力をうしない震える肩を、何度か躊躇して支える。ぱしんと容赦なく拒絶の手が入った。
「やめて」
「立てないくせに」
生まれたての雛鳥のような立ち姿だった。病的に痩せて、あちこちに傷が目立つ。真っ白な肌だったのに。
改築に改築を重ねたウッドデッキ付きのコテージは、2人で住まうにはあまりに広い。
大きく開いた窓から早春の風が入ってくる。
どうしたものかこのじゃじゃ馬。と手ぐすね引いていると、娘は言った。
「出ていくわ。世話になった」
着の身着のままで、彼女は帰ってこなかった。
彼女の肩にある傷跡をみる度にどうしょうもなくすき間風が空く。勇気がないのは俺の方だ。
世界は小さいな。
薄暗がりの埃っぽい酒場で彼女によく似た娘が営業前に練習だといって1人で歌っている。
場末のスナックで歌わせていい人ではない。
染み入るような抑揚。
彼女の吸う息さえも甘くて気だるくて、異国の歌詞で分からなかったけど、声は強く伸びやかだ。
自分だけが聞いてていいのか。
遠い望郷に駆られるような、見たこともない田園風景を思い起こされるような声。
すぅっと歌声がしぼんだ。なんだと思っていると、彼女は言った。
「誰か来たね」
外から来る音を拾ったようだ。歌いながらお見事だ。
「聞かせてあげたらいいのに」
「いや。あまりそこらの誰かに聞かせたくないんだ」
そうなん…だ。
My Heart
いつか時空を飛び回る先に、故郷の軸が戻る接続に入れるといい。
いつかかつての飛竜の旅の時間軸に戻れるといい。
相反する2つの願いを叶えられるのは、道を外してでも突き進むこと。どんな非道なことをしてでも。
ナタを地面に突き刺して炎を呼ぶ。
「来い」
77年前からこの旅は続いている。
渦巻く炎は空気を含み、自然発火では説明出来ない高さまで育つ。
同時に真空の層を薄く作り熱風を操る。
空飛ぶ2人の翼兵の補助をしながら、うまく抱き込み光弾の威力の底上げをしていく。
大切な仲間を殺した炎を扱う度に自問する。
この道でいいのか。
このままでいいのか。
思えば沢山亡くしてきた。
これでいいんだと、親友の恋人は言った。
もうやめろと何度も過去の恋人は言う。
永遠に伸びる世界なんだから。倫理なんて頭の片隅にもないよ。
「リーダー!」
体当たりのようなガードが入る。1人の青年がひらりと飛び込んできた。
「珍しいですね考え事ですか。後にしてください」
キン!と高い音がして薄い鋼鉄が弾かれる。
この炎弾の中、物理攻撃が入ってきたのか、最近の外界の技術はすごいな。
「手厳しい」
「そのように育てられましたので」
大きく構えて、そのまま相棒は十字に紋を切る。青黒い気流が見えたような気がした。
一気に地面に広がって消える。
領域を張ったのだ。
「後で褒めてください」
「図太くなったね」
お陰様で。青年は大きく後ろに飛び上がり、次の被弾に備えている。
褒めてあげるよ。2人とも生き残ったらさ。
ないものねだり。
半月ぶりに家に帰る。
自分の妻と息子が住まう村はまた入居者が増えたようだ。農地がさらに広がっている。
大地の精霊が数体自分の身体を回り、楽しそうな歌声を聴かせてから空気に溶けていく。
土地が富んでいる証拠だ。
丘を1つ越え小さな畑と井戸を横切った時だった。
「ちーち!」
自分の茶髪を受け継いだ2歳の幼児が母親の束縛を解いて走ってきた。
「ただいまカルス」
「ちーち!かえり!」
「うん。また重たくなったな」
抱き上げるのは苦ではないが、前回に比べてずっしりと重みは増していた。
家の前で妻が畑の籠を持って立ち尽くしている。父子での時間を見守ってくれているようだ。ただいま、ともう一度言うと微笑んで駆け寄ってきてくれる。
「お帰りなさい。予定より早かったわね」
「うん」
子供が生まれる前は、涙をこぼしながら抱き付いて迎えてくれたのに。子供が生まれるとこうも女性は強くなるのか。自分は淋しくて淋しくてたまらなかったんですがね?
「鶏肉のシチュー作ってるの。あと、ニシェの香草パイづつみ。荷解きして足をゆすいだら食べてね」
「ありがとう」
早かったと言いながら、全部僕の大好物。予測して作ってくれていたんだなと胸がじんとする。
「ごはん!たべる!」
「おう」
腕の息子もお腹が空いたとアピールしている。妻はニコニコと畑のものを捌いていった。
食べることは大好きになった。君が作ってくれるから。君の待つ家に帰ってきたと実感するから。
好きじゃないのに
胸糞悪い長文↓
今が朝か夜かは分からない。
シャワーの音がしていた。
扉が閉まったような気がして目が覚める。起き上がるには身体がひたすら鉛のように重かった。
胸元には真新しいやけどの跡と噛み跡がある。特に感傷もなくじくじくと痛む傷をさするだけ。
やっとベッドから降りると毛布が落ちて、同時に昨日まで着ていた散らかった衣服が目に入る。チェストには、いつもと同様に、有名メーカーが仕立て上げた衣服が畳んでおいてあった。
あの男はビリビリに破いてから自分が購入した服を私に着せたがる。遠くで自分の選んだ服を着ている女を見てニヤつくのだろう。
意識が抜けたまま、未だに湿気のこもるシャワー室に続いて入る。体のあちこちの傷がしみるのでぬるい温度でさっと済ませた。股からいやな感触のものがどろりと落ちていく。
心は乱され限界ギリギリまで自我を奪われて破壊されていく。こんな生活、いつまで続くんだろう。
完全に油断していた。
浴室を出て、ほとんど半裸のまま部屋に戻ったが、もう1人の気配を察することができなかった。
「あ…」
謝るとかこの部屋から逃げ出すとか行動する概念がなかったといえる。
昨日のやつよりもさらに大柄で陰気臭い、髪の長い男。影響力のある華族…。私を見咎めて大股でやってくる。
「昨日サシェゼとしたのか」
喉の奥がひゅ、と呼吸が逃げていく。いつもの怯えを噛み殺す癖が出てしまった。
長髪の男がベッドをちらりと探したのを見た。途端に内臓が凍りつき、足がすくむ。
「かわいそうに。傷だらけだ」
出る言葉は優しい。
だけどこの男はそんな考えは毛頭にない。私の身体には、薄布からも透けて見えるほどにいくつもの昨日の蛮行が散っている。
強引に手を引き、先ほどまで眠っていたベッドに押し倒される。
途端にがたがたと身体が震えだした。男はまるで事務作業のように服を開き、全裸を空気に晒す。
「こんなにしたのか」
まるで子どものいたずらの成長をみるように、私の小さな乳房をゴツゴツした手が撫でる。
冷水で固まった身体は、きっと触り心地も良くないだろうに。熱い手のひらがそっと触れていく。
昨日の男は、本当はこれが正しいのだとでもいうように我が物のように乱暴に揉みしだいていくのに、こんなにそっと触れられたのは初めてだ。
だが心地よいとかはない。
「ひ…」
熱い舌が鎖骨と胸元を辿っていく。寝転びほとんど丘にもなっていない胸をゆっくりと唇で遊び、両胸を寄せては匂いを嗅いでいる。
そして火傷の跡を強い舌がなぞる。目の前で凶器をちらつかされているような恐怖だった。
少し抵抗してしまった。両手で押しのけるように長いクセの強い髪をどかした時。
「や…や!!」
普段口数の少ない男がいっきり伸し掛かり、両手を拘束し、小さな胸を唇に含み始めた。
「や…いやぁ…」
「そんな声も出るんだな」
アイツといるときはひたすら唇を血が滲むほど噛んで声を噛み殺しているのに?
ガクガクと震える身体を温めるように、男の手のひらは腹を撫で臀部をなで、恥部を撫でていく。
「かわいそうにな」
身体中の傷をひたすら舐めていく。
「アイツが戻ってくる…戻ってくるから、もう、やめて…」
蚊の鳴くような声で訴える。昨日の男が戻ってきたら、ただでは済まない。
「来ない。あいつは、こない」
腹を唇でたどり、刃傷の絶えない太ももに手が伸びていく。
「だってさっきまで浴室を使って…」
さっきまでシャワー室の音がしていた。いつ戻ってきてもおかしくない。どんな目に合わせられるか分からない。逆上して殴られて意識が飛んで、裸で放りだされたこともある。恐ろしい。
「違うよ」
それは雨の音。ひっとまた声が出てしまった。
外ではすすり泣くような霧雨が舞っている。
「だから来ない。さぁ見せて」
拘束は解けて、熱い手の平は身体中を愛撫している。
さぁ聞かせろ、媚びて屈するその声を。
長い髪の隙間から真紅の瞳が言っている。
震える足を割って大きな男の身体が仕留めに掛かってきた。
ところにより雨
小柄なうちのリーダーが怒り狂う時。
自分は背中に走る快感に酔う。
アレと付き合っているのか、アレは狂女だぞ。とんでもないなと先輩に尋ねられた事がある。
確かに端から見ればそう思われるかもしれない。
毎日一緒にいるし、なんなら一緒の部屋にだって寝る。死に違えても守るつもりでもある。
自分は先輩の質問にいやまさか。と、下品だが吹き出してしまった。
「そうじゃない、そういうのじゃないんですよ」
強烈に強い人だが、うちのボス…リーダーを少し軽く見積もっている節がある。
多分言っても伝わらないと思うから自分は言い訳はしない。
「別に彼女いますし、同い年の」
「まじか」
「いや、居た…かな」
「過去か。悪いな、傷跡抉ったみたいで」
いやぜんぜん…。と、手をひらひらと振って見せる。
周回の日々で時間感覚がなく、自分の中に日数とか月単位とかのニュアンスが抜け落ちているのだ。
人とはずいぶんと軽薄な部分もあるのだな。彼女という存在はもうだいぶ大昔のような気がしてくる。
「飲み屋にでもいく?いい店知ってるよ」
「いや、勘弁して下さい」
先輩の言う飲み屋はただ飲むだけじゃない。朝までのあれだ。
僕は今の崩れ落ちそうな彼女を失いたくない。側にいるだけでいい。周囲を破壊して暴れまわる彼女に添うだけ。そう、敬愛している。
これは多分誰にも伝わらない。
彼女が叫ぶ度に足先から脳天にまで突き抜ける衝動がどういう呼び名を持つのか分からない。
特別な存在