sairo

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あの日の悪夢を今も見る。


雨が降っていた。
ざあざあ、と激しい雨が。床板を打ち、戸や壁を濡らし。
臥した家族を、冷たく打ち据えていた。

父。母。妹。続き間の向こうに重なるのは祖父母。廊下の先には従姉妹と叔父叔母が臥している。

異様な光景だった。在り得るはずのない事だった。
家の中、激しく降る雨。
臥して動かない家族や親戚。
そして、部屋の中心でこちらに背を向け佇む、黒い着物姿の女。
雨の降り頻る中でも、決して濡れる事はなく。背後を振り返る事なく、何かを口遊む。

それは只管に異様な光景だった。
雨が更に強くなる。口遊む声は雨音に掻き消え、視界が烟る。


女が振り返り、嗤った気がした。




「…!……っ!」

目が覚めた。
詰めていた息を吐き、身を起こす。

見慣れた天井。軋むベッド。
心配そうな顔の幼馴染。

「大丈夫?すごくうなされていたけど」

額に伸ばされた手を振り払う。
傷付いた眼をしながらごめん、と謝るその姿を視界に入れる事さえ煩わしい。

幼馴染は何も知らない。
あの日、自分と血の繋がりのある人は誰もいなくなった。
父も。母も。妹も。雨が上がると、皆姿を消していた。雨が降った形跡もなく、まるで最初から何もなかったかのように。誰一人、何一つ残るものはなかった。

幼馴染は誰も知らない。
いなくなってしまった人達の事を、誰も覚えてはいなかった。
なかった事にされた。雨を降らす現人神《妹》の存在を、それに傾倒していた家族、親族を消されてしまった。

自分だけが覚えている。皆の事を。あの日の恐怖を、自分だけが。

「…シズク」

存在を消された妹の名を呼ぶ。
その名に幼馴染が困惑するが、それを気にするつもりはなかった。

「っ、待って」

立ち上がり、幼馴染の横をすり抜けようとすれば、袖を引かれ呼び止められる。

「もう少し休んだ方がいいよ。顔色も悪いし、ふらついてる。ずっと探しものをしているみたいだけど、このままじゃ身体を壊しちゃうよ。だからもっと、」
「うるさい」

引かれた腕を振り解く。
視線を向ければ、泣きそうに琥珀の瞳が揺れていた。
けれど今はそれすらも、苛立って仕方がない。

何も知らないくせに。
あの日感じた死の恐怖を。続く悪夢を。何一つ分からないのに。
こうして無遠慮に吐き出される言葉が、態度が酷く癇に触る。

「うるさい。俺の邪魔をしないで。いらいらするから」
「だけど…」

尚も食い下がるその様子に、更に苛立ちが募る。
もう我慢の限界だった。

「いい加減にして。もう二度と俺に関わるな!」

琥珀が揺れる。
唇を噛み締め俯く幼馴染から視線を外し、部屋を出る。
しばらくは邪魔をされないですむだろう。

調べる事は、やるべき事はまだたくさんある。
雨の事。黒い着物の女の事。生き残る事。
あれから一年。まだ一年だ。
自分だけが生きている理由は分からない。またあの女が来て、今度は自分が殺されてしまうのか。それとも二度と現れず、これからも生きる事が許されるのか。
まだ何も分かってはいない。だからこそ生きる為に必要な情報を、手段を探さなければ。
死ぬのは怖かった。置いていくのが恐ろしかった。
忘れ去られ、なかった事にされるのが許せなかった。

ぐらつく意識を押し留め、外に出る。
晴れ渡る青空に、どうかこのまま雨が降らないでと胸中で呟いた。




20240625 『1年後』

6/25/2024, 8:24:12 PM