談話の一つだ」

コーヒーを片手に、編集長である南方夏煉《みなかたかれん》は淡々と告げた。

「うちは民俗誌だというのに、相変わらずこういった類の話が紛れ込んでくる。気にするな、宮代」
「ですが……」

手紙に目を通しながら、燈里は眉を寄せる。
とある村に伝わるヒガタと呼ばれる来訪神。その神に似た何かが村人を攫って行く。
よくある話だ。元を真似た怪異が人に害をなす話はありふれており、特段珍しいものではない。
だがこのヒガタと呼ばれる来訪神が気にかかる。泣かぬ娘を連れていったという神。何故、娘を連れて行ったのか。何故、何も言わずに家の中に佇んでいたのか。
この手紙が、まったくの創作という可能性は大いにある。それでも燈里は気になって仕方がなかった。

「止めはしない。進めることもないがね」

そんな燈里を一瞥し、夏煉はコーヒーを煽る。追加のコーヒーを取りに席を立ちつつ燈里の頭を撫で、苦笑した。
仕事始めなのだから、あまり負担になるような仕事はさせたくはないというのが本心ではあった。ただでさえ昨年は色々なことに巻き込まれ、精神的な負担が強かったはずだ。
だが同時に、夏煉は燈里の望むことはできる限り叶えてやりたいとも思っていた。
そんな相反する思いをおくびにも出さず、夏煉は普段と変わらぬ淡々とした口調で告げる。

「小正月に現れる来訪神は、本来は春を告げ、五穀豊穣や豊漁をもたらす存在だ。肩の力を抜いて、旅行を楽しむくらいの余裕を持っていけばいい。どうせなら、婚約者と一緒に行ったらどうだ?そいつの旅費くらいは私が持とう」
「そ、そんな、申し訳ないです!」

頬を赤く染めながら、燈里は必死に首を振る。どこまでも真面目で控えめな部下に、夏煉は気にするなとばかりに肩を叩き、給湯室に向かいながら手を振った。

「私からのお年玉だと思えばいい。くれぐれも無理はせず、婚約者と楽しんでおいで」
「っ、ありがとうございます」

頬どころか耳まで赤くしながら、燈里は夏煉の背に頭を下げる。
恥ずかしさと申し訳なさで、落ち着かない。熱の引かない顔で視線を彷徨わせ、何気なく窓の外を見た。

「雪……」

厚い雲に覆われた、重たさを感じる空。
しんしんと、雪が降り始めていた。



20260106 『君と一緒に』

1/6/2026, 9:40:38 AM


本坪鈴が鳴らされる。
ぱん、ぱん、と柏手を打つ音。笑顔で、真剣な顔で祈る人々を横目に、奉納された絵馬を眺める。
希望校に合格できますように。好きな人と結ばれますように。病気や怪我なく過ごせますように。
数はあれど皆同じような願いに、思わず苦笑した。毎年見ているが、必ずと言っていいほど同じ願いが奉納される。人々の願いというものは、結局は同じなのかもしれない。
果たして、この願いが叶ったとしたら幸せになれるのだろうか。絵馬の一つを突きながら考える。
そもそも幸せとはなんなのだろう。願いとは、つまるところは欲望だ。それが満たされたとしても、別の欲が現れるだけなのかもしれない。
一つ手に入れて、さらにもっともっとと強請る子供のように。

苦笑して、緩く頭を振る。すぐに考え込んでしまうのは、昔からの悪い癖だった。
そろそろ戻るべきだろうか。初詣の列は大分少なくなり、授与所もまた普段の落ち着きを取り戻してきている。
年が明けた浮き足立つ空気も薄れ、明日からは段々と日常に戻っていくことだろう。
小さく息を吐いた。からん、と鳴る本坪鈴の音に、ふと興味を引かれて拝殿へと視線を向けた。
手を合わせ、祈る。真剣な姿に興味を引かれ、近づいてみる。

「どうか……」

何を願っているのだろう。他の多くの参拝客とは違い、真剣さの中に悲痛な思いを感じた。
神に祈ることが、この人にとっての最後の希望なのか。それとも祈ることしか残されていないのか。
祈る姿を見ながら考える。祈り、願う理由を。そしてその先を。

もしもその願いが叶ったとして、幸せになれるのだろうか。

顔を上げた彼の横顔からは、何も読み取れない。
拝殿を後にし、授与所に向かう彼を視線で追う。授与所で絵馬を頂き、どこかへと向かうその後に、こっそりと続いた。


向かった先は神社の裏。細い道の先にある、子供たちの秘密の遊び場だった。
桜の木の根元に腰を下ろし、しばらく悩んで絵馬に願いを書き始めた。
何を書いているのだろうか。視線はただ絵馬に向けられていて、強い思いを込めて願いを書いていることが分かる。けれどその姿だけでは、何を願っているのかまでは分からない。
やがて絵馬を書き終わったのか、彼はゆっくりと立ち上がり、桜の木の枝に絵馬をかけた。
そっと近づいて絵馬を覗き込む。迷いのない丁寧な字で書かれた願いに、思わず眉を寄せる。

――後悔のない日々を送れるように。

後悔がないとは随分と抽象的だ。確かに後悔のない日々が送れるのならば、幸せになれるのかもしれない。けれどもそれがとても難しいことを知っている。
誰だって一日の終わりに後悔するものだ。ベッドの中で、何度も後悔していたことを思い出す。
そのどれもが些細なことだったように思う。後悔して、拗ねては兄に当たって、宥められては笑う。寂しいと泣いては兄のベッドに潜り込み、寄り添い手を繋いで眠っていた。
今になって思い返せば、幸せな記憶ばかりだ。不満だと言いながら、一人でないと伝わる温もりに満たされていた。
目を細め、絵馬を突く。揺れる絵馬を見ながら、気づいた幸せに泣きたくなった。

「そこに、いるの?」

風もないのに揺れる絵馬を見て、彼はか細い声で呟いた。
こちらに視線を向けるも、目が合わない。伸ばされる手を握り返せないことが、ただ悲しい。

「ちゃんと後悔しないように生きているよ……今更だし、あれ以上の後悔はないだろうけどね」

擦り抜けてしまった手を下ろし、彼は力なく笑う。

「夢の中だけでもいいからまた会いたいなんて、そんなこと言わないし願えない。お前の苦しみや痛みに気づかないで一人にしていた俺には、その資格はないって分かってる」

頬を伝い落ちる涙を拭えないことが苦しい。彼を苦しませる理由が自分である罪悪感が、あの日の衝動的な行為への後悔が、胸の中に黒い澱みとして溜まっていく。
手首が痛む。もしも踏み止まれていたのなら、不幸だと嘆くのではなく、幸せだと笑えていたのだろうか。

「でも、会いたいよ。ごめんって、側にいるよって、伝えたい」

俯く彼が、静かに崩れ落ちる。ぽたぽたと、膝に悲しい雨が降るのを見ているだけしかできないのが悔しい。
無駄だと分かっていても、手を伸ばす。記憶よりも大きな体を抱き締める。

「お兄ちゃん。ごめんなさい」

伝わらない温もりが恋しくて、これが夢ならばと強く願った。





「――て。ねぇ、おきて」

揺り起こされて、目を開ける。
部屋はまだ暗い。起きるには早すぎる時間だ。

「ん。なに?どうしたの?」

目を擦りながら問いかける。
ほやける視界の中。兄はどこか安堵したように息を吐いた。

「泣いてたから。悪い夢でも見た?それとも傷が痛むの?」

夢。確かに痛くて、悲しい夢を見ていた気がする。けれど目覚めてしまった今は、よく思い出せない。
意識がはっきりしていくにつれ、足の痛みに眉を寄せた。それに気づいて、兄は布団越しに足を撫でる。

「薬、飲む?本当はいけないけど、朝までまだ時間があるから我慢できないなら持ってくるよ」

自分よりも泣きそうな兄に笑いかけ、そっと首を振る。代わりに手を伸ばせば、当然のように繋いでくれた。
伝わる温もりに、何故だか泣きそうになる。毎日のように触れているのに随分と長い間触れられなかったような懐かしさを感じて、繋いだ手に擦り寄った。

「お兄ちゃん」

小さく呼べば、何も言わなくても兄は察して布団の中に潜り込む。手を繋いだまま寄り添えば、自然と笑みが浮かんだ。

「お兄ちゃん」
「ん?なぁに?」
「幸せってね、暖かいことなんだよ」

目を瞬き首を傾げる兄に、これが幸せだと繰り返す。
不思議そうな顔をして、それでも兄は優しく微笑んだ。

「うん。確かにそうかもね。この暖かさは幸せなのかもしれない」

穏やかに呟いて、目を閉じる。兄につられて、同じように目を閉じた。

「俺も悪い夢を見ていたみたいだ。いつものことなのに、こうやって一緒にいることがすごく嬉しいんだ。ずっと願いたくて、願えなかったことが叶えられた感じがする」

兄の微かに震えた声を聞きながら夢の内容を思い出そうとするが、もう何も浮かばなかった。
けれど、きっと兄の夢の中では願いが叶ったのだろう。そして同じように自分の願いも叶ったのだ。
ならば、幸せなのは当然か。ふふ、と笑いながら温もりに擦り寄り、微睡みだす意識に身を委ねた。

「おやすみ」
「おやすみなさい」

足の痛みはもう感じない。もう一度、夢の世界へと落ちていく。

今度の夢は、どこまで優しく暖かな夢なのだろう。



20260104 『幸せとは』









手の甲に落ちた雪を見て、空を仰いだ。
先程まで晴れていたはずの空はどんよりと曇り、綿のような雪がふわりふわりと落ちてくる。
ほぅ、と息を吐いた。吐く息も白く曇り、視線を下ろせば車椅子の座面もまた雪に染められてしまっている。
帰らなければ。持ち主のいない車椅子を押しながら、歩き出す。
傍目から見れば、自身の姿は狂人のように見えるのだろう。それを理解していても、まだ車椅子を手放せない。
この車椅子に持ち主がいた頃は、次第に押さなくなったというのに。今更意味のないことを繰り返している。
自嘲して、立ち止まる。積もる雪を払いながら、車椅子に彼女の面影を探した。
事故で自由を失った彼女は、何を思って車椅子に乗っていたのだろう。昔から我儘で寂しがりだった彼女は、けれどもいつ訪れても笑顔だったように思う。手を繋ぐことを喜び、側にいるだけで不機嫌な顔は途端に笑顔になっていた。

――可哀そうに。

周囲からの言葉を彼女は嫌っていた。自分もまたその言葉を嫌い、哀れまれる彼女をいつしか疎い、距離を置いた。彼女と二人きりの閉じた世界よりも、友人たちとの広がる世界を求めた。
そのことを彼女に責められたことはない。気が向いた時に訪れれば、決まって彼女は嬉しそうに笑っていた。

「ごめんね。早く帰ろうね」

誰もいない車椅子に語りかけ、再び歩き出す。
すれ違う近所の人が痛ましいものを見る目を向けてくることに気づいていたが、不思議と何も感じなかった。
いっそ、嘲笑ってくれればいいと思う。自分から手を離しておいて、失った後になってその手を求めている。その滑稽さを笑い、あるいは手を離したせいだと詰ってくれればよかった。
近所の人も、家族も何も言わない。一度きり、彼女はもういないのだと告げられただけだ。
それがただ苦しい。行き場のない感情が渦を巻き、心に黒い澱みを溜めていく。

「少し急ごうか。体が冷えてしまったら、風邪を引いてしまう」

車椅子に語りかけながら、足を速めた。
雪が静かに降り積もり、車椅子を埋めていく。そのまま消えてしまいそうで、それが何よりも恐ろしかった。



「おかえりなさい」

雪を落として車椅子をたたみ、玄関に入る。ちょうど玄関にいた母と顔を合わせ、そっと目を逸らした。

「ただいま」

小さく返事をし、母の横を通り過ぎる。何かを言いかけ、結局は何も言わない母と共にいるのは苦痛だった。

階段を上がり自室に入ると、そのままずるずると座り込む。
息が苦しい。泣きたくて堪らないのに、涙は出なかった。

「――会いたい」

微かな呟きに、返る声はない。
理解はしているのだ。面影を探してどんなに彷徨っても、彼女はどこにもいないのだと。
理解はしていても、受け入れられていない。彼女のいない非日常が日常になることが恐ろしい。

「会いたいよ」

膝を抱えて蹲る。逃げるように目を閉じた。

「やり直せるなら、間違わない。後悔しない選択をするから」

主を失った隣の部屋から音がした。
からん、と鈴の音。かたん、と風に揺れ、音を立てる木の板。

瞼の裏側で、彼女が笑っている。
差し伸べられる手に縋り付くように、手を伸ばした。





「どうしたの?」

不思議そうな声に、はっとして顔を上げる。

「調子が悪いなら、もう帰る?」
「あ、いや。大丈夫だよ」

振り返る妹に、なんでもないのだと頭を振って答える。
それでも訝しげに見つめられ、大丈夫だと繰り返した。

「なんていうか、悪い夢でも見ていたみたいだ」
「夢?立ったままで?」
「そう。立ったままで」

そう言って笑えば、妹も表情を綻ばせる。
相変わらず、心配性な妹だ。心配される立場だろうに。
車椅子を押しながら、密かに苦笑する。今も足の痛みがあるだろうに、隠して笑っていることなどとっくに気づいていた。

「でも、そろそろ帰ろうか。寒いと痛みが強くなるだろうし」
「え……う、うん。分かった」

僅かに表情が曇るのを見て、小さく息を吐く。
車椅子を止め正面に回り込むと、膝をついて妹と目を合わせた。

「痛い時は痛いって、ちゃんと言うならもう少しだけいいよ」
「大丈夫だよ。確かに痛むけど、そんなにじゃないし。それに今日は久しぶりに晴れたから、今の間に外を堪能してたいの……ずっと家の中にいるのは、少し息苦しくて」

空を見上げる妹の視線を追って、顔を上げる。

「確かに、久しぶりの晴れだ」

冬晴れ。色の薄い青が広がる空に、目を細めて呟いた。
きん、と冷えた空気を吸い込めば、どこかぼんやりとしていた意識が明瞭になる。少し前に感じた何かが薄れ、形も残さず消えていく。
嫌な、悪い夢。そんな感情すら薄れて、残るのは、この冬晴れのような澄んだ思いだけだ。

「どこに行きたい?今日はどこにだって連れてくよ」

気づけば、そう口にしていた。
驚いたように小さく息を呑む音がして、妹の手が恐る恐る伸ばされる。

「どこでもいい。お兄ちゃんと一緒なら」

その手を取り、離れないように繋ぐ。伝わる体温に、このまま解けていきそうだなどと、可笑しなことを考えた。
離れたくない。もう二度と間違えたくはない。
込み上げる理由の分からない思いに、無性に泣きたくなる。誤魔化すように繋いだ手をきゅっと握り、微笑んだ。

「一緒にいるよ。生まれた時から一緒だったんだから」

そうだ。自分たちはひとつだったのだから。
どちらかが欠けるなどあり得ない。欠けた瞬間に壊れてしまう。

「これからもずっと一緒にいるよ」

そっと囁く。
その響きはまるで祈りの言葉のように、胸の中に染み込んだ。



20260105 『冬晴れ』

1/3/2026, 3:26:38 PM

初詣の帰り。何気なく空を見上げ眉を寄せる。
月が高い。そろそろ日の出が近いはずだと時計に目をやり、さらに困惑する。

「時間が……止まってる?」

正確には時計の秒針は動いている。しかし長針や短針は少しも動いてはいない。
時計が壊れてしまったのだと思った。
背後ではまだ、初詣に訪れた人々や出店の賑わいが聞こえてくる。振り返れば、いくつもの提灯の灯りが見えている。
神社に戻るべきだろうか。一人きりの不安に、そんなことを考えてみる。
そこで、違和感に気づいた。
慌てて周囲に視線を巡らせるが、自分の他に誰もいない。初詣に向かう時は、何人もの人とすれ違ったにもかかわらずだ。
耳を澄ませても、周囲からは何の音もしない。人の話し声はおろか、新聞配達のバイクや自転車の音。車の音すら聞こえない。
もう一度、神社の方向へと視線を向けた。
離れても聞こえる声。雅楽の音。揺れる灯り。
立ち竦み、意味もなく視線を彷徨わせる。縋るように何度も時計を見るものの、やはり秒針しか動かない。

「もし、お困りですか?」

不意に背後で声がした。自分の他に誰かがいたという安堵と、今声をかけてきたのは人なのかという不安が交じり、振り返れない。

「もし、お困りではないのですか?」

低くもなく、高くもない声。男のものか女のものかも分からない。
そういえば、と去年の夏に皆でした怪談話を思い出す。
人ではないモノは、重ね言葉を言えないらしい。もしも一声呼びで返事をしたら、魂を持っていかれてしまうのだと。
背筋に冷たいものが走る。先程から聞こえる声は、もし、としか言っていない。
気づいて、かたかたと体が震え出す。今すぐここから逃げるべきだと思うのに、足が地面に貼りついてしまったかのように動かない。

「もし、お困りでは……」
「いや、それ以上は止めてやれ。怖がってるだろうが」

別の声がした。この声は人だろうか。それとも幽霊だろうか。
どうすればいいか分からず動けずにいれば、肩を叩かれた。ひぃっと、掠れた声が漏れ、反射的に振り返りつつ後ずさる。

「あ、わり。そんなに驚くとは思ってなかった」

そこにいたのは自分と同じくらいの青年と、振袖を着た幼さの残る少女。おろおろとこちらと青年を見つめる少女は、どう見ても霊には見えなかった。

「あ、あの、その……お困り、だと、思いまして。ですから、その……」
「悪ぃな、兄ちゃん。こいつは人見知りが激しい上に、口下手なんだ」
「あ、はい」

気の抜けた返事をしながら、その場に崩れ落ちる。恥ずかしさはあるものの、恐怖から解放された安心感から膝が震えて立てそうにはなかった。

「おい、大丈夫か?というか、兄ちゃん何でこんなとこにいるんだ?見た所、お詣りは済ませてるみたいだけどよ」

何で、など、自分が一番知りたい。
動かない月。進まない時計。訳の分からない現象に、人前だというのに泣いてしまいそうだ。

「えっと、その……迷子、でしょうか……?」
「迷子、って感じじゃねぇ気がすんだけどなぁ……?兄ちゃん、お詣りん時、いつもと違うことしなかったか?」
「違う……こと?」
「そ。兄ちゃん見る限り、礼儀とかはしっかりしてそうだから、手順を間違った訳じゃなさそうだけどな。もっと他に、なんつぅか、いつもはしないことをした、とか、逆にしてたことをしなかった、とかないか?」

差し出された手を借り、立ち上がりながら必死に考える。
いつものようにお詣りをして、おみくじを引いた。それを括り付けて、出店を冷かして。

「――あ」
「なんか思い出したか?」
「お札……貰うの、忘れてた」

授与所でおみくじを引いた時に、一緒に買ったことは覚えている。だが、お釣りだけを受け取り、そのままおみくじを結びに行ってしまった。
やってしまったと思いながら目の前の二人を見れば、納得したような顔をして笑った。

「それだな。兄ちゃんの神様を迎えに行ってやりゃあ、元に戻ることができるぜ。さっさと行ってきな」
「あ、はい。行ってきます……?」

青年に背を押され、神社へと走り出す。
途中、礼を言っていないことに気づいて振り返る。こちらを見送ってくれている二人に大きく手を振った。

「あのっ!ありがとうございました!」

手を振り返されて安心して、神社に駆け戻る。
授与所につけば、覚えていてくれたのか、苦笑した巫女に札が入った紙袋を手渡された。

「気を付けてくださいね。神様が寂しがってしまいますから」
「はい、気を付けます。ありがとうございました」

頭を下げ、今度こそ家へと戻る。
途中見上げた空は月が傾き、東の空が明るくなってきていた。
時計に目をやるが、しっかりとすべての針が動いている。深く息を吐いて、忘れてしまった札を見た。
忘れてしまった自分がすべて悪いとは思っているものの、色々なことがありすぎて陽の昇らない内から疲れてしまった。帰って神棚に札を納めてから少し眠ろうと決め、家路を急ぐ。

ふと帰り道の先に先程の二人の姿が見えた。こちらに気づき、にこやかに手を振ってくれる。

「よぉ。戻ったみたいだな」
「さっきは、ありがとうございました。二人がいなかったら気づくことができませんでした」
「気にすんなって。新年だもんなぁ」
「よかった、です。はい」

改めて礼を言い、頭を下げる。
自分のことのように喜んでくれる二人には、本当に感謝してもし足りない。
二人に対し、何かできることはあるだろうか。そう考えていれば、空が美しい橙に染まり始めていた。
日の出だ。見上げれば、雲一つない茜色に輝く東の空から陽が昇り始めている。

「おぉ。ラッキーだな。今年は天気が悪いって言ってたから、諦めてたんだ」
「あ、えと。ありがとう、ございます……その、初日の出、見ることができて……あの、あなたが、いたから」

意味が分からず首を傾げる。
自分がいたから日の出が見れたとは、どういう意味だろうか。
青年に視線を向ければ、彼は笑い手の中の札を指さした。

「兄ちゃんの神様は、太陽の神様だからなぁ。忘れられたのは悲しかったみたいだけど、その分迎えに来てくれて、そんで大事に抱えられて家に着いたら丁寧に祀ってくれるって思うと、本当に嬉しかったんだろうさ」

言われて、腕の中の札に視線を落とす。
そっと紙袋越しに札を撫でた。笑みを浮かべながら、日の出を見た。

「明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします」

自然と挨拶が口をついて出る。
新しい一年の始まりだ。今年は忙しくなりそうだと、おみくじの内容を思い出す。

身が引き締まる感じがして、日の出に向けて深く礼をした。



20260103 『日の出』

1/3/2026, 1:00:21 AM

今年の抱負は何ですか。
そう言われて、何も言えずに視線を逸らした。
抱負。やりたいこと。やらなければならないこと。
何があるだろうか。やりたいことも、やらなければならないことも、いくつかはすぐに思いつく。
けれどそのどれもが、抱負とは違う気がした。



「なぁ、今年の抱負は決めたか?」

窓の外を見ながら抱負について考えていれば、友人に声をかけられた。
先程階下で母と誰かが話しているのが聞こえたが、どうやら友人が遊びに来たらしい。
視線を向ければ、友人の手には一冊の本。普段本を読まない友人の珍しい様子に、思わず友人と本を交互に見てしまう。

「何だよ。流石にそれは傷つくぞ」
「いや、だって……お前、教科書すらまともに読まないだろ」

正直な感想を言えば、友人はあからさまに肩を落として落ち込んだ。僅かばかり心が痛むが、すぐに仕方がないことだと思い直す。

「まぁ、確かにな。自分でも本を読むなんてとは思うけどよ」

言い訳のようにぶつぶつと呟き、友人は本の表紙を撫でる。その手つきと眼差しの穏やかさに、軽く目を見張った。
今日の友人はどこかおかしい。そう思ってしまうほどには、彼の行動は意外だった。
普段読まない本を抱え、その本を大切に扱う。
その理由を考え、眉を寄せる。

「――女か?」
「違ぇよっ!抱負だからだっつぅの!」

抱負。未だ決まらないそれを思い、眉が寄る。
説明不足だと思ったのだろう。友人は慌てたように口を開く。

「俺、今年の抱負をさ、賢くなるってことに決めたんだ。本を読めばいろんなことが分かるだろ?そんで賢くなったら、もう少し夢の中の誰かとの会話が弾むかなって思って」
「つまり、女か」
「だから違ぇって」

頬を膨らませながら友人は反論する。溜息を吐き、言葉を探すように宙に視線を彷徨わせた。

「なんていうか、女とか男とかってのじゃなくて、こう……神様?みたいな感じ」
「なんだ、それ?」
「いや、俺もよく分かってないんだけど、なんとなく人じゃないんだろうなって」

意味が分からない。そう言いかけ、口を噤む。
理屈ではなく感覚で、友人の言っていることが理解できた気がした。

「俺のことはもういいだろ。それよりお前だよ。お前は今年の抱負を決めたのか?」

急に話題を変えられ、口籠る。
決められない抱負を思い出してしまった。
どんな理由があれ、友人は抱負を決めた。それに対し、自分は何も決められない。
小さく息を吐く。それだけで友人は察したのだろう。こちらを見る目が微かに陰る。

「聞かない方がいいやつなら聞かないけど。話すことで整理がつくなら聞けるぞ」

相変わらず、友人は優しい。いつもの定位置に座る姿を見て、目を細めた。

「やりたいこと、やらなきゃならないことはある。でもそれが抱負とは結び付かない」

簡潔に告げれば、友人は不思議そうに首を傾げた。おそらく彼の中では、やりたいことこそが抱負になるのだろう。
小さく笑みを溢し、思いつく限りのことを頭に浮かべてみる。それに付随する理由を考え、それがすべて去年に取り溢したもの、忘れかけていたものだと気づく。去年と続く想いの理由に、思わず眉が寄った。

「どうした?」
「やりたいことも、やらなきゃならないことも、全部去年から引き摺ってきたことに気づいた。去年の後悔が抱負になる訳がないな」
「そういうもん?」
「俺にとってはそういうものだ。ネガティブな感情をポジティブに変えられないってだけのことさ」

気づいてしまえば、後は簡単だ。去年を引き摺らない抱負を探せばいい。
さて、何があるだろうか。窓の外を見ながら、考える。

「相変わらず、難しいことばっか考えてんのな。俺も賢くなったら、もう少し分かるもんかな」

ぱらぱらと音がして、視線を向ける。手にした本のページを捲りながら愚痴る友人の姿に笑いが込み上げ、耐えきれずに噴き出した。
きっと睨みつけられ、肩を竦め軽く謝罪する。だが不機嫌さを隠しきれない友人は、とあるページをこちらに突き付けた。

「お前、今年の抱負は愛想を良くするにしとけ。いつも仏頂面してるから、誰も寄って来ないんだよ」
「愛想……愛想、ね」

突き付けられたページには『モテる男の条件』なるものが書かれていた。
小難しい本かと思っていたが、そうではなさそうだ。妙な安堵感を覚え、小さく息を吐く。
本を一瞥し、膨れた顔の友人を見る。抱負とは、これくらい軽く考えてもいい気がしてきた。

「分かった。それにしよう。夢に神が出てくるお前の言葉だ。お告げのようなものだろう」
「いや、そこまで大層なもんじゃねぇし……え、本当に愛想を良くするにする訳?」

慌てる友人を気にかけず、立ち上がり外に出るためにスマホや財布をポケットにねじ込んだ。そのまま外に向かえば、背後から友人がばたばたと足音を立て追いかけてくる音がした。

「本当にそれでいいのかよ?」
「何だ。不都合でもあるのか?」
「違ぇし!さっきまであんなに悩んでたのに、そんな簡単に決めていいのかってこと!」

本気で心配しているのだろう。隣に並ぶ友人の肩を叩き、大丈夫だと告げる。
悪い気はしなかった。お告げなど冗談で信じてはいなかったが、案外本当に宣託だったのかもしれない。

「陽が暮れる前に神社に行くぞ。さっさと今年の抱負を告げて、帰りに美味いものでも食いに行こう」
「勝手な奴め!もちろんお前のおごりだろうな」
「当然だ」

頷けば、途端に友人は笑顔になる。鼻歌交じりで先を行くその背に苦笑しながら、浮足立つ街の騒めきに目を細めた。
新しい年の始まりだ。去年から続き、去年とは違う年になるのだろう。

「早く行こうぜ。ちゃっちゃとお参りを終わらせて、そしたら出店で好きなもん食おう!」

待ちきれないとばかりに友人が振り返る。それに片手を上げて答え、込み上げる未来の期待に笑顔で駆け出した。



20260102 『今年の抱負』

1/2/2026, 11:17:20 AM

気が付けば、空が白み始めていた。
朝が来たのだ。古い一年が終わりを迎え、新しい一年が始まった。
ぼんやりと空を見上げ、そして部屋の中を見回した。
昨日と同じ景色。
昨日と同じ色と匂い。

何かが変わった様子はない。

そっと部屋を抜け出し、リビングに出る。
しんと静まり返ったリビングは、まったく違うようにも見えるが、よくよく見れば昨日と変わらない。テーブルや椅子の位置も変わらず、カーテンや絨毯の色も明るくなれば同じに見えるのだろう。
違いはない。けれども年が明けた。では何が違うのだろう。

ふと外で音がした。
カーテンの間から、こっそりと外を眺める。

「――あ」

思わず漏れ出た声に、外にいた誰かと何かは同時に反応する。
二対の目がこちらを見つめ、ひゅっと喉が鳴る。逃げることもできずに立ち竦んでいれば、庭へと続くテラス窓が音もなく開いていった。
自分の意思とは無関係に体が動き、開いた窓から外へと出る。サンダルを履き、こちらを見ている一人と一頭へと近づいた。

「明けましておめでとう。早起きなのね」

赤い着物を着た女性が、柔らかく微笑んだ。

「おめでとう。こんな目出度き日に、何を浮かない顔をしているのだ」

女性に寄り添う栗毛の馬が、不思議そうに問いかける。

「年が明けたのに、昨日と何も変わらない。変わった所はどこなの?」

気づけばそう口にしていた。
聞きたいことはたくさんあるはずなのに、それ以外は何も出てこない。一人と一頭はそれぞれ驚いた顔をして、けれどもすぐに穏やかな顔になり近づいてきた。

「目だけで見ようとすると、何も変わらないわ。匂いも音も、同じに感じてしまうはず」
「五感のすべてで感じるといい。時は昨日と地続きになっているが、確かに年は明けたのだ。我らに気づいた君ならば、気づくことができる」
「本当に?分かるかな」

不安を口に出せば、優しく頭を撫でられる。馬の鼻先が頬を擽り、こそばゆさに肩が跳ねた。

「怖くはないわ。分かるでしょう?」

女性に言われ、頷いた。
怖くはない。ただ畏ろしさを感じている。
動けない自分の手を取って、女性はそっと馬の首に触れさせた。そっと撫でると、馬は心地良さそうに擦り寄ってくる。
艶やかな毛並み。しなやかな鬣。そっと抱き着き、目を閉じる。

聞こえるのは、風の音。草木の香り。昨日とは、去年とは異なる、どこか厳かな感覚。

「――年が、明けたんだ」

昨日の続きだけれど、新しい始まり。
ようやく感じられた。首に抱き着いたまま、笑みが浮かぶ。

「明けましておめでとうございます……いつもありがとう。今年もまたよろしくお願いします」
「えぇ、貴女が健やかに過ごせるように見守っているわ」
「身体に気をつけろ。君はすぐに無理をする。周りのことばかり考えず、まずは自分を大切にするんだ」

穏やかな声音で諭されて、気恥ずかしくなった。
答える代わりに小さく頷く。顔を見ないのは失礼だとは思うものの、抱きついた腕は離れなかった。

「さぁ、そろそろ行かないと。新年は色々と忙しくなるからね」

女性の言葉に、後ろ髪を引かれながらも腕を離す。優しい目に笑顔を返し、数歩後ろに下がった。
いつの間にか陽は上がり、辺りは明るくなっている。
どこか浮き足立った空気を感じながら、一人と一頭に向けて、深く礼をした。

「今年もいい一年になるはずよ。だから私たちと、ちゃんと遊ばせてね」

女性の声が遠く聞こえる。
顔を上げるが、目の前にはもう誰もいない。辺りを見渡しても、自分の他には誰もいなかった。
急に強い風が吹き抜けた。咄嗟に目を閉じるが、風の勢いに体がふらついた。
足に力が入らない。感覚が曖昧になり、立っているのか倒れているのかも分からない。
ごぉっと耳の横を風が通り過ぎていく。駆け抜ける勢いで音が遠くなり。

次に目を開けた時には、庭ではなく自室のベッドの上にいた。





「明けましておめでとう」

目覚めてから何度も聞き、そして口にした言葉を繰り返す。
父や親戚たちは、笑顔で食卓を囲んでいる。祖父母の家の二間続きの座敷は広いものの、親戚一同が揃うと流石に狭さを感じてしまう。
母たちは忙しなく台所と座敷を往復している。少しは休めばいいと思うものの、酒臭い座敷よりも台所で女性だけでいる方が気楽なようだ。

「お疲れ様。お手伝いありがとう」
「はいこれ。お年玉とは別のお駄賃よ。ここだけの秘密ね」
「ありがとうございます」

また一つ増えたポチ袋を手にはにかんだ。忙しさはあるものの、こうして見返りがあるのはありがたい。
鞄の中に袋を入れていれば、ふと奥の間で蹄の音が聞こえた気がした。不思議に思い廊下に顔を出すが、聞こえるのは座敷にいる酔っ払いたちの声だけだ。

「どうしたの?」
「あの、蹄の音が聞こえた気がして。気のせいだったみたいですけど」

肩を竦めて笑う。だが母たちは皆、何かを納得したように頷き微笑んだ。

「きっと守り神さまね。今年も遊ばせてくれるのを待っているのよ」
「特に今年は午年だもの。張り切っているのかもしれないわ」

叔母たちの言葉に首を傾げる。
母を見れば、少女のような笑みを浮かべて奥の間の方へと視線を向けた。

「私の娘を一等気にかけてくださっているからね。今年も来るでしょう?」

そう言われて、あぁ、と思い出す。
祖父母の家で祀られている二柱の神のことを。

「新年、だからか」

優しい神様たちを思い浮かべ、笑みが浮かぶ。

今年もいい年になりそうだ。
そんな予感に、胸が高鳴った。



20260101 『新年』

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