sairo

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12/15/2024, 10:27:24 PM

白。赤。青。
色とりどりの電球が、サンタやトナカイ、雪だるまにクリスマスツリーを形作っている。
きらきら、ちかちか。
楽しそうに点滅を繰り返し、道行く人々の目を楽しませていた。


街から少し外れた公園。
街の中心部のそれと比べれば規模は小さいが、可愛らしいキャラクターのイルミネーションを、ぼんやりとただ見つめていた。
夜も更け、道行く人も途絶えた今の公園は、とても静かだ。
車の音も、風の音も。イルミネーションの点滅する音も、呼吸する音すら聞こえない。

とても静かな夜。世界に自分一人しかいなくなったような錯覚に、目を閉じる。
目を閉じても、やはり何も聞こえない。
その静寂を敢えて乱すように音を立て、鞄の中からスケッチブックと鉛筆を取りだした。
目を開ける。視線の先のイルミネーションを見据えて。

今なら、描ける。
景色を、切り取る事が出来る。

沸き上がる確信に、スケッチブックを開いて線を走らせた。
周囲の暗さは気にならない。灯りなど必要ない。
目の前の景色さえあればいい。
目の前の色鮮やかな光景を、白と黒の世界に閉じ込めていく。
何かに憑かれたかのように、ただ。
時を忘れ、無心で描いていた。



「これで、完成」

ようやく、終わる。閉じ込める事が出来る。
口元に笑みが浮かぶ。
最後の線を、殊更丁寧に描いて。

その瞬間、目の前のイルミネーションの灯りが音もなく、消えた。


「え?何?」

突然の事に不安がこみ上げ、辺りを見回す。
少し離れた所にある電灯は皆消えていない事から、イルミネーションの灯りだけが消えてしまったのだろう。
偶然だ。夜も遅いのだから、時間設定で消えてしまったのだとしても可笑しくはない。
だから不安に思う事など一つもないはずなのに。一度芽生えてしまった不安は、直ぐに消えてしまう事はなかった。
何か縋るものが欲しくて、手にしたままのスケッチブックに目を落とす。
鉛筆だけで描かれた、白と黒のイルミネーション。
そのはずであった。

「ひっ」

色が、ついていた。
さっきまでのイルミネーションそのままに。色鮮やかに灯りが点いている。写真と変わらぬほど、本物と見紛うほどの写実さで、スケッチブック内を明るく彩っていた。
不意にその色が消え、また浮かび上がる。
ちかちか、と。
灯りが瞬くその様は、まるで。

描いた景色を、スケッチブックに閉じ込めてしまったような。

「いやっ!」

怖ろしさに、スケッチブックを投げ捨てた。
一体これは何なのだろう。
どうして目の前のイルミネーションの灯りが消えて、スケッチブックの中のそれに色が灯っているのか。
分からない。分かりたくない。
立ち上がる。スケッチブックから視線を外さすに、一歩下がり。
もう一歩、後ろに下がろうとして。


誰かに、腕を、掴まれた。



「何してんの?こんな所で」

はっとして、顔を上げる。
訝しげに眉を寄せた彼が、どうしたの、と顔を覗き込む。

夕暮れ時。
公園のベンチに座っていた。

何も答えない自分の様子に彼はさらに眉を寄せる。体調でも悪いのだと思われたのか、額に手を当てられた。
彼の冷えた指に、恐怖に強張っていた体の力が抜け、冷静な思考が戻ってくる。
あれは、夢だった。本物ではなかった。
そうだ。この公園には、いつもの夕陽を描こうとして訪れたのではなかったか。

「熱はないみたいだけど」
「大丈夫。もう大丈夫」

自分に言い聞かせるようにして、大丈夫を繰り返す。
軽く俯いて、彼の手から逃げ出した。

「そう?無理はしないでよ。いつも、」

心配そうな彼の言葉が、何故か途切れた。
些細な事さえ不安になり、顔を上げる。
彼の視線の先。少し離れた道端に、スケッチブックが落ちていた。
ぎくり、と体が強張る。けれど彼はそんな自分に気づかず、スケッチブックの元へと向かい。
静かにスケッチブックを拾い上げ土埃を払い、ぱらぱらとページをめくりだした。

「すごいな。本物みたいだ」

本物。その言葉に忘れかけていた恐怖を思い出す。
かたかた震える手を抑えるように、胸元で強く握り締めた。
大丈夫。あれは夢だ。現実にあんな怖ろしい事が起こるはずがない。
呪文のように言い聞かせる。何度も心の中で繰り返す。
それでも一向に消えない不安や恐怖に、泣いて逃げ出してしまいたかった。

「ほら。大事なものなんだから、もっと丁寧に扱いなよ」

いつの間にか戻って来ていた彼に、スケッチブックを差し出される。
受け取りたくないと心は拒絶するも、震える手はおとなしくスケッチブックを受け取った。
ぱらり、とスケッチブックを捲る。
見たくはないはずなのに、確認せずにはいられなかった。
一枚、また一枚と、確認していく。
彼と、彼と見た景色と、夕陽。
変化はない。白黒の世界にそれ以外の色が浮かんではいない。
少しの安堵と、スケッチブックを捲る度に募る不安。
また一枚、捲り。
その先の何も描かれていない白に、詰めていた息を吐いた。

「どうしたの?今日は何だか変だよ」
「何でもないの。ちょっと怖い夢を見ただけ」

あの夜のイルミネーションは何処にもなかった。
やはり夢だったのだと、心配する彼に笑ってみせる。

「ちょっとじゃなさそうだね」
「そうかもね。夢か現実か分からなくて、怖くて不安だった」
「手が震えてる…帰ろうか。送るよ」

未だに震えの止まらない手を包まれ、少しだけ肩が跳ねる。
それでも今だけは、その手を振り払いたくはなかった。
促されてスケッチブックを鞄にしまう。彼と手を繋いで立ち上がり、歩き出した。


「それにしても、夢を見て怖がるなんて、可愛い所もあるんだね」
「言わないでよ。本当に怖かったんだから」

これ以上不安にさせないための彼の軽口に、敢えて拗ねてみせながら答える。
彼の優しさが、ただ嬉しい。

手を繋いだまま公園を出る時、ふと視線を向けたそれに足が止まる。
灯りのついていない、イルミネーション。
夜の公園で、スケッチブックの中に閉じ込めたもの。

「あぁ。まだ夜じゃないから灯りがついていないんだよ」
「そう、なの?」
「そうだよ。だからそんなに怖がるなって」

彼に手を引かれ、歩き出す。
少しだけ早足で、イルミネーションから離される。

「大丈夫だよ。心配なら、俺の事描いてみる?」

戯けて笑う彼に、首を振って彼の隣に寄り添って歩く。
手を繋ぎながら帰る、夕暮れ時。

彼の言葉の真意を考えないように、繋ぐ手に少しだけ力を込めた。



20241215 『イルミネーション』

12/15/2024, 7:23:02 AM

「なんだ。此処は客人に茶の一つも出さんのか」
「ババアなんぞ呼んでねぇよ。さっさと帰れ」

目の前で繰り広げられるやり取りに、どうするべきかと内心で頭を抱える。
表面上は穏やかではあるものの、紡がれる言葉は平穏とはほど遠い。 このままいつ争いが始まったとしても可笑しくはない状況に、止める術を求めて視線を彷徨わせた。

「大体なんだ。後ろの奴らは」
「妾の子だ。可愛らしいだろう」

ふふん、と笑う女性の背後。姿勢良く座る少年と少女に視線を向ける。
静かに座っていながらも、手を繋ぎ。繋いだ手を、相手を見て、ふわふわと笑い合う二人の姿はとても微笑ましい。

「何が子だよ。片方は人間じゃねぇか」
「ひ孫だ。前に会った事があるだろうに、忘れたのか」
「はぁ?嘘だろ。あの時の人形擬きが、後ろにいるガキだってのかよ」

信じられない、とでも言いたげな彼の大きな声に、思わず肩が揺れる。
同じように肩を跳ねさせ、慌てて前を見る二人に申し訳なくなった。

「あ、ごめんなさい」
「申し訳ありませんでした」
「気にしないで。うちの馬鹿が大声を上げて、ごめん」

しゅんとする二人に、慌てて声をかける。
いい加減にしろ、と彼を睨めば、何故か顔を赤くして目を逸らされた。
ぶつぶつと何かを言っているが、上手く聞き取れない。
どうするか、と暫し悩み。だがおとなしくなったのだから、と取りあえずは放っておく事にした。

「その。すみません、煩くて」
「気にするな。そこな小僧が騒々しいのは昔からの事だ。寧ろ静かな小僧は落ち着かぬ」

気分を害している様子はなく、逆にこの状況を愉しんでいる女性に、何とも言えない気持ちになる。
そうですか、と相づちを打てば、彼女の視線が少し柔らかくなった気がした。

「此方方の祝言に参らず、すまなんだ。満たすのに、時間を要してしまってな」
「満たす?」
「ひ孫の事だ」

そう言って背後の二人を見る女性に倣い、同じく視線を向ける。
頬を染めて軽く俯いた少女と優しく寄り添う少年は見ていて微笑ましいが、満たす事の意味は分からないままだった。

「言葉だけが素直でなかったからな。満たすのは容易だと思っていたが、存外乾いていたらしい」

さらに頬を染める少女に女性は柔らかく笑いかけ、おいで、と手招いた。躊躇しながらも側に寄る少女を膝に抱き上げて、優しく頭をなで始める。

「言葉を、想いを注ぎ、漸く素直になってな。此方方を祝いに来たのだ」
「ありがとう、ございます?」
「礼なんぞ、必要ねぇ。どうせガキ共を自慢しに来たついでだ」

不意に腰に手が回り、引き寄せられる。
振り返れば、不機嫌そうに顔を顰めた彼と視線が交わり、その子供染みた様子に溜息が溢れ落ちた。
面倒だな。そうは思うが客人の前だ。
先ほどのやり取りをされるよりは良いかと、彼の頬に触れた。

「先輩」
「それは飽きた」
「…旦那様」

本当に、面倒だ。
だが効果はあったらしい。途端に黙り込む彼を一瞥して、三人の元へ向き直った。

「贄を娶ると聞いて心配ではあったが、仲睦まじいようで何よりだな」
「いえ、そんな事は」

気まずさに、視線を逸らす。
彼と契る事に了承はしたが、彼を好いているかはまた別の話だ。
飽きられ捨てられる事がないと言われたのだから、受け入れるしかない。そこに好意は関係ない。
元が贄でしかない自分には、必要のないものだ。


「誤魔化し続けると、それが本当になる」

静かな声に、視線を向ける。
女性の膝の上。愛でられながら、真っ直ぐな少女の目と視線が交わった。

「本当になってしまえば、自分が分からなくなる。分からなくなれば、ただ苦しいだけ」
「それは」
「もっとたくさん声を聞けば良い。必要かそうでないかは、その後考えても遅くない」
「言うじゃねぇか。何事にも興味を示さなかったくせに」

彼の腕の力が、強まる。
無理矢理向きを変えさせられて、そのまま包み込むように抱き込まれ、僅かに息苦しさを覚えて眉が寄った。
離してほしいと彼の胸を叩き訴えても、腕の力は一向に弱まる気配がない。

「余計な世話だが、オマエらの真似事も悪くはなさそうだな」
「最初は逃げ出すが、それを追うのも悪くはなかったぞ」
「悪趣味なババアだ」

彼が鼻で笑う気配に、同族嫌悪の文字が浮かぶ。
声に険がないため急に争い出す事はないのだろうが、会話の内容が不穏でしかなく、叶うならば今すぐにでも逃げ出してしまいたかった。

「顔を赤らめて、恥ずかしいと涙目で縋られるのは、大層愛らしいものだった。小僧も好きだろうに」
「ひいばあちゃんっ!」
「まぁ、確かにな」

段々に不穏が増す会話に、焦ったような少女の声が混じる。
可哀想に、と思うものの、続く彼の同意の言葉がそれすら気にする余裕をなくしていく。

「ひとつひとつ。想いを紡いで、たくさん注いでいくと、応えてくれます。人間も妖も変わらない。満たされて、手を取って笑ってくれる小夜《さよ》はとても綺麗で、愛しい」

甘く優しく。それでいて愛しさに溢れた少年の声に、少女が声にならない呻きを上げる。
それにつられて、自分の事ではないはずなのに、何故か恥ずかしくて頬が熱を持つのを感じた。

「此処で惚気るな。帰れ」
「そうだな。伝えるべき事は伝えた事であるし、戻るとするか」
「ガキ共の祝言の時には呼べ。冷やかしに行ってやる」
「小僧も大概素直ではないな」

ふっ、と笑う声と共に、柔らかで澄んだ風が吹き抜けた。
見送りぐらいはすべきだろうと身を捩るものの、それでも彼の腕の力が緩む事はない。
はぁ、と溜息をひとつ。
風が止んで静かになった部屋に、疲れと共に吐き出した。


「まぁ、なんだ。そういうわけだ」

呟く彼の声と共に、漸く抱き竦めている腕の力が弱くなる。
もぞもぞと身じろいで、顔を上げて彼を見る。
いつものように笑う彼の耳が赤い事が不思議で、可笑しかった。

「狼や雀の真似は少し癪だが、満たしてやろう」
「何それ」

満たす意味を知って、それでも知らない振りをする。
恥ずかしさと、不安と、一抹の期待に、彼の服を掴んだ。

「愛を注ぐって事だ。覚悟しろよ、オマエさん?」

耳が赤いままでは、かっこよくはないな。と。
現実逃避染みた事を考えながら、額に触れる彼の唇を受け入れ、目を閉じた。



20241214 『愛を注いで』

12/13/2024, 10:06:32 PM

「ねぇ、宮司様。人の心ってどこにあるの?」

彼の背中に凭れながら、問いかける。

「何ですか。急に」
「少し、気になったから」

特に深い意味はない。
ただこの一年を思い返していた。
忘れる事の出来ない過去と再会し、親友の過去に触れた。新しい友人達の過去を知って、こうして一年が終わろうとしている。
それぞれ自分ではない過去があり、そして今に続いているのだと思うと、不思議な気持ちだった。

「一番最初から覚えているの。女の子だったり、男の人だったり。全部私じゃないのに、覚えてる。それって心が覚えているからなのかなって考えて。じゃあ、心ってどこにあるんだろうって思った」

そもそも、心とは何だろうか。
首を傾げる。ぐるぐると回る思考に楽しくなって、くすくすと一人笑った。

「紺《こん》」
「何?宮司様」

笑いながら、彼に答える。背中越しに伝わる体温が、心地好い。
暖かいから、こうしていつもは考えない事を考えるのだろうか。

「昔、人間の男達の心を弄び、心を喰らう事を好む、悪趣味な雌狐がおりました。アレは人間の心を単なる臓腑だと認識しておりましたよ」
「臓腑、って事は心臓?」
「えぇ。それから脳を差しておりましたね」

胸に手を当てる。規則正しく刻まれている鼓動に、でも、と眉を寄せた。
これらは今の自分のものであって、過去の自分のものではない。過去を覚えているのは心ではないのだろうか。

「しかしアレにも、心を傾ける者が現れたようでした。その者に振り向いてもらおうと、形振り構わぬ必死な様は随分と滑稽でしたが、その思いは終ぞ叶わず。その時のアレは、心を幻と評しておりました」
「幻?現実にはないって事?」
「目に見えぬもの。触れられぬものの意味でしょう。心を喰らっても満たされぬと、嘆いておりました故」

憐れな事ですね、と語る彼の声は、どこか優しい。
彼は今、どんな表情をしているのだろう。記憶の中にひとつもないその狐の事が、彼との関係が気になった。

「宮司様とその狐さんは、仲が良かったの?」
「紺」

びくり、と思わず肩が跳ねる。
空気が少し冷えた気がする程の、冷たさを含んだ声で名を呼ばれた。
その狐との関係を聞かれたくはなかったのだろうか。
謝ろうと体を起こそうとするが、それよりも速く狐の尾が腰に巻き付く。そのまま抱え上げられて、彼の膝の上に乗せられた。
恐る恐る彼を見上げる。けれど彼の表情は怒っているようには見えなかった。

「紺。ワタクシ以外の狐を、そう親しげに呼ばないで下さいな」
「え?えと、ごめんね、宮司様」

想像していたものとは異なる言葉に、目を瞬く。

「アレとは同じ狐の腹から生まれただけの事。親しくなどありませんよ。それにアレは既に狐ですらないのです」

狐ではない。人になったのだろうか。

「アレは諦めきれず、何度も恋う者が産まれ落ちる度、側におりました。そしていつしか化生に堕ちてしまったのです」
「それって」
「恋う者を閉じて、己に縛りつけるために惑わし続けているのでしょうね。アレは存外寂しがりでしたから」

呆れを滲ませながら呟いて、彼の手が額に触れる。
少し冷えた手に、目を細めて擦り寄った。

「少し熱がありますね。もう休むといいでしょう」
「大丈夫だよ。これくらい」
「その言葉は信用出来ません。笑って、簡単に死んでいくのが人間ですから」

そう言われては、何も言えない。
大丈夫と言いながら仕事に出て、そのまま帰って来れなかった自分がいた事を思い出した。
きゅっと、彼の服を掴む。離れたくないのだと行動で示してみれば、彼は困ったように息を吐いて、笑った。

「仕方ありませんね。眠るまでですよ」
「ありがとう、宮司様」

言葉にしなくても応えてくれる事が嬉しくて、彼に凭れて目を閉じる。
暖かい。彼は最初の時から暖かく、優しかった。
今まで彼から離れたいと思っていた事を、残念にすら思う。
もっと早く彼に触れれば良かった。そうすれば無駄に怖がる事もなく、きっと繰り返す事もなかったのに。

「宮司様。結局、心はどこにあるんだろうね」

目に見えず、触れる事も出来ない幻。手に入らないもの。
けれど確かに存在している。こうして彼に心引かれて、触れているだけで心が弾むのだから。

「どこでしょうね。もしかすると、どこにもないのかもしれません」

穏やかな彼の声が、寂しい事を言う。
重い瞼を無理矢理開けて、彼を見上げる。静かに微笑む彼と目が合い、あぁそうか、と意味もなく納得した。

「少なくともワタクシの心は、ワタクシの元にはありません。紺の側にあるのでしょうね」
「そっか。もらったんだ…じゃあ、私の心。代わりに、狐さんが、もらって」

ふわふわと、心地好い気持ちで彼に望む。
目を閉じれば直ぐに意識が微睡んで、このまま眠ってしまいそうだ。

「紺の心は、紺が持っていて下さいな。ワタクシの心と紺の心。二つ重ねていれば、寂しくはありませんからね」
「寂しく、ない?」
「えぇ。ワタクシも寂しがりな狐ですから。たとえ心が幻だとしても、紺の元にあると思うだけで救われます」

そっか、と呟いて、彼に擦り寄り笑った。

心と心を重ねる。二つを一つにする。
そんな事を思い描きながら。
穏やかで幸せな心地で、眠りについた。



20241213 『心と心』

12/13/2024, 3:28:05 AM

「こちらでお待ちください」

促されて、椅子に座る。
室内は暗く、テーブルの上に置かれた小さなキャンドルの灯りだけでは、周囲の様子を窺う事は出来ない。

――今更気にする事でもない。

凪いだ心は酷く無気力で、ただぼんやりと揺れる炎を見つめていた。


「お待たせ致しました」

ことり、と置かれた白のマグカップ。
立ち上る湯気と共に漂う甘い匂いに惹かれるように、手を伸ばす。
暖かい。マグカップ越しに伝わるその熱を、暫し堪能する。
そっと持ち上げたマグカップに口を付ければ、優しい甘さに目を細めた。
変わらない、ココアの味。
幼い頃、寝付けない時に作ってもらっていた。自分だけの特別。
それを作ってくれたのが誰であったのか。今となってはもう、思い出す事は出来ないけれど。


「落ち着いたか」

かたり、と椅子引く音。
目の前に座る彼を見てまた一口、ココアを飲んだ。
ほぅ、と息を吐いて。小さく頷く。

「今度は何があった?」
「何も。いつもと変わらない。何でもない。大丈夫」

呟く声は、淡々として。

「あいつらか?」
「違う。私が悪い」

マグカップを持つ手に、少しだけ力が入る。
暖まったと思っていた気持ちは、やはり冷たいままだ。

「私が、皆の期待に応えられないから。弟達よりも劣っているから。だから褒めてもらえないのも、見てもらえない事も、全部私が悪い子だから仕方ない」

誤魔化すように、マグカップに口を付ける。
さっきまで甘かったはずのココアが、何故か少しだけ苦く感じた。
彼も、幻滅しただろうか。
お前さえいなければ、と彼も思っているのだろうか。

はぁ、と重苦しい溜息に、僅かに肩が跳ねる。

「変わらなかったか。分かっていた事だが」
「ごめんなさい」
「お前が謝る事ではない」

その言葉に、またごめんなさいを言いかけて。言葉ごと、ココアを飲み干した。
なくなってしまった、特別。終わってしまった、静かで暖かな時間。
帰らなければ、と顔を上げ、彼を見る。

「大丈夫。次はもっと上手にやるから。逃げ出さないように、もっと強くなるから」

口角を上げる。忘れかけた笑顔を、作ってみせた。
マグカップを置いて、立ち上がる。
彼は何も言わない。ただ静かにこちらを見ていた。

「帰る。今日もありがとう」

返る言葉はない。
怒らせてしまっただろうか。思わず目を伏せた。


「これ以上は、無理だ。止めるなよ」

低い呟き。感情を押し殺したような、声音。
はっとして顔を上げるのとほぼ同時。唯一の光源であったキャンドルの灯りが消えた。

「え?」

一瞬で何も見えなくなる。
マグカップも机も、彼も見えず、立ち尽くす。
ざわざわと、周りで複数の人の話し声がする。

――いつまで経っても成長しない、出来損ない。
――一族の恥だ。こんな凡庸では下の者に示しがつかない。
――視界に入るな。気分が滅入る

聞き覚えのある声。毎日のように聞いている言葉。
唇を噛みしめ、目を瞑る。
いつもの事。何でもない、些細な事だと、自分自身に言い聞かせる。
大丈夫だ。取り繕うのは慣れている。周りに悟られぬように、上手く隠せばいい。

――お前さえ、いなければ。

「ならば、その望みに応えてやろうではないか」

声が、止んだ。

「いらないというならば、我らがもらい受ける」

凜とした、彼の声。
その声に呼応するように、また複数の声がした。
先ほどの声とは違う、知らない声。
彼に賛同する声。歓声。笑い声。

否定する言葉は、ひとつもない。

「何で。どうして?」
「今のお前の言葉を聞く気はない。取り繕う事に慣れすぎて本心を紡げなくなった言葉は、意味を持たないからな」

ふわり、と浮遊感。
触れた場所から感じる暖かさと匂いは、とても懐かしい気がする。
思わずその温もりに縋り付く。背を撫でる手が優しくて、怖かった。

「やめて。帰る。帰らなきゃ。だって、私。私は」

これ以上は、駄目だ。
閉じ込めたものが溢れてしまう。隠せなくなってしまう。
そうは思うのに、縋る手が離れない。撫でる手に、もっとと願ってしまう。

帰りたくない、と。
泣きわめいてしまいそうだ。


「俺の作ったココアはおいしかっただろう?昔からずっと変わらず、好きだろう?」
「……好き。大好き」
「お前を愛そうとしない現世の一族と、お前を愛している俺の側と…どっちが暖かいだろうな?」

強く目を瞑る。
間に合わず零れてしまった涙を慌てて拭うが、さらに抱き寄せられて、止められなくなってしまう。

「泣け。我慢をするな」

優しい言葉に、これ以上抑える事は出来なかった。


「なん、っで。ずるい。ひどい」
「仕方がないだろう。あいつらがこれほどとは思わなかったんだ」
「わたし、だって、ずっと。約束したっ、のに!」

約束の言葉に、彼の相づちが止まる。
ああ、と苦い声が漏れて、ごめん、と小さな声に謝られた。

「あれは忘れろ。無しだ、無し。それに無理だろう。お前は笑えていないのだから」
「でも」
「駄目だ。もう此方側に隠すと決めたからな。もう花嫁姿とかどうでもいい。どうしてもって言うなら、俺が此方で探してやるから」

くすくす。からから。
笑う声がする。
ざわざわ。
声が波のように広がって。

「笑うな。お前らも同じ気持ちだろうが」

拗ねたように彼は呟き。
いくつもの肯定する言葉と共に、辺りが明るくなった。

知らない場所。広い畳敷きの部屋。
さっきまで座っていたはずの椅子やテーブルはどこにもない。

「さて、挨拶を済ませてしまうか。お前の部屋は用意してあるから、終わったら案内しよう」

下ろされて、促されるままに振り返る。
続き間に座る、たくさんの知らない大人達が涙越しに見えて、息を呑んだ。

「え?お兄ちゃん?」
「これからお前の一族となる奴らだ。仲良く…はしなくてもいいが、怖がるな」

ざわざわ。くすくす。
戸惑う声や、笑う声が響く。
優しい視線だけが此方を見ている。

「結局はお前も連れてくる事になったな。これなら下手に残すべきではなかったか」
「お兄ちゃん」
「此処では隠すな。取り繕う必要はない。笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣け。それが此処での約束だ」

頭を撫でられ一方的にされた新しい約束に、困惑しながら涙を拭う。
はっきりと見えた彼らの顔は涙越しよりも優しく見えて、少し落ち着かない。

それでも。
前を見る。妖として在ると決めた兄に、恥じる事がないように。
昔見たテレビの記憶を頼りに、膝をつく。

「不束者ですが、これからよろしくお願い致します」

三つ指をついて、頭を下げた。



20241212 『何でもないフリ』

12/11/2024, 10:09:53 PM

「仲間、ねぇ?」

にたり、と唇の端を歪めて笑う。

「キミたちの言う仲間とやらは、キミたちにとっての都合の良い存在の事かな?必要な時だけ甘い言葉を囁いて、それ以外は忌避する。そんな使い棄ての人形の事を言っているのかい?」

腕を広げて大仰に語りかければ、目の前の少年少女達の肩がびくりと震え。
隠しきれない恐怖をその目に認め、噛み殺しきれなかった嗤い声がくつくつと漏れた。

「残念ながら、ワタシはキミたちを仲間と思った事は一度もないんだよ。良いように使われるのは業腹なんだ。綺麗事を並べ立てているのを聞くだけで、虫唾が走る」
「なんで、そんな…」

呻くような微かな声。
親友だと宣った少女が、目に涙を浮かべながら一歩、前に出る。
それを見遣って、笑みを消し。冷たく見下ろしてやれば、途端にそれ以上進む事はなく立ち止まった。

「何で?何が、何でなのだろうね。一体何に怯えているのか。見当もつかないよ」
「っ、あなたは、誰?あの子じゃない。あの子がそんな事言うはずがない!」
「あの子?一体誰を言っている事やら。ワタシはワタシだ。違うと叫ぶのなら、それはキミたちが人違いをしているだけの事さ。大勢で押しかけ、剰え人違いとは…恥ずかしいものだね。ワタシなら、二度と外を歩けなくなってしまうよ」

肩を竦めて、わざとらしく首を振る。何人かはそれに対して目に怒りを乗せてはいるが、何か言葉を発する事はない。

下らないな、と鼻白む。
最初から気乗りしないやりとりに、すっかり飽きてしまった。もうこれ以上彼女達と話す事に意義を感じない。
覚めた気持ちを抱きながら、それでも表情はこのやりとりを愉しんで、笑みが浮かぶ。
もっと、と彼女達に向けて手を差し出し、優しく声をかけた。

「可哀想に。あの子とやらの代わりに、話し相手くらいにはなってあげよう。キミたちとの会話は、中々に楽しいものだからね」
「うるさい!あの子はどこ?どこに隠したのっ?」
「さて?ここにはいない。ならば、どこにもいないのと同じだろう。一度棄てたものは、二度と戻らない。そういう事さ」

複数の息を呑む音。
誰が最初か。後ずさり、そのまま逃げるように立ち去る一人に続いて、皆一様に去って行く。
最後に残った少女も、何か言いたげではあったものの、結局は他の皆の後を追って走り去ってしまった。

「残念だな。もう少し語り合いたかったものだが」

一欠片も思っていない戯れ言を呟いて。
彼女達が去った事を確認して、踵を返した。





「面白い呪いね」
「嘘つきの呪いよ」
「複雑な呪いなのね」
「でも解いてしまえるわ」
「ワタシとしては、このままでもまったく構わないのだけれどね」

同じ顔をした二人の童女の言葉に、肩を竦めてみせる。

「嘘になったわ」
「話す言葉が反対になってしまったわ」

何か話す度にきゃらきゃらと楽しそうに笑う二人に、これ以上は何も言えず。ただ目の前の二人の間で形を変え続けるあやとりの紐を、ぼんやりと眺めていた。
青とも緑とも取れる不思議な色の紐が色を濃くする度、喉を締め付ける何かが薄れていく。歪んだ言葉が正しい形を取り戻していく感覚に、ほぅ、と吐息を溢した。

「これで最後ね」
「船に乗ってさよならね」

紐が正しく取られ、船を形作る。
青でも緑でもない、黒に似た船が浮かんで消えて。喉の違和感がなくなった。

「ありがとう。助かった」
「元に戻ったのね」
「嘘つきではなくなったのね」

喉に触れる。何度か深く呼吸をして、離れた場所で様子を見守る少女の元へ歩み寄った。

「問題はなさそうだね」
「大丈夫そうだ。締め付ける感覚はないし、今も言葉が歪まない」
「呪いは紐に編まれたもの」
「ちゃんと解けたのだから当然よ」
「うん。しっかり解けているよ。上手になったね」

少女の元へと駆け寄る二人の頭を、少女は優しく撫でる。
それを横目で見ながら、鞄に入れていた封筒を取り出した。
「今回のやつ。少し色を付けておいたよ」

頭を撫でられて笑う二人の片方に封筒を手渡す。
きゃあ、と上がる嬉しそうな声に、つられて笑みを溢した。
「気前がいいね」
「どうしようもなくて困っていたんだ。これくらいはさせてほしい。思っている事と真逆の言葉が出てしまうから、何をするにも一苦労だったんだ」
「だろうね。そんな珍しい呪、何処で引っかけてきたのさ」
「どっかの山奥。さっきまで来てた部活の仲間と行った肝試しから帰ってきたら、こうなってた」

浮かべていた笑みに、疲れが滲む。
半ば無理矢理参加させられ、ナニかと遭遇した。
皆恐怖でパニックになっていたとはいえ、一人取り残されてしまった時には彼女達を恨めしく思ったものだ。

「結構酷い事を言ってしまったから、もう皆と仲良くは出来ないんだろうな」
「もう仲良く出来ないのかしら?」
「お話も出来ないのかしら?」
「どうかな。皆逃げて、戻ってこないからね」

今も、あの時も。
仲間と言いながら、戻ってくる事はなかった。子供だから仕方ないと思いはすれど、やはり寂しい気持ちは隠しようがない。

「それは呪ではないから、君がどうにかするしかないよ」
「分かっているよ」
「頑張って…それじゃあ、戻るとしようか。行くよ、おちび」

はい、とそれぞれ返事をする二人と少女に、ありがとう、と感謝の言葉を述べる。
それに頷き答える少女達を玄関まで見送るため、後に続いて歩き出した。


「そうだ。聞いても良いかな」
「何を?」

玄関扉を開け、外へと出て。
少女が不意に振り返る。

「あの子とやらは、一体何処へ行ったの?」

息を呑む。
唇を噛みしめ、こみ上げる思いを押さえ込み。

夜の山。か細い泣き声。蹲る傷だらけの小さな体。

目を伏せて、愛しげに己の腹をさする。

「さてね。何処に行ったのやら」

顔を上げて、嘯いて笑った。



20241211 『仲間』

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