『開けないLINE』
スマートフォンのホーム画面に今年もメッセージが来たと通知が入る。
「いつまでも面倒なやつだ……」
俺が通知を見て舌打ちをしたのをキッチンに立つ妻や絵本を読むこどもは気づかない。壁に掛かるカレンダーを見ると今日の日付は去年も一昨年もその前の年にもメッセージが届いた日付と同じだった。
差出人は前の妻。正確に言うならば、3年ほど前に別れてほしいと切り出したときに刃物を持ち出され、揉めた末に殺してしまった面倒な女。
あの女の持ち物は箱に詰めて床下のあの女とともにある。誰かがあの女を騙っているのかもしれないが、わざわざ日付を指定してメッセージを送ってくる奴は一人しか思い当たらない。当然、開いてやり取りする気には到底なれない。
「絶対に別れない」
あの女が包丁を手にしていたときの目を思い出しかけてあわてて強く目を瞑り、頭から振り払う。
こどもがその様子に気づいて心配そうに声を掛けてくれ、妻も気遣わしげな視線を送ってくれる。ふたりとも、床下に人がいることなど露ほども思ってはいないだろう。
「なんでもないよ」
かといって教えてやる気も露ほどもない。スマートフォンの通知をスライドして流し、また1年を憂鬱に過ごすことにした。
『不完全な僕』
両手両足頭で五体。生まれる前から頭が無かった僕は母の胎から出てきたときに母の目に触れることなくこの世から消された。僕を取り出した産婆は母に死産だったと伝え、母は喜びから一転して絶望に陥った。
次に生まれるときは頭がついているといいな。そう思ってからずいぶんと時は過ぎた。生まれる機会は何度もあったけれど、どうしてか五体のうちのどれかが欠けてしまう。生まれてもどれかがないと知った母からは拒絶され、あるいは産婆の判断で亡き者にされ、いつまでも生まれ育つ事ができなかった。
自分の業がそうさせているのだろうか。覚えていることを遡ってみると、何百という虫の脚や頭を無邪気にむしっていたことを思い出した。一寸の虫の五分の魂が何百と集まって僕の体をむしっているらしかった。
もうそんなことはしませんと初めて思ったとき、僕は生まれ出た。片腕のない僕を見ても母はかわいい子と言って笑っている。この時代には産婆はおらず、白衣を着た医師や看護師たちは僕の姿を見て戸惑っていたが、母の様子を見て僕を生かす方向へと舵を取ることに決めたようだった。
草むらからぴょんと跳ねたバッタが現れた。
「お母さん!虫!!」
「あらあら」
バッタを見てから母の背中に隠れるまでわずか数秒。あなたは昔から虫が苦手ね、と母が笑う。小さいときから虫の姿を見るとなぜか体が拒否反応を起こしてソワソワしてしまうのだった。母の背中に縋りながらバッタの様子を伺うと、何か言いたげにこちらを鋭く一瞥したバッタはやがてぴょんと跳ねて草むらへと消えていった。
『香水』
人混みの中で嗅いだことのある香りとすれ違い、記憶が遡る。都会に出てきたばかりの若かりし俺は夜の街で働く年嵩の女にいっとき飼われていた。飼われることに嫌気がさして都会を飛び出し、十年近くを経て戻って来たときにはあの人は消息不明となっていた。
何も持っていない俺のどこに価値を見いだしていたのかはあの人の年に追いつこうとしている今でも自分にはわからない。俺が女であったならわかってやれただろうかなどと詮無きことを思う。
白粉と香水の混じり合った香りが幻のように立ちのぼる。人混みの中で振り返っても、そこには俺の後悔が影のように立ち尽くして消えていくだけだった。
『言葉はいらない、ただ・・・』
部屋のドアをあけるとそこにいたのは傷だらけになった彼だった。どこから帰ってきたのかはわからないし、何があったのか誰にやられたのか、問うてはみたが彼はただ悔しさを滲ませて押し黙っている。なんだか小さなこどものようだ。そう思ってしまったので彼に寄り添って抱きしめるのも自然なことに思えた。腕の中で驚いて固まったのはしばしのことで、それから間もなく彼は静かに震えて泣いていた。
もういい、とぶっきらぼうな声が聞こえて体を離すといつもどおりになった彼がいた。なかなか視線が合わないのを微笑ましく思いつつ、傷の手当のために彼を部屋へと招き入れた。
『突然の君の訪問。』
小学生ぐらいのことだったか。学校行事で山登りをしていると登山道の傍らに小さく細いヘビを見つけた。口元からちょろちょろと舌を出してはいるがその場から動かないでいるのを、おなかが減っているからだと解釈した私はリュックからタッパーを取り出した。
「梨、食べる?うちの庭に今年初めてできたんだよ」
カットされた梨を爪の先でちぎってヘビの口元にやるとヘビはしばらくじっと見つめたあとに口へと運び、ムグムグと飲み込んだ。もっとかまってやりたかったが、先生や同級生に見つかればちょっかいを出されてしまう。梨の欠片をもう少しちぎって置いた私は後ろ髪引かれつつもその場をあとにした。
それから何年かが経って、今年も庭の梨の木に実がなり、食べ頃を迎えた。
「今年も目ざとく来たね」
あれ以来、梨の実がなる頃に現れるようになったヘビらしき生き物はふわりと浮き上がると梨の木の周りをぐるぐる回ってなにかを催促しているような動きを見せる。ひとつをもぎ取って目の前に差し出してみたけれどその生き物はさらになにかを訴えるような目でこちらを見つめた。
「相変わらず行儀がいいねぇ」
台所で梨の皮を剥き、芯を取って一口サイズにしたものをお皿に乗せて差し出すと、ヘビらしき生き物はそれでようやく梨を口にした。満足げに目を細めて梨の味を堪能するさまはなんだか神様のようだった。