わをん

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1/25/2024, 3:19:15 AM

『逆光』

「そこで見ていて」
夕焼けを背にして立つ彼が目を閉じる。伸びをしたときや関節が鳴るときのような音と共に彼の体が少しずつ姿を変えていく。腕や脚は獣のようになり、背中からは翼が現れた。頭には一対の角が聳えて禍々しい形を曝け出している。人の姿だったときの面影はどこにも見当たらない。彼の変身の一部始終を目の当たりにしながら、別人と対峙しているような気持ちになった。
「おそろしい姿だろう」
「うん、正直そう思う。君じゃないみたいだ」
指先から伸びる尖った爪を西日が照らす。彼の表情は逆光に隠されて読むことができない。笑っているのかもしれなかったし、悲しんでいるのかもしれなかった。

1/24/2024, 3:23:16 AM

『こんな夢を見た』

ぼうとした頭で見た夢を思い出そうとするが手のひらに乗せた雪のように形を無くしてしまいもう誰にも掴めない。世の中には夢が形になって残っているものもあるようだ。文豪というやつは酔狂なことをする。
百年後に咲いた白百合
禅寺に鳴り響く時計の音
百年後に裁かれた人の親
帰ってこない酔いどれた老人
岩に残った蹄の痕を撫でる手
散らばった木屑
穏やかな黒い海
桶に入った様々な形の金魚
寒々しい鳥居と石段
人の手に渡ったパナマ帽
残らないと思われた夢の欠片は文字を与えられてしまったばかりに留まり続けている。自分には琥珀に取り残された虫のように思えてしまい、それは少し不憫に思える。

1/23/2024, 3:18:33 AM

『タイムマシーン』

人を信じるとはどういうことなのだろう。相手のことを疑わず、私のことだけを想ってくれていると思うことだろうか。相手のあやまちを窘めて直してほしいと訴えかけることだろうか。殴られても蹴られてもすべて許すことだろうか。死んでしまった今ではよくわからない。
彼は浮気相手の女と相談した結果、私を山奥に棄てることにしたようだ。警察にすぐ相談してくれたなら、死んでなお恨みを持つこともなかったのに。
「タイムマシーンがあったらなぁ。こいつと付き合う前に戻りたいよ」
彼は私との生活に不満があったのだと語り始めたが、同情を誘うためか自分には非がないという内容に変えられていた。助手席からわかる、かわいそう、と気持ちのこもっているようないないような相槌が聞こえる。私なら、タイムマシーンがあったらどうするだろう。もしも過去に戻っても恨みは抱いたままで何も知らない振りをできる気がしない。それならば死んだこの身で恨みを晴らすほうが遥かにいい気がする。信じ合っているように見えるふたりから土を被せられながら、私はふたりの未来をひたすらに呪うことにした。

1/22/2024, 3:28:11 AM

『特別な夜』

ケーキ屋さんで働いていると毎日が何かしらの特別な日なのだと思わされる。家族の誕生日。ふたりの結婚記念日。試験に受かったお祝い。などなど。
閉店間際のケーキ屋店内にスーツ姿の人が入ってきた。スーツの人はショーケースの中の残り少ないケーキを一通り眺めたのちに小さめのホールケーキにプレートをつけてくださいと注文した。
「こちらにプレートに書くお名前頂戴してもよろしいですか?」
メモ帳に書いてもらったそれはソーシャルゲームのキャラクターの名前だった。なぜ知っているかというとそのゲームは自分も課金しているぐらいにはやり込んでいるから。ゲームの話をしようかどうしようか。けれど今から名前を書くキャラクターのことはあんまり詳しくないし、けど話題に出してもいいかなそういうの嫌いなひとかな、などと顔には出さず逡巡しているうちに仕事をきちりと終えてしまった。書き終えたタイミングでスーツの人が言う。
「あなたも、あのゲーム好きなんですか?」
スーツの人が視線を向けている先はメモ帳に書いてもらったときのボールペン。推しキャラがさり気なく描かれているものなので仕事で使ってもいいよねと思って持ち込んだものだった。
「あっ、はい。めっちゃ好きで、やってます。けっこう」
「そのキャラも僕、好きですよ。かっこいいですよね」
「あっ、ありがとうございます。推しがお世話になっております」
うふふ、と笑い合って会話は終了したけれど、内心とてもとても嬉しい。我が事のように嬉しい。ケーキを大事そうに抱えて帰るその人に親近感を抱きつつ、もう少しなにか言えればよかったな、と看板を片付けながら思う。店の軒下に月影がほんのりと落ちている。それぞれの特別な日に特別な夜が訪れている。

1/21/2024, 8:11:59 AM

『海の底』 (シン・ゴジラ)

海へと沈められた核廃棄物の中に私は押し込められている。核の毒がこの身を蝕み命を奪い、残ったそれがもはや人の体ではなくなったためだ。核の呪縛が解けるのには長い時を要する。地上の夢を見ては暗い海の底で目覚めて落胆する日々の繰り返しは、見慣れない生物の来訪によって終わりを告げた。細長い魚のような形の生物は核廃棄物に近づくとそれらをついばみ始める。核の毒をもろともしない恐るべき生物は日を追うごとに姿形を肥大させていき、ついには私の身体も捕食し始めた。ただ時が過ぎるのを待つだけだったこの身がなにかの糧になるとは。驚くと同時にほんのりと嬉しかった。
『待たせたな』
その生物の一部となった大勢の中から聞き覚えのある声が脳裏に響く。遠い記憶に違いがなければ、それは私の夫の声だった。
『あなたも食べられてしまったんですね』
『おまえに会うためにはこうするのが最適解だったんだ』
『相変わらずのせっかちですこと』
ふふ、と笑い合う気配を感じる。核廃棄物を食べ尽くした生物は次の食料を求めて海の底から浮き上がり、夢にまで見た地上を目指すようだ。核の毒は撒き散らされることになるけれど夫は策を遺したと言う。
『だから思うままに、好きにするといい』
『……わかりました』
海から陸へ、そして空へと進む姿を想像する。鰭は手足となり、手足は翼となる。暗い海の底から陽の光差す大地と大空へ、私たちは進み始めた。

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