『好きな色』
赤色の似合うブルベ冬に生まれたかったと思いながらのライブ開演前。Tシャツやパーカー、タオルに至るまで赤色が浸透しており、フロアに詰める男女たちはそれらを纏って幕が開くのを今か今かと待っている。バンドグッズに赤色が多いのは、バンドのボーカルが普段から赤い服ばかり着ているため。ブルべイエベの概念を知って似合う色と好きな色との剥離に少しばかり落ち込んだのは割と最近のことだ。自分に似合う色はいわゆるくすみカラーだけど、みんな似合うかどうかでその色を好きなわけではないのだろうなと周りをこっそり見渡しながら今着ているTシャツや、スニーカーの赤色を思う。
フロアのBGMの音量と照明が小さくなっていき時刻を確認すれば開演時間ジャスト。誰ともなく観客から歓声が上がる。暗い照明の中、出囃子として選ばれた曲が流れ、手ぶらでやってきたバンドメンバーが声援を受けながらステージに置かれた楽器を携えると視線を交わして今日のライブ最初の曲に備えた。
そうして演奏が始まった瞬間にはくすみカラーのこともブルベ冬のことも頭から離れて今見ているものに追いつくことでいっぱいになっている。今日もステージ上のボーカルは赤色に塗れて喉が裂けそうになるくらいの叫びを全身全霊を込めて上げていた。何に対してかわからない涙が滲むとともに、自分の好きな色はこのバンドを好きな限りは変わらないのだろうと思っていた。
『あなたがいたから』
幼なじみが世界を脅かす魔王を打ち倒す使命を持った勇者だとして村を出て討伐の旅に出ることになった。ただの村娘が旅に同行させてほしいと願い出たのを周りは疎ましげに見てきた中、彼だけは歓迎してくれた。何もできなかった非力な私は旅のさなかに実戦的な魔法を学び唱えて反省して次に活かし、少しずつ力を身に着けた。それを間近で見ていた仲間たちは次第に認めてくれるようになり、それぞれの力を切磋琢磨して高め合うようになっていった。
魔王との決戦の時。強大な相手と充分渡り合える、と慢心したのがいけなかった。魔王は姿形を変えてこれまでの戦い方すらも一変させ、仲間たちと彼は地に伏すこととなった。この状況に魔王が油断している今、ただ一人立っている私ができることはみんなを復活させる代わりに私が犠牲となる魔法の長い長い詠唱を始めること。
私のこれまでの思い出とはあの村で一緒に遊んでいた彼が名実ともに勇者になっていくまでの軌跡。異国の女王様に見惚れていた彼を杖で小突いたことや、立ち寄った街で小さなこどもたちと遊んであげている彼を見つめていたこと、魔物の襲来から間一髪で護ってくれた彼の後ろ姿をたくましく思ったこと。好きだった彼をもっと好きになっていった思い出が現れては消えていく。ただの村娘だった私が仲間の言葉を借りれば“並び立つ者のいない大魔法使い”になれたのはあなたがそばにいてくれたから。
仲間たちが立ち上がり、魔王に驚愕と恐れの表情が浮かぶのを溢れかえる涙と急激な眠気のせいで見届けることはできなかった。地面に倒れ込む間際に呟いた告白は誰にも聞かれなかったはずだけど、誰かに受け止められる感触が意識の遠のく私の最後の記憶となった。
『相合傘』
授業終わりに男友達とのおしゃべりがノリにノッて気づけば17時を回りかけていた。そういえば今日は雨予報だとお母さんが出掛けに教えてくれていたのを思い出して窓の外に目を凝らすとくもり空を背景に斜めの筋がいくつも見えてくる。
「雨降ってるわ」
「マジか」
昇降口で上履きと靴を履き替えて外を伺うとアスファルトに水玉模様が現れていて雨が降りたてのときの匂いが漂っていた。
「折りたたみあるけど、途中まで入ってく?」
「しのびねぇな」
「かまわんよ」
ふたりで入るのはやや小さい傘に肩を並べて、けれど謎の遠慮で一定の間隔が開いたまま、雨音を聞いていた。あれだけしゃべっていたのになぜだか言葉少なになっていた。通りすがりの人が見たらカップルだと思われるだろうか、とか普段考えないことを考えてしまう。
「なぁ」
「な、なに」
「俺こっちだから。傘あんがと」
気づけば帰り道の別れ際になっていて、ほんのりと残念に思う気持ちに気づいた。友達はカバンから黒い棒状のものを取り出すと、それを開いて歩きだしていく。
「えっ、あれ?」
黒い折りたたみ傘を差した友達は、ふり返るとニヤリと笑う。
「わざと?」
「わざと!」
それだけ言うとこころなしか赤い顔をして走り去っていった。残された私はうれしさや恥ずかしさややられたという気持ちでいっぱいになり、しばらくその場に立ち続けていた。
『落下』(ゼルダの伝説 ティアキン)
ハイラル城の上空に生きているのかいないのかもわからない姫様が現れ、地上へ向かって落ちていく。どうすれば空を速く駆けられるかはここに至るまでの道のりで身についた知識と技術が教えてくれるけれど、もう会うことも叶わないかもしれないと思っていた人が目の前にいて気が逸りそうになる。幾度となく空を巡り、空を渡ってきたのはきっとこの瞬間のためだったのだろう。地下遺跡の足場が崩れて姫様の手を掴み損なった記憶が蘇る。もうあの喪失感を味わいたくはない。今度こそはあの手を掴むのだと心が叫んだ。
『未来』
ほんの少しだけ未来が見えることがある、と昼休みに友人に打ち明けた。購買で買ったサンドイッチの包装と格闘しながら友人が尋ねてくる。
「見えるときもあるし、見えないときもあるってこと?」
「そう」
「へぇ~」
コンビニで買った5個入り薄皮あんぱんの包装を破っているさなかに突然に訪れた見えるときの前触れ。気づいて意識をやると、友人の持つサンドイッチの具がこぼれる場面が見えた。はっと意識を戻してとっさに手を伸ばすと地面に落ちるはずだったハムやゆでたまごが手のひらに乗ったが、自分の持っていたあんぱんがひとつ地面に転がってしまった。
「あぁ……」
「あー」
未来が見えたことで手に乗ったハムとゆでたまごを差し出すと、友人は悩んだ末につまんで食べた。
「その能力、磨いてもっと役に立てられるといいね」
拭いた手のひらの上に慰めのように友人のカバンから探り出されたキャンディがひとつ置かれる。
「ありがと。……がんばる」
打ち明ける前と変わらない接し方の友人に信頼感を覚えながら、奇しくも4個になってしまったあんぱんに手を伸ばした。