背中に生えた羽はまるでコウモリのようで、人間ではないけど、神に創造された生物にも見えない。6対の不思議な生き物…。
まだ少年の身体に、不釣り合いなほどに大きい魔族の翼だった。羽ばたく度に嫌な空気を周囲に巻いている。これが瘴気なのか邪気なのか魔力なのかは分からない。
だが隣に立つギールスには明らかな焦りが見えた。
「なんで…」
カノンはそれだけ声に出し、後の気持ちはぐっと抑え込む。荒々しい魔界の風と荒れ果てた大地は世界の終わりのようでもあった。
「ずっと一緒だったよな」
ヴィルが変声期を終えないいつも通りの掠れた声で言う。
「おれたち生まれたときから。なんでお前ばっかりなんだろうな」
嫉妬の目だった。赤く染まっている。来る…そう思った時には、彼の右手は振り下ろされていた。
「離れろ!」
ギールスに促されたまま後ろに無様に飛ぶと、岩場が飛び散り破片が飛んできた。
石が頭を掠め皮膚を裂いていく。
守るものがいない。それは逆にカノン自身も強くなれたし、暴走するきっかけにもなった。
魔法がほとんどないカノンのために何年も掛けてしつらえた短剣を取り出す。
「そんなんでどーする気?俺と戦えるの?」
ヴィルはにこにこ嘲ってくる。
「戦うんじゃない、戦うために来たんじゃない」
「おきれいなこって」
次から次へと衝撃波が飛んでくる。刀と小さな魔力で受けて流していく。
(傷つける物を持つときは傷つけられる覚悟を。持つものは、持たざるものを守るべし)
港町の銀細工師はそう言って鞘ごと持たせてくれた。
あれ、ちょっと待った。この剣…最終的に誰が持ってきた?
(ヴィルだ)
小さな蒼く光る刀身を見て青ざめる。
(まさか)
カンッと硬いものが落ちる音がする。
遠くで避けながらギールスが怒っている。
「正気か!すぐに拾え、童心などもう捨てろ、やつはそれで揺さぶるのがうまいのがなぜわからん!」
強い気流をギールスが太刀を浴びかせて打ち消す。
「こい」
「いいね。まずは邪魔なのを消そうか」
意気消沈したカノンの前に黒髪の剣士が立ちはだかる。ギールスはにやりとまだ余裕の笑みだ。彫り深い顔に冷たい面差しだが、それが嫌みに見えないから、本来は人の醜美のうちでは美形な顔…に当たるのだろう。
本人にその気はないだろうが。
「俺の実力を知らんのか?」
「知ってる。おっかねぇの。だから距離を取ってる」
いくつもの衝撃波を生みながら、ヴィルの背後にはスパークした赤黒いエネルギーが蓄積されていく。
父親の髪色に自分のくせ毛がふわりとついた小さな男の子はとにかく元気で、毎日村中を走り回っている。よく働き、よく笑う。
私も小さなお母さんと笑われたこともあったけど、温かい村の人々のおかげでなんとかやっている。
産んだ時、何歳だっけ。18歳…?
時が経つのは早いもので、今では仲間のティーエと元気に喧々囂々。家の中にまで丸聞こえなんだけど。
赤ん坊が動ける年齢になれば、畑仕事を手伝い、やがて家や冬の間の内職をやり、年下の子守をする。そして年頃になれば出稼ぎにいく。家庭を半ば強制的に作らされ、半年に一度帰ることで縛り付けるんだ。
それが娘だった場合。女余りだった場合。
彼女達が村に帰ってくることは稀だった。
つまりそういうことだ。
ヴィルは手先が器用で、耳が良くて。よく村にくる動物や魔物の襲撃を事前に察知していた。
途中で出会った冒険者が「俺の職はまぁ盗賊みてえぇなもんだ」と言うものだから、なぜか影響されて盗賊なんて自らを名乗ったり…。
たぶんあの人はトレジャーハンターとか斥候とか罠掛け師とか、そういう類なんだと思うんだけどな。
「ヴィルも馬鹿な奴だ」
小さなゴブリンをいとも容易く打ち捨てて、刃が劣化するのを防ぐよう浄化の精霊を呼んでいる。正直ここまで色々と(人間的に)不器用なのに、地と水という最悪な相性の精霊を使いこなす森の民というのは聞いたことがない。
カノンの目には、嬉しそうに飛び回る精霊たちが最後に笑い合って空気に溶けていった。子供の高い声で耳につくけど、きっと自分たちも数年前はこんな感じだったんだろうな。
「残り香を使い、追いかけてくるように誘っているぞ。正気とは思えん」
「やめてくれよ…。そんな器用なやつじゃない」
小さな声で抗議する。
「なぜだ。お前たちは窮地に陥っても奴の肩を持つ。吐き気がするな。それが人間なのだとでもか言うつもりなのか」
「そういうのじゃなくて…」
カノンも両手に魔力を込め始める。二重三重になった障壁がずいぶん遠くまで飛ぶ。森のいくつかの地点でカチリと生命反応があった。
ベッドの中は温かい。優しい身体の曲線を辿る度に、幸福感に包まれる。乱れた髪を撫でつけて耳にかけてやると、彼女の疲れた顔がにこりと笑った。僕のずっと知ってる顔でほっとする。
「鳥が、鳴いてるね」
ムードもそこそこに、外で家畜が朝を告げる。
「今日はずっとこうしていたいな」
そしてふふっと笑った吐息が僕の前髪を揺らす。
「僕は…」
深刻な声音をすぐに察して彼女が改めて見てくる。
「なぁに。言って」
ああ、敵わない。
「ずっとこの村に居たいよ。君とずっと、子供に、孫に、辺境だけど恵まれた豊かなこの地で暮らしてほしい」
「まるで貴方が居なくなるみたい」
ばれてる?と顔で聞くと、バレてますと見つめられる。
「どうかここで暮らしていてほしい。必ず帰るから」
「出稼ぎに行く男の半分は帰ってこないのよ」
うっと言葉に詰まる。
うそよ、って笑ってるけど目が真剣。
「大丈夫。あなたは…カノンは嘘つかない。冗談だって言えない。知ってる」
彼女の包み込むような優しさに触れて、思わず柔らかい裸体をだきこむ。猫のような声がする。
生きて行きたい、君と。力がこもって苦しげな切ない喉の音を聞いた。
でもその前に世界を救わなきゃいけないんだ。