『宝物』
物心ついたころにはすでに孤児となっていた。布にくるまれた赤子であった私のそばには古びた鍵だけがあり、他には手紙も何もなかった。私の親は名前も残さず、この鍵に何を託していったのか。それを気がかりに私は成長し、施設を出られる齢になった。
世の中ではダンジョンの探索が大いに賑わっており、その中でも開かずの宝箱と呼ばれるものが世間の噂の的だった。とあるダンジョンにうごめく魔物たちは強大でそれを跳ね除けて辿り着いた奥底には宝箱があるのだという。宝箱までの道中はもちろん、その箱の周りにはこれまでに鍵開けに挑んだ者たちの成れの果てが散っているらしい。
この鍵はその箱のためのものなのではないか。噂を聞いたときからあった根拠のない自信はダンジョンに一足入ったときに確信に変わった。魔物たちがこちらに気づいていてもどうしてか襲ってこない。周りの大人たちが無謀だと引き止めてくれていたのが杞憂に終わるほど、すんなりと箱の前へとたどり着くことができてしまった。
開かずの宝箱と呼ばれるそれに鍵を差し込み回すとカチリと音がする。中に入っていた宝物は遺物と呼ばれるような高尚なものでも今の技術では到底作り得ないマジックアイテムでもなく、私ただひとりに宛てたメッセージだった。私の生い立ち、私の本当の名前、私の役目。それらが父や母とおぼしき幻の姿を借りて語りかけてくる。閉じていた瞳を開いた時、私の中に眠っていたなにかが目覚めたとわかった。
『キャンドル』
学校の教室より少し大きいくらいのイベントスペースにいた人たちが一晩でどこかに消えてしまったという。あとに残っていたのは燃えさしの大きなろうそくと、何本ものろうそくの燃え殻。催事の予定には百物語と銘打たれていた。
会場の照明とおどろおどろしいBGMが絞られて、主催者が最後のろうそくを吹き消したとき、ふと闇が濃くなった気がした。百物語とはいえ、どうせ何も起こらないのだからこれが終わったらバーカウンターで何を飲もうかを考えていた。しかし一向に会場は明るくならないし、バーカウンターの小さな明かりすら見つけられない。怪談に参加していた百人ほどのひとたちの息を潜めるような気配すらもいつの間にかなく、ただひとり闇に放り出されたような気になった。
「なにゆえ喚ぶ」
「は?」
気配もないところから獣の臭気と息遣いがして問いかけられ、思わず間の抜けた返事をしてしまった。闇に溶けたなにものかが苛立ちを纏ってそこにいる。
「なにゆえ煩わせるか」
問いに対しての答えは浮かばず、加えて正体不明のものに対する恐怖が喉元を締め付けた。
「……誰ひとりとして物も言えぬとは」
苛立ちが一層増したように感じたとき、自分の意識かぶつりと途切れた。
希薄になった意識が闇の中を彷徨っている。そこには百人ほどの同じような状態になったひとたちが漂っており、みんな助からなかったのだなとぼんやりと思った。みんながみんな未練のようなものを持っていたが、留まり続けるにはパンチの足りないものばかり。だんだんと密度が薄れていく。
酒が飲みたい。バーカウンターを思い描きながら抱えた未練を思っていたが、次第に何も考えられなくなっていった。
『たくさんの想い出』
面白半分に撃たれた傷が今も疼く。傷が痛むということはまだ生きてはいるということになるが、いつまで保つものか。
街にいたやつらの半数は兵隊たちに収容所と呼ばれる所に集められ、俺のように召集から逃れたり、隣一家のように隠れたりしたものは捜索と称した家捜しによって狩られる対象となった。物陰で兵隊をやり過ごしていた俺は隣家から銃声を何発も聞くことになってしまった。まだ小さな子もいたはずだ。それにその親も。
兵隊の気配が去ってから痛む体を引き摺って隣家へと向かう。金目のものが持ち去られ、荒らされた部屋に一家4人は寄り添わされて血の海に倒れていた。女の子はお人形が大のお気に入りで、親に買ってもらったと言って見せに来るほどだった。男の子は虫好きでよく草むらにしゃがみ込んでは熱心に観察していた。まだ年若い夫婦は貧しいながらも俺を夕食に招いてくれて良くしてくれていた。
かつて夕食を囲んだ食卓。部屋に残る写真。家族の想い出の品ばかりになったそこは踏みにじられ、新たな想い出が紡がれることはない。
遣り場のない怒りで傷の痛みが増してくる。これはきっと家族4人の怒りなのだろう。血の海から人形を掬い上げた俺はそれを胸にそっと抱き、復讐を決意した。
『冬になったら』
冬になったら私にはやりたいことがある。
秋になっても秋らしくないような気候が続いていた。紅葉もしないし霜も降らないおかしな気温は日が沈むと途端に冷え込んで情緒もおかしくなっていく。そのせいで同居する姑はいつにも増して機嫌が悪く、その腹いせのとばっちりが私に来る。
けれどいくらなんでも冬になれば氷は張るだろうし雪も降り積もるだろう。夏とは違って簡単にはものは腐らないし、日は短くて夕暮れも早い。死体を隠しておくにはうってつけの季節だ。
きょうも不機嫌な姑が声を荒げて私を呼んでいる。私がいつものように明るく返事をしていられるのもいずれは冬がやってくるとわかっているからだ。道具はすでに揃えてあり、荷物もちゃんとまとめてある。心離れた夫は家に寄り付かないから発見はきっと遅れるに違いない。
あぁ。冬が待ち遠しくてたまらない。
『はなればなれ』
この手を離せばそれで終わり。一緒に旅をしてきた勇者の仲間たちはそれぞれ魔王を倒した英雄と呼ばれる一個人となる。旅の最中に育まれた絆とは別に生まれた勇者への好意は日に日に大きくなっていたけれど、それをどうにもできぬまま平和は訪れ、それぞれの故郷へと帰る日となってしまった。
「今までありがとう」
握手を求められて、それに応じる。
「君のこと、わたし好きだったよ」
手を離さぬままぽつりと零した告白を、勇者は笑って答える。
「うん。僕もあなたのこと好きだよ」
それぞれの故郷に戻れば彼には幼なじみとの婚姻が、わたしには族長との婚姻が待っている。勇者はわたしの手をぐいと引くと、胸に収めた。
「……さようなら」
わたしの言葉を待たずに彼は体を離し、手を解く。転移の魔法は一瞬にして彼を遠くへと運び、行動の意味を問うことを阻んだ。
彼には想い人がいると知っていたから、わたしのことなど見ていないと思っていた。それなのに彼にも旅の最中に生まれた好意があったというのだろうか。
「なんで今なの」
彼からわたしへの最初で最後の接触は心を乱し、故郷へと向かわねばならない足をその場に縫い止めた。わたしには魔法が使えないから追いかけられない。追いかけられたとしても、別れの言葉は告げられ、この手は離れてしまった。
「なんで……、」
わたしが泣いている間に故郷に辿り着いた彼は彼を愛する幼なじみに迎えられていることだろう。今までも想像していたことなのに今は自らの心がひどく傷つく思いだった。