M.E.

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いつの間にか、気がついたら、“おとな”になっていた。



”こころ”は小学生くらいで成長が止まり、“からだ”だけが成長していったように感じる。

こどものときは、自分が“おとな”になることが考えられなかった。

理由もなく、永遠に“こども”のような気がしていた。



そもそも、“おとな”になるってどういうことなのだろう。

お酒が飲めること?タバコが吸えること?働けること?

わたしは年齢ではとっくに“おとな”になっているが、“こころ”の成長が止まっているので、「これらができるようになったから“おとな”になったのだ」と、逆の方法で理解しようとしていた。



しかし、“からだ”が“おとな”になったからできることをやっていても、“こころ”が“こども”のままであるため、社会に出ると“おとな”として働くことが難しくなり、“こども”と“おとな”を彷徨うことになった。



わたしは彷徨っている期間、“おとな”として会社に貢献できなかったことを悔やみ、仕事を教えて下さった方々に対する申し訳なさ、学校の学費を援助してくれた家族の期待に応えられなかったことに対する後悔の気持ちが徐々に膨らんでいった。

考えても仕方がないことを考え続けて、その膨らみは増していった。



お母さんは、わたしが仕事に行かなくなった後、わたしに「やめるんだったら次のところみつけないとね」と言った。

わたしもそうするべきだと思って、すぐに求人を調べた。

しかし、調べている間にも、ついこの前までしていた仕事のことを考えてしまっていて、集中することできなかった。

そのうち、自分ではどうしようもないくらいに追い込まれてしまった。自分がこの世界でひとりぼっちのような気がして、ただただ不安で仕方なかった。



心療内科へ行き、カウンセラーの方に泣きながら話し、お母さんにもいっしょに話をきいてもらった。

お母さんは、話をきいた後、仕事を探すことについてはなにも言わなくなった。

それでも、わたしは早く働かなければと焦っていた。



わたしは自分がこれから社会へ戻れるようになるのか、そんなときは本当にくるのか。

信じることができないまま、しばらくたったときに、ある本に出会った。



その本は、ミヒャエル・エンデ著『モモ』だった。

この本の副題は、『時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語』とある。

わたしは、この副題がどういう意味なのか気になって読み進めた。



この本を読んで、そのときのわたしに刺さった言葉がある。道路掃除夫ベッポがモモに対して言った言葉である。

「とっても長い道路を受け持つことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。(中略)いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、次のひと呼吸のことだけ、次のひと掃きのことだけ考えるんだ。いつもただ次のことだけをな。すると楽しくなってくる。これが大事なんだな。楽しければ、仕事がうまくはかどる。こういう風にやらにゃあだめなんだ。【ミヒャエル・エンデ著 『モモ』より】」



わたしはこの言葉をきいたとき、はっとした。

わたしはいつもゴールに向かって頑張ってきた。テストでいい点数を取るために勉強を頑張る。大会でいい賞をとるために練習をがんばる。いつもわたしにはゴールがあった。

しかし、就職してからは、ゴールを見失ってしまった。

わたしは上司のように、効率よく仕事ができるようになるんだろうか。こうやって失敗するのは最初だけで、徐々に失敗が少なくなるんだろうか。いつまでここで働くんだろうか。

そして、ずっと先のゴールがみえないことに焦り、わたしは働くことができなくなった。



わたしは初め、道路掃除夫ベッポの言葉を100%信じることはできなかったが、きっとこのことは間違いではないという確信がなぜだかあった。



この日から、わたしは“今“に集中することを意識した。



”今“みているお笑い芸人の漫才、”今“食べているカレーの味と香り、”今“聞いている音楽、”今“身体を温めてくれている布団の感触、”今“つけたお香の香り。



すぐには難しかったが、少しづつ”今“に集中できるようになった。

そして、自分の性格や考え方のクセ、なにが得意で苦手なのか、自己分析をすることを始めた。



また、’’今’’に集中するようになってから、’’無駄’’な時間というものはないとわかった。

それは、『モモ』を通して、時間についての考え方が変わったからである。



それまでは、時間を大切にするということは、’’無駄’’な時間を削って、その分有益になることをすることだと思っていた。

しかし、『モモ』では、灰色の男たちの言葉を信じた大人たちが、時間を倹約すればするほど、さらに時間がなくなり、そして時間よりも大切なものもなくしてしまう。そして、モモを含めた子どもたちが大人たちの異変に気づき、時間どろぼうたちから時間を取り戻すために動き出す。

このことは、この本の副題の『時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子モモのふしぎな物語』にも表れている。



これらのことを『モモ』から学び、わたしは、過去を悔やみ、未来に不安を抱くのではなく、’’今’’に集中して、’’今’’していることは決して’’無駄’’ではないと信じることにした。

また、お母さんを含めた家族みんなが、わたしと仕事以外の楽しい話をたくさんしてくれた。



このような日々を過ごしてしばらく経ったある日、ふとしたときに”自分はもう大丈夫だ“と思える瞬間があった。



この瞬間から、目の前の景色がこれまでみたことないくらいキラキラと輝いて見えた。



わたしは、今仕事を探している段階であるが、きっと大丈夫という根拠のない自信がある。

それは、一度つまづいた経験から“立ち直りはじめる”ことができたことが背中を押してくれたからだと思う。



家族は、“そっと”しておくことで、わたしを見守ってくれた。

道路掃除夫ベッポの言葉は、“そっと”わたしに寄り添ってくれた。

このふたつの”そっと“のおかげで、わたしは“立ち直り始める“ことができたと思う。



わたしは、これからも”今“に集中することを意識して、少しづつ自分の”こころの芯“が太くなるように、自分のできることを自分なりにやっていこうと思う。



そして、’’今’’していることは、決して’’無駄’’ではないと信じて、遠回りしてでも自分にできることを探していきたいと思う。



また、この経験を通して、わたしは”こころ“が”おとな“になれないと思っていたが、’’こころ’’は’’おとな’’と’’こども’’のどちらもあっていい、早く’’おとな’’になろうと焦らなくていいのだと思った。








「なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。【ミヒャエル・エンデ著 『モモ』より】」








___________________________そっと_______。

1/15/2025, 9:37:44 AM