sairo

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6/29/2024, 11:58:56 PM

※ホラー


出口が見つからない。


『願いを叶える双頭の神』が、廃村にいる。
昔、その神の怒りに触れて、村の人すべてが連れていかれたのだという。
神が安置されている村の奥の屋敷の門は、普段は閉じており開く事がない。しかし、ある条件下で開き神に会う事が出来る。

よくある都市伝説だと思っていた。誰も本当に信じてなどいなかった。
だから学生生活最後の夏休みの思い出作りにと、友人の兄も巻き込んでこうして肝試しに来たのに。

最初はよかった。草の生い茂る道は歩き難くはあったものの、雰囲気は最高で。お互いわざと怖がり、写真を撮っては笑い合っていた。
奥の屋敷の他と違い形を残した門扉を見た時、何処か嫌な予感がした。けれどそれよりも、非日常の高揚感が勝り。
門に、手を、伸ばし。

開かない、と思った。開くわけがない、と皆思っていた。
けれども、

扉は、開いた。
容易く。呆気なく。簡単に、開いた。開いてしまった。

どうしようか、と呟いた。
行ってみよう、と誰かが囁いた。
怖い、と皆口にしながらも笑っていた。

ただ一人を除いて。

『この先は止めておいた方がいい。帰れなくなるよ』

水を差された気分だった。
他の皆も同じようで、口々に非難を浴びせた。そのせいかそれ以上は何も言われる事なく。
一人を置いて、皆で門を、潜り抜けた。



衣擦れ。足音。
ひび割れた呻き声。誰かを呼ぶかのように。
心音。呼吸。
気づかれぬように。身を縮めて、必死で息を殺していた。
声が近づく。襖一つ隔てた向こう側を、ゆっくりと、ゆっくりと。

「…ドコ……ネエ、サマ…ネエサマ…ドコ、ニ…」

漏れ出る声を、呼吸ごと押し殺す。
気づかれてはいけない。襖を開けられてしまえば、もう逃げる事は出来ない。

衣擦れ。足音。呼び声。
遠ざかる。少しずつ、少しずつ。声が小さくなる。

聞こえなくなる。

「………っは、ぁ…」

息を吐く。出来る限り静かに。音を出さぬように。
力が抜ける。動かなければと急く気持ちとは裏腹に、今は指一本すらまともに動かない。

あの時、忠告を聞いていれば。或いはすぐに引き返していれば。
皆と逸れる事もなく、得体のしれないアレに追いかけられる事もなかったはずだった。

最初にアレと遭遇したのは門を潜り抜けた先、広大な庭を散策していた時だった。
違和感は感じていた。風化を感じさせない屋敷。綺麗に整えられた庭。
あまりにも門の外とは時の流れが違っていた。
けれどその時は、その異様な様子さえ肝試しというイベントの興奮材料にしかならなかった。
怖いと嘯きながらも無遠慮に庭へと踏み入れ、そして。

広い池の向こう。佇むように、アレはいた。
紅い振袖を着た黒髪の少女。けれどその背には、着物と同じく紅い翼が生えているように見えた。
遠目では、そう見えていた。

最初に動いたのは誰だったか。
声にならない呻きを上げて後退し、脇目も振らずに走り出した。それを合図として皆一斉に逃げ出した。

門には辿りつく事が出来たが、それは二度と開く事はなく。
背後から聞こえる声に、仕方なく屋敷の中に入り込んだ。

迷路のように入り組んだ、暗い屋敷の中。出口を求めて彷徨い。
追いかけてくるアレから身を隠す内に耐えきれず、友人達は皆おかしくなっていった。一人は泣きながら笑い続け、一人は意味の伴わない言葉の羅列を永遠と話し続け。
気づけば一人になってしまっていた。


動かなければ。
逸れてしまった他の皆と合流して、出口を探さなければ。
目を閉じ力を込めて両手を握り、開く。震える足で無理やり動かし、立ち上がる。

アレから身を隠す為に入ったいくつかの部屋で見つけた、書物の内容を思い出す。
村の事。祀られていた双頭の神の事。
落雷で焼けた御神体。流行病。
神の依代。齢七つの双子の女児。
屋敷の裏。石段を上がった先。社。儀式。
アレの背にあるのは翼などではない。背から生えるのは、天に両手を伸ばした、紅い振袖の。

目を開ける。
襖に手をかけ、音を立てぬようゆっくりと開ける。
声は聞こえない。紅く揺らめく振袖の裾は、アレの姿はない。

一歩足を踏み出す。音を立てぬよう慎重に歩き出す。

動かなければ。皆を探してここを出て。
一人待っているであろう、忠告してくれた  に謝らなければ。

「……ぇ?」

ふと、気づく。
忠告してくれたのは、本当に友人だったのか。自分達は何人でここを訪れたのだったか。
彼、或いは彼女の名は。声は。姿は。

そもそもその誰かは、本当に人の姿をしていたのか。

気づいた。気づいてしまった。
記憶の中の誰かの姿が途端に色褪せ、形を失っていく。まるで土で作った人形が、ぼろぼろと崩れていくように。


耐えきれず叫声を上げる。僅かに残った精神で、声の去っていた方向とは逆の方へ走り出す。

逃げなければ。
今はただ走る。逃げ続ける。



出口はまだ見つからない。




20240629 『夏』

6/28/2024, 3:58:46 PM

廃村。
ひび割れた道。割れた硝子。苔むした壁。朽ちた柱。
生きるものの気配はなく。
けれども黒く蠢くナニカは辺りに点在し。


「やめとけやめとけ。そんなん喰ったら、腹ぁ壊しちまうぞ」

揶揄うような響きを持つその言葉に、舌打ち振り返る。

「そんなん喰うより、一杯やらねぇか?」

酒瓶を片手に笑みを浮かべる男。軽薄な言動とは裏腹に、足音一つ立てず刹那に歩み寄られ。
腕を伸ばせば触れ合える距離。身長差により見上げなければならなくなった事に、再び舌打ちをした。

「相変わらず冷てぇな。姉ちゃん」
「お前が変わらずでかいからだ。首が痛い。縮め」

眉間に皺を寄せ吐き捨てた言葉に、男は声を上げ笑う。

「しゃあねぇなぁ。ほら、」

片腕を伸ばされる。
認識し避けるより速く片腕に抱き上げられ、近くなった琥珀の瞳がにんまりと歪んだ。
確かに見上げなくとも視線が合うが、酷く酒臭い。

「今度のガワは学生かぁ。これじゃあ一緒に月見酒とはいかねぇか。姉ちゃんの好みは分かんねぇな」
「好みじゃない。必要だったからだ」
「あぁ。これか」

得心が行ったと頷き、目の前の朽ちずに残る門扉に視線を向ける。
門扉の前。踏み荒らされた道草が、先程まで複数の人物がここを訪れていた事を示していた。

「もう閉じてるから、向こうには行けねぇぜ?こじ開けるか?」
「いい。向こうにはなかったからな」
「そうかい。なら、奴らもそのままか」

頷く。それは関与していない。

「戻れんのかねぇ」
「知らん。忠告はしたぞ。その上で向こう側へ行ったのなら、自己責任というやつだ」

開いた時に一度止めた。それを振り払い扉を潜り抜けていってしまったのだから、これ以上の責を負うつもりはない。
現世でも、狭間でも、常世でもない。記憶の歪、断片と呼ばれる向こうの空間から自力で戻れるかは運次第だ。零ではないのだから、運が良ければ何とかなるだろう。

そんな事よりも、次の歪を探す方が大事だ。早く見つけなければ。

「もう行く。さっさと下ろせ」

腕を叩き下すよう伝える。しかし、一向に下される気配はなく。にやにやと笑う男に、知らず眉間の皺が深くなる。

「あ?悪ぃな、姉ちゃん。兄貴達から、捕まえたら逃さず連れてこいって言われてんだ」
「は?」
「姉ちゃんの体。探すのにまず中身がねぇとな…心配すんな。俺ら兄妹ならすぐ、だ」
「…は?」

片腕で抱いたまま踵を返す男はとても上機嫌で。
無理やり離そうとしても一向に動かない腕に、深い溜息が漏れる。
諦めて身を委ねれば、弧を描いた琥珀と視線が交わり苛立ち混じりに肩を強く叩いた。
痛がる様子もなく呵呵と笑う男に舌打ちし、目を閉じる。

無言。お互い特に何も話す事はなく。
酒と焚き染めた伽羅の香りが鼻腔を擽り、微睡みを誘う。


不意に、男が囁いた。

「それにしても、姉ちゃんの体は何処に行ったんだろうな」

知っていれば、苦労はない。
気づけば体はなく。意識だけが現世を彷徨い。
土を練り、人の形を作り。当てもなく体を求めて、幾年が過ぎたのか。

分かるのはただ一つだ。

「ここではないどこかにはあるだろうな」



20240628 『ここではないどこか』

6/27/2024, 3:55:26 PM

「長」

囁く声に振り返る。

「  」

名を呼べど、名は言葉にはならず。
それが意味するものを知り、静かに目を伏せた。

「長。そんな顔をしないで?私が選んだのだから」

穏やかで、どこまでも澄んだ声音。
これから消えゆくモノとは思えぬ程に凪いでいながらも、その内に内包された隠しきれない幸せを感じ。
不思議に思い顔を上げれば、幸せそうに頬を染めて微笑う少女のような子と視線が合った。
あぁ。と納得する。
子は一人ではないのだと。恋う者と共に逝く事が出来るのだと。

「良い顔をする。汝は一人ではないようだな」
「そうね。今、とても満たされているの。これから消えてしまうというのに、とっても可笑しな事」

くすくすと鈴の音を転がすように、子は微笑う。

「名をあげたの。欲しいと望まれたから最後に応えた。ただ、それだけ。私と共に消えていく名をあの人に呼ばれた」

搔き抱いた布の中身が、小さく音を立てた。

「それだけで幸せ。名を呼ばれて最後にもう一度だけ触れ合えた、それだけで…本当に可笑しな事ね。妖が人に恋するなんて」
「可笑しな事はないさ。妖を恋う人がいるように、妖が人を恋うても良いだろう?」

元より妖は乞うモノなのだから。
人に応える事で己の存在を乞う。認識を乞い、人を恋う。何も可笑しな事はない。

笑みを浮かべ伝えれば、やはり子は鈴の音のような声音で泣くように笑った。

「そっか。そうね…ずっとそうだったね。私はずっとあの人だけだった」

腕に抱いた布を一度抱き、差し出される。

「長。最後にお願い出来る?集められるものは集めたのだけれど。全ては無理だった」

布の中身を見れば、粉々に砕けた黒曜の欠片。
子が恋う人の、魂の残骸。
砕けてしまったが故に足りぬ部分は確かにある。元の通りとはいかぬものの、一つの形として戻せぬ事はないだろう。

「汝の最後の頼みよ。時間は要するが人の子としてまた流してやろう」
「ありがとう、長」

慈しむように布ごしに黒曜を撫で、静かに下がる。
笑みを湛えたままの子の姿が、解けるように形を崩し。
まるで初めから何もなかったかのように。何一つ残るものはなく。

ただ一つ。手にした黒曜が、子が確かにここにいたのだと声なく告げていた。



20240627 『君と最後に会った日』

6/26/2024, 2:59:31 PM

空を焦がす星よりも、綺麗で儚い存在を初めて見た。

「名付け親…此《これ》が……」

差し出した指を両手で握り、にこにこ笑う赤子。
未だ眼も開かぬ小さな存在から目を離す事が出来ない。

「頼めるか。この子は鬼《私》の血が濃い故に、繋ぎ止める楔が必要なんだ」
「いや、でも此が名付けなんてッ」

名は縛るものだ。
彼女の言う楔の意味も理解は出来る。妖にも人にも成り得ないこの不安定で小さな光を留めるには、名で縛るしかないだろう。
けれど。いや、だからこそ。此が名を与えるべきではないはずで。

「花曇はそれでいいのか?誉も何で黙ッてる!」

少し離れた場所に座る彼を睨め付けても何も語りはせず。穏やかな微笑みを湛えてただこちらを見つめていた。

「納得しているよ。だからこそ人である誉はこの場では何も言わない…それに東風を選んだのは私達ではなく、この子自身だ」
「ッ…この子、が?」

子に視線を戻す。
握られたままの指をそっと引き抜けば、笑みを浮かべていた顔がくしゃりと歪み、声を上げて泣き出した。慌てて指を戻しその小さな両手に握らせれば、途端に泣き止み笑みを浮かべ。その姿に何故かどうしようもなく胸がざわついた。

「ほらな。東風が良いそうだ」

楽し気に笑われながらそう告げられれば、それ以上は何も言えず。握られている指はそのままに、空いている手で子の柔らかな雪のように白い髪を撫ぜ考える。
花のように笑う小さな白い子に相応しい名を。

「…本当に後悔はしないな?」

最後にもう一度だけ二人に問えば、返る言葉の代わりに頷き微笑まれた。

一つ息を吸い、吐く。

握られた指を引き抜き、脇の下に手を差し入れ抱き上げる。
羽のように軽く、小さなその身体を壊してしまわぬよう気を配りながら。そっと胸に抱き留めて。

「銀花」

溢れ出た名に、異を唱えるものはなく。

愛しい名付け子は、変わらず笑みを浮かべ此を求めるように手を伸ばした。



20240626 『繊細な花』

6/25/2024, 8:24:12 PM

あの日の悪夢を今も見る。


雨が降っていた。
ざあざあ、と激しい雨が。床板を打ち、戸や壁を濡らし。
臥した家族を、冷たく打ち据えていた。

父。母。妹。続き間の向こうに重なるのは祖父母。廊下の先には従姉妹と叔父叔母が臥している。

異様な光景だった。在り得るはずのない事だった。
家の中、激しく降る雨。
臥して動かない家族や親戚。
そして、部屋の中心でこちらに背を向け佇む、黒い着物姿の女。
雨の降り頻る中でも、決して濡れる事はなく。背後を振り返る事なく、何かを口遊む。

それは只管に異様な光景だった。
雨が更に強くなる。口遊む声は雨音に掻き消え、視界が烟る。


女が振り返り、嗤った気がした。




「…!……っ!」

目が覚めた。
詰めていた息を吐き、身を起こす。

見慣れた天井。軋むベッド。
心配そうな顔の幼馴染。

「大丈夫?すごくうなされていたけど」

額に伸ばされた手を振り払う。
傷付いた眼をしながらごめん、と謝るその姿を視界に入れる事さえ煩わしい。

幼馴染は何も知らない。
あの日、自分と血の繋がりのある人は誰もいなくなった。
父も。母も。妹も。雨が上がると、皆姿を消していた。雨が降った形跡もなく、まるで最初から何もなかったかのように。誰一人、何一つ残るものはなかった。

幼馴染は誰も知らない。
いなくなってしまった人達の事を、誰も覚えてはいなかった。
なかった事にされた。雨を降らす現人神《妹》の存在を、それに傾倒していた家族、親族を消されてしまった。

自分だけが覚えている。皆の事を。あの日の恐怖を、自分だけが。

「…シズク」

存在を消された妹の名を呼ぶ。
その名に幼馴染が困惑するが、それを気にするつもりはなかった。

「っ、待って」

立ち上がり、幼馴染の横をすり抜けようとすれば、袖を引かれ呼び止められる。

「もう少し休んだ方がいいよ。顔色も悪いし、ふらついてる。ずっと探しものをしているみたいだけど、このままじゃ身体を壊しちゃうよ。だからもっと、」
「うるさい」

引かれた腕を振り解く。
視線を向ければ、泣きそうに琥珀の瞳が揺れていた。
けれど今はそれすらも、苛立って仕方がない。

何も知らないくせに。
あの日感じた死の恐怖を。続く悪夢を。何一つ分からないのに。
こうして無遠慮に吐き出される言葉が、態度が酷く癇に触る。

「うるさい。俺の邪魔をしないで。いらいらするから」
「だけど…」

尚も食い下がるその様子に、更に苛立ちが募る。
もう我慢の限界だった。

「いい加減にして。もう二度と俺に関わるな!」

琥珀が揺れる。
唇を噛み締め俯く幼馴染から視線を外し、部屋を出る。
しばらくは邪魔をされないですむだろう。

調べる事は、やるべき事はまだたくさんある。
雨の事。黒い着物の女の事。生き残る事。
あれから一年。まだ一年だ。
自分だけが生きている理由は分からない。またあの女が来て、今度は自分が殺されてしまうのか。それとも二度と現れず、これからも生きる事が許されるのか。
まだ何も分かってはいない。だからこそ生きる為に必要な情報を、手段を探さなければ。
死ぬのは怖かった。置いていくのが恐ろしかった。
忘れ去られ、なかった事にされるのが許せなかった。

ぐらつく意識を押し留め、外に出る。
晴れ渡る青空に、どうかこのまま雨が降らないでと胸中で呟いた。




20240625 『1年後』

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