君はいつも急に姿を現す。
わたしが、うちの近くを歩いているとき、急に視界に”見慣れない何か”が飛び込んできて、びくっとしてその方向をみてみる。
10メートルくらい先のところに、一匹の猫がいた。身体は進行方向を向いているのに顔だけこちらを向けて、じっとこちらを見つめている。ここから先は、君と呼ばせてもらう。
君は、黒と白の毛並みをしていて、身体は猫の中では大きい方にみえた。
遠くて首輪も確認ができず、飼い猫か野良猫かわからなかった。君はごはんをしっかり食べれているのだろうか。
その黒い瞳と目が合うと、引き込まれるような、吸い込まれるような、そんな気がして、少し怖くなってわたしの方から目をそらしてしまう。
心臓の音が5回くらいなったころに、もう一度君の方をみてみると、まだ君はこちらをみていた。
1分にも満たない時間であったが、時間という枠をはみ出して、この見つめ合いが永遠に続いたような気がした。
気がついたら、君は走り出して、スイスイ泳ぐ魚のように、ふわふわと真っ直ぐに空に線を引くひこうき雲のように、小さな坂道を登っていく。
そして、坂を登り切ったら、振り向いてもう一度わたしと目を合わせる。
わたしは君に気がついたときからその場に突っ立っていることに気づき、君を見ながら歩を進めてみた。
すると、何歩か歩いた時に、きみは急に走り出して、わたしは君を見失ってしまう。すこし楽しかったような、哀しかったような、そんな気持ちにひたった。
君に最後にあったのはいつだろう。君は元気にしているだろうか。そんなことをふと考えていたとき、君は現れた。君はコンクリートで作られた境界線の上を悠々と歩いていた。
君はわたしに気づいていないようだったけれど、わたしはきみの元気そうな様子をみれて、とてもほっこりしてうれしい気持ちになった。
たまにでいいから、青空が見える日は、わたしのところにふらっと遊びにきてくれたらうれしいなと願う。
今日も気がついたら君を探していた。
_____________ 君を探して_______________________。
わたしたちは、この世界に生まれ落ちたとき、“こころの色”は透明だった。何色にも染まっていなかった。
すくすく成長して、”ものごころ“がついてきたころ、透明だった“こころの色”は色をつけ始める。
この世界で生きていくなかで、たくさんの人と関わり、たくさんのことを教えられ、たくさんのことを学ぶ。
その過程のなかで、わたしたちは出来事から自分なりの解釈をする。その解釈が、“こころの色”となる。
“こころの色”は、一度色を塗ってしまったら、大きな色の変化は起こせない。
わたしの”こころの色”はいつのまにか濁っていた。これまで歪んだ解釈をしていたからだ。歪んだ解釈は、”こころの色“となってわたしとともにあった。
この歪んだ解釈は、固定観念や常識という言葉として、この世界を蔓延っている。これにより、自分もこれに従って生きていかなければと思い、自分の行動が制限されている。つまり現代の日本は、生きにくい世の中である。この解釈は急には変えられない。
ところで、人生の転機はいつだろう?この質問に対して、私はこう答えたい。人生の転機は、経験をしてきた全ての時間だ。大きな出来事はあっても、それは「”特出したら“このときだ」というものしかない。
”こころの色“は少しづつしか変えられない。だからこそ、丁寧に色を塗り直していくことができるし、きっとその過程の全てが世界と自分をつなぐ架け橋になるから。
“こころの色”は、もう透明に戻すことはできないけれど、透明だったら、気がつくことができなかった大切なこともあるから。
”透明じゃないこころの色“は、わたしたちを苦しめるときもあるが、幸せにするときもある。
そして、それは人生を豊かにすると信じて生きていきたい。
______透明____________________________________。
『終わりは始まり』という。
終わったことはあるけれど、その代わりに始まるものもあると。
終わりと始まりは、対義語である。しかし、始まったものが終わるとまた始めることができる。
このように考えると、それぞれの感情も終わりと始まりがあるのではないかと思う。
例えば、幸せという感情だ。自分にとって苦しくて辛い出来事があり、これまで通りの生活が送れなくなったとする。
「わたしはなにもできない、一歩を踏み出すのが怖い」と人に話す。
こんなわたしの話を聞いて「これはできているんだし、なにもできないことはないよ」と、ノートにまとめながら重い話にも笑顔でそう答えてくれる人。
「あなたの思いつくアイデアは面白いから、それを大切にしてほしい。」といってくれる人。
人がわたしと真剣に向き合って、紡いでくれた言葉にジーンと心が温まる。状況はなにも変わっていないのに、世界がキラキラしてみえる。
この景色は、わたしがこれまで通りの生活を送っていたら見ることのなかった景色だと思う。
これまでの幸せは終わった。しかし、これまでの幸せが終わった後、気がつかないうちに新たな幸せが始まっていた。
わたしは幸せになりたいと思っていたけれど、もう幸せなんだ。もう幸せになっていたんだなと思った。
この世界は、常に変化し続けているけれど、常に終わり、始まっているといえる。
無数にある幸せを見失いそうなときは、次のことを思い出したい。
「幸せは、終わりと始まりを繰り返して、かたちを変えながらわたしのすぐそばにある。」
____終わり、また初まる、_____________________。
星は、地球から遠く離れたところにある。
星は、手を伸ばしても届きそうにない。
わたしは、星が”思い描く夢“に似ていると思う。
星と同じように、夢を描いても、現実では雲を掴む
ような感覚しか残らないときがある。
こんなの到底届くことはないと、諦めてしまうことが多い。
わたしはこんな出来事をよく体験する。散歩をしていて、折り返し地点に到着し、現在地から家まで2kmほどある。2kmはちょっと遠いなと思いつつ、たまに鼻歌を歌ったり、道端に咲いている雑草を観察したりなど、楽しみながら黙々と歩いていく。そうこうしているうちに、気がついたら家の近くだった、という体験である。
この出来事は、わたしに教えてくれた。わたしの思っているほど目標までの距離は遠くないことを。そして、楽しみながら進んでいくと、気がついたら目標に近づいていることを。
達成できそうにないくらい大きな目標を立て、夢を思い描いたときに、こんなの絶対できないと諦めてしまうことがある。
しかし、目標を達成するんだという熱い想いは抱きつつ、楽しみながら目標に向けて進んでいけば、気がついたら目標にかなり近づいていて、達成間近だってことがあるかもしれない。そうしたら、絶対できないと簡単に諦める必要はないと気づくだろう。
半信半疑でも、いつか星に、”想い描く夢“に、辿り着く日が来ると信じて。
________星___________________________________ 。
わたしは、願いがひとつ叶うならば、『誰かの希望になること』を願いたい。
これが欲しいとか、ここに行ってみたいとか、数えきれないほどたくさんの願いがある。そのなかで、わたしにとっての一番の願いは、この願いだ。
わたしはこれまでの人生で、嬉しいこと、楽しいこともたくさんあったし、悲しいこと、苦しいこともたくさんあった。そして、それは今も変わらない。
わたしは、悲しい、苦しいことがあったときに、自分を否定し、暗い気持ちになってしまう。どんどん自分の殻に閉じこまっていになっていき、そこはかとない不安を感じる。
人から嫌われるのが怖くて、これまで人の顔色をみて行動してきた。しかし、全ての人から好かれることは不可能に近い。
それなら、自分らしく堂々と生き抜こうと決めた。
そして、わたしの苦しみ、悲しみが、誰かの希望になるような、そんな生き方が、わたしにとっての一番の幸福であり、願いだと思った。
誰かに、わたしの苦しみ、悲しみを癒してもらうのではない。誰かに、わたしの苦しみ、悲しみについて話したあと、わたしの話を聞いた誰かの苦しみと悲しみに、わたしの体験を合わせて、自分にも希望を見出せたら、わたしもその苦しみと悲しみを“希望”に変えることができるのではないかと思う。
『誰かの希望になること』
今日もこの願いを強く願う。
________願いが1つ叶うならば___________________。