sairo

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5/5/2024, 12:49:19 PM

からからと回る風車。
騒めく木々。せせらぐ川の音。

結局、戻ってきてしまった。
懐かしき屋敷を前に、一つ息を吐く。

決してこの地を嫌い、離れたわけではない。
けれども、ここでは見えぬ景色を知りたいと願ってしまい、飛び出した。

街の喧騒。無機質な雑音。
様々な地を渡り、ここにはないモノを数多に見た。
鐘の音。響く旋律。
ここに似た地にも訪れた。
けれどもやはり、ここを忘れた事はなかった。
耳を澄ますと聞こえる音を。
何より、己を呼ぶ声を常に求めていた。

結局は、この地でなくば在れぬのであろう。



「あ、おささまだ」
「ほんとだ!おかえりなさい、おささま」
「お帰りなさいませ、長」

己の姿を認め、家人が皆声をかける。

「今戻った。皆、変わりはないか」
「えぇ、何も。皆が寂しがっているくらいですわ」
「泣かなかったわ、わたし!いい子にしてたもの!」
「ぼ、ぼくだって、いい子にしてたよ?」
「そうか。寂しい思いをさせて済まなんだ」

変わらぬ皆の声に安堵しながらも、未だ己を長と呼ぶ皆に胸中で困惑する。
この地を離れる際に、長の座は退いたはずであった。

「夜半はおるか」
「ここに」

新しく長となったはずの者の名を呼べば、間を置かずに現れる男。

「ようやくお戻りになられたのですね」
「どう言う事だ」
「お帰りをお待ち申し上げておりました。我らが長」
「夜半。説明しろ」

噛み合わぬ会話に名を呼び強く問えば、笑みは崩さぬままに眼が細まった。

「私は留守居を任されただけに過ぎません。長は貴方様で御座います」

恭しく手を取り、屋敷内へ連れられる。
それに続いて他の皆も、各々の仕事に戻ったようであった。

変わらず、この男の思考は読み難い。

「さて、長旅でお疲れで御座いましょう。床を用意してあります故、お休み下さい」
「…まったく、末恐ろしい男よな」

呆れたように呟けば、深まる笑み。

本当に、この男は御し難い。
従順に見えて、その実我が強く。
されど、誰よりも信頼できる、血を分けた唯一の弟。

「戯れ言も程々になさって下さいませ。長の在るべき所は、ここ以外ないのですから」

幼子の癇癪を宥めるような、落ち着いた声音。
部屋に通され、そのまま床に寝かせられる事で、返す言葉を失くしてしまう。

「長は我々の姿を見、声を聞かねば深く眠る事も出来ないのでしょう?」

光を遮るように瞼に手を当てる男の声音は、変わらず優しい。

本当に、恐ろしい弟だ。

愚痴のような不満は、けれども今はこの手のひらと額に感じる熱に溶かして。
訪れる久方ぶりの微睡に、抵抗する気もなく身を任せた。




20240505 『耳を澄ますと』

5/4/2024, 11:51:32 AM

弟が、“神隠し”から帰ってきた。
7日前、姿を消した弟。
その時と何も変わらず、7日経った事すら知らず。
周囲が奇跡だと騒めく中で。
弟だけは静かに、その琥珀色の瞳で古びた鳥居の先を見つめていた。


「ねえ、にい」

歌うような囁きが、夜の静寂に解けていく。

なに?と応えれば、虚な琥珀が僅かに揺れる。

「あのね、ないしょだけどね。にいはとくべつ」

人さし指を唇に当てて、内緒話でもするかのように顔を寄せた。

「にい、あのね。おにさまがいたよ」

囁く声には、隠しきれない喜びが滲んでいる。
感情の起伏が乏しい弟には珍しい、年相応の無邪気な笑み。
久しく見ていなかったその表情に驚くと、その反応に満足したらしい弟は、跳ねるように一歩だけ距離を取る。
そのままくるりと背を向けると、手を伸ばして空を仰いだ。

「ほおずきは、なかった。でも、ちゃあんとつれてきてくれたよ」

鬼灯、の言葉で、弟の言う『鬼様』が『導の鬼灯様』だと気づく。

導の鬼灯様。
村に伝わる、いくつかの言い伝えの一つ。
山で迷った人の元に現れ、道標となる鬼灯を与える美しい鬼。
その鬼灯が明るく灯る方へ歩いて行けば、必ず山から出られるのだという。

「きれいで、やさしくて。つのはね、ひんやりだったよ」

流れる星に手を伸ばし、それを乞うような弟の。
その声音もまた恋いているようで。

「おにさま、とってもきれいだった」

ほう、と息を吐くその後ろ姿に。

会いたい?と、無意識のうちに尋ねていた。

「うん。あいたい」

伸ばした腕を下ろし、こちらを振り返る。
琥珀が、揺れる。

「あいたいよ。あいたい。こんどは、にいもいっしょに」

伸ばされる手。
けれどもそれを、握り返す事は出来ず。

「ねえ、いいでしょう?」

願う言葉には応えずに。
弟の横を通り過ぎ、歩き出した。

帰るよ、と伝えれば、慌てたように駆け寄る足音。

「にいは、いじわるだ」

単調な声音で、表情も変えず不貞腐れる弟を横目に。
今日の事も二人だけの秘密だよ、と呟けば。
惚けたように瞬く琥珀が、微かに煌めいた。

「わかった。にいとだけのひみつ」


きっと、弟はまだ気づかない。

二人だけの意味。
失った感情の理由。
応えた言葉に変化する瞳。
月の光に伸びた影の数。

差し出されるその手を握り返せないこの哀しみを、
自分だけが知っている。




20240504 『二人だけの秘密』

5/3/2024, 11:40:15 AM

「ごめん」

小さな謝罪の言葉には何も答えず、彼から距離を取る事で反抗する。
実際にはほとんど変わらない、僅かな隙間。
その僅かな抵抗すら、背後から腕を引かれ抱き留められて、零に戻る。

「……っ」
「いかないで。お願いだから」

懇願する声音は、どこか甘さを孕んで目眩がした。

「そばにいて。もう離れないで」

『もう二度と俺に関わるな!』

静かな懇願の言葉に重なる、かつての彼の拒絶の言葉。

今さらだと思った。
最初に手を振り払ったのは彼の方だった。
ようやく、一人でいる事にも慣れてきたのに。
忘れられるとすら思っていたはずなのに。
今さら、
関わるなと拒絶したその唇で、依存を乞うというのか。

「…やめて」
「ここにいてくれるなら」
「やめて。ここから出してっ」
「ごめん」

優しささえ感じる謝罪の言葉とは裏腹に、抱き留める腕の力は強く。
もはや拘束でしかないそれは、息苦しささえ覚えるほどで。

「それだけはだめ」

拘束していた右腕が離れ、けれどもその指はいたずらに首筋をなぞり、そのまま唇に触れる。
それ以上の拒否を咎めるような彼の指に、思わず息を呑んだ。

「それ以外なら何でもあげる。一緒にいてくれるなら、望むところに連れて行く」

変わらず囁く声音はどこまでも甘い。
その甘さは背中から感じる熱と混じり合い、何もかもを分からなくさせていく。

彼の優しさは毒だ。
上辺だけの甘い言葉を、その行為を、愛だと勘違いさせる。
そうして勘違いしたまま、弱って一人では生きられなくなったその時に。
彼はまた、あの日のように冷たく突き放すのだろうか。

「優しくする。大切にするから」

それならばいっそ、酷く咎めて罵ってくれればよかった。
そうしたら何の期待も持たずに、彼の檻の中で生きていけるのに。

「だから、俺を愛して?」

愛を乞われ、頸に口付けられる。
まるで恋人にするような、優しいだけのそれ。

「…っ!」

深く堕ちていく感情から逃げ出すように、絡みつく全てを振り払い。
今出来る、最大限の反抗を込めて。
その優しさを拒むように。
背後の彼に、噛み付くように口付けた。




          20240503 『優しくしないで』

5/2/2024, 12:11:56 PM

赤、紫、橙、白。

鮮やかに咲く花々を、空の墓標に手向けていく。

雛芥子、紫苑、金盞花、白百合。

己を慰めるだけの、そんな愚かな行為を繰り返す。


「花曇」

名を呼ばれた。

「花曇」

応えずにいれば、静かに近づいてくる足音が一つ。

「帰れ」

振り返る事も出来ずに吐き出した言葉は、滑稽な程に掠れていて。

「花曇」

それでも、名を呼ぶ声は止まらない。
そのまま声は背後まで近づき、いつかのように袖を引く。


「おにさま」

懐かしい呼び名。
もう一度袖を引かれれば、もうこちらが折れるしかなかった。

大人しく振り返れば、そのまま縋るように抱きしめられる。

「帰れと言ったはずだ」
「嫌です。貴女を置いて帰りたくない」
「我儘を言うな」
「置いていかないでください」

有無を言わさない強い言葉。
しかしその言葉と裏腹に、抱きしめているその腕は微かに震えている。

それでも、言葉に応える事は出来ず。
震える腕を解いて、一歩だけ距離を取った。

「ならぬ。人と妖は、共には生きられぬ。主も解っただろう?」

もう一歩。
今度は、背後の墓標を見せるように移動する。

「もう私に吾子を殺させないでくれ」

鮮やかに咲く花に彩られた、空の墓標。
己が産んだ子らは皆、胎より出た刹那に銀の焔に包まれ燃えた。
遺されたものは何もなく、それ故に墓標の下に埋まるものはない。
墓標すら、己が角を見立てた紛い物。

古き知人には「人間の真似事」と嗤われ。
けれども、代わりに手向けの花を譲られた。

そんな己が未練と知人の優しさで作り上げた光景に、人である目の前の彼は何を思うのか。


言葉なく墓標に見入る彼を思い、静かに目を伏せた。


「…いや」

微かに呟かれる言葉。

「嫌、です。喪いたくない。独りにはしたくない」

空いた距離を詰めるよう腕を引かれた。
伏せていた目を上げ彼を見れば、強い瞳に射竦められる。

「ここでしか生きられないのなら、ここで生きる。人として生きられないのなら、貴女と同じ鬼になる。だから、どうか」

かつて、彼と共に現世で生きると決め、角を手折った己のように。
後戻りの出来ない覚悟を携えて、請われる。

「どうか、お願いします。もう一度だけ、僕に花曇と赤ちゃんを守らせてください」

どこまでも真っ直ぐな願いは、幼子だったあの頃から何一つ変わらない。
変わったのは、年月と共に成長した身体と、低くなった柔らかい声。
そして、幾分か変化するようになった彼の表情。

泣きながら、燃える子に手を伸ばすその姿を思い出す。

子を喪い泣いたのは、己だけでなく。
これ以上喪う事を恐れたのは、お互い同じだった。


なれば、彼の願いに応える言葉は決まっている。

「ーーー誉」

それは、呼ぶ事のなかった彼の名。


「!おにさま、今」

驚き惚ける彼の、力を失った腕から抜け出す。
そのまま背を向けて歩き出せば、遅れて駆け寄る足音が聞こえた。

「もう一回!ねえ、花曇」
「さあ?何の事だか」
「いじわるしないでっ」

どこか泣きそうな彼の声音を聞きながら。
今は何もいない腹に触れ、この先のいつかが平穏である事をただ祈っていた。




            20240502 『カラフル』

5/1/2024, 12:54:53 PM

現世と常世の狭間。
そこには常世へと繋がる泉があるという。
泉の周囲には四季折々の花が咲き乱れ、木々には種々の果実が実る。その光景は桃源郷を思わせる程のものであるのだとか。
そして、その泉には美しい雌雄の龍が棲んでおり、雌の龍は短くも激しい雨を。
雄の龍は長く静かな雨を降らせると言われている。

そんなお伽話を、どれだけの人が信じているのだろう。



「かえりたい」

抱き抱えられ、子供にするかのように髪を撫でられながら思わず口にした言葉に、背後にいる彼女が呆れたように溜息を吐いた。

「今更現世に帰った所で、もう誰もいないわよ」

何を今更、と。
心底呆れた様子の彼女の声音に、そういう意味ではないと胸中で呟く。

かえりたい。彼女達に出会う前の時間まで。
彼女達に出会い“隠されて”から、もうどれくらいの年月が過ぎたのか。
今更帰ったところで、待つ人は誰もいないことは痛いくらいに理解している。

今は変えられない。変わらない。
それならいっそ、彼女達に出会う前であるならば。

あの時に、

『なかないで。これかしてあげるから、ね?』

雨に濡れながら泣きじゃくる彼女に声をかけ、傘を差し出さなければ。

人としての生を謳歌できたのか。
それともやはり、今と何も変わらないのか。


結局、今更どうしようもない事を考えては、意味のないその思考に落ち込んだ。

「翠雨」
「…なに?」

目の前の彼に呼ばれ、不貞腐れたように小さくこたえる。
宥めるように髪を撫でるその手に、子供扱いされている気がしてさらに気分が降下した。

「諦めろ。最初に手を差し伸べたのは翠雨の方だ。今更なかった事には出来ないし、させる気もない」
「……わかってる」
「分かってない。時雨の約束に応じたのも、俺の与えたモノを食べたのも。全部、翠雨の意思だ」
「………」

今更なのは、重々承知。
彼女の再会を願う約束に応じて縁を結び。
彼がくれた団子を食べて黄泉竈食ひ〈よもつへぐい〉をした。
差し出された2人の手を取り、新しい名前を受け入れもした。

いくつもの選択肢を間違えた結果が、今なのだから。

「まったく、一体何が不満なのよ?老いや病とは無縁だし、飢える事だってない。それって人間にとっての理想じゃないの?」

彼女の声音に苛立ちが混じり始める。
望まれていると思ってした事が一向に望まれず、反抗されているのだから当然ではある。
だからといって、おとなしく全てを受け入れる事はまだ怖かった。

「生殖行動だって、五月雨がーーー」
「時雨」
「なによ」

目の前の温もりが離れ、代わりに背後から別の温もりを感じ、所有権が彼から彼女へと移った事に気づく。
途端に機嫌を直したらしい彼女に抱きすくめられ、先程まで彼がしていたように髪を撫でられた。

「翠雨は今、拗ねているんだろう。置いていってしまう事が多いから」

彼の言葉に、背後で笑う気配がする。

「そういえば、翠雨は昔から寂しがりだったわね。だったら早く素直になってしまえばいいのに」

背後から顎を掬われそのまま上を向かされれば、機嫌よく笑う彼女の唇が額に触れた。

「意地を張っていないで、素直にわたし達の名前を呼びなさい。そうしたら常世にも連れて行けるわよ」
「そんなところ、別に行きたくもないし」
「生意気」

顎を掬っていた彼女の手が、今度は鼻に触れそのまま摘まれる。
軽い息苦しさと痛みに反抗していると、不意に聞こえたのは何かを思案する彼の声。

「強がるのも悪くはないけれど、そうだな」

彼女の手が離れ、そして、

「“翠雨”」

強い意志を持って、彼が、名を呼んだ。
彼らから与えられた、彼らの“所有物”である証。
望めば全てを奪える、不可視の鎖。

その鎖を引かれて彼女から離れると、静かに彼の前に膝をついた。

「待つのは嫌いじゃない。でも、限度はある。覚えておいて」

瞳を覗き込まれながら囁かれる警告。
それに頷いて応えると、彼は静かに笑って鎖を緩めてくれる。
そしてそのまま抱き上げられ、屋敷に向かって歩き出した。

気づけば、空はすでに茜色に染まっている。
もう帰る時間なのかと、今だにぼんやりとした意識の端でそんな事を思った。

「翠雨」

名を呼ばれて視線をやると、いつの間にか隣には彼女の姿。
少し困ったように笑って、耳打ちをされた。

「五月雨はね、普段は静かだけど粘着質だし、怒らせると面倒なのよ。だから、さっさと覚悟を決めて、その魂にわたし達を刻みつけなさい」

命令口調でありながらも、決して強制ではない言葉。
感情の起伏が激しい彼女なりの優しさなのだろう。
だから、その優しさに甘え、今だけは聞こえないふりをして目を閉じる。

最後の選択肢は、もう少し選ばないままでいたかった。



現世と常世の狭間。
常世へと繋がる泉に、美しい雌雄の龍が棲むという。
龍に見初められた者は、楽園を模した檻に誘われ。
寵愛を受ける代償に、人としての名を奪われる。
もしも龍が飽く時が来れば、その魂だけは解放されるやもしれぬ。
しかし、
雌雄の龍の名を一度でも口にすれば。
その魂は二度と解放される事なく、永久に龍のものとなるであろう。


それは、昔から伝わる雌雄の龍の言い伝え。

1人の少女の為に、常世から狭間へと棲家を移し。
少女の好きな花を集めて楽園という名の箱庭を作り上げた。

優しくて恐ろしい、雨の神様のお伽話。




               20240501 『楽園』

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