風が強い地域だった。
魔法の行火は温かく、火を焚くことができない深夜に重宝している。
乾いた大地を攫うように吹き付ける強風は轟々と耳に届く。霜は降り井戸の水は凍り空は曇天。まるでこの旅の筋書きのようだと不思議な因果も感じる。
光のあるところは闇もあると昔から言われるか。強ければ強いほどその対比は濃くなる。我々はいわば闇なのか。
手元に呼んだ光でテント内がほんのり明るくなり揺れた。
「影よ」
呼応があった。
周囲に警戒をさせるために、そっと魔力を地面に注いだ。
隣の主は眠っているようだ。規則正しい寝息が聞こえる。
そっと肩まで毛布を上げて、少し間が合った。
「…何か居たか」
低くかすれた声がやっと出る。まだ少年の変声期に入ってすぐの青い声だ。
もう誤魔化しは効かない。
「今向かわせています」
「俺が行く」
身に着けた武具が擦れる音がする。動いた瞬間だった。肩口に矢がテントを貫いてトンと貫いてきた。細くも速度の出る薄い羽根。あとで見ればシダーの高級品だと分かる。2人は一気に腰を下ろしテントを飛び出した。
「落とせ生かすな」
「はい」
相手は2人。もしくはそれ以上。この言葉だけで伝わり、岩場のくぼみに設置したテントから飛び出した。設置場所を凝ったためか狙撃者はすぐに特定した。岩を抜け小さな茂みに襲いかかる。
「…っっ!!」
男か女か、暗闇の中判断できないが有無を言わさず首を叩き切る。続いて後ろの人間も血を吹き崩れ落ちた時だった。月明かりは薄い。草が揺れた。
影の伝により人数も把握した。
「斥候も2人」
「やれ」
主の声に従い娘は手元で印を結び影に命令をした。
娘は今しがた殺したばかりの人物の衣服を引き上げる。首がゆらりとついてくる。
所属は分からないが軽装。もう1人は胸元の裏に刻印がしてあった。騎士か。
「動く」
「今ですか」
夜目の効かぬものもいるのに。
「2度言わせるのか」
「いえ」
娘は従う。膝をつき、続けた。
「全員に移動の念を送りました。行きましょう」
冷たい風が一陣舞い、夜闇の中にさらなる黒い影が二人を音もなく覆った。
多くの人々は扱いづらい娘だと思うだろう。だが目の前で物理的な圧力をかければすぐに懐く。懐くように見せて機会を伺っているのだとしても…それでも愚かで健気で扱いやすい。
小さな顎を掴んで一口アルコールを飲ませる。慣れたのか咽ることなく嚥下していく。
「うまいか」
一気に色白な肌が上気した。まだ17かそこら。
「おいしくはない」
鼻に掛かる声。こちらの鼻息で前髪が躍る。面白いか面白くないか決めるのは自分だ。年寄りたちの戦略はもう古い。この娘を使おう。
どこかで鳥の鳴き声がした。
娘は反射的に上半身を起こし、身体のあちこちが痛んだ。部屋は温かく、サイドテーブルには飲みかけの飲料が置いてあった。
嫌な夢を見た。
手が震え、握り込むことで抑える。
こんなときでも空腹を感じた。
乱れ落ちている衣服を拾い、着られるか確かめながら身につける。
自分だけが彼女の力を知っていることは、優越に浸れた。
惨たらしく殺された家族の身代わりをさせたのは事実だ。
数年前…と言っても昨日のことのように思われるが、諸国で起こり始めた反乱の火種が、何も関係のない自分の村さえも、交通の要所であるというだけで焼き打ちにされた。
外見でそしりをうけた自分たちは、彼女…スズカは妹であると身代わりを引き受ける。
皮肉なものだ。自分が仲間や家族を殺したようなもの。
本当の妹が亡くなったのは言っていない。ただ命が天に消える時だけは安らかで、それだけが救いだった。
「…ここ」
掠れた声がした。もう陽は高い。
「スズカ」
取り乱すかと思ったのだが、彼女は腫れ上がったまぶたのままあちこちを見回して、状況を悟ったらしい。
「ジョル…」
とまで呟いて、兄さん。と繋いだ。
柔らかい温かな手を取り、もう大丈夫だと。自分の声も掠れていた。彼女の受けた屈辱と痛みを思うと声が出ない。
色素の薄い髪が動く。
「ごめん、兄さん」
「いいや」
何を謝っているのか分からずに。ああ、進行が遅れたからか。
「前線は。増援は…出発しましたか」
「ああ。俺たちは午後に出る」
本来なら兄妹で抱擁を交わすところだろう。他の人の目もある。唇がゆがんで、身じろいだ瞬間、自分は包帯だらけの彼女の上半身をそっと寄せた。
ひどく臭いがして、怪我をもう少し治したら真っ先に風呂に入れてやりたい。
石畳に靴音が響き渡る。
軍服と寒冷地対応のマントを身に着けた小隊長に昇格したミリルだった。
年の頃は25.長身で、薄い髪色は肩より下まである。細身で甲冑よりも貴族方の上質なタイのほうがずっと似合いそうだ。
「ジョルの妹は!」
尋ねられて、医務室から出たばかりの治療員は口ごもった。
「レイシー」
再度尋ねられて、ぺこりと治療員のレイシーは頭を下げた。
こちらもまだ若い。戦時に駆り出されるぐらいだ、高位の者はそもそも温かい屋敷。中間層も街での院の維持。いつも戦場に呼ばれるのは若い命だ。
女性は、黒髪とフードの中にからやっと尋ねられた事を答える。
「彼女はまだ目を覚ましません、明け方からは熱が出て…。懸命に治療しましたが…その、裂傷や感染症がひどくて」
対する青年はよく分からない顔をしている。最後女性が口ごもった理由が分からなかったのだ。
何度かほかにも見舞いに来るものがいたが、みんな追い返しているが上司となるとまた難しい…。 ジョルの妹の、命だけは助かった。命だけは。
救いなのか、そこに妹の兄が次いでやってきた。
「公子!会議の時間が」
「分かっている。だがお前の妹が」
彼ら2人の執着は深夜に運ばれた今高熱で寝込んでいる少女。ジョルの妹のこと。
「お兄様なら…少しなら」
医務室の女性レイシーは、やっと絞り出すようにして処置室のドアを開いた。
男達は目を見合わせて、「行けよ」「分かりました…」という会話をしている。
レイシーは入室する兄の方をじっと見る。
「深夜に申し訳なかった、助かった。妹を診てくれてありがとう」
「いえ…」
似てない兄妹だなと思ったのだ。がっしりした肩と、背中まで張り詰めた筋肉。弓兵らしい腕のしなやかさが目立つ。衣服は昨夜のままだ。
「優しくお声がけしてあげてください…」
「あ、あ」
「ひどい状態でした。傷はできるだけ塞ぎましたが…」
ジョルもレイシーも、治療室の前から入れず、けれどなかなか下がれないでいる公子にはもはや構えない。
「だ、大丈夫、か…スズカ」
ひとこと、ふたこと。彼は横たわる小さな妹に声をかける。投げ出されたままの彼女の手を触る。裂傷だらけだった腕はもう治っている。
指だけがぴくりと動くがそれだけ。体温は高い。