どれほど地獄に落ちればいいのだろう。
カノンはため息のように呟いた。
「ああ、綺麗だ」
畑は息を吹き返し、作りたての小川は水底の砂利が透き通る。山は新緑に喜び、新たな命は一斉に芽吹き、村は大きくなっていた。
水車小屋は静かに回り家畜小屋や肥料の匂いさえも懐かしい。
1つの季節が巡り、村に命がまた1つ生まれ落ちた。
村の女達に手伝われ、まだ幼い少女は一人の男の子を出産した。
年齢、体格、初産。圧倒的に足りない医療。
こんな状況下で、彼女が生きているのは奇跡に近い。
ただ長時間の陣痛に疲弊しきって、いつ産後熱に掛かるか…。もし何かの感染症に掛かれば命はない。彼女のそばでは元気に泣く薄い茶髪の男児が泣いている。
側にいたい。
側にいられない。
遠い故郷の様子を水晶で見せていてくれた女性の仲間が言った。
「行ってあげたらいかがかしら」
「無理だよ…」
「意気地なしですのね」
戦場を離れるわけには行かないから。なんて言い訳だ。拒絶されるのが怖い。
やっとして、水晶玉が言葉を届けた。妻の声だった。
「カルス」
聞き間違いかと思って、カノンは目を見張る。
「お父さんと名前を一緒に決めたかったけど、仕方ないね。あなたはカルス。この村を救ってくれたすごいお父さんの名前を1字貰おうね」
疲れ果てているはずの妻が、細い手で我が子を抱きたいと手を伸ばしている。
カノンの頬に涙がはたはたと落ちていく。
「これは、帰らなきゃとんでもない雷が落ちますね」
ふふ、と水晶玉を操る女性が言う。
新しい父親は口元を押さえて泣き崩れた。
絶対に絶対に故郷に帰らなきゃいけない…。
桜散る
安宿に今夜も雑魚寝だ。
ギールスとシーナは例によって野宿のほうが慣れているし、気心のしれた幼馴染同士だ。男も女も関係ない。
お金がない…というのも大きな理由だが…。
宿の隣に併設された居酒屋で皆で皿洗いをすることで、残り物のスープと焼きたてのソーセージとパンを頂くこともできた。
腹が満たされれば人心地も付くというもの。
そもそもこんな低レベルパーティーでは、まともな素材集めも依頼も受けれない…。冒険者稼業が衰退し、国の軍に傭兵が傘下に下るのも仕方ない…(しかも前線の前線ど真ん中に配置される)そういう時代なのかもしれない。
安宿の2階の窓からは、下町と商業街の境目がよく見えた。まだまだ夜は長い。遠くには城壁に囲まれた城も見える。
「王子様とかは、こんな生活しないんだろうなー。いいなー」
ミレーヌが、唐突に街の奥の王宮の光に向かって呟いた。
それを聞いて吹き出すのが幼馴染で同い年のヴィルだ。軽装で、索敵、罠、斥候などをこなす。が、まぁ全然役には立ってない。
「なによぉ。いいでしょ」
「いや、別に…あほか…」
「宮廷見習い騎手に呼ばれたってウキウキだったのヴィルじゃないの!」
「あいあい」
悪かったと言いながら、結局ニヤニヤ笑う。
「王子様どんな人なんだろぉ。まだお若いって話よね。ひと目でも見れないかなぁ…」
(そこに一応王子ならいるけどな)
ヴィルはチラりと、うしろに目線をやった。
酒場のおっさんどもに弱いアルコールを飲まされてコテンと寝てしまった2つ下の幼馴染カルスが、ベッドにもソファにも寝かされずに猫のように丸くなって安っぽい絨毯で寝ている。
夢見る心
からかって甘えて、一緒に笑うだけで精一杯だった。
娘売りの話。領主の話。
元からよく耳が聞こえて状況を察していたから、山へ登り親父の使者を跡形もなく消すしかなかった。
知らなかったんだ。人ってろくでもない親にたいしても悲しむんだって。
あんなに泣いてんだ。
話せるわけがない。
届かぬ思い
襲いかかってくるゴブリンたちを先頭を走るギールスが切っていく。スピリット達も弱いけど数が多かった。
打ち漏らしを後ろで走るヴィルが両手のナイフで魔力を込めたカッターで打ち落としていく。
カノンはミレーヌを抱えながら、詠唱を絶やさない。
遠距離からのシーナの援護もあったからだろうか。
(みんな、こんなに強かったんだ…)
強烈な目眩で動けないミレーヌは、ぼんやりと、少しだけ逞しくなったカノンの首筋を見ていた。
激しく揺れることもある。だけど、カノンは絶対にミレーヌを離さない。
「走るよ、掴まって」
うん、と小さな子供のように頷く。
情けないな、貴方よりお姉さんなのに。
お腹のなかにあなたの子がいるなんてまだ信じられない。
村の、年のいった治療院の先生によれば、産まれるのは半年と少し後だと言っていた。
(まだ、ずっと先?それとも、すぐ?)
ミレーヌの中での時間は、小さな頃に戻ったり未来を見たりと忙しい。
ようやく、安全な場所に来たみたいだ。
ギールスがシーナに合図を出して転移が始まった。降ろされた場所は、少し前にキャンプをした場所だった。
へとへとになったシーナと、ぷんすか怒ったティーエが飛んでくる。
でもそれよりも、と。
ミレーヌはヴィルを呼んだ。
「ヴィルどうしたの…」
「はっ?なにが!」
1人でずっと何かを抱えていたんだね。
少し精悍になった幼馴染は、あちこち傷を作り、背に悪魔のような翼を生やしていた。
「なんだか、ずっとひとりぼっちで居たみたいにしてるからさー。泣くのかなと思って」
「なんでオレが泣くんだよ」
そして、触っていい?と聞く。
「いいよ」
カノンに支えられたミレーヌに近づいて、恐る恐る触れた。何の凹凸もないお腹を。
「私も実感はないんだけどね」
「まじの、まじなの」
「みたいだね…」
そしてきっ!とカノンを睨みつける。
「お前、子供に顔覚えて貰えなくなるところだったんだぞ」
「かなぁ…」
カノンも困惑している。
「おまえ、大事にしろよ、ホントに頼むよ…オレ、オレ…」
ヴィルは唇をくっと締めて、言いたいことを噛み殺したようだった。
祈るよ。どうか、君が幸せであるように。
幼馴染はとんだ唐変木で。ぬけてて頼りないけど。
ヴィルのそんな心情など誰もわからない。
「ばーか」
そういって、ヴィルは立ち上がって姿を消した。
神様へ
年頃の少女達が川の上に作った洗い場で洗濯をしていた。
祭りで使う長い染め布は、この村伝統の目の覚めるような蒼。
娘達は小さな素足でたらいの中で踊る。時折り村の歌を歌いながら、ただただ楽しそうに。
水しぶきが舞い、高い声が空へ飛ぶ。
祭りで かの殿方に見初められし娘は
どこぞの国へと行くのかや。
どこぞの姫になるのかや。
彼女達は二度と故郷には戻らない。
冬が来る前に山を越え、その後五年と経たずに仕送りはぱたりと止まるのだ。
快晴