『時を告げる』
城の舞踏会に突然現れた私はその場にいた全員の視線を一身に集めても少しもうろたえたりなんかしなかった。私を見つめた王子が息を呑む様子が見て取れる。私に歩み寄ってきた王子が緊張でかたどたどしく踊りを申し込んできたのを恥ずかしげに、けれど恭しく受けた私は王子と見つめ合い踊りながらも別のことを考えていた。
舞踏会に行くことを継母やその娘たちに許されなかった私は押し付けられた雑用に励みながらも、ふと手を止めたときには王族や貴族たちが揃うという舞踏会のことを思い、知らずお城の方へと視線を向けていた。その度に、私のようなみすぼらしい女が行っても誰も相手にはしないだろうとも思っていた。そこに突然現れた魔法使いは私を見違えるように変身させ、舞踏会へと私を送り込んでくれた。0時の鐘が鳴り終わると魔法は解けてしまうと忠告を残して。
誰にも相手をしてくれないだろうと思っていた私は確かにいた。だから今そんな思いが微塵もない私はほんとうに私なのだろうかと思えてくる。
「私が、」
私がほんとうはただのみすぼらしい女でも、また踊りを申し込んでくれますか?
そう尋ねようとしたときに0時を告げる鐘が鳴る。名前も告げず言葉を交わすことなく見つめ合うひとときを惜しみつつも私は王子の手を振り払い、その場を駆け出した。
『貝殻』
側面に穴がいくつか空いた虹色に淡く輝く平たい貝殻を息子はためつすがめつ見つめている。会食の席で出されたアワビの煮物の皿になっていた貝殻を持ち帰って息子に見せてやると、貝殻はその日のうちに息子の宝物コレクションのトップにランク入りした。その貝殻は息子の興味を貝自体へと大きく舵を取らせることになっていく。
手始めに貝類の図鑑をせがまれて買い与えると隅々までつぶさに読み込む日々が始まった。アサリの貝殻欲しさに1週間ほど食卓にアサリが並ぶこともあれば、貝殻を拾いに行きたいと週末ごとに海へと通いつめることもあった。息子が回転寿司店で初めてアワビを口にしたときには味を噛みしめるということを体現するかのように時間をかけて味わっていた。ちゃんとした寿司店で下駄に乗ったアワビを口にした時のことは言わずもがなである。
それから月日は流れゆき、息子は貝類学者となっていた。国内のみならず世界をも飛び回っており、各地から絵葉書が届くことがある。かつては煮物の皿であり、息子の宝物コレクションのトップを飾っていた平たい貝殻は今も変わらず家に鎮座していて、今日新しく届いた絵葉書と共に虹色に輝いている。
『きらめき』
友達に誘われて地下アイドルとやらのライブにやってきたはいいものの、常連ファンの気持ち悪いほどの一体感とそれを冷えた目で見る自分との温度差に居心地の悪さを感じて後ろの方で壁を背にアイドルたちを眺めていた。
客観的に見ていると、どのメンバーも同じ衣装で似たりよったりかと思っていたのが、歌が上手い子や踊りにキレがある子などそれぞれ個性があることに気付く。
そんな中、ふと真ん中にいた子と目が合った気がした。するとその子はすかさず指ピストルでこちらを明確に狙ってきた。目が合ったのは気のせいではないというファンサービスを見せた彼女はまた歌と踊りへと戻っていく。それまで特に何も思っていなかった子がなんだか輝いて見えるのは気のせいではないのだろうか。結局、ライブが終わるまでその子のことを目で追うようになってしまった。
『些細なことでも』
朝。夏休み中にはまだ寝ていたような時間にノロノロと起き上がり、重く息を吐いてから階段を降り、朝ごはんを食べ、制服に着替えて玄関に立った。
足取りは重いものだったがとりあえず歩いていれば学校に着く。学校に着きさえすれぱあとはなんとかなる。そう思って教室へと入ると、およそ一ヶ月ぶりの同級生たちの姿になんだか少しほっとした。
「今の気持ちを当ててみせよう」
突然に声を掛けてきたのは、髪を切ったことにすぐ気づいたり、なんだか気分が乗らない日の調子をズバズバと言い当てるような察しの良いやつ。
今日はどうだろうか。意味ありげな間をひとつ置いてから彼は指をビッと立てて口を開いた。
「“今日も休みだったらよかったのに”」
「それ、クラスの全員同じこと思ってたと思う」
「……俺も思った!」
そんな些細なことでふたりとも笑えたので、久しぶりの学生生活は今朝と比べたら格段になんとかなりそう感が強まってくれた。
『心の灯火』(沈黙 -サイレンス-)
本来ならば誰にも侵されることのない信仰の自由を、はるか東に住まう顔も知らぬお殿様は許すことができなかったらしい。
信仰を捨てよという命令に背いた私は、同じように命令に背いた村の同胞たちと共に波打ち際に立てられた十字架に貼り付けられていた。役人たちは命乞いをしない私たちに気味の悪いものを見るような目を向け、信仰を捨てた村人たちはみな一様に目を伏せて、あるいは目に映らぬようにその場から隠れていた。そのうちに十字架のひとつからぽつりと口ずさまれた讃美歌がひとりまたひとりと続いて合唱となっていく。役人たちは黙れと言っていたようだが誰もやめようとはしなかった。
やがて潮が満ちゆき、海が穏やかに私たちに打ち寄せる。合唱はひとり減り、ふたり減り、いつしか独唱となっていた。私たちの信仰は最期まで心に灯って消えることはない。殉じることに恐れはない。神は見ていてくださる。
歌声が途絶えて波の音だけが響く海辺を役人と村人たちはしばらくの間呆然と見つめていた。