夜、床に就く前、暗くなった部屋に、学習机の間接照明が部屋をほんのりと照らしているのをみたときに、なんだか不思議と安心した気持ちになる。
なんでだろうと思っていたけど、急を要す疑問ではないと思って、これまで深く考えてなかった。
けれど、ふとした瞬間にわかった。わたしが2歳くらいのときに買ってもらって読んでいた絵本で、真夜中に少年と猫が部屋を飛び出して冒険に出かけるという話があった。
わたしは気になって、その本を押し入れから見つけ出した。
夜に冒険に出るというのは、子どもにはできないことを、そのときのわたしはなんとなく理解していた。
だからこそ、そのときのわたしにはできないような、ワクワクするとびきりの冒険に憧れたのかもしれない。
真夜中に自分の部屋から冒険が始まるような、非現実的だけど、ワクワクする、そんな想像をしてみる。なんて、素敵なんだろう。
絵本は”想像の世界”を描くことができる。描かれた想像をみて、読み手は実生活のなかで、さらに想像を膨らます。そして、それが現実でも実現されることもしばしばだ。
想像は”無限大の可能性”がある。想像が現実になるという、信じ難い一説もあるが、あながち間違いではないのかもしれない。
せっかくなら、悲しくて涙が溢れてきたときも、楽しくて仕方がないことを想像してみる。
不安に押しつぶされそうになったときも、情熱を携えて希望ある未来を想像してみる。
これを習慣にできるようにしていくと、その習慣が人生になっていく。
うまくいかなくても、一回、またもう一回と信じてやってみたらいい。自分の人生の実験者は自分で、対象者も自分なのだから。
___________________________ふとした瞬間_______。
人生をマラソンに例えてみる。
このマラソンのゴールが遠く遠く離れていても、ゴールがあると分かれば、途中で歩きながらでも走り続けることができる。
ゴールは、最初からどこかわからない。チェックポイントに着くと、次のチェックポイントを示されていて、次はそこへ向かう。
次のチェックポイントにどれだけ早く着くかは、正直どうでもいい。
そのチェックポイントへ向かうまでの過程が大切だ。
早く着いた方がいいのではないかという疑いの気持ちは、今も抱き続けているのだが。
ゴールは、”死”だ。”死”というゴールに向かって、今日も走っている。
どんなに人気者のスターでも、どんなに周囲から嫌われている人でも、なんの違いもなく、同じ”死”に行き着く。
今の自分がどんなに情けなくて役立たずにみえても、行き着く先はみんな同じだと思えば、この苦悩も思いっきり笑い飛ばせる日が来るかもしれない。
このゴールがどんなに離れていても、目と鼻の先にあっても、わたしはゴールに向かってときどき歩きながら走り続ける。
そうやって、今日も一歩踏み出せた。
____________________どんなに離れていても_______。
互いに想い合っていても、いつの間にかどちらかの一方通行の想いになっているような、”不確実な愛”という現象は、これまで生きてきた人類の多くが経験してきた。
”不確実な愛”に終わるくらいなら、ほろ苦い恋で終わってほしかった。愛し合わなければ、こんなに悲しくて辛い気持ちになることはなかったのに。
終わってしまった愛にも、確かに想いが通じた瞬間があった。たとえ、もう想いが通じることはなくても、その事実は変わらない。
終わった愛は、セピア色の思い出の棚に”幸せな記憶”として残しておきたい。そう簡単にいくものでもないんだけどね。
“幸せな記憶”がある程度溜まってきたら、きっとまた新たな恋を始めるための準備も整ってくるはずだ。
____「こっちに恋」「愛にきて」_________________。
“あなた”は、この世界でわたしが関わる人すべてだ。
大好きで、これからもずっといっしょにいたいとお互いに思い合う関係。
仲良くも仲悪くもない、すれ違ったらあいさつするくらいの関係。
すごく仲良かったけど、小さなケンカがきっかけで、もう口を聞かなくなった関係。
なんで、わたしと”あなた”が出会ったんだろう。
なにか理由があるのかな。
大好きが大嫌いになったときは特に、出会わなかったらどうなっていたんだろう、出会わなかった方がよかったのかなと思う。
出会った理由を探し出すとキリがない。
理由がわからないとモヤモヤするけれど、それはきっと今すぐに答えを出すことはできない。
この世界で生きるなかで抱く疑問は、答えがないことがほとんどで、テストを解くのとは180度違う。
見つめる鍋は煮えないように、考えても答えが出ないんだから、一旦考えるのを放棄しよう。
何日か、何年か経ったときにふと、分かるときがくるかもしれないし、一生こないかもしれないけど、きっと人との出会いには、ときには小さく、ときには大きな理由があると思っている。
その理由を探すことだけが、人生において重要なことではない。
今は、わたしが出会えて幸せだと思える”あなた”との時間を大切にして、幸せを感じることが、わたしの人生にとって重要なことだと思うから。
_________________________巡り逢い______________。
桜の花が散ると、どんな気持ちになるだろう。
わたしは、まだ見たかった、残念だ、もったいないと、毎年桜の花が散る様子をみる度に思っていた。
桜の花が散るのは綺麗だけど、散った花びらは、もう元に戻ることはない。こんなにきれいならずっと満開だといいのに。
今年も桜はこれまでと変わらず咲き誇った。
満開のときが一番、みにきた人のなかで笑顔を浮かべている人が多かった気がする。
わたしもそのなかの一人だ。
しかし、今年のわたしは、桜が散ったあとも、満開のときと同じ表情になっていたと思う。
今年、桜の花が散ったあと、これまで毎年感じていた”負の感情”がなかった。
桜の花が若葉に移りゆく様子をみるなかで、桜が満開のときと同じくらい閑麗で、かつ、自然の力強さを感じる瞬間がたくさんあった。
桜の花が若葉に移りゆくことを受け入れられた理由に自分自身が変化を受け入れられるようになったことがあるのではないかと思う。
今の生活、家族や友達との関係、自分自身でさえも、変わりたいと思いながら、変わることが怖かった。
ずっと変わらなければいいのにと思っていた。今が永遠に続けばいいのにと。
だけど、ここ最近、”この世界は変化し続ける”ということを、がんばらなくても受け入れられるようになった。
これまで、身体は家の外に出ることができても、こころは硬い殻に閉じこもっていた。
けれど、もう殻は柔らかくなって、いつでも破って出ることができる。
こころが、旅に出る準備はできた。
不安はあるけど、それは当たり前だと思えば割り切れる。
不安と同じくらい希望もあると思えば、勇気が湧いてくる。
さあ、次はどこへ行こうか。
________どこへ行こう__________________________ 。