“小宇宙”という概念がある。
「“小宇宙”とは、宇宙(大宇宙)に対応する“人間”のことをいう。
”人間“が、宇宙の構成要素全てに対応する部分を持っていると見なす考え方である。
つまり、“人間”は“小宇宙”であり、宇宙(大宇宙)の’’縮図’’なのである。
この概念は、紀元前からあるという。
そして、この概念は、科学・哲学・芸術・宗教など、幅広い文野に影響を与えてきた。
(ネットより引用・参考)」
“人間”が宇宙の”一部“なのは納得できるが、“人間”が宇宙の“縮図”ときくとどうだろう。
言葉では言い表しきれないくらい、宇宙は果てしなく広く大きく、実体や形を表現することは難しい。
しかし、”自分“が宇宙の’’縮図’’となって、宇宙を体現できるとしたら?
漠然とすごいことだと思った。
自分自身が『宇宙の構成員』ではなく、自分自身が『宇宙そのもの』だと思うことで、なんでもできそうな気がしてくる。
厳しい現実を突きつけられて、絶望してしまうことがある。
このようなときは、自分自身が”小宇宙“だということを思い出すために、宇宙を感じてみる。
夜が明けると、太陽は東から昇っていき、夕方に西へ沈んでいくということ、夜になると、月明かりと星のきらめきがあるということを。
また、今自分にできることを、自分なりにやってみることで、より宇宙を感じやすくなってくる。
そうしていくと、宇宙とつながる細い糸が少しずつ太く丈夫になっていき、”人間“(小宇宙)は、宇宙(大宇宙)とのつながりが徐々に深く大きくなっていく。
そして、”人間“はいつか、『自分自身が宇宙であること』を理解するのではなく、”こころ“で感じ取る。
手のひらは、’’こころ’’で感じ取ったことを表現する手段である。
’’こころ’’で感じ取ったことは、なんらかの手段を用いて忘れずに残しておきたい。そして、’’こころ’’で感じ取ったことを大切にしながら、この宇宙を生きていきたい。
__________________________手のひらの宇宙_______________________________________________。
風はいつも吹いている。
暑い夏も、寒い冬も、どんなときでも。
風はいつもただそこにある。
風にいい風も悪い風もなくて、ただそこに吹く風があるだけだ。
風はときどきわたしたちを試す。
風向きが大きく変わると、どんな行動をとるのか。
目の前にある’’出来事’’に目を背けたくなるときがある。
自分に絶望するときがある。
でも、それはただ風が吹いているのと同じで、そこにただ’’出来事’’があるだけだ。
風と同じで、’’出来事’’にいい’’出来事’’も悪い’’出来事’’もない。
わたしたちは、自分にとって悪い’’出来事’’があると、自分を責めたり、自分がこれまで置かれていた環境を恨んだりする。
しかし、それは風が私たちを試すために用意した’’いたずら’’なのかもしれない。
その’’いたずら’’を受けたときに重要なことは、『どれだけ冷静に自分の今の状況を客観視できるか』だと思う。
自分を責めたり、自分がこれまで置かれていた環境を恨むのではなく、これからわたしは何ができるか、どうしていきたいかをじっくりと考えることが重要である。
一度吹いて過ぎていった風は、もう二度とその場所に戻ることはない。
それと同じように、’’出来事’’は起こる前に戻すことはできない。
しかし、自分が’’今’’に集中して生きていくことで、風は’’いたずら’’から’’おうえん’’へ、与えるものを切り替える。
すると、ときどき向かい風にも遭遇しながらではあるが、追い風に乗ることが多くなって、これまで行ったことのない場所へと辿り着くことができる。
そして、きっとこう思うだろう。「’’いたずら’’な風がなかったら、今自分の目の前に広がる景色はみれなかっただろう」と。
その景色がどのようなものであっても、その景色にいいも悪いもない。ただその景色をいい・悪いと捉えた自分がいるだけだ。
そして、その場所に着いたら、わたしが本当にみたかった景色はここではなかったと、また新たな場所へと向かうために進み始める人、ひとまずここに留まり、新たな場所へと向かう準備ができ次第進み始める人、ここがわたしのみたかった景色だとそこに留まる人に分かれる。
最終的に、人はいつか自分が留まる場所、留まりたいと思う場所をみつけ、その場所を’’人生の拠点’’として生きていく。
’’人生の拠点’’に辿り着く過程のなかで、自分が’’今’’に集中して、今この瞬間を大切に生きることが大切だ。
すると、風は’’おうえん’’を与え、今この瞬間に心地のよい風を吹かせてくれる。その風が’’人生の拠点’’に辿り着くための追い風となる。
’’人生の拠点’’は、他人の価値観に影響を受けてはならない。自分のみたい景色は、自分が心からいいと思ったものでなくては、その’’人生の拠点’’の居心地はあまりよくないだろう。
そのため、’’人生の拠点’’に辿り着くタイミングが早いか遅いかに、いいも悪いもないのだ。
焦らずに、ゆっくりでも確実に自分だけの’’人生の拠点’’に辿り着こうという思いを持ち、妥協せずに進んでいくことが大切なのだ。
わたしに、あなたに、今吹いている’’いたずら’’な風が、いつか自分だけの’’人生の拠点’’に辿り着くきっかけとなる風となりますように。
「さあ行くんだ その顔を上げて
新しい風に 心を洗おう
古い夢は 置いて行くがいい
ふたたび始まる ドラマのために
【ゴダイゴ 銀河鉄道999より】」
___________________________いたずらな風________。
わたしは感受性が高い。
感受性が高いという状態は、感情を“心のアンテナ”に例えると、’’ほんの小さな電波であっても感じ取るアンテナ’’を指すと思う。
ほんの小さな電波は、常に存在しているものであるが、それを『受け取る人』と『受け取らない人』に分かれる。
『受け取る人』の中には、受け取りたいと思ってないのに受け取ってしまう人がいる。
『受け取る人』は、“心のアンテナ”(視覚、聴覚などの感覚)が受け取った分の電波(情報)を、全て同時に“心のテレビ”へ映し出そうとする。
“心のテレビ”(情報からの解釈)は、本来、受け取った電波をほとんどそのまま映像にして映す。しかし、『受け取る人』の’’心のテレビ’’は受け取った電波を正しくキャッチできないため、事実とは少し異なるように映る。
そして、それみている”心”(感情)が混乱してパニックになってしまう。
例えると、AさんはBさんと話していて、Bさんは疲れていて表情が暗く、気だるそうにしているだけなのに、AさんはBさんがいつもと違うことに気がついて、Bさんは自分といるからこんな様子なんだ、自分は嫌われていると思い、悲しむという状況である。
感受性が高いことで、わたしは今まで何度も悲しい思いや苦しい思いをしてきた。
受け取ったことについて悩んだとき、人に相談すると、考えすぎだ、気にしなければいいといわれるが、気にしないようにすればするほどわたしは気にしてしまって、状況は変わらなかった。
このようなことを何度も経験する度に、感受性が低ければどれだけいいかと思った。
私は、感受性が高くなり苦しむときは、“他人からの評価”を気にしていることに気がついた。
顔色や話し方、声の高さなどを、神経を研ぎ澄まして“心のアンテナ”で受信して、“心のテレビ”に映し出すことで『相手に嫌われてないか』を確認し、“心”で安心しようとしていた。
しかし、“他人からの評価”を気にしすぎると、その評価が低いと判断したときに、自分の価値を認められず、自分に自信を持てなくなる。
そして、わたしは自己肯定感が極端に低くなっていってしまい、感情が落ち込んでいってしまい、涙が止まらなくなって、これまでの環境から距離を置かなければならない状況になった。
わたしは最近、感受性が高いことは決して悪いことだけではないのではないかと考えるようになった。
わたしはこれまで、感受性が高いという特性を、『相手に嫌われてないか』を確かめるためだけに使っていた。
しかし、感受性が高いと小さなことでもうれしいと感じられたり、幸せだと思えたりする。
また、人の表情や様子から、小さな変化にも気がつける。
気がついた後には、’’思いを受け止めようとする姿勢’’で話をきくことで、思いに寄り添い、張り詰めていた気持ちが少し楽になるかもしれない。
わたしは、これまで感受性が高いという特性を、自分に対する負の感情を感じ取ることだけに使っていたと思う。
しかし、これからは、自分が幸せになるようなことや、だれかの幸せにつなげられるようなことに使いたいと思う。
わたしは、生まれてから今まで、どれだけの涙を流してきたのだろう。
そして、どんな理由の涙を流したのだろう。
わたしは、’’他人からの評価’’を気にして、ネガティブな感情に飲み込まれて流した涙が一番多かったと思う。
そして、そのネガティブな感情には、悲しみや苦しみ、悔しさ、寂しさなどが含まれていて、それらが混ざり合い、’’濁った涙’’となって流れる。
しかし、今冷静になって考えてみると、’’他人からの評価’’は、わたしの間違った捉え方によって、’’わたしが勝手に作り出した評価’’だったのかもしれない。
わたしは嫌われていると思っていたが、ほんとはわたしにそこまで関心がなく、嫌いでも好きでもどちらでもなかったかもしれない。
そもそも、’’他人からの評価’’をよくして、自分の人生はよくなるのだろうか。
‘’他人からの評価’’をよくしようと、自分をの信念を曲げる生き方をしていけば、人間関係は割とよい状態をキープできるかもしれない。
しかし、このような生き方を生涯続けると、自分がいつか永遠の眠りにつくときに、「自分の人生は他人のための人生だったのか」と思うことになるかもしれない。
もちろん、’’他人からの評価’’を全く気にしないようにしては、社会ではうまく生きていけないだろう。
大切な人のために、自分のやりたいことをがまんしなければいけないこともあると思う。
しかし、人を傷つけることだったり、法に触れたりすることでなければ、自分のやりたいことができるチャンスが巡ってきたときに、最初から絶対無理だと諦めるのではなく、ここだけは譲れないという自分の信念を貫き、誰からどう思われようが自分の人生を生きようと開き直ることで、最期のときに「いろいろあったけど、自分の人生は自分らしくて最高だった」と思えるのではないか。
‘’他人から評価’’を気にして、ネガティブな感情が混ざり合って流す涙が’’濁った涙’’であるなら、自分の信念を貫いて選んだことを、ときどき失敗したり、路線変更をしたりしながら、がむしゃらに生きる過程で、100%自分の感情で流す悔しい、うれしい涙が、’’濁りのない透明な涙’’となるのではないか。
最期のときに流す涙が、生きてきたなかで最も’’濁りのない透明な涙’’となるように願いを込めて。
________________________透明な涙___________。
わたしは、あなたと初めて会った日のことを覚えていません。
なぜなら、そのときわたしは生まれたばかりだったからです。
わたしは、あなたがそばにいるのは当たり前の事だと思っていました。
スーパーで買った海苔巻を、あなたといっしょに食べるときがすきでした。
あなたのしわしわになった手は、血管が浮き出て、毛穴が見えないくらい、つるつるしていました。
わたしの手とは全然違っていることを話すと、ニコニコしながら手を見せて握らせてくれました。
あなたはわたしがものごころついたときには、歩くときに杖をついていました。
わたしは小さな手で、あなたが転ばないように支えようとしました。
しかし、そんな心配とは裏腹に、あなたはふらつきながらも確実に一歩ずつ歩を進めていましたね。
あなたは毎日、食前に養命酒を飲んでいました。
わたしは、これがあなたの健康の秘訣なのだと思いました。
わたしが成長していくにつれて、あなたといっしょに過ごす時間はだんだんと少なくなっていきました。
たまに遊びに行ったときには、笑顔で迎えてくれました。
わたしはあなたの笑顔を見ると、学校にうまく馴染めなくても、「ここにわたしを受け入れてくれる場所がある」と、なんだか安心した気持ちになりました。
あなたのおかげで、わたしは明日もがんばろうと思えました。
ある日、あなたが倒れて病院へ運ばれたと連絡がきました。
その何日かあとに、あなたは家に帰ってきました。
あなたは、わたしをみても誰かわからないといった様子でした。
わたしがあなたの手を握ろうとしたときに、あなたは声を荒げてわたしの手を振り払いました。
わたしは、あなたがわたしを忘れてしまったことが悲しくて、しわしわの手を握らせてもらえなかったことが悲しくて、あなたのことは大好きなのに、この悲しいきもちをどうしたらいいのかわからなくなって、気づいたらあなたと“こころのキョリ“を置いていたようです。
毎回、もしかしたら思い出すかもと淡い期待を抱いて、あなたに会いにいきましたが、思い出す様子はありませんでした。
しかし、ふとしたときに、なぜだか説明はできないし、気のせいかもしれないけれど、わたしのことがわかっているのかと思う瞬間がありました。
しばらく経ってもあなたは変わらなくて、最初は大声を上げたときに「大丈夫?」と気にかけていたけれど、次第に慣れてきて、あまり気に留めなくなっていました。
次第に、あなたに会いに行ったときに、あなたといっしょに過ごす機会は少なくなりました。
それから、あなたは緩やかだけど確実に衰弱していきました。
あなたが永眠したと知らせをきいて、あなたに会いにいくと、横になって冷たくなっていました。
あのとき、わたしはあなたとの楽しい思い出がたくさんあるはずなのに、それを思い出せなくなるくらい、後悔のきもちが大きかったです。
あなたは、わたしのことがわからなくなっていたけれど、わたしはそのことを言い訳にして、あなたと向き合おうとすることができなかった。あなたと直接話すことが難しくても、いっしょに過ごすことはできたはずなのに。
わたしは、あなたの死を受けいれることができなかった。もうあなたには会えないなんて。そんなのうそだよね。
お葬式のときも、受け入れることができないまま、あっという間に時間が過ぎていきました。
あれから何年も月日が過ぎましたが、わたしは今、あなたの死を受け入れることができているのでしょうか。
こうやって書いている間にも、涙が溢れて止まらなくなりました。
この涙は、受け入れていないからなのか、受け入れたからなのか。
どちらにしても、時間は止まることなく進み続けているので、わたしはその流れについていかなければならないと思っています。
あなたは今どこでなにをしていますか。
あなたは、この“セカイ”にはいないけれど、あなたの“想い”はわたしのなかにあると思います。
想い(おもい)は重い(おもい)と同じ読み方をします。
これは偶然なのでしょうか。
わたしはそうではないと思います。
あなたの“想い”は重力に従っているため、わたしの“セカイ”で、わたしのなかで生き続けているということだと信じていたいのです。
たまにでいいので、わたしのことを思い出してほしいです。
あなたが思い出してくれると、理由もなく小さな勇気が湧いてきて、それが次第に大きくなっていく気がするのです。
勇気がある限り、なんどつまづいて転んでも立ち上がることができるのではないかと思います。
いつか、わたしが長い旅を終えて、あなたのもとへたどり着くことができたときには、わたしはまずあなたの方へ走って行き、あなたを抱きしめるでしょう。
あなたのぬくもりを感じて、うれしいきもちとこれまで会えなかった寂しいきもちが混ざり合い、涙がたくさんあふれてくるでしょう。
そして、あなたは、わたしのことを忘れていたとき、「意識の海の深い深いところでは、あのときもちゃんと覚えていたよ。」きっとそう教えてくれるでしょう。
その後は、わたしが旅で会った人々や、その人々との思い出、経験して学んだこと、うれしかったこと、かなしかったことなど、おそらく一晩では足りないくらい、あなたに話したいことがたくさんあることでしょう。
あなたの話も合わせたら、少なくとも二晩は必要かもしれません。
わたしの大切な人たちもあなたに紹介したいです。あなたの大切な人たちとも話してみたいです。
たくさん人が集まってきたら、みんなで運動会をやってみたいです。あなたは、きっとわたしよりも速く走っているような気がします。
あのときの後悔はあなたに会ったときに謝ることで示すのではなく、これからの生き方であなたに示したいと思います。
長い旅を終えてあなたのもとへたどり着くそのときまで。気長にまっていてください。
________________________________________あなたのもとへ_______________________________________。
いつの間にか、気がついたら、“おとな”になっていた。
”こころ”は小学生くらいで成長が止まり、“からだ”だけが成長していったように感じる。
こどものときは、自分が“おとな”になることが考えられなかった。
理由もなく、永遠に“こども”のような気がしていた。
そもそも、“おとな”になるってどういうことなのだろう。
お酒が飲めること?タバコが吸えること?働けること?
わたしは年齢ではとっくに“おとな”になっているが、“こころ”の成長が止まっているので、「これらができるようになったから“おとな”になったのだ」と、逆の方法で理解しようとしていた。
しかし、“からだ”が“おとな”になったからできることをやっていても、“こころ”が“こども”のままであるため、社会に出ると“おとな”として働くことが難しくなり、“こども”と“おとな”を彷徨うことになった。
わたしは彷徨っている期間、“おとな”として会社に貢献できなかったことを悔やみ、仕事を教えて下さった方々に対する申し訳なさ、学校の学費を援助してくれた家族の期待に応えられなかったことに対する後悔の気持ちが徐々に膨らんでいった。
考えても仕方がないことを考え続けて、その膨らみは増していった。
お母さんは、わたしが仕事に行かなくなった後、わたしに「やめるんだったら次のところみつけないとね」と言った。
わたしもそうするべきだと思って、すぐに求人を調べた。
しかし、調べている間にも、ついこの前までしていた仕事のことを考えてしまっていて、集中することできなかった。
そのうち、自分ではどうしようもないくらいに追い込まれてしまった。自分がこの世界でひとりぼっちのような気がして、ただただ不安で仕方なかった。
心療内科へ行き、カウンセラーの方に泣きながら話し、お母さんにもいっしょに話をきいてもらった。
お母さんは、話をきいた後、仕事を探すことについてはなにも言わなくなった。
それでも、わたしは早く働かなければと焦っていた。
わたしは自分がこれから社会へ戻れるようになるのか、そんなときは本当にくるのか。
信じることができないまま、しばらくたったときに、ある本に出会った。
その本は、ミヒャエル・エンデ著『モモ』だった。
この本の副題は、『時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語』とある。
わたしは、この副題がどういう意味なのか気になって読み進めた。
この本を読んで、そのときのわたしに刺さった言葉がある。道路掃除夫ベッポがモモに対して言った言葉である。
「とっても長い道路を受け持つことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。(中略)いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、次のひと呼吸のことだけ、次のひと掃きのことだけ考えるんだ。いつもただ次のことだけをな。すると楽しくなってくる。これが大事なんだな。楽しければ、仕事がうまくはかどる。こういう風にやらにゃあだめなんだ。【ミヒャエル・エンデ著 『モモ』より】」
わたしはこの言葉をきいたとき、はっとした。
わたしはいつもゴールに向かって頑張ってきた。テストでいい点数を取るために勉強を頑張る。大会でいい賞をとるために練習をがんばる。いつもわたしにはゴールがあった。
しかし、就職してからは、ゴールを見失ってしまった。
わたしは上司のように、効率よく仕事ができるようになるんだろうか。こうやって失敗するのは最初だけで、徐々に失敗が少なくなるんだろうか。いつまでここで働くんだろうか。
そして、ずっと先のゴールがみえないことに焦り、わたしは働くことができなくなった。
わたしは初め、道路掃除夫ベッポの言葉を100%信じることはできなかったが、きっとこのことは間違いではないという確信がなぜだかあった。
この日から、わたしは“今“に集中することを意識した。
”今“みているお笑い芸人の漫才、”今“食べているカレーの味と香り、”今“聞いている音楽、”今“身体を温めてくれている布団の感触、”今“つけたお香の香り。
すぐには難しかったが、少しづつ”今“に集中できるようになった。
そして、自分の性格や考え方のクセ、なにが得意で苦手なのか、自己分析をすることを始めた。
また、’’今’’に集中するようになってから、’’無駄’’な時間というものはないとわかった。
それは、『モモ』を通して、時間についての考え方が変わったからである。
それまでは、時間を大切にするということは、’’無駄’’な時間を削って、その分有益になることをすることだと思っていた。
しかし、『モモ』では、灰色の男たちの言葉を信じた大人たちが、時間を倹約すればするほど、さらに時間がなくなり、そして時間よりも大切なものもなくしてしまう。そして、モモを含めた子どもたちが大人たちの異変に気づき、時間どろぼうたちから時間を取り戻すために動き出す。
このことは、この本の副題の『時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語』にも表れている。
これらのことを『モモ』から学び、わたしは、過去を悔やみ、未来に不安を抱くのではなく、’’今’’に集中して、’’今’’していることは決して’’無駄’’ではないと信じることにした。
また、お母さんを含めた家族みんなが、わたしと仕事以外の楽しい話をたくさんしてくれた。
このような日々を過ごしてしばらく経ったある日、ふとしたときに”自分はもう大丈夫だ“と思える瞬間があった。
この瞬間から、目の前の景色がこれまでみたことないくらいキラキラと輝いて見えた。
わたしは、今仕事を探している段階であるが、きっと大丈夫という根拠のない自信がある。
それは、一度つまづいた経験から“立ち直りはじめる”ことができたことが背中を押してくれたからだと思う。
家族は、“そっと”しておくことで、わたしを見守ってくれた。
道路掃除夫ベッポの言葉は、“そっと”わたしに寄り添ってくれた。
このふたつの”そっと“のおかげで、わたしは“立ち直り始める“ことができたと思う。
わたしは、これからも”今“に集中することを意識して、少しづつ自分の”こころの芯“が太くなるように、自分のできることを自分なりにやっていこうと思う。
そして、’’今’’していることは、決して’’無駄’’ではないと信じて、遠回りしてでも自分にできることを探していきたいと思う。
また、この経験を通して、わたしは”こころ“が”おとな“になれないと思っていたが、’’こころ’’は’’おとな’’と’’こども’’のどちらもあっていい、早く’’おとな’’になろうと焦らなくていいのだと思った。
「なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。【ミヒャエル・エンデ著 『モモ』より】」
___________________________そっと_______。