わをん

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3/24/2024, 1:05:02 AM

『特別な存在』

ステージの上で歌と踊りで疲労もものすごいはずなのにそれを一ミリも感じさせずに観客に手を振り、笑顔まで見せてくれるアイドルたち。その一員のひとりは私にとって特別な存在だ。がんばってと応援する気持ち、どうしてそこまで一生懸命なのかと感動する気持ち、そんな姿を見せてくれて感謝しかないという気持ちをペンライトに込めて両腕を振りに振り、気づけばステージを去っていく彼を号泣しながら見ていた。
週刊誌に私服姿の彼が写っていた。傍らには私服姿の女性アイドルがいて、熱愛という見出しが踊っている。アイドルの裏側なんか見たくないという気持ちと彼のことをもっと知りたいという気持ちをせめぎ合わせながらコンビニの雑誌コーナーでしばし立ち尽くしたあと、カップコーヒーだけを手に店を出る。指先はじんわりと温かいけれど心のどこかがひんやりとしていた。彼はいつかは誰かとお付き合いをするだろうしいつかは誰かと結婚もするのだろう。ぼんやりとわかっていたことだけれど、いざ目の当たりにすると予想していたよりも自分の足元がぐらついた。
それでも足が現場に向かってしまう。以前よりも顔見知りのファンが数を減らしていても、いつものようにステージは始まる。これまでと同じ気持ちで彼を見られないかもしれないと思っていたけれど、杞憂だった。彼は変わらず全力で歌って踊り、観客の声援に全身で応えていて、それを見る私は応援し、感動し、感謝を返した。号泣のさなかに思う。私ができることは応援と感動と感謝、そのぐらい。けれど彼にとっての特別な存在にはそれ以上のことができるのだろう。彼女の存在が彼のプラスになるのなら応援してあげたい。足元のぐらつきは収まり、冷えていた心も気にならなくなっていた。

3/23/2024, 2:33:34 AM

『バカみたい』

他所の国で傭兵として従事していたことがある。重篤な犯罪者でない限りは雇うというスタンスのためか世の中にうまく適合できないハジキ者ならず者も多く、戦う以外に能のない不器用な人間が集っていた。
同僚たちは不器用すぎるがために生きるのも下手くそだった。いつ死んでもおかしくない死線を共にくぐり抜けてきたというのに些細なことのケンカの度が過ぎたり、彼女にフラレて失恋して立ち直れなくなったり、突然ビルから飛び降りたりとバカみたいな理由で命を落としていった。虚しさを感じないわけはなく、ほどなく除隊した。
自国の平和な生活の中に表立った戦いの日々はない。けれどバカみたいな理由で犯罪に手を染めたり命を落とす奴がいるのはあちらとそんなに変わりはない。何が分かれ目なのだろう。考えても答えの出ない問いを幾度となく思ってしまう。

3/22/2024, 3:38:27 AM

『二人ぼっち』

海の向こうのきらびやかな祭典で世界的な賞を与えられた映画作品が近所の映画館でも上映されることになった。予告動画をたまたま見かけて興味があったのと、ネットの記事で映画を作った監督や俳優たちが喜びを爆発させていたのを見ていたので会社帰りに喜び勇んで映画館に行ってチケットを買い、レイトショーの上映を待った。私と同じように上映を心待ちにしていたひとがたくさんいるのだろうなと期待していたが、さりげなく辺りを見回してみると場内にいるのは私ともう一人だけ。照明が暗くなっていく。
世界的な賞を与えられた作品に周りの人たちはあまり興味がないのかと落胆したが、やがてそんなことはどうでもよくなるほどにスクリーンに釘付けになり夢中になっていった。私ともう一人のお客さんはエンドロールを最初から最後まで見届け、掃除をするスタッフさんに追い立てられるようにロビーに向かい、売店で列を作ってパンフレットを買った。出口に向かうエスカレーターではふたりとも無言だったけれど、言葉に表せない親近感をひしひしと感じ合っていたように思う。透明なビニール袋に入った大きなパンフレットはふたりの手元に揺れてそれぞれの家路を進んでいった。

3/21/2024, 3:48:20 AM

『夢が醒める前に』 (夢をみる島)

いつからあるのかわからない島に私がいつからいたのかわからない。誰に教えられたわけでもないのに知っているお気に入りの歌を歌って過ごす変わらない毎日は、誰も来たことのなかった島にやってきた剣士によって少しずつ変わっていった。それまで知ることのなかった島の外の話は彼から初めて聞いたときから何度も思い出している。海の向こうに想いを馳せて、空を自由に飛ぶカモメに憧れるようになった。
島の一番高いところにあるタマゴからかすかに、けれど確かに歌が聞こえてくる。夢も悪夢も目覚めの時が訪れるとすべて忘れてしまうけれど、彼は私のことを覚えていてくれるだろうか。私の思い出や願いや想いはどこへいってしまうのだろうか。
いつものように空は青く雲は白く、風は穏やかに吹いている。もう少しだけ、彼と話がしたかった。

3/20/2024, 4:06:43 AM

『胸が高鳴る』

秋の文化祭でクラスの男子たちによる女装カフェという模擬店があった。体育会系のいかついウェイトレスもいれば、仕草がサマになっているウェイトレスもいたが、一番人気はなんと俺の親友。元々中性的な容姿がクラスの女子たちの化粧によってとんでもない美人になり、一部の同性たちをそれはそれは惑わせていた。俺もその一部のうちのひとり。スマートフォンに収められたツーショット写真を見返すことがたまに、いやけっこうある。
「あのときのお前、めちゃくちゃかわいかったな……」
「その話もう何回目よ」
春休みで家に遊びに来た親友は部屋で寝転びスマートフォンを眺めながら笑う。普通にしてたら別にときめかないのになぁと少し不思議な気持ちになる。
「でももうやりたくないかな」
「えっ、なんで」
「あの後けっこうな数告白されたから」
「えっ、」
「全部男ね」
「ええっ、」
初耳の話だった。
「魔性の女じゃん!」
「魔性の女装子さんね」
おもむろに身を起こした親友は身を正してこちらに向き合うと、謝りたいことがある、と切り出した。
「お前がよく見てる僕とのツーショット写真あるじゃん」
「ある。今も見てた」
「あれをね、告白してきたやつらに見せて僕の彼氏ですって断ってたのよ」
「ええっ、」
そういえば文化祭の後から視線を感じることがあったような気がする。ちょっとしたインネンつけられたり嫌がらせがあったようななかったような。
「僕のせいでなんか嫌な思いしてたらごめん。あと勝手に彼氏とか言ってごめん」
そう言って親友は頭を下げた。その下げた頭を人差し指で押してこちらを向かせる。
「1個目については、俺は気にしてないからお前も気にしなくていい」
「……わかった」
「2個目については、聞きたいことがある」
「はい」
「俺いま告白された?」
部屋の空気が少し変わっていた。短いようでやたらと長い時間が流れて手には汗が滲み、心臓がじわじわと存在感を増してきていた。ときめきに少し似ているかもと思っていたところに小さな小さな声で親友がはい、と言ったのが聞こえてくる。文化祭のあのとき以来に胸が高鳴り始めていた。

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